草の生い茂る平原で、最初に動いたのは帝だった。肩に担いだ金棒を引き、踏み込みの勢いを乗せて依姫へ振り下ろす。草が靴底の下で倒れ、重い武器が唸りを上げて迫ったものの、依姫は半歩だけ身をずらしてその軌道から外れ、金棒が地面を抉るより早く懐へ入り込むと、伸びきった帝の腕へ刀を走らせた。
「おっと、助かったぜ!」
刃が届く寸前、横合いから鬼面を備えた芭蕉扇が割り込んだ。雷が帝の後方から踏み込み、依姫の斬撃を受け流したのだ。依姫は無理に押し合わず、刀を引いて雷の間合いから離れると、帝が金棒を引き戻した頃には、すでに二人を正面に捉えていた。
「まだ来るぞ、帝」
「分かってるって!」
帝が構えを低くした瞬間、依姫の側面へ矢が飛来した。緩やかな斜面へ移動した乃依が、短弓で依姫の踏み込み先を狙っていた。命中すれば動きを鈍らせる矢を、帝へ近づくための進路へ放つことで、相手の攻撃を止めようとしたのだ。
「はい、こっちもいるよー!」
依姫は足を止めて刀を返し、矢を甲高い音とともに弾き落とした。さらに帝の身体を挟んで乃依の射線を塞ぐように移動する。無理に射れば仲間を巻き込むため、乃依は弓を引いたまま斜面を横へ駆けた。
「……へえ、そういうことするんだ」
帝が前衛として攻め、雷が防御を支え、乃依が離れた位置から射撃する。三人が慣れ親しんだ連携を、依姫は最初の数合で見抜き、攻撃が重なりにくい位置へ移動していた。
「おおっと、Black onyXが三方向から仕掛けています! 帝選手の金棒に雷選手の芭蕉扇、乃依選手の正確な狙撃! しかし綿月依姫、すべて凌いでおります!」
「三人の連携は悪くないね。でも依姫は攻撃を防ぐだけじゃなく、乃依の射線まで考えて動いてるよ」
忠犬オタ公の実況にてゐの解説が続く中、帝は金棒を担ぎ直して笑った。
「へへっ、なかなかやるじゃねえか! だったら、こいつはどうだ!」
再び迫った帝は、最初のような大振りを避け、短く鋭い打撃を連ねた。依姫が金棒の先端を逸らせば即座に引き戻し、踏み込みを変えて別の方向から打ち込む。重量に頼るだけでなく攻撃の間合いを自在に変えることで、相手の判断を遅らせようとしていた。依姫は二撃をかわし、三撃目を刀の側面で受け流した。ところが帝は金棒を強引に引き戻さず、振り抜く勢いで身体を回転させ、今度は柄の側を突き出した。
「そらよっ!」
先端の重打撃を警戒させておいて、急に距離を詰める変則的な攻撃だった。依姫は肩の動きから狙いを読み、横へ踏み込んで柄をかわす。帝が続けざまに横薙ぎを繰り出しても、金棒の軌道に沿って身体を移動し、振り抜いた腕へ刀を合わせた。肩口へ向かう刃を遮ったのは、鬼の顔を模した黒い盾だった。雷は芭蕉扇を鬼面盾と錫杖へ分離させ、盾で斬撃を受け止めながら、反対の手で錫杖を突き出していた。激しい金属音が響き、依姫は突き出された錫杖を刀で逸らすと、今度は雷へ踏み込んでくる。
「雷!」
帝が叫ぶより早く、雷は盾を身体の前へ引き寄せた。しかし依姫は盾の届く方向を外れ、錫杖の内側へ刃を滑り込ませる。雷は柄を短く握り直してどうにか受け止めたが、衝撃に足が滑り、踏み固められた草が靴底で千切れた。
「……っ、速いな」
そこへ乃依の矢が飛来し、依姫の足元を低く貫こうとする。斜面の別の位置へ回り込んだ乃依が、雷と重ならない射線を確保していた。依姫は刀を返して弾いたものの、その間に雷は後退し、帝も正面へ金棒を構え直した。
「ナイス、乃依!」
「いいから、ちゃんと当ててよねー!」
乃依は軽口を返しつつ次の矢を番えた。鈍足の効果を持つ矢が一本でも命中すれば、依姫の素早い足運びを封じ、帝の一撃を届かせる好機になる。雷も二人の狙いを理解し、盾を構えたまま周囲の草地へ視線を走らせた。力で押し切れないのであれば、相手の行動を誘導すればよい。雷は後退する足運びに紛れ、小さな罠を草の中へ仕掛ける。長く伸びた草に隠れたそれは、少し離れただけでも見分けがつかなかった。
「帝、右へ追い込め」
「おう!」
帝が金棒を振り上げて正面を塞ぎ、雷は錫杖を横から突き出した。依姫がその二つを避けようとすれば右側の草地へ誘導され、乃依の矢を避けてさらに踏み込めば罠の位置へ達する。三人は一度に攻撃を重ねすぎず、逃げ道を少しずつ絞っていった。
「今度こそ!」
乃依の矢が草の穂先を掠めて飛ぶ。だが依姫は用意された進路へ逃れず、自ら帝の懐へ踏み込み、金棒の重い先端よりも内側へ身体を滑り込ませた。刀の側面で武器を逸らし、その陰で乃依の射線を断つと、雷が錫杖を引き戻すより先に帝の背後へ回ろうとする。
「うおっ!?」
「帝、伏せろ!」
雷の警告に帝は反射的に身を低くした。頭上を刃が通り過ぎ、切られた草が夜風へ舞い上がる。雷は錫杖で追撃を遮り、依姫を罠のある方へ押し戻そうとした。ところが依姫は足を下ろす直前、草の向きが不自然に揃っている一角へ視線を落とした。刀で錫杖を受け流すと即座に後ろへ跳び、その直後、罠が破裂して土と草の葉を吹き上げた。
「……避けたか」
雷が低く呟くと、依姫は爆発の余波が届かない位置へ着地した。
「なるほど。足元にも仕掛けていたのね」
依姫は乱れた草地へ一瞥を向けたあと、帝、雷、乃依の順に視線を巡らせる。その表情には驚きよりも、相手の戦術を理解したことへの静かな関心が浮かんでいた。
「それぞれの役割を理解して、互いの弱点を補っているのね。さっきまでの相手とは、随分と違うわ」
「へへっ、そういうこった! 俺たちをそこらのチームと一緒にしてもらっちゃ困るぜ!」
帝が得意げに笑う一方、雷は依姫の足の位置が変わったことに気付いた。これまでの彼女は攻撃を見極めてから動いていたが、今は自分から三人の間合いへ入ろうとしている。
「帝、来るぞ!」
「おう!」
雷が盾を前へ出した瞬間、依姫が草の波を割って踏み込んだ。帝は金棒を引き戻して刀を受け止めたが、依姫は押し合わず、金棒の表面を滑らせて軌道を外側へ流す。胴が開いたところへ返した刀が迫り、帝は辛うじて身を捻ったものの、刃が腕を掠めてHPが僅かに減少した。
「なっ……!」
依姫は帝を深追いせず、援護へ出ようとした雷へ向き直る。盾が帝を守る位置へ移動した隙に、錫杖の先端を刀で弾き、雷自身の懐へ踏み込んだ。雷は武器を短く持ち直して斬撃を受け止めたが、両足が草を踏み潰しながら後方へ滑る。
「くっ……!」
「雷から離れろ!」
乃依が依姫の側面へ矢を放った。しかし依姫は雷の錫杖を弾いた勢いで刀を返して矢を斬り払い、さらに雷の身体が乃依の射線と重なる位置へ移動する。二射目を番えた乃依は味方への誤射を恐れ、弦を引いたまま射撃を止めた。
「……そこまで見えてんの?」
依姫はその隙に雷から離れ、斜面の乃依へ向かって駆け出した。見通しのよい草原では姿を隠せないが、距離の縮まる速さも手に取るように分かる。乃依は後退しながら二本の矢を放ったものの、一射目は上体を傾けてかわされ、二射目は刀で弾き落とされた。
「ちょっ、こっち来た!」
次の矢を番えるには近すぎると判断し、乃依は短弓を巨大な輪刀へ変形させた。腰の周囲で回転する刃が依姫を迎え撃つ。射撃を得意とする乃依にとって望ましい距離ではなかったが、回転する刃で相手の踏み込みを阻めば、再び後退できるはずだった。しかし依姫は外周の動きを見極め、刃が通過した直後の空間へ足を運んだ。乃依が回転する刃を向け直すより早く、依姫の刀が輪刀の届きにくい位置へ滑り込んでくる。
「乃依、下がれ!」
斜面を駆け上がってきた雷が鬼面盾を差し込み、鋭い金属音とともに斬撃を止めた。乃依が飛び退くと、依姫は盾を無理に突破せず、反対側から迫っていた帝へ刀を向ける。
「そっちばっか見てんじゃねえぞ!」
帝は金棒を構えたまま先端を依姫へ向けた。打撃に備えた依姫が刀を合わせようとした瞬間、金棒に備えた銃口から鋭い銃声が響く。
「どうだっ!」
依姫は僅かに身を捻り、弾丸は背後の草地へ着弾して土を跳ね上げた。帝はその反応に合わせて金棒を振り上げようとしたが、依姫は銃口から目を離さず、武器を持ち上げる前に側面へ刀を合わせてくる。帝は銃撃を中断して防御へ切り替えたものの、押し流された金棒の内側から斬撃が迫り、大きく跳び退くことでようやく距離を取った。
「っ、うおおっ!」
依姫はそれ以上追いかけず、緩やかな斜面を下って刀を構え直した。三人の周囲には金棒の抉った跡が残り、草の間には乃依の矢が散らばっていた。雷の罠が爆発した一角では黒い土が露出し、帝の銃撃による砂埃が夜風に流されていく。三人が持てる戦法を試した跡だけが、荒れた草原にはっきりと刻まれていた。
「おおっと、帝選手が銃撃まで繰り出しました! 雷選手の罠、乃依選手の輪刀も交えた猛攻! しかし綿月依姫は、次々と対処してみせます!」
「帝は金棒の間合いを変えながら銃も使っているし、雷は防御に罠、乃依は狙撃で逃げ道を狙っている。それでも依姫を崩せないんだから、相当厳しいよ」
てゐの言うとおり、三人はこれまでの攻防でまともな一撃を与えられていなかった。帝の重打撃も銃弾もかわされ、雷が仕掛けた罠まで見破られ、乃依の鈍足の矢も命中しない。それに対して依姫は刀捌きと足運びだけで優位に立ち、特別な力を使った様子さえなかった。
「……なんだよ、あの人」
乃依は輪刀を短弓へ戻し、斜面の下に立つ依姫を見つめた。遠くから敵の行動を制限するつもりが、いつの間にか自分が接近を避けるために動かされている。狙撃手として最も避けたい状況を、相手は刀一本で作り出していた。雷は錫杖を握り直し、乱れた息を整えた。
「……罠まで見切られたか」
「ああ。さっきまでだって、十分強かったのによ」
帝も腕に受けた傷を確かめる。三人の連携が崩れた瞬間、次の一撃で誰かが戦闘不能になってもおかしくなかった。それでも依姫は息を乱さず静かに刀を構えている。
「連携は見事だったわ。でも、同じ手を繰り返しているだけでは、私を止められないわよ」
その言葉は挑発というより、これまでの戦いを冷静に評価したものだった。自分たちが工夫を重ねて攻め込んだことは認めながらも、それだけでは勝てないと告げる依姫の態度が、かえって三人へ実力の差を突き付けていた。帝は金棒を握る手へ力を込め、真っ直ぐに依姫を見据える。次の斬撃を避け損ねれば大きくHPを失うと理解していながら、その口元には少しずつ笑みが浮かんでいた。
「……へへっ、最高じゃねえか」
雷が僅かに目を向けると、帝は金棒を肩へ担ぎ直した。
「これだけ強え相手と戦えるなんて、滅多にないぜ!」
雷は呆れたように息を吐いたが、やがてその口元にも笑みが浮かんだ。
「……ああ。面白くなってきたな」
「雷までそんなこと言うんだ」
乃依は二人へ呆れたような視線を向けたものの、すぐに依姫の足運びを観察し、次に狙うべき位置を探し始めた。
「ま、俺もちょっと楽しくなってきたけどね」
強敵を前にして恐怖が消えたわけではない。三人は互いの役割を理解しているからこそ、誰か一人の判断が遅れる危険も、依姫の技量がそれを許さないことも分かっていた。それでも、幾度となく仲間と強敵へ挑んできた経験が、勝てるか分からない戦いへの高揚を呼び起こしていた。
帝は金棒を構え直し、雷は鬼面盾を前へ掲げ、乃依は短弓を手に斜面を横へ移動する。依姫の底知れない強さに戦慄しながらも、三人の顔には確かな笑みが浮かんでいた。
◇ ◇ ◇
その頃、少し前に依姫の刀を受けて戦闘不能となった青年は、ツクヨミの街で異変の参加画面を見つめていた。今回の「永夜抄」では、一度敗北すれば再参加できないと事前に告知されていたため、青年もこれで自分の出番は終わりなのだろうと考えていた。しかし、何気なく開いた異変の案内には、すでに選択できなくなっているはずの参加項目が、以前と変わらない状態で表示されている。
「……あれ? もう一回入れるのか?」
試しに操作してみると、参加資格がないという警告は現れず、戦場への転送を確認するウィンドウが開かれた。近くにいた別の参加者たちも同じ現象に気付いたらしく、互いの画面を見せ合っている。
「一回負けたら終わりじゃなかったっけ?」
「でも、これ押せるぞ。バグかな?」
誰かが試しに転送を実行すると、その身体は光に包まれて広場から姿を消した。やがて参加者一覧にその名前が再び現れたことで、青年は本当に戦場へ戻れるらしいと理解したが、勝手に入って問題にならないかと思うと、すぐには後に続けなかった。依姫に倒された時の感覚はまだ鮮明で、もう一度挑んでも勝てる自信はない。それでも、仲間を残して一人だけ街にいることが悔しく、目の前の選択肢から視線を外せずにいた。
その異常は、戦場の状況を伝える実況席でも発見されていた。
「さあ、綿月依姫とBlack onyXの激しい攻防が続いております! 三人が連携して挑んでいますが、依姫も圧倒的な戦闘能力を見せております!」
忠犬オタ公は中央の草原で向かい合う四人の様子を実況しながら参加者一覧を確認し、すでに撃破されたはずの名前が再び表示されていることに気付いた。
「……おや? てゐさん、こちらを見てもらえますか?」
「ん、どうしたの?」
忠犬オタ公が示したのは、敗北の記録が残ったまま戦場へ復帰している参加者たちだった。数は一人や二人ではなく、時間が経つにつれて少しずつ増えている。
「今回、一度負けたプレイヤーは再参加できないはずですよね?」
「そうだよ。……あれ、本当だ。どうなってるんだろうね」
てゐは首を傾げ、手元のウィンドウを何枚か切り替えてみせた。忠犬オタ公も集計の誤りを疑ったものの、復帰した参加者が実際に戦闘へ加わっている以上、表示だけの問題ではなさそうだった。戦場では月側の兵を押し返した場所もあれば、防衛線を破られ続けている場所もあり、突然戦力が増えた理由を説明できなければ、観戦している者たちも混乱するだろう。
「おおっと、これは予想外の事態です! 一度撃破されたプレイヤーが、再び『永夜抄』へ参加している模様! いったい何が起きているのでしょうか!」
視聴者からも質問が相次ぎ、忠犬オタ公が対応に困り始めたところで、てゐの前へ新しい通知が表示された。
「あっ、姫さんから連絡が来てる。向こうで何か分かったのかもしれないね」
「ヤチヨさんからですか! それなら、ぜひ状況を確認していただきましょう!」
てゐが通信をつなぐと、大きな映像ウィンドウにヤチヨが映し出された。しかし、いつもの余裕ある笑顔はなく、何枚もの半透明のウィンドウに囲まれて慌ただしく指を動かしている。接続にも気付かなかったらしく、ふいに顔を上げた彼女は、驚いて身体を跳ねさせた。
「えっ、もうつながってる!? ちょっと待って、今それどころじゃ――あっ、てゐ! 聞こえてる!?」
「聞こえてるよ、姫さん。随分慌ててるみたいだけど、何かあった?」
ヤチヨは困ったように眉を下げ、次々と増える通知へ視線を走らせた。いつもの配信なら笑って片付けてしまいそうな彼女が、今は対応に追われているように見える。
「全然大丈夫じゃないよ~! さっきから変な通知がいっぱい来てて、もう何が何だか分かんない!」
「実はこっちでも、負けた参加者がもう一度戦場に戻ってきてるんだ。それと関係ありそう?」
てゐが状況を伝えると、ヤチヨは慌てて別のウィンドウを開き、しばらく画面へ顔を近づけた。その様子を忠犬オタ公も息を詰めて見守っている。
「うん、それ! 再入場の制限がうまく働いてないみたいなんだよね。あーっ、もう! 何でこうなるかなぁ!」
「じゃあ、原因はまだ分かってないの?」
ヤチヨは何度も画面を切り替えながら、小さく唸った。画面の端では通知が次々に増えており、何を優先すればよいか迷っているらしい。
「まだ調べてるところ! すぐに直せるかどうかも分かんなくてさ……」
「困ったね。もう戻っちゃった人もいるし、街で待ってる参加者も、入っていいのか迷ってるみたいだよ」
てゐは一度言葉を切り、ヤチヨが画面を確かめる様子を待った。焦る相手に無理に答えを求めないよう、声を掛ける間合いまで慎重に選んでいるように見える。忠犬オタ公も隣で何度も頷いていたが、判断を促すような質問は挟まず、二人のやり取りを見守っていた。
「だったら、ひとまず今の状態をどうするか決めた方がいいんじゃない? 戻らないようお願いするのか、それとも入場を認めるのか」
「……そっか。いつ直るか分からないのに、みんなをずっと待たせるのもよくないよね!」
ヤチヨは周囲のウィンドウを脇へ寄せると、画面の正面を向いた。慌ただしい様子は変わらなかったが、参加者へ説明しようと、どうにか表情を整えているようだった。
「えーっと、参加者のみんな! ちょっと予定外のことが起きちゃったんだけど、今すぐ元に戻せるか分からないんだよね!」
申し訳なさそうに両手を合わせてから、ヤチヨは続けた。
「だから、こっちで対応できるようになるまでは、今の状態のままにさせて! もう一回入れる人は、そのまま入場してもらって大丈夫だよ!」
「つまり、一度負けた参加者も、今は再入場していいってことだね?」
てゐが確かめると、ヤチヨは勢いよく頷いた。
「そういうこと! もう戻ってきた人だけ追い出すのも変だしね。ひとまず、みんな自由に参加していいよ!」
「あとから不正参加って扱いになったりしないよね?」
「もちろん! 今回はこっちの問題だから、参加者のみんなは気にしないで!」
その返答にてゐが安心したように息を吐くと、ヤチヨは再び手元へ目を向けた。新しい通知が届いたのか、先ほど落ち着いたばかりの表情がまた慌ただしくなる。
「あっ、また何か出てる! ごめん、私もう戻らなきゃ!」
「分かったよ、姫さん。こっちは任せておいて」
「ありがと、てゐ! みんなも引き続き『永夜抄』を楽しんでね! さらば~い!」
ヤチヨが手を振ると映像が閉じられ、忠犬オタ公はようやく我に返ったように声を張り上げた。
「いやはや、驚きました! ヤチヨさんから正式な案内がありましたので、現在は一度撃破されたプレイヤーも再び『永夜抄』へ参加できます!」
「ただし、戻れたからって相手が弱くなるわけじゃないからね。同じように突っ込んで、またすぐ倒されないように気を付けてほしいかな」
てゐの解説が終わる頃には、街へ戻された参加者たちも発表を聞き終えていた。戦闘不能になれば終わりだと考えていた者たちにとって、それは思いがけない救済だったが、実況席からはあくまで暫定的な措置として伝えられている。先ほど転送を躊躇った青年も、今度は仲間と協力して戦おうと決め、異変への参加項目を選択する。街では次々と転送の光が立ち上り、敗北した者たちが再び戦場へ戻り始めていた。
◇ ◇ ◇
地上側の拠点最上部では、彩葉たちもその発表を聞いていた。月側の軍勢は各地で進軍を続けており、彩葉は芦花や真実と手分けして永琳の姿を探していた。しかし、実況から聞こえてきた予想外の知らせが気に掛かり、戦況確認用のウィンドウへ目を戻してしまう。
「……本当に、もう一回参加できるようになってる」
そこには、一度撃破された参加者が再び戦場にいるという記録が表示されていた。芦花も同じ情報を確認し、戸惑ったように彩葉を見る。
「これって大丈夫なのかな? 一度負けたら戻れないって説明されてたよね」
「うん。ヤチヨも困ってたみたいだし、何が起きてるんだろう……」
あの中継を見る限り本当の不具合である可能性も捨てきれないが、ヤチヨならこうした事態まで計算に入れていそうだと思う反面、本人が見せた慌てぶりを演技だと決めつけることもできなかった。
「でも、これなら倒された人たちも戻ってこられるんだよね?」
「今はそうみたい。でも、いつ直るか分からないなら、当てにしすぎるのも危ないと思う」
芦花へ答えた直後、彩葉の視界へ新しい通知が現れた。差出人はヤチヨで、映像データが添付されている。ほぼ同時に芦花と真実にも同じ連絡が届き、三人は顔を見合わせた。
「……ヤチヨからだ」
「さっきのこと、何か説明してくれるのかな?」
真実も通知の差出人を確かめ、彩葉たちと同じ内容が届いていることを伝えた。三人がここで知らなければならない事情があるのだとしたら、単なる不具合の連絡ではないのかもしれない。彩葉は少しだけ緊張しながら、再生項目を選択した。映像が再生されると、半透明のウィンドウへヤチヨの姿が映し出された。先ほどの中継とは違い、彼女は落ち着いた笑顔で画面の正面を向いており、慌ただしく並んでいたウィンドウも見当たらない。
「やっほー、みんな! さっきの発表、聞いてくれたかな?」
ヤチヨは元気よく手を振ったあと、少し悪戯っぽく目を細めた。
「びっくりしたと思うけど、実はあれ、私が用意しておいた仕掛けなんだ。作戦会議で『ズル』をするって言ったでしょ? それがこれ!」
「……えっ?」
彩葉は思わず声を漏らし、芦花と真実も映像へ顔を向けた。つい先ほどまで不具合として説明されていた現象が、最初から仕組まれていたものだとは考えていなかった。
「今回の異変では、一度倒された参加者ももう一回入れるようにしてあるんだよ。本来なら負けたら終わりだけど、これなら何度でも挑戦してもらえるでしょ?」
その説明を聞き、彩葉は作戦会議の光景を思い返した。ヤチヨは具体的な内容を明かさず、準備があるとだけ話していたが、まさか再入場の仕組みに手を加えているとは思いもしなかった。
「じゃあ、さっきのヤチヨの慌て方も……?」
芦花が呟いたところで、映像のヤチヨが楽しそうに笑った。
「ちなみに、さっきの中継は事前に撮っておいた映像だからね! てゐには内容を教えてあるから、私の台詞に合わせて質問してもらったんだ。ちゃんと生中継みたいに見えたでしょ?」
「……うそ! 全然分からなかった!」
真実が目を丸くすると、彩葉も先ほどのやり取りを思い返した。てゐはヤチヨが何を話すか知ったうえで相槌を挟み、困った様子や考え込む間に合わせて質問を続けていたのだろう。何も知らない忠犬オタ公が本当に驚いていたことも、中継を自然に見せる助けになっていた。
「てゐも最初から知ってたんだ……。あんなに普通に話してたのに」
「二人とも、すごいこと考えるよね」
芦花の言葉に彩葉も頷いたが、月側の軍勢と戦うために用意した仕掛けなのだと思うと、感心するだけでは済まなかった。復帰した参加者が何度でも前線へ向かえるなら、それだけ長く進軍を食い止められる可能性がある。一度倒されたら終わりという条件の下では、守り手が減るほど不利になっていたはずだ。少なくとも、今は人数を減らされた部隊にも立て直す機会が与えられている。
そんな彩葉たちへ、映像のヤチヨは少しだけ真剣な表情を向けた。
「でもね、みんなには絶対に勘違いしてほしくないことがあるんだ。再入場できるからって、倒されても大丈夫だとは思わないでね」
それまでの明るい調子が薄れたことで、彩葉も自然と話へ意識を向けた。
「一度倒したはずの相手が何度も戻ってきたら、月側だっておかしいって気付くでしょ? そうなったら、何か対策を考えてくると思うんだ。いつまでも同じやり方が通用するとは限らないよ」
彩葉は拠点から見える戦場へ目を向けた。復帰の仕組みを知らなくても、戻ってくる参加者を避けて別の経路から進軍したり、守りが手薄な場所を狙ったりすることはできる。何より、永琳がその異常を知って何もしないとは思えなかった。自分たちが有利になったと安心している間に、相手が別の手段を選んでしまえば、人数を補充できるという利点も十分には生かせないだろう。
「それに、一度倒されたら、戻ってくるまでの間はその場所を守れなくなっちゃうからね。何人もまとめて倒されたら、その隙に拠点まで攻め込まれるかもしれないでしょ?」
その言葉に、彩葉は少し離れた場所へ視線を向けた。輝夜はすでに術の構築へ集中しており、その作業が終わるまでは彩葉たちが永琳を足止めしなければならない。たとえ再入場できても、自分たちが不在の間に永琳が輝夜へ到達すれば作戦そのものが崩れてしまう。
「……そっか。私たちは、倒されたあとに戻れればいいってわけじゃないんだね」
「うん。輝夜の術が完成するまでは、永琳を通しちゃいけないんだから」
芦花も表情を引き締め、真実は静かに頷いた。再入場は確かに大きな助けになるものの、三人の任務が変わるわけではなく、むしろ今まで以上に自分たちの立ち位置を守る必要がある。
「だから、今までどおり慎重に戦ってほしいんだ。再入場は万が一の時の保険だと思ってね!」
ヤチヨは再び笑顔を浮かべ、画面の向こうへ手を振った。
「せっかくここまで準備したんだから、最後まで作戦を成功させよう! 私も頑張るから、みんなも自分の役割を忘れずにね!」
映像が終わると、彩葉はウィンドウを閉じ、芦花と真実へ向き直った。二人もすでに気持ちを切り替えているらしく、拠点の周囲を確認するために立ち位置を変えていた。
「……ヤチヨって、本当にとんでもないこと考えるよね」
「うん。でも、これだけ準備してくれたんだし、私たちも頑張らないと」
真実の言葉に彩葉は頷き、再び戦場へ目を向けた。依姫の行く手には帝たちが立ちはだかっているが、彩葉たちの相手となる永琳は、まだ姿を現していない。再入場できるようになったからといって安心するわけにはいかず、輝夜が術を完成させるまで、何としてもその進軍を食い止める必要があった。
ヤチヨが与えてくれたのは、何度倒されても勝てるという保証ではない。限られた時間の中で、もう一度戦う機会を得られるという可能性だった。その意味を胸に刻みながら、彩葉は永琳の姿を探し、夜の戦場へ目を凝らした。