待機エリアへ戻ったあとも、彩葉の頭から第一ラウンドの戦況は離れなかった。トップへ輝夜と二人で向かい、人数差を作って帝を早々に崩すつもりだったのに、実際には一対二を耐えられたばかりか、牛鬼を倒しながら最後には二人とも撃破されている。
その間、ミドルにいた雷を誰一人として止めることができなかった。こちらが帝へ攻撃を重ねるたび、誰もいない中央では雷の独壇場となり、時間を掛ければ掛けるほどウルトゲージを貯めていったのだから、二人で攻めているはずの自分たちが、むしろBlack onyXの思惑通りになっていたことになる。
彩葉は戦況表示の消えた空間を見つめたまま、肩を落とした。
「てか、実力差ありすぎだよ。ムリムリ」
思っていた以上に弱い声が出た。
隣では輝夜が巨大なハンマーを抱え、まだ帝との戦いを思い返しているらしく、不満そうに柄を握り直している。負けたことを認めたくないというより、次ならどうすれば攻撃を当てられるのかを考えているようだったが、彩葉にはそれほど単純な問題とは思えなかった。
二人で攻めても押し切れない相手を、次はどうやって攻略するのか。その答えが見つからないまま考え込んでいると、少し離れたところからヤチヨの間延びした声が聞こえてきた。
「ごめんね~。一度乃依ちゃんを倒した後は、ずっとウミウシ状態でした~」
ヤチヨは少しだけ申し訳なさそうに肩を落としている。ただし、本気で落ち込んでいるというより、自分でもあの鈍足状態を思い返して可笑しくなっているらしく、口元には僅かな笑みが残っていた。
彩葉はすぐに首を横へ振った。
「いやいや、ヤチヨは乃依を倒してますし最強ですよ」
「むぅ」
慰められたことが気に入らないのか、それとも試合を取れなかったことをまだ気にしているのか、ヤチヨは頬を少し膨らませる。乃依を倒した後はずっと進路を塞がれ、最後には雷へ勝敗を持っていかれたことの方が引っ掛かっているらしい。
そんな二人を見ていた輝夜が、不意に彩葉へ顔を向けた。
「ねえ、帝って…」
呼ばれた彩葉もそちらを見る。
「何?」
「上手くいった作戦を次もそのまま使うタイプかしら?」
予想していなかった質問に、彩葉は一度だけ瞬きをした。
どうして突然そんなことを聞くのかと思ったが、帝の性格を思い返してみれば、答えはそれほど難しくなかった。相手に手の内を知られたからといって臆するような性格ではなく、むしろ分かったうえで突破できるなら、その方が面白いと考える。
第一ラウンドのトライデントは、ほとんど狙い通りに機能していた。
帝がトップで輝夜と彩葉の二人を受け持ち、乃依がボトムでヤチヨの足止めをして、その間に雷がミドルのミニオンを独占して力を蓄える。最後には三か所で作られた時間が雷の進軍へ繋がり、そのままラウンドを奪われた。
あれだけ綺麗に成功した作戦を、帝が自分から捨てるだろうか。
彩葉は少し考えたあと、ゆっくり首を横へ振った。
「たぶん変えないと思う。お兄ちゃんなら上手くいってるうちは作戦を変えないはず」
「じゃあ、次も帝がトップ?」
「たぶんね。雷がミドルで、乃依がボトムのトライデントで来ると思う」
口にしたところで、彩葉の中に第一ラウンドの三本のレーンがもう一度浮かび上がった。
トップの帝
ミドルの雷
ボトムの乃依
そのうち、最初に引っ掛かったのは乃依の動きだった。
彩葉はヤチヨへ視線を移す。
「そういえば、乃依って戻ってきてからは、ずっとヤチヨの足止めをしてたんだよね?」
「うん。二回目からは全然近づけなかったよ」
ヤチヨは和傘を肩へ乗せながら、第一ラウンド後半の動きを思い返した。
「近づこうとすると距離を取られるし、先に進もうとしたら行く手を阻まれ、鈍足も入れ直されてたから、追いかけても全然届かなかったんだよね」
ヤチヨを倒さなくても、天守閣へ向かわせなければいい。本人の体力を削るより進路を塞ぎ、直接戦うより距離を取り続けた方が、Black onyX全体にとっては都合がよかった。
そこで彩葉の意識は、自然とミドルへ移った。
誰にも邪魔されなかった雷は、帝が一対二を耐えている間にもミニオンを倒し続けていた。乃依がヤチヨの時間を奪うほど、そのぶん中央では雷が自由に育ち、十分にウルトゲージを溜めてから勝敗を決めるために動き始めている。
相手を倒さなくても、止めるだけでいい。
その時間を、別の誰かが使えばいい。
第一ラウンドではBlack onyXにやられたことなのに、今まで自分は帝をどう攻略するかばかり考えていた。
彩葉は僅かに眉を寄せ、もう一度三本のレーンを頭の中で組み直す。帝が再びトップへ来て、雷がミドルを進み、乃依がボトムでヤチヨの足止めをするのなら、相手が何をしようとしているのかは最初からある程度分かっている。
さらに、乃依は一度ヤチヨとの直接対決で敗れている。次は最初から接近戦を避け、もっと徹底して進路を塞いでくる可能性が高い。そこまで考えたところで、彩葉の表情が僅かに変わった。
乃依がヤチヨを止める
雷がミドルを進む
帝がトップで二人を受け持つ
相手が同じ作戦を続けてくれるなら、その動きを崩すことばかり考える必要はない。むしろ、相手がそう動くことを前提にして、こちらの役割そのものを途中で変えてしまえばいい。
彩葉の視線が一瞬だけ遠くへ向いた。
まだ作戦として成立するか、頭の中で距離と時間を確かめる。トップとボトム、それぞれの牛鬼の位置、リスポーン地点から各レーンへ続く道、雷がミドルで育つまでに必要な時間まで繋げていくうちに、先ほどまで感じていた絶望感が少しずつ薄れていった。
必要なのは、相手が作ろうとしている時間の流れを、こちらが先に利用することだった。
「……いけるかも」
小さく漏れた声へ、輝夜とヤチヨが同時に反応した。
「何か思いついたの?」
「たぶん。でも、向こうが本当に同じトライデントで来るなら」
さっきまで「ムリムリ」と弱音を吐いていたときとは違い、彩葉の目にはもう次の戦況が浮かんでいる。輝夜もそれに気づいたらしく、興味を隠さず近づいてきた。
「何をするの?」
「ちょっと二人とも、こっち来て」
彩葉は周囲へ一度目を向けてから、二人を手招きした。
三人の距離が縮まったところで声を落とし、次のラウンドで最初にどう動くかだけを順番に説明していく。外から聞けば何を企んでいるのか分からない程度の声量だったが、話を聞くうちにヤチヨの目は少しずつ楽しそうに細められ、輝夜は反対に何度か首を傾げていた。
「本当にそれで上手くいくの?」
「うん。たぶん、そっちの方がいい」
彩葉が頷く。
「お兄ちゃんも乃依も、無理に倒さなくていいから」
「倒さないの?」
「向こうが何をしてくるか分かってるなら、そのままやってもらえばいいの」
ヤチヨはその言葉を聞くと、何かを察したように口元を緩めた。
「じゃあ、乃依ちゃんがまた私の足止めに来てもいいんだ」
「むしろ来てくれた方が都合がいい」
彩葉が答えると、ヤチヨの表情がさらに楽しそうなものへ変わる。
「とっても面白そう!」
「遊びじゃないからね」
「もちろん!やるからには本気でやるよ」
目の前の一人を倒すことよりラウンドを取る方を優先する。その意味を一番よく分かっているのは、実際に乃依の遅延を受け続けたヤチヨだった。
彩葉は最後に二人の役割をもう一度説明して、三人だけの打ち合わせが終わっていく。
◇ ◇ ◇
その頃、第一ラウンドを先取したBlack onyX側でも、次の配置について話が始まっていた。
乃依はいつもの気怠げな表情を崩さないまま、自分を一度撃破したヤチヨのことを思い返していた。和傘の耐久を削ってまで強引に距離を詰め、輪刀へ切り替えたあとも懐まで入り込んできた姿は、普段のお助けヤッチョより明らかに勝利へこだわっている。
「今日のヤチヨちゃん、ガチヤチヨだよ」
帝が少しだけ首を傾ける。
「俺もそんな感じしたんだけどさ。前のお助けヤッチョじゃ、ヤチヨちゃんは俺らの仲間だったよな?」
「そうだったね」
乃依は軽く頷き、それから記憶を探るように視線を上へ向けた。
「身に覚えないかな~」
雷も同じらしく、腕を組んだままうなずく。
以前のお助けヤッチョでは、ヤチヨはBlack onyX側の仲間だった。三人とも敵として戦った記憶がない以上、なぜ今回ガチヤチヨと呼ばれるほど勝ちへこだわっているのか、その理由までは分からない。
それでも、第一ラウンドで乃依を倒した姿を見れば、本気であることだけは疑いようがなかった。
「まあ、理由は分かんねえけど、マジになってるなら面白い」
「次もヤチヨちゃんの時間を稼げばいいし」
第一ラウンド後半ですでに効果は証明されている。
鈍足を入れ、進みたい場所を塞ぎ、決して近寄らせない。ヤチヨ本人を倒し切れなくても、櫓や天守閣へ到達する時間さえ奪えば、その間に別のレーンが進める。
帝はその方針へ異論を挟まず、すぐに自分たちの配置へ話を戻した。
「じゃあ乃依はそれで。雷はまたミドルな」
「了解」
雷が短く答えると、帝は最後に自分の胸を指した。
「俺はトップ。さっきと同じでいいだろ」
第一ラウンドで成功したトライデントを、わざわざ変える理由はなかった。帝がトップを支え、雷がミドルの資源を取り、乃依がボトムでヤチヨを遅らせる形を、Black onyXはほとんど迷うことなくもう一度選ぶ。
◇ ◇ ◇
低く長いほら貝の音が戦場へ響き渡り、竹林の奥まで震わせるような余韻を残した。その音が消え切るより早く六人が一斉に動き出し、第二ラウンドの戦端が開かれる。
Black onyXの三人は、登場時から使用している虎型バイクへそれぞれ跨がった。帝、雷、乃依を乗せた三台はほとんど同時に走り出したものの、向かう先は最初から綺麗に三方向へ分かれている。
「2回戦始まって、ブラックオニキス。当たり前のようにトライデント継続です!」
忠犬オタ公の実況通り、三人の反応は戦場上空のマップで三本のレーンへ散っていった。帝はトップ、雷はミドル、乃依はボトムへ入り、彩葉が作戦会議で予想していた配置から誰一人として動かしていない。
虎型バイクをトップへ走らせる帝は、視界の端へ表示したマップへ目を向けた。かぐやいろP側も輝夜と彩葉がトップ、ヤチヨが一人でボトムへ向かっているため、表面上の配置は第一ラウンドとほとんど変わらず、帝は愉快そうに笑ったまま速度を緩めずトップへ進んでいく。
「輝夜ちゃん、悔しいのは分かるけど、そんなまっすぐじゃ、さっきの繰り返しだ」
彩葉も第一ラウンドと同じようにカラスへ乗り、その後ろには輝夜が同乗している。竹林の上を滑るように進む二人にも目立った変化はないように見えたが、忠犬オタ公が輝夜の姿を映したところで、その手元にあるはずのものが消えていることへ気づいた。
「おっと!? 輝夜、なぜかハンマーを持っていません!」
いつもなら身体ほどもある巨大なハンマーは見当たらず、輝夜の右手に握られているのは一本の扇子だけだった。ボトムへ向かうヤチヨを見ても手元には和傘しかなく、本来なら彼女が使うはずの扇子だけが輝夜へ渡っている。
「姫さんの扇子だね。けど、輝夜のハンマーはどこ行ったんだろ」
てゐも理由までは口にせず、マップ上を進む三人の反応を追い続ける。
トップへ近づいたカラスが高度を落とすと、彩葉が先に地面へ飛び降り、輝夜も扇子を片手に持ったままその後へ続いた。二人を降ろしたカラスはそのまま上空へ離れ、一度ここで降りた以上、このラウンド中に再び利用することはできない。
帝もほとんど同時に到着し、金棒を肩へ担いだまま二人へ近づいてくる。第一ラウンドと同じ顔触れを前にしても余裕は崩れなかったが、輝夜の手元へ目を落とすとそこで初めて眉を上げた。
「そういや輝夜ちゃん、ハンマーはどうした?」
「月に忘れたから持ってくるようにお願いしたわ」
「月に?」
帝が僅かに目を丸くしても、輝夜は誰に頼んだのかまで説明しない。
帝は金棒を振り下ろすと、輝夜は開いた扇子を盾のように差し込んだ。片手だけで受けた衝撃に足元こそ僅かに滑ったものの押し切られず、帝が刀を引いた瞬間には扇子を閉じそのまま鈍器のように横から叩き返す。
咄嗟に攻撃を受け止めたが、予想以上の力に靴底を擦りながら数歩横へ流された。対する輝夜は自分が押し返したことを特別なこととも思っていない様子で片手だけで扇子を構え直している。
「ちょっ……ハンマー職とはいえ、どんなパワーだよ!」
「武器なんだから、殴れるでしょう?」
「だからそれ扇子だって!」
帝が銃形態へ切り替えて弾をばら撒くと、輝夜は扇面を開いて正面から受け、その間に彩葉がブーメランを側面へ回す。金棒で弾かれれば戻ってきた武器を受け取り、輝夜が帝の正面を塞いでいる間だけ別方向から圧力を掛けることで、二人は攻撃しながらも決して深追いをしなかった。
第一ラウンドと最も違うのは、帝が後退した時の反応だった。追って仕留めようとはせず、逆にトップから離れようとした瞬間だけ輝夜が扇子で正面を塞ぎ、彩葉が横からブーメランを差し込むため、二人の動きは撃破よりも足を止めることへ偏っている。
何度か攻防を繰り返したところで、帝もその違いへ気づいたらしい。わざと大きく一歩下がってみても二人が詰めてこないことを確かめると、訝しげに目を細めた。
「なんだ? さっきより大人しいじゃん」
「そう?」
彩葉は戻ってきたブーメランを受け取りながら、帝の横を抜けようとはしなかった。視界の端へマップを一瞬だけ開き、ボトムでヤチヨと乃依の反応が重なったことを確認すると、何事もなかったように帝へ意識を戻す。
「かぐやいろP、第一ラウンドみたいに帝を一気に倒そうとはしません! 攻撃しながらも、ずっと同じ場所へ押し留めています!」
「帝を倒すことより、足止めを優先してるみたいだね」
てゐがそう分析しながら視線を移した先では、短弓を構えてヤチヨを待ち受けていた。
一本目の矢はヤチヨ本人ではなく、その進路の先へ突き刺さる。右へ避ければその方向へ二本目、左へ切り返せばさらに先へ三本目が落ち、身体を狙うよりも進みたい場所を先に塞ぐ射線が続いた。
第一ラウンド前半とは明らかに違う乃依の狙いを察すると、ヤチヨは飛来した一本を和傘で弾きながら、困ったように笑った。
「また乃依ちゃんかあ。今度は最初から遊んでくれないの?」
「一回やったでしょ?」
乃依は自分から距離を縮めず、ヤチヨが一歩進めば同じだけ後ろへ下がる。
「俺、ヤチヨちゃんに近づかなくてもいいし」
「寂しいこと言うなあ」
軽口を返しながらヤチヨは右へ進路を取ったものの、その先にはすぐ矢が落ちてくる。左へ切り返しても次の射線が先回りし、どちらを選んでも乃依へ近づきながら前へ進むことはできなかった。
それならばと和傘を構えて一気に距離を詰めようとしても、乃依は輪刀へ切り替えることすらせず、自分からさらに後退して射程を保つ。追えば櫓から遠ざかり、無視して先へ進めば矢が待ち受けるため、ヤチヨは竹の隙間や左右の道を順番に試しながら、乃依の対応を確かめていった。
やがて射線を抜けようと踏み込んだ瞬間、一本の矢がヤチヨの肩へ直接突き刺さった。僅かに体力が削られると同時に淡い光が全身へ広がり、それまで軽かった足取りが目に見えて鈍くなる。
「鈍足が入った! 第一ラウンドと同じです!」
「乃依も分かりやすいねえ。姫さんを倒すより、足さえ止めればいいって最初から決めてる」
ヤチヨは重くなった足元へ目を向け、少しだけ眉を下げた。
「またウミウシになっちゃった」
言い方こそいつも通りだったが、焦っている様子はない。和傘を正面へ構えて距離を詰めれば乃依は下がり、別の道へ抜けようとすればその先へ矢が落ちるため、何度試しても接近戦へ持ち込めなかった。
乃依は第一ラウンドで一度倒されたことを踏まえ、今回は最初から勝負そのものを拒んでいる。ヤチヨを倒す必要はなく、ただ前へ進ませなければいいという動きに徹することで、自分の得意な距離だけを保ち続けていた。
何度目かの矢を和傘で弾いたところで、ヤチヨは戦場上空のマップへ一度だけ視線を向けた。トップでは彩葉と輝夜が帝を引きつけ、ミドルでは雷が誰にも邪魔されず進んでおり、第一ラウンドとよく似た形が再び作られている。
「本当に来てくれないんだ」
「もう近くではやらないって」
乃依は首を傾げながら、次の矢を番えた。
「ヤチヨちゃんの足止めができれば、それでいいでしょ?」
その言葉を聞いたヤチヨの口元へ、ほんの僅かに笑みが浮かぶ。次に飛んできた矢へ身体を傾けたものの、いつもなら避け切っていたはずの軌道が腕を捉え、続けて放たれた一本も脇腹を掠めて体力表示を少しずつ削っていった。実況席では、てゐが最初にその変化へ気づいた。
「姫さん、ちょっと避け方が雑になった?」
忠犬オタ公は鈍足状態を示す表示へ目を向ける。
「足が遅くなっているからじゃないですか?」
「それだけじゃない様な気がするよ」
さらに放たれた一本を、今度のヤチヨは和傘で受けようともせず肩へ受けた。第一ラウンドで乃依の射線を潜り抜けていた姿と比べれば不自然なほど素直な被弾が続き、さすがの乃依も弓を構えたまま眉を寄せる。
「……ヤチヨちゃん?」
「なあに?」
「急に避けるの下手になってない?」
「そんなことないよ?」
そう答えながら、次の一本は和傘できちんと弾く。その直後に飛んだ矢は身体をずらし切れずに受けるため、避けるのか受けるのか、その基準が乃依にも読めないまま、残り体力だけが徐々に危険域へ近づいていった。
第一ラウンドでは僅かな射線の隙間まで見つけて懐へ潜り込んできた相手だけに、単純に鈍足で動けなくなったとは考えにくい。乃依はヤチヨの体力と足元を交互に見ながら、番えていた通常の矢をすぐには放たなかった。
「……何してるの?」
「さあ?」
ヤチヨは和傘を肩へ乗せ、何でもないことのように笑った。その態度は却って乃依の警戒を強めたものの、このまま通常射撃を続けて再び接近の機会を与えるより、一度確実に動きを止めてしまった方がいいと判断する。
残り体力が少ない今なら仕留められ、仮に僅かに残ったとしても、完全に動きを封じれば足止めという役目は果たせる。乃依は番えていた通常の矢を下ろし、短弓を大きく引き絞った。
一本の矢へ青白い光が集まり、矢軸の周囲で冷気が渦を巻き始める。弓との接点から細かな氷の粒が舞い上がり、それまでの射撃とは明らかに異なる気配がボトムの竹林へ満ちていった。
「乃依、ここでウルトだあああ!」
忠犬オタ公の声が大きく響く。
「当たったら厄介だよ。倒し切れなくても氷漬けにされるから、姫さんはしばらく動けなくなる」
高い威力だけでなく、仕留められなかった相手すら氷で封じ、その場へ縛りつける一矢。ヤチヨを前へ進ませないという乃依の役目を考えれば、この状況で切ること自体は不自然な選択ではなかった。
青白く輝く矢を限界まで引き絞り、乃依はヤチヨの逃げ道へ照準を合わせる。やがて弦から指が離れると、凍気を纏った一矢が通常射撃とは比べものにならない速度で一直線に飛び、ヤチヨも反射的に和傘を開いた。
ところが矢が届く寸前、その傘面が僅かに横へ逸れる。防御が間に合わなかったのか、それとも自分から動かしたのか、乃依が判断するより早く青白い矢はヤチヨの胸元へ突き刺さり、命中した一点から白い霜が一気に広がっていった。
肩から腕、腰、脚へと氷が走り、高威力の一撃が残っていた体力をまとめて奪う。全身が氷へ閉ざされるより先に撃破判定が成立すると、ヤチヨは和傘を持ったまま肩を落とし、わざとらしく情けない声を漏らした。
「ぴえ~ん……」
乃依が僅かに目を瞬かせると、その反応を見たヤチヨは凍りつきかけた顔でいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「……なんてね」
「え?」
乃依が聞き返すより早く、ヤチヨの身体へリスポーンの光が重なった。凍りつきかけた姿は氷ごと光の粒へほどけ、ボトムの戦場から消えていく。
「決まったあああ! 乃依のウルト直撃! ヤチヨ撃破です!」
忠犬オタ公が声を張り上げる一方、乃依は弓を下ろし、先ほどまでヤチヨが立っていた場所を見つめていた。勝ったはずなのに、不自然な被弾と最後の一言だけが妙に引っかかって残っている。
「……なんかあっけなさすぎない?」
数秒後、自陣のリスポーン地点へ光が集まり、ヤチヨの身体が再構築された。身体を縛っていた鈍足も氷結も消え、失われていた体力まで元へ戻ったその足元には、トップにいる輝夜がなぜか持っていなかった巨大なハンマーが転がっている。
三方と竹筒を組み合わせた見慣れた武器を目にしても、ヤチヨに驚いた様子はなかった。復活すると同時に迷いなく柄へ手を伸ばし、最初からそこにあると知っていたような動きで巨大なハンマーを持ち上げる。
その姿を見たてゐは、先ほどまでの不自然な被弾と、最後まで乃依の射程から離れようとしなかったヤチヨの動きを思い返した。ボトムから現在の位置までの距離と足元に用意されていたハンマーまでが一つに繋がると、僅かに目を細める。
「なるほどねえ。姫さん、倒されたんじゃなくて、わざと倒されてここまで戻ってきたんだ」
忠犬オタ公が一瞬遅れてマップへ目を向けた。つい先ほどまでボトムに表示されていたヤチヨの反応は撃破と同時に消え、現在は自陣のリスポーン地点へ移っている。
「わざと倒された……って、そういうことか!」
巨大なハンマーを担ぐヤチヨとマップを見比べた瞬間、忠犬オタ公の声がさらに大きくなった。
「これはデスルーラ作戦だあああ!」
観客席にも遅れてどよめきが広がっていく。
第一ラウンドのように乃依の足止めを正面から突破しようとすれば、鈍足を受けた状態で長い距離を進まなければならない。だが撃破されれば自分の足で戻る時間を使うことなく、自陣のリスポーン地点へ一気に移動できる。
「姫さんがここまで歩いて戻ろうとしたら、それだけでかなり時間を使う。でも倒されれば、リスポーンで一気に戻れる。乃依が姫さんを倒したことで帰り道を丸ごと飛ばしてくれたってわけだね」
てゐの説明に合わせるように、実況画面には試合開始直後の様子が映し出された。ほら貝が鳴り、輝夜と彩葉がトップ、ヤチヨがボトムへ動き出す中、輝夜の巨大なハンマーだけは自陣のリスポーン地点へドロップされ、誰にも拾われないままその場に残っている。
「しかもハンマーは、試合開始の時点でここに置いてあったんだね。フィールドにドロップした武器はその場に残るから、リスポーンした姫さんなら復活した直後に拾える」
「だから輝夜は最初からハンマーを持ってなかったのか!」
忠犬オタ公が最初に抱いた疑問まで繋げると、てゐは小さく頷いた。
第一ラウンドでは、乃依に足を止められ続けたことでヤチヨはボトムから動けず、その時間を使って雷がミドルを進んだ。ならば今度は、乃依の妨害を無理に突破するのではなく、その撃破とリスポーン自体を移動手段として利用すれば、戻るために必要な時間を大きく削ることができる。
ただ、リスポーン地点へ戻りたいだけなら、もっと早く乃依へ倒されることもできたはずだった。それにもかかわらず、ヤチヨは途中から妙な受け方を続けておりその理由だけはまだ説明がつかない。
てゐもそこまでは口にせず、巨大なハンマーを手にしたヤチヨの次の行動を待つように目を細めた。ヤチヨは巨大なハンマーを肩へ担ぎ、先ほどまで乃依に塞がれていたボトムとは別の方向へゆっくりと顔を向ける。
撃破される直前まで隠していた笑みを取り戻すと、その目はまっすぐ戦場の先を捉えた。
「反撃開始」
その言葉とともに、ここまで押さえ込まれていたヤチヨの流れが静かに反転し、第二ラウンドの戦況そのものが別の形へ動き始めた。