地上側の拠点に設けられた再入場地点で、淡い光の粒子が静かに集まり始めた。空中を漂っていた無数の光は、ほとんど同時に二つの塊へと分かれ、それぞれが人の輪郭を形作っていく。やがて光が収まると、そこには先ほど綿月依姫によって撃破された乃依と雷が、並ぶように姿を現していた。
乃依は自分の身体を軽く見下ろし、両腕を動かしてから困ったように笑みを浮かべた。その隣では雷が装備の状態を確かめ、鬼面盾と錫杖が問題なく使用できることを確認している。二人とも戦闘不能になった際の傷は残っていなかったが、依姫に敗れた時の光景は、まだ鮮明に記憶に残っていた。
「いやぁ、参ったなぁ。まさか俺の矢が戻ってくるなんてね」
「ああ。俺も風を利用されるとは思わなかった」
「ほんと、厄介な相手だよねぇ。……それにしても、雷もすぐ戻ってくるとは思わなかったなぁ」
「お前が倒された後、すぐにやられた」
雷の簡潔な返答に、乃依は小さく笑いながら肩をすくめた。自分が撃破された時には、帝と雷がもう少し持ちこたえてくれると思っていたものの、二人が残された時間は予想以上に短かったらしい。依姫が神降ろしを使い始めたことで、三人が築いていた連携も一気に崩されてしまったのだった。
その時、二人の帰還に気付いた酒寄彩葉が、開いていた中継ウィンドウから顔を上げた。彼女は再入場地点へ歩み寄り、乃依と雷の姿を確かめると、普段と変わらない調子で声をかける。
「二人とも戻ってきたんですね!」
「ん、ただいま。ちょっと派手にやられちゃったけどね」
「問題ない。帝はどうしてる?」
雷が尋ねると、彩葉は自分の視界に開いていた中継ウィンドウを示した。そこには月明かりに照らされた草原と、金棒を肩へ担いで依姫と向き合う帝の姿が映し出されている。二人がいなくなった戦場でも、帝は変わらず堂々と立ち続けていた。
「お兄ちゃんはまだ一人で依姫と戦ってます。今は何か話してるみたいですけど」
彩葉の言葉を聞き、乃依と雷は中継ウィンドウへ目を向けた。画面の中では帝が大きな身振りを交えながら依姫へ話しかけており、彼女も刀を構えたまま、その言葉へ応じている。先ほどまで激しく攻撃を繰り返していたことを考えれば、不自然なほど穏やかな光景だった。
「……帝、時間を稼いでいるな」
「だよねぇ。俺たちが戻ってくるのを待ってるんだろうなぁ」
乃依は画面の中で笑っている帝を見て、少しだけ楽しそうに目を細めた。普段から賑やかな彼ならば、強敵を前にしても会話を続けること自体は難しくないだろう。ただし、相手がいつまでも話に付き合ってくれるとは限らず、時間稼ぎが見抜かれれば再び戦闘が始まるはずだった。
彩葉も二人の指摘に頷きながら、あらかじめ用意していた回復アイテムを取り出した。兄が一人で依姫を相手にしているとはいえ、簡単に倒されるような人物ではないことはよく知っている。それでも、二人が戻れば三人の連携を立て直せるのだから、わざわざ一人で戦わせ続ける理由はなかった。
「今お兄ちゃんが頑張って耐えてるから、急いで向かってください!」
彩葉は二人へそれぞれ回復アイテムを差し出し、受け取りやすいよう手元へ寄せた。帝が会話で時間を稼いでいる間に送り出せれば、三人で依姫へ対抗する機会を再び作れる。彩葉は二人がアイテムを受け取るのを確認すると、続けてその使い方にも注意を促した。
「これ、回復アイテムです。二人とも持っていってください。依姫の攻撃を受けた時に使えると思うので」
「お、ありがと。準備してくれてたんだね」
「ああ。助かる」
乃依と雷はそれぞれアイテムを受け取り、すぐに収納した。乃依は短弓を取り出して弦の状態を確かめ、雷も鬼面盾の位置を調整している。二人の準備を見守っていた彩葉は、先ほど中継で見た依姫の戦い方を思い返し、ふと手を止めた。
「そうだ、二人とも。ちょっと気付いたことがあるんですけど」
彩葉の声に乃依と雷が顔を上げた。彼女は中継ウィンドウに目を向け、依姫が神降ろしを使った時の様子を思い出しながら二人へ説明を始める。
「依姫って、神降ろしを使う時に、神霊の名前だけじゃなくて、何をさせるのかも口にしていたんです」
「……何をさせるのか?」
「はい。乃依さんの矢を跳ね返した時は、高御産巣日神って名前を呼んだ後に、矢を射手のもとへ返すように言ってました。雷さんの風を操った時も、級長津彦命って名前を呼んで、風を鎮めて自分のものにするように言っていたんです」
彩葉は中継で確認した二度の発動をできるだけ正確に説明した。どちらの場合も、依姫は神霊の名を告げた直後に求める効果を口にしており、その言葉とほぼ同時に現象が起こっていた。発動前に長い準備動作を見せるわけではなかったが、少なくとも言葉の中には次の攻撃を判断するための手がかりが含まれていたのである。
「えっ、そうなの? じゃあ、ちゃんと聞いてれば何をしてくるか分かるかもってこと?」
乃依は弓を持つ手を止め、興味深そうに彩葉へ顔を向けた。依姫の刀や神降ろしに意識を向けていたため、戦闘中にはその言葉の共通点まで考える余裕がなかった。しかし、次に何が起こるかを少しでも予測できるのなら、先ほどとは違う対応も可能になるかもしれない。
「はい。ただ、発動がすごく速かったので、聞いてから避けられるかは分かりません。それに、ほかの神霊を呼ぶ時も同じとは限らないですけど、何をしようとしているのか判断する手がかりにはなると思います」
「なるほどねぇ。俺の矢が戻ってきた時も、依姫はちゃんとそう言ってたんだ」
「声は聞こえたが、効果までは意識していなかった」
雷は短く答えると、依姫の風への対処について考え始めた。神霊の名を知らなくても、求める効果が言葉に含まれていれば、攻撃の方向や性質をある程度予測できる可能性がある。発動を防げる保証はないものの、何も分からないまま対応するよりは有利になるはずだった。
「分かった。次は発動時の言葉にも注意する」
「俺もそうしよっかな。今度は自分の矢に追いかけられるの、遠慮したいしねぇ」
乃依の冗談めいた言葉に、彩葉は小さく笑った。二人とも一度依姫の神降ろしを経験しており、その威力を軽く見ているわけではない。それでも、何が起こったのかを冷静に振り返り、次の戦いに活かそうとする姿勢には、Black onyXらしい頼もしさが感じられた。
「あと、二人ともお兄ちゃんとの連携を優先してください。神降ろしの使い方が少し分かっても、依姫自身の剣術が強いことは変わらないので」
「ん、了解。俺も今度はあんまり欲張らずに援護しよっかな」
「まずは帝と合流する。それから考える」
雷の返答を聞き、彩葉は頷いた。神降ろしの対策を考えることも大切だが、今は何より三人が再び揃うことが先決だった。依姫の能力を完全に封じる方法が見つかっていない以上、一人ずつ戦うより互いに援護し合った方が、持ちこたえられる可能性は高い。
乃依は短弓を構え直し、雷も鬼面盾と錫杖を確かめると、拠点の出口へ身体を向けた。すでに回復アイテムも受け取っており、彩葉から必要な情報も聞いている。これ以上ここへ留まる理由はなく、二人は戦場へ戻るために歩き出した。
「じゃ、俺たちは行ってくるね。彩葉ちゃんも、こっちのことは任せてよ」
「はい! お願いします!」
「行くぞ、乃依」
「はいはい。分かってるって、雷」
乃依は軽く笑いながら雷の後を追い、二人は並んで拠点の出口へ向かって駆け出した。先ほどの敗北を引きずる様子はなく、今度は依姫の発する言葉にも注意しながら戦うつもりだった。神降ろしへの対処が容易ではないことを理解していても、帝との連携を取り戻せば、まだ十分に戦えるはずだった。
彩葉は二人が出口へ向かうのを見届けると、再び中継ウィンドウへ視線を戻した。画面の中では帝が依姫へ何かを問い掛けており、彼女も落ち着いた様子で返事をしている。会話による時間稼ぎがどこまで通用するかは分からないが、少なくとも今のところ兄は無事に立っていた。
「……お兄ちゃん、上手く時間稼いでるみたいだね」
彩葉は小さく笑みを浮かべ、金棒を肩へ担いでいる帝を見つめた。普段から自信満々で、どんな相手にも臆することなく向かっていく兄ならば、こうした状況でも簡単には諦めないだろう。乃依と雷もすでに援護へ向かっているのだから、あとは三人が再び合流するまで持ちこたえてもらうだけだった。
彩葉は中継ウィンドウを視界の端に残しながら、手元にある回復アイテムの残りを確かめた。戦場では今も各地で戦闘が続いており、これからも撃破された参加者が拠点へ戻ってくる可能性がある。その時に必要な補給を滞りなく行えるよう、彩葉はアイテムを整理し、次の帰還者を受け入れる準備を進めていった。
帝が戦場で敵を引き留め、乃依と雷が援護へ向かう。そして自分は、戻ってきた参加者たちを再び戦場へ送り出す。それぞれが果たすべき役割を確かめながら、彩葉は拠点での仕事を続けていた。
◇ ◇ ◇
ツクヨミの夜空には、異変が始まった時から少しも位置を変えない月が、静かに浮かんでいた。
地上側と月側の戦いがどれほど長引こうとも、夜明けが訪れる気配はない。しかし、それはツクヨミのシステムが時間を止めているからではなく、月見ヤチヨが自分の能力を使い、夜を留め続けているためだった。
ヤチヨの視界には幾つもの半透明のウィンドウが開かれ、戦闘不能となったプレイヤーの情報が次々と更新されていた。彼女は夜を維持する傍ら、ツクヨミのシステムにも能力で干渉し、本来なら脱落する参加者が再び永夜抄へ戻れるようにしていた。
「……よし、ちゃんと戻れてるね」
再参加したプレイヤーの記録を確かめ、ヤチヨは満足そうに小さく笑みを浮かべた。
月の軍勢は手強く、各地ではすでに多くの参加者が戦闘不能になっている。それでも、もう一度戦場へ戻る道が残されていれば、仲間たちが踏みとどまれる時間を少しでも増やせるはずだった。
ただし、夜を留める力も、システムへ干渉する力も、無尽蔵に使えるわけではない。ヤチヨは夜を維持するための力を最優先に保ちながら、残る余力で再参加の仕組みを動かし続けていた。
その時、視界の端に不明なアクセスを知らせる通知が浮かび上がった。
「……ん?」
何気なく目を向けたヤチヨだったが、表示された内容を確認すると、すぐに表情を引き締めた。
侵入者は戦闘不能者の参加記録を辿り、再参加を認める判定がどこで行われているのか調べていた。アクセス元の名前は表示されていなかったものの、その狙いを見た瞬間、ヤチヨの脳裏には一人の顔が浮かんだ。
「……永琳」
考えを整理するよりも先に、その名前が口をついて出た。
月側が撃破したはずの敵と再び遭遇すれば、いずれ異常に気付くだろう。しかし、そこから再参加の仕組みを疑い、これほど早くシステムの内部へ侵入してくる人物となれば、ヤチヨには八意永琳以外に思い当たらなかった。
「やっぱり来ちゃったかぁ……。でも、ここは譲れないよ」
ヤチヨはすぐに重要な記録へのアクセスを制限し、再参加の判定へつながる経路を隠した。さらに調査の手を逸らすため、元の場所には一見それらしく見える情報を残し、永琳が別の処理を追い掛けるよう仕向けた。ところが、永琳と思われる侵入者は、その記録を一度確かめただけで深追いせず、すぐに別の経路へ移ってしまった。今度は周辺の情報を照らし合わせ、こちらが何を隠しているのかを外側から推し量ろうとしている。
「……ええっ、そっちから来るの?」
ヤチヨは慌てて別の経路を塞いだものの、その操作を確認したかのように、今度は別の場所からアクセスが試みられた。守る範囲を広げれば広げるほど、かえってシステムの構造を教えてしまうようで、思うように調査を遅らせることができない。
「もう、ほんとに嫌な相手だなぁ……!」
思わず口を尖らせながらも、ヤチヨは防御する場所を絞り直した。
すべての入口を塞ごうとすれば、それだけ多くの力を使わなければならない。夜を止める能力を維持している以上、永琳への妨害に回せる力には限りがあり、必要な場所だけを守り抜くほかなかった。
ヤチヨは参加判定に関係する情報を守りながら、侵入者が次にどこを調べようとしているのかを注意深く観察した。永琳は一度防御された場所へ固執することなく、別の情報を集めては新たな経路を探し、着実に調査の範囲を広げていく。
「……さすが永琳。簡単には引き下がってくれないよね」
苦笑いを浮かべたヤチヨは、重要な情報の一部を別の領域へ移し、相手が辿っている経路をもう一度遮断した。
僅かな時間を稼ぐことには成功したものの、それがいつまで通用するかは分からない。永琳の調査を完全に止められない以上、こちらが守るべきものを見失わないことが重要だった。
しかし、しばらく攻防が続いたところで、永琳の動きが突然変わった。
「……あれ?」
それまで再参加の判定へ向かっていたアクセスが減り、代わりに戦闘不能者の復帰先を管理する領域へ、調査が集中し始めたのである。そこはヤチヨが重点的に守っていた参加判定とは異なり、プレイヤーが戦闘不能となった後、ツクヨミのどこへ戻るのかを指定するシステム上の設定だった。
ヤチヨはその動きを確かめた瞬間、永琳が何を考えているのか理解した。
「……そっか。そっちを変えるつもりなんだ!」
戦闘不能となった者が再び参加できる状態になっても、復帰先が戦場でなければ意味がない。永琳は再参加を認める判定そのものを変更するのではなく、その先にある行き先の設定を書き換えようとしていた。現在の復帰先には、永夜抄の戦場が指定されている。しかし、これをツクヨミの街へ変更されれば、倒された参加者は街へ戻されるだけで、異変の戦場へ再び入場することはできなくなってしまう。
「待って、それは駄目だってば!」
ヤチヨはすぐに復帰先の設定へアクセスし、変更を防ぐための制限を追加した。しかし、永琳はすでに必要な情報を集めていたらしく、一つの経路を閉ざしても、別の経路から書き換えの準備を進めてしまう。
さらに、その操作と並行して、変更した設定を保護するための処理まで組み立て始めていた。
「……うわ、そこまで用意してるの?」
ヤチヨは保護の完成を遅らせようとしたが、永琳は妨害された部分を切り離し、別の領域へ移して作業を続けた。先ほどまでの探り合いとは異なり、今は何を変更すれば再参加を止められるのか、明確な目標を持って動いているようだった。その速さに追い付くには、こちらも今まで以上に能力を使わなければならない。
ヤチヨは思わず力を振り向けかけたものの、途中で指先を止めた。夜を留め続けている感覚が、意識の奥に確かに残っていたからだった。これ以上永琳への対抗に能力を割けば、夜を維持するための余力が足りなくなる。システムから警告が出たわけではなく、ヤチヨ自身が、自分の能力の限界を感じ取っていた。
「……っ、どっちも守りたいのに……!」
悔しさに唇を噛みながらも、夜の固定へ注いでいる力だけは削らなかった。残された余力で復帰先の書き換えを妨げようとするが、こちらが一つの操作を止める間にも、永琳は別の経路から設定へ近づいていく。
そして、ヤチヨの目の前で復帰先を示す項目が切り替わった。
永夜抄の戦場から、ツクヨミの街へ。
「……あっ!」
ヤチヨは慌てて元の設定へ戻そうとしたものの、変更された項目への操作はすでに拒否されていた。永琳は復帰先を書き換えただけでなく、その設定に強固なプロテクトを掛け、外部から簡単には変更できないようにしていたのである。
「……うわぁ、そこまでやるんだ」
ヤチヨは急いでプロテクトの構造を調べ、解除できる経路が残されていないかを確かめた。しかし、保護は幾重にも重なっており、一つの制限を外したところで、その先には別の遮断が待ち構えている。決して解除できない仕組みではなかった。保護の掛かり方を調べ、必要な順序で干渉していけば、いずれ復帰先を戦場へ戻すことはできるだろう。
けれど、解除に必要な時間を考えたところで、ヤチヨの表情から笑みが消えた。
今も夜は、自分の能力で留め続けている。プロテクトの解析と解除へ長時間力を使えば、その分だけ夜の維持へ回せる力が減り、留めていた時間を動かしてしまう恐れがあった。
「……解除はできる。でも、今からじゃ……」
ヤチヨはもう一度プロテクトを調べ、近道になりそうな部分を探した。しかし、永琳はそこにも保護を掛けており、簡単な操作だけで復帰先を取り戻せる余地は残されていない。
再参加を取り戻すために夜が明けてしまっては、これまで積み重ねてきた準備そのものが無駄になってしまう。
「……悔しいなぁ。ほんと、悔しい」
ヤチヨはしばらく設定を見つめていたが、やがて小さく息を吐き、解除のために開いたウィンドウを閉じた。
復帰先は街へ変更されたままで、強固なプロテクトも残されている。今の自分に足りないのは解除する方法ではなく、そのために費やせる時間と能力だった。
「……仕方ない。今は諦めるしかないか」
そう呟いたヤチヨは、システムへの干渉を抑え、永琳との攻防に使っていた力を夜の維持へ戻そうとした。
しかし、その前に侵入の痕跡を確かめておこうと、永琳がアクセスした領域の記録を開いたところで、思いがけない情報が目に飛び込んできた。
「……え?」
再参加の処理とは別に、異変へ参加しているプレイヤーたちの位置情報が参照されていたのである。
ヤチヨはすぐに履歴を詳しく調べたが、情報がすでに取得された後だと分かり、思わず眉を寄せた。参加者の識別情報と現在地を結び付けた記録がまとめて読み出され、その内容が侵入者側へ渡っている。
そして、その中には見覚えのある名前が含まれていた。
「……輝夜?」
ヤチヨは息を呑み、該当する記録を開いた。
そこには、輝夜の現在地を示す情報が残されていた。永琳は再参加先の変更を進める一方で、プレイヤーたちの位置情報にもアクセスし、輝夜の居場所まで取得していたのである。
「……これはまずいね」
先ほどまでとは異なる、緊張を帯びた声が零れた。
月側が今回の異変で輝夜を連れ帰ろうとしていることは、ヤチヨも十分に理解している。その居場所を永琳に把握されたとなれば、月の軍勢が輝夜のいる場所へ向けて動き出す可能性があった。
これまでは地上側の抵抗によって進軍を阻まれていたとしても、目的の人物がどこにいるのか分かれば、月側が取る行動も変わってくるかもしれない。ヤチヨは急いで位置情報へのアクセスを制限したものの、すでに取得されてしまった情報を取り戻すことはできなかった。
再参加を封じられただけでも厳しい状況だというのに、守るべき輝夜の居場所まで知られてしまっている。永琳がその情報をどのように使うつもりなのかは分からなかったが、決して楽観できる状況ではなかった。
「……ほんと、やってくれるなぁ」
困ったように笑いながらも、その表情には僅かな焦りが滲んでいた。
それでも、今ここで永琳との攻防を再開するわけにはいかない。ヤチヨは夜を留めている自分の力を確かめ、これ以上システムへの干渉に能力を割くことは避けようと決めた。
まずは再参加ができなくなったことを、前線で戦う仲間たちへ知らせなければならない。ヤチヨは別のウィンドウを開き、あらかじめてゐとの間で決めておいた合図を呼び出した。視界に現れたのは、小さな兎をかたどった印だった。その耳の形を普段とは僅かに違うものへ変えれば、言葉を添えなくても、てゐには再参加が封じられたことが伝わる。
ヤチヨは印の形を確かめると、てゐの視界へ届くように送信した。
「……お願いね、てゐ」
送信を終えたヤチヨは、再び夜の固定へ意識を集中させた。
再参加の仕組みを失ったうえに、輝夜の現在地まで知られてしまった。それでも、今ここで夜を明けさせてしまえば、これまで仲間たちと積み重ねてきた準備が無駄になってしまう。
「……みんな、気を付けてね」
誰にも届かない小さな声で呟き、ヤチヨは変わらぬ月の下で続く戦いを思った。
◇ ◇ ◇
実況席では忠犬オタ公が各地の攻防を伝え、その隣で因幡てゐが戦況を解説していた。
てゐの視界に小さな兎の印が浮かんだのは、ちょうど玉兎の一隊が地上側の攻撃を受け、後退し始めた時だった。てゐは何気なく目を向けたものの、耳の形がいつもと異なることに気付くと、僅かに眉を動かした。
姫さんが用意した再参加の仕組みが、封じられた。
詳しい事情を尋ねなくても、その合図が意味することは分かっている。てゐはすぐに印を視界から消すと、実況を続ける忠犬オタ公へ顔を向けた。
「おっと、ここで参加者のみんなにお知らせだよ!」
突然声を掛けられた忠犬オタ公が振り向くよりも早く、てゐは普段と変わらない調子で言葉を続けた。
「さっきまで戦闘不能になっても再参加できていた不具合だけど、システムの修正が完了したみたいだねぇ」
「おおっと! ここでシステム修正完了のお知らせですか!?」
「そうそう。本来、この異変では一度戦闘不能になったら終わりだったでしょ? その不具合が直ったから、これから倒されたら再参加はできないよ」
てゐが軽く肩をすくめて説明すると、忠犬オタ公は驚きながらもすぐに参加者たちへ向けて声を張り上げた。
「皆さん、重要なお知らせです! 再参加できていた不具合の修正が完了しました! ここから先は一度戦闘不能になれば、その時点で永夜抄から脱落となります!」
その告知が響いた途端、戦場のあちこちで驚きの声が上がり、攻撃へ踏み込もうとしていたプレイヤーが足を止める姿も見られた。再参加という支えを失ったことで、これまでと同じ戦い方を続けるわけにはいかなくなったのだ。
てゐはその反応を見つめながら、表情を変えずに実況席へ腰を落ち着けた。
不具合が修正されたという説明なら、誰も姫さんが裏で何をしていたのかを知ることはない。先ほどの合図にどんな苦労が込められているのか、詳しくは分からなかったが、てゐにはそれだけで十分だった。
「……まったく、姫さんも大変だねぇ」
誰にも聞こえないほど小さく呟くと、てゐはすぐにいつもの調子へ戻り、忠犬オタ公の実況に合わせて次の戦況を解説し始めた。