やがて輝夜が彩葉から離れると、三人は改めて観客席へ向き直った。二曲を歌い終えても会場の熱は衰えるどころかますます大きくなっており、客席を埋め尽くす無数の光が揺れるたび、輝夜は嬉しそうに両手を振り、彩葉もまだ頬に赤みを残したまま小さく笑って応える。ヤチヨはそんな二人を一度振り返ってから、観客へ向かって一歩前へ出た。
「今日はみんな、ありがと~!」
大きな歓声が返ってくると、ヤチヨは満足そうに頷きながら人差し指を立て、まだ一つだけ話が残っているとでも言いたげに笑った。
「それとね、近々ツクヨミで新しいイベントの発表があるから、そっちも乞うご期待!」
何をするのかという声が客席のあちこちから上がったものの、ヤチヨはそれ以上教えるつもりなどないらしく、秘密だと示すように口元へ指を添えるだけだった。その横では輝夜が早くも興味を示し、内容すら知らないうちから参加することを決めているような顔で彩葉へ身を寄せる。
「次のイベントですって。彩葉、もちろん一緒にやるわよね?」
「何するかも分かってないじゃん」
彩葉は呆れたように返したものの、その声音に嫌がる響きはなかった。ついさっきまで三人で同じステージに立っていた熱がまだ身体に残っている今は、次に輝夜と何をするのかを考えることの方が自然で、輝夜もそれが分かっているからこそ自信満々に笑っていた。
◇ ◇ ◇
夏休みも残り少なくなり始業式が近づいてくると、輝夜が気にし始めたのは学校が再開したあとの彩葉の生活だった。授業へ通いながら曲を作り、配信まで続ければ今までより忙しくなることは輝夜にも分かっており、以前、彩葉が体調を崩したときに一度料理を作った経験もあったことから、今度は自分が継続して食事を担当すると言い出した。
「彩葉は学校が始まったら忙しくなるんでしょう? だったら、これからは私が料理を作るわ」
そう宣言した輝夜には、相談しているというより、すでに自分の役割として決めてしまったような勢いがあった。彩葉も以前の料理を知っているため、できるのかと疑うことはなかったものの、たまに一度作ることと日常的に続けることは別なので、少しくらい手際や献立が心配になるのは仕方がない。
「毎日やるつもり?」
「もちろんよ。任せなさい」
胸を張る輝夜を見れば、何を言っても止める気はないことが分かる。自分が忙しくなることを考えて役割を引き受けようとしてくれているのだと思えば、彩葉にも断る理由はなく、無理だけはしないようにと念を押したうえで任せることにした。
そんなある日、彩葉は一人でツクヨミへ入っていた。
いつもなら隣にいる輝夜の姿はない。本人が宣言した通り、現実側で夕食を作っており、「今日は料理するから彩葉だけ行ってきて」と送り出されたため、待ち合わせ場所に集まったのは彩葉と芦花、真実の三人だけだった。
「今日は輝夜いないんだ?」
彩葉一人なのを見て芦花が尋ねると、彩葉は軽く肩をすくめた。
「料理してる。もうすぐ学校始まるし、これから自分が作るって」
「前に彩葉が体調崩したときも作ってくれたんだよね」
真実がそう言うと彩葉は小さく頷いた。以前より多少は慣れているだろうと思う一方、毎日のこととなればどうなるのかはまだ分からず、今ごろ家で何を作っているのだろうと考えると、心配より少しだけ楽しみの方が勝っていた。三人でしばらく話しているうちに、芦花がふと思い出したように別の話題を持ち出した。
「そういえば、花火大会あるじゃん」
「花火大会?」
彩葉が顔を上げると、真実も知っていたらしく頷き、屋台もかなり出る大きなものらしいと付け加えた。何気ない話題だったはずなのに、その言葉を聞いた瞬間、彩葉の頭には家で料理をしている輝夜の顔が自然と浮かぶ。
輝夜なら、きっと花火大会にも行ったことがない。
屋台が並んでいれば端から覗きたがり、知らない食べ物を見つければ全部試したいと言い出すだろうし、大きな花火が上がれば周囲の目など気にせず、子供のように目を輝かせて見上げるに違いない。そこまで想像したところで、以前の自分なら抱かなかったはずの気持ちが、ごく自然に胸の中へ浮かんできた。
輝夜と一緒に行きたい。
用事を終えてツクヨミから戻り、スマコンを外すと、部屋にはすでに夕食の匂いが漂っていた。キッチンを覗けば、輝夜は前に料理したときよりも幾分慣れた手つきで作業を進めており、彩葉が戻ってきた気配に気づくと、手を動かしたまま嬉しそうに振り返った。
「おかえり、彩葉。もうすぐできるわよ」
「ただいま。……前より手際よくなったね」
「当然よ」
得意げに笑った輝夜が再び料理へ向き直る。その背中を見ながら彩葉はツクヨミで聞いた花火大会のことを思い出し、ポケットから携帯を取り出した。帰る途中で調べておいた告知ページを開くと、画面いっぱいに夜空を埋め尽くす大輪の花火が映し出される。誘えばきっと喜ぶと分かっているのに、いざ自分から遊びに誘うとなると妙に気恥ずかしく、彩葉は一度画面へ目を落としてから、意を決するように輝夜のそばへ歩み寄った。
「ねえ、輝夜」
「なに?」
料理の手を止めて振り返った輝夜へ、彩葉は携帯の画面を見せた。
輝夜の視線が、夜空いっぱいに花開く色鮮やかな花火へ向かう。彩葉はその横顔を見ながら、ただ「花火大会に行こう」と言えばいいだけなのに、普段はいつも輝夜の方から手を引かれているせいか、どうにも言葉が喉で引っかかってしまう。
それでも、今日は自分から誘いたかった。
彩葉は携帯を輝夜へ向けたまま、少しだけ恥ずかしそうに視線を揺らし、それから小さく息を吸った。
「……遊びましょう?」
輝夜の動きが、ぴたりと止まった。
画面に映る花火よりも、今聞いた彩葉の言葉の方が信じられないと言いたげに目を丸くし、ほんの一瞬だけ呆然と彩葉を見つめる。けれど、その意味が追いつくまでに長い時間はかからず、いつも自分から連れ出していた彩葉が、今度は自分の方から一緒に遊ぼうと声をかけてくれたのだと理解した瞬間、その表情は堪えきれない喜びに一気に染まった。
「ええ! 遊びましょう、彩葉!」
弾むような返事が返ってくると、誘うまで妙に緊張していた彩葉の肩からも自然と力が抜けた。改めて携帯の画面を少し近づけると、輝夜はようやくそこに映る花火へ目を向け、今度はそれ自体にも興味を惹かれたように瞳を輝かせる。
「これ、花火大会なんだって」
「花火大会……! 行きたいわ!」
予想通りの反応に彩葉の口元にも小さな笑みが浮かんだ。
これまでなら、先に手を伸ばすのはいつだって輝夜だった。けれど今は彩葉の方から輝夜と一緒に出かけたいと思い、その気持ちを携帯の画面とぎこちない「遊びましょう」という一言に乗せて自分から差し出していた。
◇ ◇ ◇
花火大会の当日、彩葉と輝夜は会場へ向かう前に、事前に予約していた浴衣を受け取るためレンタル店へ立ち寄った。受付を済ませると、それぞれ別の着付けスペースへ案内され、店員に帯や髪を整えてもらいながら、普段とは違う装いへ姿を変えていく。先に着付けを終えた彩葉は、待合に置かれた鏡の前で自分の姿を確かめていた。いつもの服とは違う帯の締めつけも、普段より少し丁寧に整えられた髪もどこか落ち着かず、鏡の中の自分を眺めながら何度か袖や帯へ視線を落としていると、奥の着付けスペースから輝夜が姿を現した。
何気なくそちらへ顔を向けた彩葉は、そのまま一瞬だけ目を奪われた。浴衣に合わせて整えられた髪も相まって、いつもの活発さは残しながらも少しだけ大人びて見え、輝夜はそんな彩葉の反応に気づくと、袖を揺らすように軽く身体を回ってみせる。
「どう?」
褒められることを疑っていない顔で尋ねられ、彩葉は僅かに視線を泳がせてから、改めて輝夜の姿を見た。
「……うん。似合ってる」
「でしょう?」
すぐに自信満々な返事が返ってきたため、彩葉は思わず小さく笑った。今度は輝夜の方が彩葉の前まで歩いてくると、帯から髪まで確かめるようにじっと眺め始め、あまりにも遠慮なく見られるので、彩葉は次第に居心地悪そうに眉を寄せる。
「彩葉も似合ってるわ。すごく可愛い」
「……そういうの、さらっと言わないでよ」
困ったように顔を逸らした彩葉の耳には、分かりやすく赤みが差していた。輝夜はそれを見つけてさらに嬉しそうにしたが、彩葉も少し間を置いてから、照れを誤魔化すことなくもう一度輝夜へ目を向ける。
「輝夜も、ほんとに似合ってるよ」
今度は輝夜の方が少しだけ目を丸くし、やがて素直に嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「ふふ、ありがと」
互いに普段とは違う姿をまだ見慣れないまま、それでも少しだけ気恥ずかしい空気を残して店を出る。外へ出た途端、輝夜はすっかりいつもの調子へ戻り、花火大会の会場がある方角へ身体を向けると、待ちきれないように彩葉の手を取った。会場へ近づくにつれて道には浴衣姿の人々が増え、屋台の灯りや焼き物の匂い、甘い香り、遠くから聞こえる祭囃子まで混ざって届いてくる。輝夜は見るものすべてが気になるらしく、彩葉の手を握ったまま忙しなく左右へ顔を向けていた。
「彩葉、あれは何?」
「焼きそば」
「じゃあ、あっちは?」
「りんご飴」
二つ答えたところで輝夜の視線がすでに別の屋台へ移っているのを見つけ、彩葉は呆れたように息を吐いた。
「……全部聞く気?」
「せっかく来たんだから、全部見たいじゃない」
そう言った直後には身体がもう次の屋台へ向いており、彩葉が浴衣の袖を掴んで人の流れから外れないよう引き戻すと、輝夜は悪びれもせず、なら一緒に来ればいいとでも言うように、今度はしっかり彩葉の手を握り直した。
結局、そのあとは輝夜に引かれるまま屋台を順番に回ることになった。焼きそばを二人で分け、たこ焼きも買い、甘いものを見つければまた足を止めるうち、最初こそ食べすぎではないかと注意していた彩葉も、一口食べるたびに輝夜が分かりやすく表情を変えるのを見て、止めるより一緒に楽しむ方が早いと諦めていく。
「これ、おいしい!」
「熱いから気をつけてって言ったじゃん」
注意されたばかりなのに口の中の熱さに顔をしかめた輝夜は、それでも負けを認める気はないらしく、少し頬を膨らませた。
「聞いてたわよ。でも、熱いものは熱いわ」
その返しがおかしくて彩葉が笑うと、輝夜は一瞬だけ目を丸くしたあと、自分まで嬉しそうに笑った。以前なら、こうして距離を詰められるたびに戸惑っていたはずなのに、今では隣にいることそのものがあまりにも自然で、彩葉自身もいちいち理由を考えなくなっていた。射的の屋台を見つけた輝夜は、すぐに挑戦すると言い出した。店主から銃を受け取るなり妙に真剣な顔で構えたものの、一発目は狙った景品から大きく外れ、しばらく的を見つめたあと、納得できないと言いたげに眉を寄せる。
「……今のは銃が悪いわ」
「絶対違う」
彩葉が即座に否定すると、輝夜は悔しそうに唇を尖らせながら銃を構え直し、今度こそ当てるから見ていろと宣言した。二発目も惜しいところで外れたが、三発目でようやく小さな景品を倒すことに成功すると、今度は大物を仕留めたような勢いで彩葉へ振り返る。
「見た?」
「見てた見てた。ちゃんと当たったね」
少しだけ真面目に褒められたことが嬉しかったのか、輝夜は満足そうに笑い、手に入れた景品をそのまま彩葉へ差し出した。
「はい、あげる」
「え、私に?」
「彩葉が連れてきてくれたんだから」
彩葉は少しだけ迷ってから受け取り、そのまま鞄へしまった。大した景品ではなくても今日ここへ来た記念なのだと思えば悪くなく、その様子を確認した輝夜もまた、嬉しそうに目を細めていた。辺りがすっかり暗くなる頃には、花火の打ち上げを待つ人々が河川敷の方へ移動し始めていた。彩葉と輝夜も人波に混ざって進み、少し離れたところに並んで座れる場所を見つけると、屋台の灯りや祭りのざわめきを背に、まだ花火の上がっていない夜空を見上げる。
「楽しかった?」
彩葉が何気なく尋ねると、輝夜はほとんど迷わず頷いた。
「もちろん。彩葉が誘ってくれたし」
その一言に彩葉は少しだけ視線を逸らしたが、嬉しそうな輝夜の表情を見ていると、あのとき慣れない誘い方をした甲斐はあったように思えた。
「……そんなに嬉しかったの?」
「嬉しいわよ。彩葉から誘ってくれることなんてなかったもの」
輝夜に言われて、彩葉はそれを「勝手に決めていただけ」と返しかけたものの、結局いつも一緒についていっていたことも事実だった。今日、自分から誘ってみたことで、一人でもできることなのに輝夜と一緒ならその方が楽しいと思えるから、あの子もいつも自分へ手を伸ばしていたのかもしれないと、少しだけ分かった気がする。
しばらく二人で夜空を眺めたあと、彩葉は何かを思いついたように隣へ顔を向けた。
「ねえ、新しい曲、作る?」
一瞬きょとんとした輝夜の表情は、その意味を理解した途端にぱっと明るくなった。これまでなら自分の方から曲を作ってほしいと頼むことが多かっただけに、彩葉の口から先に新曲の話が出たこと自体が嬉しいらしく、身体ごと彩葉へ向き直る。
「作る!」
あまりにも嬉しそうな返事に、彩葉もつられるように笑った。自分から言い出したとはいえ、今までと同じように上手く形にできる自信が十分にあるわけではなく、彩葉は少しだけ困ったように眉を下げる。
「うまくできるか分かんないけど、どんなのがいい?」
問いかけられた輝夜は考え込む様子さえ見せず、むしろ最初から答えが決まっていたようにすぐ口を開いた。
「途中で終わってた曲がいい」
その言葉を聞いた瞬間、彩葉の表情が僅かに止まった。ライブ前日の夜、輝夜がパソコンの中で見つけた未完成の曲は、続きを尋ねられたときにも、もう作れないと答えて話を終わらせたはずだった。
「……あれ?」
彩葉が確かめるように見ると輝夜は迷いなく頷き、夜空を待つ人々のざわめきの中でもその答えだけは揺るがないというように笑った。
「うん。あの曲、好きよ」
輝夜は、途中まであんなにいいのだから、続きを作って最後まで聞いてみたいのだと続けた。その顔には、彩葉がなぜ完成させられないのかを探ろうとする色はなく、ただ純粋にあの曲が気に入っているという気持ちだけが浮かんでいる。彩葉はすぐには返事をせず、まだ何も上がっていない夜空へ視線を戻した。
「……あれは、続きないよ」
「じゃあ作りましょう」
あまりにも単純な返事に、彩葉は思わず隣を見る。輝夜は本当に難しいことを言っているつもりなどないらしく、できない理由を問い詰めるのでもなく、ただ彩葉なら続きを作れると信じているようだった。
「簡単に言うね」
「だって彩葉が作ってる曲でしょう?」
そう返されると、彩葉はすぐに否定することができなかった。以前なら同じ言葉を向けられれば、もう無理だと先に線を引いていたかもしれないが、自分から新しい曲を作ろうかと口にできた今は、あの曲だけを最初から諦める理由も、少しずつ分からなくなっていた。何かを返そうと唇を開いたところで、夜空の向こうから低い音が響き、会話はそこで途切れた。次の瞬間、大きな花火が闇の中へ咲き、視界いっぱいに広がった光を見た輝夜は大きく目を見開き、少し遅れて轟音が身体まで響くと、その驚きもすぐに喜びへ変わる。
「すごい……!」
彩葉もつられるように顔を上げた。
一つ目が消えきる前に次の花火が上がり、赤や青、金色の光が次々と夜空へ広がっていく。周囲から歓声が上がるたびに輝夜も同じように声を弾ませ、どれが一番綺麗だったかを決めようとしては、次に上がった花火を見るたびすぐに意見を変えていた。
「今のが一番!」
「さっきも言ってたじゃん」
彩葉が笑いながら指摘すると、輝夜は今の方が大きかったのだから仕方ないと反論し、さらに次はもっとすごいかもしれないと期待するように夜空を見上げた。花火が開くたび、その色が輝夜の横顔や浴衣へ一瞬だけ落ち、消えてはまた別の光に塗り替えられていく。
これから学校が始まれば、彩葉は今までより忙しくなる。それでも、輝夜が料理をすると言い出してくれたことも、配信も、ヤチヨが予告した新しいイベントも、さっき自分から持ち出した曲の話も、今の彩葉にはどれも面倒な予定としてではなく、これから先に輝夜と一緒にやっていくこととして自然に思えた。
しばらく花火へ夢中になっていた輝夜は、次の打ち上げまで少し間が空いたところで、夜空から目を離さないまま口を開いた。
「彩葉、あの曲、いつか完成させてね」
未完成のまま置いてある曲には、まだ簡単には触れられないものが残っている。それを輝夜へ説明するつもりは今のところなく、それでも以前のように即座に無理だと突き放す気にもなれなかった彩葉は、次の花火が二人の横顔を照らしたところで、小さく息を吐いた。
「……いつかね」
その返事だけで十分だったらしく、輝夜は満足そうに笑った。
「約束よ」
「約束まではしてない」
彩葉がすぐ訂正すると、輝夜はさっきしたと言い張り、彩葉もそんな覚えはないと笑いながら返す。どちらも本気で勝ち負けを決めるつもりなどなく、次々と上がる花火を見上げながら、言い合うことそのものを楽しんでいるようだった。
やがて終盤を告げるように打ち上げの間隔が短くなり、いくつもの花火が重なるように夜空いっぱいへ広がった。遅れて届く轟音が会場全体を震わせる中、輝夜は光が消える最後の瞬間まで目を逸らさず、やがて暗さを取り戻した空を名残惜しそうに見つめる。
「終わっちゃったわね」
「うん」
少し寂しそうに呟いた輝夜だったが、その表情はすぐ次の機会を思い描いたように明るくなり、隣の彩葉へ顔を向けた。
「また来年も来ましょう」
「…そうだね」
彩葉も自然に頷き、二人は花火の余韻が残る夜空をもう少しだけ眺めてから、並んで立ち上がった。