地上側の拠点では、彩葉たちが最上部から戦場の動きを見守っていた。
月側の陣地から進軍を開始した玉兎たちは、いくつかの集団に分かれて地上側の拠点へ向かっており、すでに前線へ出ていたプレイヤーたちとの距離も徐々に縮まり始めていた。建物の間を進む部隊もあれば、開けた道を利用して前進する集団もあり、それぞれが異なる経路を選んでいるため、戦場全体の動きを把握することは容易ではなかった。
彩葉は遠くの道へ目を凝らし、永琳と依姫がどこから現れるのかを探していた。二人がどのような経路を選ぶのか分からない以上、一つの方向ばかりを警戒していては、別の場所から接近してくる敵を見逃しかねない。芦花と真実もそれぞれ異なる方角へ視線を向け、目立った動きがないか注意深く確かめている。
そんな三人の様子を眺めていた輝夜が、彩葉へ声をかけた。
「彩葉、私もそろそろ始めるね」
その声に振り向くと、輝夜はいつもと変わらない柔らかな表情を浮かべながらも、どこか真剣な眼差しで彩葉を見つめていた。これから自分が行おうとしていることの重要性を理解しているのだろう。普段なら新しいことへ挑戦するときの好奇心が先に立つ彼女も、今は目の前の役割へ意識を向けているようだった。
「術の準備?」
「うん。ただ、実際に構築するのは初めてだから、ちょっと時間がかかると思う」
輝夜はそう言って、少し困ったように笑った。これまでヤチヨのもとで特訓を重ねてきたとはいえ、実際の戦場で術を最初から完成まで組み上げるのは今回が初めてになる。どれほどの時間が必要なのか、輝夜自身にも正確なところは分からないのだろう。彩葉も特訓の詳しい内容までは知らないため、その難しさを理解できるわけではなかったが、少なくとも短時間で終えられるものではないことは伝わってきた。
彩葉は一度だけ戦場へ目を向けた。月側の軍勢はすでに動き始めており、こちらの準備が整うまで待ってくれるはずもない。しかし、輝夜が術を完成させるためには、余計なことを気にせず集中できる状況を作る必要がある。そのためにも、自分たちが永琳を足止めし、拠点への接近を阻まなければならなかった。
「分かった。こっちは私たちに任せて。輝夜は術に集中して」
「ありがとう、彩葉。そっちも無茶しないでね」
輝夜は彩葉の顔を見て頷くと、仲間たちから少し離れた場所へ移動した。周囲の状況を確かめてから静かに姿勢を整え、意識を集中させるように目を閉じる。その表情には先ほどまでの柔らかな笑みが残っていたものの、やがて呼吸が落ち着くにつれ、外の戦闘音にも反応を示さなくなっていった。彩葉はその様子をしばらく見守っていたが、これ以上声をかければ集中を妨げてしまうかもしれないと思い、芦花と真実のもとへ戻った。
「輝夜、始めたんだね」
「うん。初めてだから時間がかかるって。私たちは、その間に永琳を近づけないようにしないと」
芦花は短く頷き、再び戦場へ視線を戻した。真実も拠点の縁から周囲を見渡し、地上側のプレイヤーたちと月側の兵が接触し始めていることを伝える。すでに遠くでは散発的な戦闘が起こり、武器のぶつかる音や攻撃の光が、建物の間に次々と広がり始めていた。彩葉は道を一本ずつ辿り、敵の進軍方向を確かめていく。玉兎たちは複数の部隊に分かれているらしく、それぞれが地上側のプレイヤーたちと交戦しながら前進していたが、その中に周囲とは明らかに動きの異なる一人の姿があった。
戦場の中央を通る道を、ほとんど進路を変えずに地上側の拠点へ向かっている。行く手を塞ごうとしたプレイヤーたちが次々と攻撃を仕掛けているものの、その人物はわずかに足を止めるだけで相手を退け、再び前進を続けていた。ほかの月側の部隊が人数をそろえて地上側と交戦しているのに対し、そこだけは一人の人物を中心に戦闘が動いているように見える。
「……あれ、依姫じゃない?」
彩葉の声に芦花と真実が同じ方角へ目を向けた。距離があるため細かな表情までは分からないが、装いは昼間の交渉で対面した女性と一致している。集団の後ろへ下がることも、守りの薄い道を探して迂回することもなく、真正面から地上側の防衛線を突破しようとしていた。
「本当だ。中央の道をまっすぐこっちに向かってる」
「帝様たちに知らせないと!」
真実が声を上げると、彩葉はすぐに視界へ半透明の通信ウィンドウを開いた。帝たちBlack onyXは依姫の迎撃を担当することになっている。しかし、三人が進んでいった方向は中央の道から少し離れており、このままでは依姫との接触が遅れる可能性もあった。彩葉は通信先を選択すると、応答を待ちながら戦場の位置関係をもう一度確かめた。やがて接続を知らせる表示が現れ、向こうから聞き慣れた声が返ってきた。
「お兄ちゃん、聞こえる!? 依姫を見つけた!」
「おっ、彩葉! どこだ?」
「ミドルから! 大きな道をまっすぐ、こっちの拠点へ向かってる! 今いる場所からだと、右の方!」
彩葉は周囲の建物を目印にして位置を伝え、依姫がどの方向へ進んでいるのかを説明した。通信の向こうからは帝の声だけでなく、武器のぶつかる音や足音も聞こえており、すでに何らかの戦闘が始まっていることが分かる。
「ミドルか! よし、分かった!」
「お兄ちゃん、気を付けてね! 依姫、ほかのプレイヤーたちをどんどん倒してるから!」
「へへっ、そりゃ楽しみだ!」
あまりにも普段どおりの返答に、彩葉は思わず額へ手を当てた。危険な相手だと伝えたつもりなのに、帝は強敵が待っていることをむしろ喜んでいるらしい。通信の向こうでは雷が短く何かを告げ、それに帝が威勢よく応じていた。続けて聞こえてきた乃依の声には気怠さが混じっていたものの、どこか楽しそうな響きもある。
「えー、まだこっち終わってないじゃん。ま、いっか」
そのやり取りから三人が情報を共有したことを確かめると、彩葉は最後にもう一度だけ注意を促して通信を終えた。
「……お兄ちゃん、本当に大丈夫かな」
「心配しても、もう行っちゃうでしょ」
芦花の言葉に、彩葉は苦笑を浮かべた。帝の性格を考えれば、強敵がいると聞いて引き返すようなことはないだろう。むしろ、相手が強いほど積極的に戦おうとするはずであり、雷と乃依もそんな彼に付き合いながら、これまで数多くの対戦を重ねてきた。
三人の連携を信じるしかないと気持ちを切り替え、彩葉は再び月側のほかの部隊へ目を向けた。依姫の位置は判明したものの、肝心の永琳がどこにいるのかは、まだ分かっていない。輝夜が術の構築に集中している今、こちらの役割を放り出すわけにはいかなかった。
◇ ◇ ◇
戦場の一角では、Black onyXの三人が玉兎たちとの戦闘を続けていた。彩葉から依姫の位置を知らされた帝は、すぐに中央の道へ向かおうとしたものの、前方に展開していた玉兎たちが射撃を重ね、三人の進路を塞いでいた。左右へ散開した兵たちは互いに援護しながら距離を保ち、帝たちが簡単に突破できないように陣形を整えている。
「よっしゃ! さっさと突破して、依姫のところまで行くぞ!」
帝が威勢よく声を上げると、雷は前方の玉兎たちを一瞥し、静かに頷いた。
「リーダーの言うことは絶対」
その低く落ち着いた声に、帝は満足そうな笑みを浮かべた。一方、乃依は雷の隣からひょいと顔を覗かせると、楽しそうに目を細める。
「お、出た。今日もキマってんじゃん」
雷は特に言葉を返さず、わずかに口元を緩めただけだった。乃依はそんな兄の反応を楽しむように笑うと、前方へ目を向け、玉兎たちの配置を確かめながら輪刀を持ち直した。
「んじゃ、俺は横から行こっかな」
「おう! 任せたぜ!」
帝は返事と同時に地面を蹴り、正面から飛来する光弾へ向かって金棒を振り上げた。重い武器が勢いよく振り抜かれ、迫っていた光弾が次々と弾き飛ばされる。そのまま玉兎たちとの距離を一気に詰めると、帝は金棒を振り下ろし、正面にいた兵の武器ごと構えを崩して撃破した。
「おおっと! Black onyXの帝選手が正面から突破! 玉兎たちの射撃をものともせず、次々と距離を詰めていきます!」
「帝は近づいてしまえば強いからね。ただ、玉兎たちも左右へ広がっているから、正面だけ見ていると危ないよ」
てゐの解説に合わせるかのように、帝の側面へ複数の光弾が迫った。しかし、その射線にはすでに雷が回り込んでおり、鬼面盾を構えて攻撃を受け止めると、続けて芭蕉扇を振るって玉兎たちの狙いを乱した。その隙を逃さず、建物の陰から乃依が姿を現す。
「はい、そっちばっか見てちゃダメでしょ?」
軽い調子で声をかけながら回転する輪刀を振るい、側面にいた玉兎の武器を弾き飛ばす。突然の攻撃に玉兎たちが対応を迫られると、その間に帝が再び正面から踏み込み、金棒を振り回して敵の隊列を押し崩していった。帝が正面を突破し、雷が側面を守り、乃依が敵の注意を分散させる。三人は細かな指示を交わすこともなく互いの動きに合わせて攻撃を重ね、やがて中央の道へ続く進路を切り開いた。
「Black onyX、玉兎たちの迎撃を突破! 三人の見事な連携によって、月側の部隊が押し返されていきます!」
「帝の突破力を雷と乃依がうまく支えているね。三人とも役割がはっきりしているから、玉兎たちも狙いを絞りきれなかったみたいだよ」
忠犬オタ公の実況とてゐの解説が響く中、帝は最後に進路を塞いでいた玉兎を金棒で弾き飛ばすと、そのまま中央へ続く道へ駆け出した。
「よっしゃ! 行くぞ!」
雷も短く頷いて後に続き、乃依は輪刀を軽く回しながら二人の背中を追った。
「いやー、まだ結構いたね。もうちょっとゆっくりしたかったんだけどなぁ」
そんなことを口にしながらも、乃依の足取りに遅れはない。前を走る帝はすでに目当ての相手との戦闘へ意識を向けており、雷も中央の道へ続く進路を確かめながら、無駄のない動きで走り続けていた。やがて建物の間を抜けた三人の前に、激しい戦闘が繰り広げられている中央の道が見えてきた。大勢のプレイヤーたちが一人の女性を取り囲もうとしているにもかかわらず、数で勝っているはずの地上側が次々と押し返され、その中心にいる女性だけが、ほとんど進路を変えずに前進を続けている。帝はその姿を見つけると、口元に笑みを浮かべた。
「おっ、いたいた!」
雷も前方の戦況を確認し、静かに錫杖を握り直した。先ほどまでの玉兎たちとは明らかに動きが違い、一人で大勢のプレイヤーを相手にしているにもかかわらず、その立ち姿には余裕が感じられる。
「帝、油断するな」
「分かってるって! こういう相手を待ってたんだよ!」
帝が嬉しそうに答えると、乃依も遠くで戦う依姫へ目を向けた。華麗な刀捌きで次々と相手を退けていく姿を眺めるうちに、その表情には先ほどまでの気怠さとは異なる興味が浮かび始めていた。
「へえ、すごいじゃん。ちょっと楽しみになってきたかも」
乃依がそう呟いたときには、帝はすでに金棒を担ぎ直し、前方へ向かって駆け出していた。雷も迷うことなくその後を追い、乃依は二人の背中を見ながら軽く肩をすくめると、自分も輪刀を構え直して走り始めた。三人が目指す先では、依姫と地上側のプレイヤーたちによる戦闘が、今も続いていた。
◇ ◇ ◇
戦場の中央では、綿月依姫が地上側のプレイヤーたちを相手に進軍を続けていた。前方には多数のプレイヤーが集まり、剣や槍を携えた前衛が進路を塞ぐ一方、その後方から遠距離攻撃を行う者たちが援護している。数では明らかに地上側が優勢だったが、依姫は立ちはだかる人数を見ても歩みを緩めず、接近してくる相手の動きを冷静に見極めていた。
「ここから先は通さないぞ!」
先頭のプレイヤーが声を上げ、仲間たちとともに一斉に踏み込んだ。正面から剣を振り下ろした者に合わせ、左右からも別の武器が迫る。しかし、依姫は正面の攻撃を刀で受け流すと、身体を半身にして横からの斬撃をかわし、その勢いを利用して相手の懐へ踏み込んだ。すれ違いざまに放たれた一撃によって先頭のプレイヤーが体勢を崩し、後ろから追撃しようとしていた仲間も、依姫が振り返るより早く武器を弾かれた。
前衛が押し返されたところへ、後方から複数の攻撃が放たれる。依姫は迫る光弾の軌道を一瞥すると、足運びを僅かに変えて射線から外れ、そのまま前衛と後衛の距離を詰めていった。援護役のプレイヤーたちは慌てて次の攻撃を構えようとしたが、依姫が味方の近くまで踏み込んだことで、思うように攻撃を放てなくなっていた。
その一瞬の迷いを、依姫は見逃さなかった。
振るわれた刀が前衛の武器を跳ね上げ、その隙間から後方へ進む。慌てて距離を取ろうとしたプレイヤーが別の仲間と進路を重ねてしまい、互いに動きを妨げ合ったところへ、依姫の攻撃が立て続けに加えられた。
「な、何だよ、あの強さ……!」
「一人なんだぞ! 囲んで止めろ!」
後方から新たなプレイヤーたちが駆け寄り、依姫の進路を塞ごうとする。今度は一斉に斬りかかるのではなく、複数人で間合いを保ちながら包囲を狭めていった。しかし、依姫はその輪が完成するのを待たず、最も近い一人へ踏み込むと、相手が武器を振り上げる瞬間に刀を合わせて体勢を崩した。包囲の一角が乱れたところへさらに踏み込み、横からの攻撃を受け流して背後へ回る。地上側のプレイヤーたちは数人がかりで攻撃しているにもかかわらず、誰も依姫を十分に捉えられないまま、次々と戦闘不能へ追い込まれていった。
「おおっと、これは凄まじい! プレイヤーたちを次々と撃破しております! 数では上回っていますが、なかなか依姫の進軍を止められません!」
「依姫は包囲が完成する前に動いているね。正面から全員を相手にするんじゃなくて、近くの一人を崩してから、その隙間を抜けている。だから人数を生かした連携ができていないんだ」
忠犬オタ公の興奮した実況とは対照的に、てゐは依姫の立ち回りを落ち着いた調子で解説していた。
その間にも、依姫は前進を続けている。新たに現れた盾役のプレイヤーが正面に立ち、左右から仲間たちが攻撃を重ねようとしたが、依姫は盾を正面から打ち破ろうとはしなかった。相手が踏み込んだ瞬間に身体をずらし、盾の守りが届かない位置へ回り込むと、刀の柄を利用して相手の構えを崩した。盾役が体勢を立て直そうとしたところへ、依姫はすでにその脇を抜けていた。左右に控えていたプレイヤーたちが慌てて攻撃を仕掛けるものの、依姫は一方の斬撃を受け流し、その刃が通り過ぎる間にもう一方との距離を詰めていく。
二人の攻撃が同時に届かない位置を選んでいるため、数をそろえているにもかかわらず、一人ずつ対応を迫られる形になっていた。やがて盾役も撃破され、その後方にいた者たちが慌てて距離を取った。
「依姫、またしても突破! 防衛線が次々と崩されていきます! 果たして誰がこの進軍を止めるのでしょうか!」
「攻撃の速さもそうだけど、相手の動きをよく見ているね。みんなも一人ずつ飛び込むんじゃなくて、もう少し距離を保ちながら連携した方がよさそうかな」
次々と仲間を倒され、周囲のプレイヤーたちにも戸惑いが広がり始めていた。援護に入ろうとしても、依姫はすぐに間合いを詰めてくる。距離を取ればそのまま前進され、接近戦へ持ち込めば鋭い刀捌きによって攻撃を受け流されてしまう。何人ものプレイヤーが立ちはだかってきたにもかかわらず、彼女の進軍速度はほとんど落ちていなかった。
依姫はそんな周囲の様子を気にすることなく、前方へ目を向けた。地上側の拠点はまだ先にあるものの、道を塞ぐプレイヤーたちを退ければ、その分だけ目的地へ近づくことができる。彼女にとって重要なのは勝利を誇示することではなく、与えられた任務を遂行することだった。再び前方に数人のプレイヤーが集まり始めたところで、戦場の脇から勢いよく近づいてくる足音が聞こえてきた。
「そいつは俺たちの獲物だ!」
突然響き渡った声に、依姫を取り囲もうとしていたプレイヤーたちが一斉に振り返った。中央の草地へ駆け込んできた帝は、金棒を肩へ担いだまま依姫を見据えると、その場に集まっていたプレイヤーたちへ向けて、さらに声を張り上げた。
「ここは俺たちがやる! お前らは手を出すな!」
その後ろから雷と乃依も姿を現し、三人は依姫とプレイヤーたちの間へ進み出た。あまりにも堂々とした宣言に、周囲の者たちは一瞬呆気に取られたものの、やがて彼らがBlack onyXだと気付くと、互いに顔を見合わせながら少しずつ距離を取っていった。これまで何人ものプレイヤーが依姫の進軍を阻もうとしたが、そのほとんどがまともに太刀打ちできずに撃破されている。そんな強敵を自分たちだけで引き受けようという三人の態度には、驚きと期待が入り混じった視線が注がれていた。
「おおっと! ここでBlack onyXが登場です! 玉兎たちの迎撃を突破した帝選手、雷選手、乃依選手の三人が、ついに綿月依姫の前へと姿を現しました!」
「周りの参加者を下がらせて、自分たちだけで相手をするつもりみたいだね。依姫は人数をそろえただけじゃ簡単には止められないから、連携に慣れた三人で挑むのは悪くないと思うよ」
忠犬オタ公の興奮した実況に続き、てゐが落ち着いた調子で解説を加える。その間にも帝は依姫から目を離さず、ようやく目当ての相手を見つけたことが嬉しくて仕方ないといった様子で、口元に笑みを浮かべていた。
雷は周囲のプレイヤーたちが十分に離れたことを確かめると、帝の隣へ並びながら依姫の様子を観察した。先ほどまでの玉兎たちとは明らかに動きが違い、一人で大勢のプレイヤーを相手にしていたにもかかわらず、その立ち姿には余裕が感じられる。
「帝、油断するな」
「分かってるって! あれだけ強いんだ。最高じゃねえか!」
帝は楽しそうに笑いながら金棒を担ぎ直した。そんな二人のやり取りを聞いていた乃依は、少し離れた位置から依姫へ視線を向け、相手の姿を上から下まで眺める。
「へえ、あの人が依姫? めっちゃ強そうじゃん」
その声には先ほどまでの気怠さが残っていたものの、興味を引かれたことを隠そうとする様子はなかった。乃依は短弓を手に依姫の手元や足の運びへ視線を移し、どのような戦い方をする相手なのかを確かめようとしている。
依姫はそんな三人の様子を眺めながら、静かに刀を下ろした。先ほどまで相手にしていたプレイヤーたちとは異なり、目の前の三人には互いの動きを把握しながら戦おうとする余裕が感じられる。正面に立つ帝は好戦的な笑みを浮かべているものの、左右に控える二人は周囲の状況を確かめており、単に勢いだけで飛び込んできたわけではなさそうだった。
そして何より、依姫には三人の顔に見覚えがあった。
「……あなたたち、あのときの人たちね」
その言葉に、帝は僅かに眉を上げた。
「おっ、覚えてたのか!」
「ええ。八意様との交渉の場にいたでしょう。あのときは話さなかったけれど、顔は覚えているわ」
依姫は三人を順に見渡しながら答えた。地上側の代表者たちが集まっていたあの場で、彼らもまた自分たちの話を聞いていたことは記憶に残っている。ただし、誰がどの相手を迎撃するのかまでは知らされていなかったため、三人が揃って現れたことで、ようやく地上側の配置を理解したのだった。
「なるほど。あなたたちが、私の相手をするというわけね」
「ああ、そのとおり! あんときは話す機会がなかったけど、こうして会えたんだ。今度はたっぷり相手してもらうぜ!」
帝は嬉しそうに笑いながら金棒を担ぎ直した。まるで以前から約束していた対戦相手に出会えたかのような態度だったが、その隣に立つ雷は帝の勢いに付き合うことなく、依姫へ視線を向けたまま静かに告げる。
「ここから先には行かせない」
その短い言葉には、相手を挑発しようとする意図も、必要以上に威圧しようとする様子もなかった。ただ、地上側の迎撃を担当する者として、依姫の進軍を阻むという意思だけがはっきりと込められていた。乃依も雷の隣から少しだけ身を乗り出し、依姫へ向けて軽い調子で声を掛ける。
「ま、そういうこと。悪いけど、俺らの相手してもらっていい?」
その言葉に、依姫は僅かに目を細めた。乃依の口調はほかの二人と比べても随分と軽いものだったが、その表情や立ち位置からは、目の前の戦いを軽視している様子は感じられない。むしろ、気負うことなく自然体でいるからこそ、相手の動きにも柔軟に対応できるのかもしれなかった。
「私には果たさなければならない務めがあるの。あなたたちが行く手を塞ぐつもりなら、退いてもらうしかないわね」
依姫の声音には怒りも敵意も感じられず、ただ自分に与えられた任務を遂行するという揺るぎない意思だけがあった。帝たちの強さを軽んじているわけではなく、相手が誰であろうとも、目的を果たすために進まなければならないという考えなのだろう。その表情には僅かな余裕が浮かんでいたものの、三人が簡単に道を譲るとは考えていないようだった。
「だったら、俺たちを倒してから行くんだな!」
帝が威勢よく言い返すと、依姫はその顔を静かに見つめた。昼間の交渉で地上側が正式な勝負を望んだ以上、彼らが簡単に道を譲らないことも十分に予想できたことだった。ここで言葉を重ねたところで互いの目的が変わるわけではなく、相手を退けなければ前へ進めないという状況も変わらない。
「……どうやら、話し合いで退いてくれる気はなさそうね」
「へへっ、話が早くて助かるぜ!」
帝は嬉しそうに笑いながら、肩に担いでいた金棒をゆっくりと下ろした。その隣では雷が武器を構え直し、乃依も短弓を手に二人から少し離れた位置へ移動する。三人は互いに細かな指示を交わすことなく、自然とそれぞれの役割に応じた配置を取り始めていた。
依姫もまた、彼らの立ち位置を改めて確認している。正面に立つ帝は重量のある金棒を扱い、雷はその側面を守る位置へ移動している。乃依も二人とは少し距離を取っており、三人がそれぞれ異なる方向から攻撃できるような配置になっていた。先ほどまで大勢のプレイヤーたちを相手にしていたときとは違い、今回は互いの動きを理解した三人が相手になる。彼らがどのような連携を見せるのかは、実際に武器を交えてみなければ分からなかった。
「さあ、両者がついに向かい合いました! ツクヨミ屈指の強豪チーム、Black onyX! その前に立ちはだかるのは、ここまで圧倒的な戦闘能力を見せてきた綿月依姫です!」
「三人とも連携には慣れているけど、依姫も相手の動きをよく見て戦っていたからね。Black onyXがどう仕掛けて、それに依姫がどう対応するのかが見どころになりそうだよ」
実況と解説が響く中、周囲のプレイヤーたちはさらに距離を取り、四人の間には十分な空間が生まれていた。先ほどまで依姫の進軍を阻もうとしていた者たちも、今は自分たちから攻撃を仕掛けようとはせず、Black onyXの三人がどのような戦いを見せるのか、固唾をのんで見守っている。
帝は金棒を握り直しながら、目の前に立つ依姫へ向けて楽しそうな笑みを浮かべた。その隣では雷が静かに武器を構え、乃依も短弓を手に、いつでも動けるよう足の位置を確かめている。先ほどまでの軽い調子を残しながらも、乃依の視線は依姫の動きから離れることなく、相手がどのような攻撃を仕掛けてくるのかを探っていた。雷は三人の配置が整ったことを確かめると、依姫へ目を向けたまま、低い声でぽつりと呟いた。
「また祭りが始まるな」
その言葉に帝はますます楽しそうな笑みを浮かべ、乃依も雷へ目を向けながら小さく笑った。
「お、いいじゃん。そういうの、けっこう好きだよ」
二人の反応を受けても雷は特に表情を変えず、ただ目の前の依姫へ意識を向け続けていた。その落ち着いた姿とは対照的に、帝の全身からは今にも飛び出しそうなほどの高揚が感じられ、乃依もまた、これから始まる戦いに少しずつ興味を強めているようだった。
対する依姫も、三人との間合いを測りながら刀を構え直した。周囲には別の戦線から伝わってくる戦闘音が響いていたが、この場所に集まった者たちの意識は、目の前で向かい合う四人へと集中していた。誰も先に動こうとはせず、互いの武器と立ち位置を確かめながら、相手がどのように仕掛けてくるのかを見極めようとしている。帝はそんな緊張を楽しむように口元を吊り上げると、依姫へ向けて不敵な笑みを浮かべた。
「さあ、始めようぜ!」
依姫はその言葉を聞くと、三人へ静かに視線を巡らせた。地上側の拠点へ向かうためには、目の前の三人を退けなければならない。相手がそれぞれ異なる武器を扱う以上、無闇に踏み込めば連携による反撃を受ける可能性もあるが、それを恐れて進軍を止めるつもりはなかった。
「ええ。あなたたちがどこまでやれるのか、見せてもらうわ」
依姫は落ち着いた声でそう告げると、刀を構え、静かに三人を見据えた。輝夜を連れ戻すために進軍する綿月依姫と、その行く手を阻むために立ちはだかったBlack onyX。互いに譲れない目的を抱えた四人の間で、戦いの幕が上がろうとしていた。