永琳が姿を消してから数日後、彩葉と輝夜は芦花と真実、それにBlack onyXの帝アキラ、雷、乃依を連れ、ヤチヨに指定されたツクヨミ内の一室へ集まっていた。広い部屋の中央には円形の卓が置かれ、その一角ではヤチヨと因幡てゐが並んで席につき、集まった面々を待っている。
いつもの顔ぶれなら雑談の一つも始まりそうなものだが、今日ばかりは誰も先に口を開こうとしなかった。彩葉も膝の上で組んだ指を一度ほどき、隣にいる輝夜が小さく頷くのを確認してから、卓を囲んだ全員へ向き直る。
「みんなに話しておきたいことがあるんだ。輝夜のこと」
それから彩葉は、花火大会から帰った夜に起きた出来事を順を追って説明していった。スマコンを通して八意永琳という女性が突然現れ、輝夜を「姫様」と呼んだこと、輝夜が本当に月から地球へ送られてきたこと、そして本人が帰らないと拒んだにもかかわらず、次の満月には改めて迎えに来ると言い残したことまで話し終える頃には、卓を囲む全員の表情から普段の軽さが消えていた。
最初に沈黙を破ったのは帝だった。驚いているのかと思えば、その顔にはむしろ妙な納得が浮かんでおり、これまでの輝夜の言動を頭の中で繋ぎ合わせた末に一人で何か腑に落ちたらしい。
「輝夜ちゃんが本当に月のプリンセスとは……わかるっ!」
「何が分かったの?」
彩葉が思わず半眼を向けると、帝は悪びれもせず肩をすくめた。その横では真実も以前の会話を思い返すように輝夜を見つめ、やがて小さく「あ」と声を漏らす。
「……そういえば、最初に会った時、輝夜って出身は月だって言ってたよね」
その言葉に彩葉は思わず視線を逸らした。あの時、輝夜は質問されたまま素直に「月」と答えていたのに、それでは話が大きくなりすぎると思った彩葉が、とっさに築地だと言い直して押し切ったのだった。
「そうよ。私は最初から月って言ったじゃない」
輝夜が少し得意げに胸を張ると、芦花も当時のやり取りを思い出したらしく、今さらながら彩葉へじっと視線を向ける。
「じゃあ、築地って言ったのは……」
「……私」
彩葉が小さく認めると、真実は一瞬ぽかんとしたあとで吹き出し芦花も呆れたように笑った。本人だけは最初から一度も出身を隠しておらず、周囲の方が現実離れしているという理由で、勝手に別の答えへ直していたことになる。真実は、今になって考えれば思い当たることが多すぎると苦笑した。月の姫という突拍子もない話なのに、過去を振り返るほど妙な説得力だけが増していく。
ただ、輝夜が何者だったのか以上に大事なのは、これから本人がどうしたいのかだった。雷は皆の反応がひと通り落ち着くのを待つと、話の中心にいる輝夜へまっすぐ視線を向ける。
「で、輝夜はどうするんだ。月に帰るのか?」
輝夜は考えるための間すら取らず、問いかけを真正面から受け止めるように顔を上げた。
「月に帰るつもりはないわ。彩葉とこれからも暮らすし、やりたいことだってまだいっぱいあるもの」
言い切ったあとで隣の彩葉へ一瞬だけ視線を向け、そこに自分が残りたい理由の一つを確かめるように表情を和らげる。
「月の都に私の力が必要だからって、それだけで私が帰らなきゃいけない理由にはならないわ」
彩葉はその意思を受け止めるように静かに頷いた。今回ここへ皆を集めたのも、輝夜本人の知らないところで引き止める方法を決めるためではなく、帰らないと決めた本人と一緒に、その選択をどう守るのかを考えるためだった。
しかし、輝夜の意思が固まっていても、次の満月に永琳が迎えに来るという事実までは消えてくれない。彩葉はそこで、これまで黙って話を聞いていたヤチヨへ身体を向けた。
「ヤチヨ。輝夜を守ることって、できないかな」
ヤチヨはすぐには答えず、少し考えるように視線を落としてから卓上へ指を滑らせた。大量のアクセス記録が浮かび上がり、その中から9月1日の一件だけが強調される。
「んー、その前に一個だけ見てほしいものがあるんだよね」
ヤチヨが時刻まで拡大すると、彩葉はあの夜の流れを頭の中で辿り、隣の輝夜とも記憶を重ねながら小さく頷いた。
「これ、二人が家に帰ってから永琳が出てきた頃で合ってる?」
「……うん。このくらいだったと思う」
その返答を聞いたヤチヨは記録から一本の接続線を引き出した。通常とは明らかに経路が違い、その線は地球上のどこにも繋がらず、遥か遠くの一点を示している。
「その時間にね、月からツクヨミへアクセスが入ってる。まさか本当に月から来るとはねえ」
最後だけ少し呆れたように付け足したものの、ヤチヨの目は笑っていなかった。言葉だけだった「月」が接続記録として残されているのを見ると、あの夜の出来事は急に現実的な距離まで近づいてくるし、月からの接続を見つめるヤチヨの横顔にも、普段の軽さだけでは済ませられない警戒が残っていた。芦花も表示を覗き込みながら、まずは戦わずに済む方法を探すように眉を寄せた。
「じゃあ、次の満月だけツクヨミに入らないでどこか遠くに行くとかは? ここにもいなくて、家にもいなければ、さすがにすぐには見つからないんじゃない?」
ツクヨミでも現実でも距離を取れれば、接触そのものを避けられるかもしれない。彩葉も一瞬はそれなら戦わずに済むのではないかと思ったが、ヤチヨは月から伸びる接続線を見つめながら僅かに肩を竦めた。
「それで安全なら一番楽なんだけどねえ。今回だって二人が永琳を呼んだわけじゃないし、向こうから勝手にツクヨミへ入ってきてるでしょ?」
ヤチヨの声には、できることなら自分もそれで済ませたい気持ちが滲んでいた。
「それに、逃げても見つけられると思うよ。月からここへ直接入ってこられるくらいなんだから、ツクヨミに入らないで地上の場所まで変えたとしても、それで諦めてくれるとは思わないかな。かくれんぼするには相手が悪いね」
最も穏当な案に確実性がない以上、ただ隠れて次の満月をやり過ごすだけでは足りない。戦わずに済む方法を探すほど、相手がこちらの常識で測れる存在ではないことだけがはっきりしていく。
「だったら、ツクヨミに来たところを追い返せばいいんじゃね?」
それまで腕を組んでいた帝の一言に彩葉は思わず兄を見る。帝は相手が月人だろうと逃げても見つかる可能性が高いのなら、こちらが戦える場所まで来たところを迎え撃てばいいという単純な理屈を続けた。
「現実じゃどうにもできなくても、ここなら俺たちだって戦えるだろ。ツクヨミなら、俺らの土俵だ」
帝らしい強引な発想ではあったが、相手が月からツクヨミへ直接入り込めるのなら、その経路を逆に利用する考えには筋が通っている。雷も無策で挑むことには難色を示したものの、迎撃そのものを否定するのではなく、事前に戦力と場所を整える必要があるという方向へ意見を変えていった。
そのやり取りを聞いていたヤチヨは、帝の言葉が自分の考えと重なったことを確かめるように小さく頷く。
「うん、それが一番まだ勝負になると思う。どうせ向こうから来るなら、こっちが戦える場所まで来てもらおっか」
ヤチヨは月への接続線を閉じ、そのまま次の満月の日付を卓上へ浮かび上がらせた。
「永琳は『次の満月に迎えに来る』って言ったんでしょ? でも、輝夜がもう一回嫌だって言った時に、はい分かりました、ってそのまま帰ってくれるとは思えないんだよね」
輝夜が露骨に顔をしかめるのを見て、ヤチヨは少しだけ苦笑した。
「話し合いだけで終わるならそれが一番だよ。でも、終わらなかった時に何も準備してないのは困るでしょ。わざわざ迎えに来るって言ってる以上、向こうだって必要なら力ずくくらいは考えてると思うな」
そう言いながらヤチヨが開いた画面には、次の満月の日付だけでなく、異変用らしい戦場の枠組みまでかなり整った状態で並んでいた。彩葉はずいぶん用意がいいとは思ったものの、今はその理由を問いただすよりどんな形で迎え撃つつもりなのかを聞く方が先だった。
「次の満月に、大きい異変を起こすの。せっかくだから、月のみなさんにはツクヨミ式で来てもらおっか」
「異変?」
芦花が聞き返すと、ヤチヨはツクヨミの各地へ参加者を配置するように表示を広げ、表向きの内容だけなら通常の大型イベントと変わらないことを説明していった。
「神々には、『月から敵が攻めてきました、みんなで倒してください』っていう普通の異変として参加してもらうの。本当に月から来てるとか、輝夜を本当に連れていこうとしてるとかは秘密でね」
彩葉は説明を聞き終えるより先に眉を寄せた。本人たちはただイベントへ参加するつもりなのに、実際には輝夜を巡る本物の争いへ足を踏み入れることになる。
「それって、関係ない人たちを巻き込むことにならない?」
ヤチヨは彩葉が気にしていることを理解したように頷き、そこだけは心配しなくていいと伝えるように声音を少し柔らげた。
「大丈夫だよ。ツクヨミの中なら怪我することもないし、ましてや死んじゃうこともないから安心して。どれだけ派手にやられても、現実の身体まで怪我するわけじゃないからね」
それでも、事情を伏せたまま一般参加者の力を借りることへの引っかかりまでは完全には消えない。ヤチヨもそこは分かっているらしく、すでに告知してある大型イベントの情報を示しながら続ける。
「近々大きいイベントをやるって告知自体はもう出してるから、神々のみんなからしたらそのイベントが異変形式になっただけ。本当の事情まで背負わせるつもりはないよ」
てゐも企画画面を覗き込み、参加者からどう見えるかという別の角度から補足した。
「こっちが普通に実況と解説やってりゃ、参加者からすればいつもの高難度イベントと変わらないだろうね。本当の事情さえ出さなきゃ最後までそういうものとして遊べるさ」
彩葉は隣の輝夜へ視線を向けた。輝夜も、自分のために事情を知らない参加者の力を借りることへ何も感じないわけではないらしく、卓上の表示をしばらく見つめてから慎重に口を開く。
「私のことで、本当に危険な目に遭わせるのは嫌よ。でも、怪我をしたり死んだりすることがなくて、本人たちには普通のイベントとして終わるなら、……何もしないで連れていかれるよりいいわ」
輝夜自身がそう決めたことで、彩葉もようやく現実的な選択肢として受け入れる覚悟を固めた。少なくとも、事情を知らない参加者に現実の危険を負わせるわけではなく、彼らにとっては最後までツクヨミの中で完結する異変になる。
「……分かった、私もやる。だから、みんなも力を貸してほしい」
彩葉が卓を囲む面々へ頭を下げると、芦花と真実は迷う様子もなく頷き、帝も今さら何を頼んでいるのかと言いたげに笑った。雷は慎重な表情を崩さなかったが席を立つ気配はなく、乃依も気怠そうに背もたれへ沈みながら小さく息を吐いただけだった。
「ここまで聞いて、今さら帰る奴いないでしょ」
芦花がそう言って笑うと、真実も少しだけ表情を緩め、次の満月を越えた後のことを考えるように輝夜へ顔を向けた。
「終わったら、またみんなでどこか行こうよ。今度は温泉とか」
「いいわね。絶対行きましょう」
輝夜がすぐに乗ってきたことで、まだ何一つ解決していない会議の中にほんの少しだけ次の満月より先の時間が生まれた。彩葉もその約束を実現するためにこそ、今ここで決めるべきことへ意識を戻す。
「それで、異変はどういうルールにするの?」
「殲滅戦が一番分かりやすいかな。ややこしいルールにすると、神々のみんなも困っちゃうし」
ヤチヨが画面を切り替えると、二つの陣営と単純な勝利条件が表示された。参加者には難しい事情を知らせず、現れた敵をすべて倒せば異変解決とすることで、全員が同じ目的で動ける。
「相手を全部倒した方が勝ち。月側を全滅させれば、こっちの勝ち。シンプル・イズ・ベスト!」
ヤチヨは通常の撃破報酬に二つだけ特別な枠を加えた。
「あと、永琳と依姫には撃破ボーナスで別の報酬もつけよっか。かなり強い相手になるだろうし、神々に頑張ってもらうならご褒美もちゃんと用意しないとね」
聞き覚えのない名前が永琳と並べられたことで、彩葉は特別報酬の表示からヤチヨへ視線を移した。
「依姫?」
その一言で、卓を囲んでいた何人かも同じところに引っかかったらしく、ヤチヨへ視線が集まる。次の満月に迎えに来ると告げたのは永琳であり、彩葉たちも無意識に彼女一人を中心に考えていた。
「……永琳以外にも来るの?」
彩葉が尋ねると、ヤチヨはそこでようやく、自分の中では分かっていることを皆にも共有したつもりになっていたらしく、少しばつが悪そうに眉を下げた。
「あ、そっか。そこから話してなかったね。先に報酬の話しちゃった」
軽く笑ったあと、ヤチヨは永琳と依姫の名前だけを残しそれ以外の表示を閉じた。迎撃する場所も勝利条件も決まり始めているが、誰が月から来るのか分からないままでは配置も必要な人数も決められない。
彩葉も、自分たちがいつの間にか「永琳をどう止めるか」ばかり考え、その背後にいる月そのものをほとんど見ていなかったことに気づいた。帝は依姫という見知らぬ名前を面白そうに眺めていたが、雷はより現実的に、相手の人数すら把握していないことへ眉を寄せている。ヤチヨはそんな全員の反応を見回すと、卓上に残った永琳の名前へ指先を添えた。
「迎えに来るのが永琳だけなら、まだ話は簡単なんだけどね。たぶん、そうはいかないと思う」
ヤチヨは卓上に残っていた月への接続記録を閉じると、中央へ新しい表示を呼び出した。誰をどこへ配置するにしても、まず月側がどれほどの戦力を持っているのか分からなければ、具体的な作戦には進めない。
「だから、誰をどこに置くか決める前に、向こうがどんな相手なのか確認しよっか」
文字だけだった表示が人の姿へ変わり、花火大会の夜に彩葉と輝夜の前へ現れた女性が卓上へ浮かび上がる。
「まずは八意永琳。月では『月の頭脳』なんて呼ばれてる凄い人」
「月の頭脳?」
真実が聞き返すと、永琳の周囲へ研究施設や生活設備、それに月で使われているらしい複雑な装置の映像が次々と並んだ。一人について説明しているはずなのに、その周囲を埋めるものはあまりにも多い。
「月で使われてる技術の九割くらいは、この人が作ったって言ってもいいと思うよ。武器もシステムも研究設備も、ほんと何でも作れる人」
帝は表示を眺めながら眉を上げた。
「そこまで頭いいなら、逆に戦う方はそこまででもないとか?」
「そこは期待しない方がいいかな。永琳が強いのは間違いないよ。頭がいいだけだったら、こっちもまだ楽だったんだけどね」
研究者なら戦闘は不得手なのではないかという期待も、その一言で消えた。ヤチヨが操作すると、永琳の横へ一本の弓と矢が表示される。
「主に使う武器は弓矢。そこまでは分かってる」
「弓か」
雷が表示へ目を細める。
「ただ、実際にどう戦うのかまではよく分からないんだよね」
「弓使うって分かってんのに?」
乃依が気怠そうに聞き返すと、ヤチヨは卓上の矢へ指先を置いた。
「弓を使うことと、戦い方が分かることは別でしょ? どのくらい届くのか、どんな矢を使うのか、弾幕や月の技術をどう組み合わせるのかも分からないし、弓しか使えないとも限らないからね」
主武器が分かっていても、それをどう扱うのかが見えなければ対策は絞れない。遠距離型だと決めつけて接近したところで、永琳自身が近距離にも対応できるなら、こちらから危険な間合いへ飛び込むことになる。
「じゃあ、戦闘について分かってんのは、強いのと弓使うってくらいか」
「そう思っておいた方がいいかな。本人も強い。主武器は弓。それ以外は、実際に戦ってみないと分からないことが多いね」
帝は卓上の弓を眺め、面倒そうに眉を寄せた。
「一番対策立てづらいやつじゃねえか」
「そうなんだよねえ」
ヤチヨも否定しなかった。強敵であることだけは確実なのに、その強さがどの方向から向けられるのかが見えず、しかも相手は月の技術そのものを作り上げるほどの知識まで持っている。
彩葉は卓上の永琳を見つめながら、花火大会の夜を思い返した。自分と輝夜に拒絶されても態度を崩さず、次の満月には改めて迎えに来ると言い残した落ち着きからも、勢いだけで正面から突っ込んでくる相手ではないことくらいは分かる。
「永琳って、月ではどれくらいの人なの?」
「かなり偉い人だよ。でも、偉いから怖いっていうより、できることが多すぎる方が怖いかな。普通なら月から直接ツクヨミへ入ってくるなんて考えないでしょ?」
あの夜のアクセス記録を思い出し、彩葉は小さく頷いた。戦闘でもこちらの前提そのものを外してくる可能性がある以上、弓矢という情報一つだけで手札を知ったつもりになる方が危険だった。
「だから永琳については、最初から決め打ちしない方がいいと思う。何をしてきても、その場で見て対応できるようにしておかないとね」
ヤチヨがそう締めくくると、永琳の姿が卓の端へ移動し、代わって二人の女性が中央へ浮かび上がった。
「それで、こっちが綿月依姫。隣がお姉ちゃんの綿月豊姫ね」
「その依姫って人も来るの?」
真実が尋ねると、ヤチヨは表示された二人を見比べながら頷いた。
「永琳が本気で輝夜を連れに来るなら、依姫も一緒に来る可能性は高いと思う。だから来る前提で準備しておいた方がいいかな」
ヤチヨは依姫の姿を大きくし、腰に差している刀へ指を向けた。
「依姫は月でも最高クラスの戦闘要員。刀を使うんだけど、本当に厄介なのは剣術だけじゃないんだよね」
「他にも何かあんのか?」
帝が身を乗り出すと、依姫の周囲へ色も形も異なる光がいくつも浮かぶ。
「依姫は八百万の神を自分の身体に降ろして、その力を借りることができるの」
「神を降ろす?」
芦花が聞き返す。
「そう。しかも一柱だけじゃない。相手とか状況に合わせて、その時に必要な神様の力を選んで使える」
ヤチヨが卓上へ触れるたび、依姫を囲む光が次々と入れ替わる。こちらが一つの能力を攻略したからといって、それで依姫そのものを攻略したことにはならない。
「こっちの手を見てから、それに合う力を出してくる可能性があるってことか」
雷が尋ねると、ヤチヨは頷いた。
「そう思っておいた方がいいね。『刀を使う相手だから離れてればいい』って考え方も危ないよ。必要なら神様の力を借りてくるし、近づけば今度は普通に刀で斬られるから」
依姫の厄介さは、使える能力が多いことだけではなかった。こちらが一つの対策へ寄せるほど、それとは別の手段で外される可能性があり、決まった攻略法に頼れない。
「じゃあ、対策一個考えて終わりって相手じゃねえな」
「うん。何か一つ封じても、それで依姫が何もできなくなるわけじゃないからね」
しかも、依姫は神の力だけに頼って戦う相手ではない。ヤチヨは周囲の光を消し、再び刀へ指を向けた。
「能力抜きでも本人が普通に強いよ。剣術だけでもかなりのものだし、単純な戦闘能力なら永琳より上だと思っていい」
永琳よりも強い。
その言葉を聞いた途端、帝の目つきが明らかに変わり、雷も組んでいた腕へ力を入れ、乃依まで背もたれから僅かに身体を起こした。
「そんなに強いのか?」
「うん。刀で普通に戦えるうえに、相手に合わせて神様の力まで変えてくる。依姫を止める役が負けたら、『ちょっと困ったね』じゃ済まないかな」
ヤチヨは依姫を戦場中央へ置き、その周囲へ地上側を示す光点を浮かべた。次の瞬間には光が一つずつ消えていき、最後に依姫だけが残る。
「依姫一人で、こっちを全滅させられるくらいの力はあるよ」
卓を囲む空気が僅かに重くなった。永琳は実際に何をしてくるのか分からないから対策しづらく、依姫は戦い方をある程度知っていても、選択肢が多すぎるせいで一つの攻略法に絞れない。同じ強敵でも、二人を警戒する理由はまるで違っていた。
ヤチヨは続いて豊姫へ表示を移した。
「それで、こっちがお姉ちゃんの豊姫」
妹ほど武闘派には見えず、むしろ穏やかな印象さえあったため、芦花は首を傾げる。
「豊姫も強いの?」
「強いよ。というか……もし豊姫までこっちに来たら、勝ち目はないよ」
それまで残っていた軽さがヤチヨの声から消れ、卓を囲む全員の視線が自然と豊姫へ集まった。
「そこまでなの?」
「うん。でも、永琳と依姫が地上へ来るなら、豊姫まで月を空けるとは思えない。たぶん月の都の防衛に残ると思うから、そこは大丈夫……なはず?」
「最後だけ怪しくするなよ」
雷が眉を寄せると、ヤチヨは困ったように肩を竦めた。
「未来予知まではできないもーん。でも、三人とも地上へ来て月の都が空っぽって方が考えにくいから、今は豊姫が残る前提で考えていいと思うよ」
口調こそいつもの軽さへ戻ったものの、豊姫が来ないという予測が今回の迎撃を成立させる重要な前提であることに変わりはなかった。
ヤチヨが三人の表示を端へ寄せると、空いた戦場を埋めるように兎耳を持つ兵士たちが次々と現れた。今度は一人だけが大きく表示されることはなく、同じ装備を持つ兵士がまとまって並んでいる。
「最後が玉兎。この子たちが月側の一般兵ね」
「一般兵なら、さっきの人たちほどじゃないんだよね?」
真実が尋ねると、ヤチヨは首を横へ振った。
「永琳とか依姫みたいに、一人で戦場をひっくり返す相手じゃないよ。でも、『一般兵だから弱い』って思うのは危ないかな」
一体の玉兎が拡大され、その手にある銃へ表示が寄る。
「主にこういう銃を使って戦う。近づいて殴り合うより、ある程度距離を取ったまま撃ってくる方が基本だと思っていいよ」
「遠距離型か」
「一人だけ見るならね。でも、本当に面倒なのはこっち」
ヤチヨが指を滑らせると、玉兎は再び集団の中へ戻った。前へ出て射撃する隊の後ろで別の兵士たちが左右へ動き、正面が相手を止めている間に射線を増やしていく。
「この子たち、ちゃんと軍人だからね。前が撃ってる間に後ろが動いたり、誰かが押されたら別の子が援護したり、数を使って相手の動ける場所を減らしてくる」
芦花は卓上の隊列を目で追いながら眉を寄せた。
「一人ずつ倒そうとすると、その間に別の人から撃たれるってこと?」
「そういうこと。一人だけ追いかけると、その間に別の隊が回り込む。気づいた時には進める方向がなくなってる、みたいな戦い方だね」
「数いる相手がそれやんの、普通にだるい」
乃依が零すと、ヤチヨも苦笑した。
「でしょ? たぶん一番気をつけた方がいいのは、撃ち合ってるうちに足を止められることかな」
玉兎の一隊が横へ広がり、正面へ射線を重ねながら少しずつ前進する。その後ろでは別の隊が位置を変え、前列に穴が開けばすぐ別の兵士が埋めるように動いていた。
ただ撃って倒すのではなく、相手の動ける場所を減らし、逃げる先へ別の射線を重ねて押し込んでいく。一人を相手にしているつもりで戦えば、その時点で玉兎の狙いにはまることになる。
「射線でこっちの動きを制限してくる方が厄介ってことか」
雷が確認すると、ヤチヨは頷いた。
「うん。だから、一人一人の強さだけで考えない方がいいよ。玉兎は数が増えるほど面倒になるタイプだから」
真実は少し安心しかけていた表情を引っ込め、改めて兵士たちの動きを眺めた。個々の強さでは永琳や依姫に及ばなくても、部隊として動くことで厄介さを増していく相手なのだと、ようやく実感が追いついたらしい。
「現実の地上で普通に戦ったら、たぶん私たちじゃ歯が立たないよ。でも、ツクヨミの中なら話は別」
ヤチヨは玉兎の横へ、ツクヨミで使用できる武器や能力の表示を並べた。
「ここならこっちも武器や能力を使えるし、普段からエネミーと戦ってる参加者もたくさんいる。玉兎が数で来るなら、こっちも数で受ければいい」
「参加者に玉兎を任せるのは、そのため?」
彩葉が尋ねると、ヤチヨは頷いた。
「そう。永琳とか依姫みたいな相手は、人数だけ集めてもどうにかなるとは限らない。でも玉兎なら、こっちも人数を揃えて正面から戦える」
数と連携を武器にしてくる部隊へ、こちらも数を揃えてぶつける。一般参加者へ任せるのは単なる人手不足ではなく、玉兎という相手そのものに合わせた配置だった。
「それに、ツクヨミはちょっと特殊な場所だから、月の人たちも本来の実力をそのまま出せるわけじゃないんだよね。向こうにとっても、ここは完全に自分たちの土俵じゃないよ」
現実の地上では埋められない差があっても、ツクヨミの中ならこちらも武器や能力を得られ、月側も本来の力をそのまま発揮できない。帝が先ほど口にした「ツクヨミなら俺らの土俵」という言葉も、双方の条件そのものが変わる場所だからこそ意味を持っていた。
「だから玉兎は参加者のみんなにお願いするのがいいかな。その代わり、永琳とか依姫まで『あとはよろしく~』って任せるのはさすがに無茶だからね。あの二人は、私たちで止める」
永琳、依姫、多数の玉兎、そして可能性は低いとはいえ豊姫まで含め、月側の戦力がようやく一つの形として見え始めたところで、彩葉には別の疑問が浮かんだ。
永琳については自分たちも実際に会っている。しかし、依姫の戦い方や豊姫の危険性、玉兎の集団戦まで、ヤチヨはあまりにも自然に知っている。
「……ヤチヨ、なんでそんなに詳しいの?」
その一言で、帝たちも同じ疑問へ行き着いたらしく、月側の表示からヤチヨへ視線を向けた。
ヤチヨは僅かに視線を泳がせたあと、その隣で少しも驚いていないてゐを一度だけ見ると、観念したように小さく笑った。
「実はヤッチョ、月にいたことがあるんだよね~」
それまで説明の中で感じていた違和感が、彩葉の中で一つにつながった。永琳の立場を知っていたことも、依姫や豊姫の危険性を具体的に語れたことも、外から調べただけの知識ではなかったのだ。
最も大きく反応したのは輝夜だった。軽い調子で明かされたせいで一拍遅れて意味を理解すると、椅子から身を乗り出してヤチヨ本人へ意識を向ける。
「月にいたことがあるの!?」
「うん。ず~っと昔だけどね」
「じゃあ、私のことも知ってたの?」
「いやいや、それは違うよ。輝夜が生まれる前には、もう月にはいなかったからね」
自分が生まれるより前に月を離れていたと聞いても、輝夜の疑問は減らない。
「じゃあ、いつまで月にいたのよ。それに、どうして地球に――」
「それ話すとなが~くなるから、私の昔話はまた今度ね。今日は次の満月の方が先」
明らかに誤魔化していることは輝夜にも分かっていたが、今は次の満月への準備を止めるわけにもいかない。納得しないまま追及を止めた輝夜の横で、彩葉はヤチヨの過去を聞いても驚いていないてゐへ一度だけ視線を向けた。
ヤチヨの過去について問いただしたいことは増えたものの、今優先するべきなのはそこではない。卓上には永琳、依姫、多数の玉兎が残り、少し離れたところには来ない前提で考えるしかない豊姫の姿もある。月側の戦力が見えた以上、次に決めなければならないのは、その相手を誰が止めるのかだった。