超輝夜姫!   作:白鳥ダイヤ

7 / 8
第6話

そこには、街の外にある名所や、過去に開催された催しを紹介する巨大な案内板が浮かんでいた。

案内板へ近づくと、最初に深い霧へ覆われた湖が映し出された。

湖面の向こうには、闇の中でも鮮やかに浮かび上がる赤い館が建っている。高い時計塔と無数の窓を備えた建物は華やかでありながら、容易に近づく者を拒むような静かな威圧感を放っていた。

 

「これが紅魔館」

 

彩葉が案内板の一角へ触れると、映像がゆっくりと回転し、湖の上空から館全体を見下ろす形へ変わった。輝夜は赤い建物を目で追いながら、無意識に案内板へ一歩近づく。

 

「街の中ではないの?」

 

「外だよ。ここから直接行くこともできるけど、かなり距離があるから、移動手段を使う人が多いかな」

 

次に彩葉が指を滑らせると、映像は果てが見えないほど長い石段へ切り替わった。その先には満開の桜に囲まれた屋敷が建ち、白い雲の上を花びらだけが絶え間なく舞い続けている。

 

「こっちが白玉楼。紅魔館と同じで、街の外にある有名な場所だよ」

 

美しい桜の景色へ見入っていた輝夜は、しばらくして彩葉へ顔を向けた。

 

「行けるの?」

 

「行けるけど、初めてツクヨミへ来た日に、観光気分だけで行くような場所じゃないかな」

 

彩葉は案内板の下部へ表示された注意書きを開いた。そこには街の外に出現するエネミーと、敗北した場合の処理が簡潔に記されている。

 

「街の外にはエネミーがいるの。普通に歩いているものもいるし、見つかると襲ってくることもあるから」

 

「倒されたら、どうなるの?」

 

輝夜は注意書きを読みながら尋ねた。危険という言葉を聞いても、その瞳に浮かんでいるのは不安より好奇心の方が強かった。

 

「街で復帰するよ。現実の身体が傷ついたり、命を失ったりするわけじゃないから、アクションゲームで負けるのと同じようなものだけど」

 

そこまで説明した彩葉は、輝夜が安心したように注意書きから目を離したのを見て、続く項目を指先で示した。

 

「ただし、街の外で手に入れたアイテムは全部なくなる」

 

輝夜の視線が、再び表示へ戻った。

 

「全部?」

 

「全部。どれだけ珍しいものを見つけても、街まで持ち帰る前に倒されたら最初からやり直し」

 

彩葉が表示を閉じると、案内板には湖の岸を進む利用者たちの映像が現れた。色鮮やかな光弾が霧の中を飛び交い、武器を持った者たちが散開しながらエネミーへ立ち向かっている。

映像の端では、一人の利用者が光に包まれて姿を消した。倒された者は街へ戻されたのだろう。

 

「街まで追いかけてはこないの?」

 

輝夜は映像の中で飛び交う光弾を見たまま尋ねた。

 

「エネミーは街へ入らないように設定されてるみたい。だから街の中は安全だけど、外へ出たら自分で気をつけないと」

 

彩葉の説明を聞きながら、輝夜は湖の向こうに建つ紅魔館へ目を細めた。恐ろしいというよりも、どうすれば光弾を避けられるのかを考えているような顔だった。

その表情に気づいた彩葉は、繋いでいた手へ僅かに力を込める。

 

「今から行くとは言わないでね」

 

心外そうに振り向いた輝夜だったが、目の奥に浮かぶ期待までは隠せていない。

 

「まだなにも言っていないわ」

 

「顔に書いてあるから」

 

彩葉に先回りして釘を刺され、輝夜は僅かに唇を尖らせた。

その時、案内板の端に並んでいた二つの記録が、自動的に中央へ拡大された。

 

『期間限定異変――紅魔郷』

 

『期間限定異変――妖々夢』

 

どちらの下にも、すでに開催終了を示す文字が添えられている。

見慣れない名称へ首を傾けた輝夜は、彩葉の手から離れない範囲で案内板へ身を寄せた。

 

「これは?」

 

「前に開催された期間限定イベント。過去に起きた異変を追体験する内容だったらしいよ」

 

彩葉が記録へ触れると、開催当時の映像が再生された。

霧に包まれた湖を、十人ほどの参加者が進んでいる。弾幕を避けながら前へ出る者、仲間の背後を守る者、離れた位置から攻撃を続ける者と、それぞれが役割を分けて戦っていた。

 

「一人でも参加できたみたいだけど、人数が少なくても敵は弱くならないの。だから十人くらいでパーティを組んで挑む人が多かったんだって」

 

映像が切り替わり、桜の下で戦う別の集団が映し出される。舞い散る花びらの間を無数の光弾が埋め尽くし、参加者たちは互いの位置を確かめながら進んでいた。

 

「全部で六つのステージがあって、それぞれに中ボスとボスがいたみたい。六ステージを最後まで攻略すると、その後にEXステージにも挑戦できたらしいよ」

 

彩葉が説明を続けている間、輝夜は映像の中で参加者たちが弾幕を避ける動きを、食い入るように見つめていた。

 

「一人でもいいのね」

 

小さく呟かれた言葉に、彩葉は嫌な予感を覚えたように輝夜の横顔を見た。

 

「参加はできるけど、敵の強さもステージの難しさも変わらないよ。一人なら、十人で挑むものを全部自分でどうにかしないといけないの」

 

それでも輝夜の表情から期待は消えなかった。

 

「倒されなければいいのでしょう?」

 

あまりにも当然のように言われ、彩葉は早くも一人でも参加できると教えたことを後悔し始めた。

 

「まず、その自信がどこから来るのか教えてほしいんだけど」

 

彩葉が額へ手を当てると、輝夜は答えず、再び記録映像へ目を戻した。

映像の中では、参加者たちが六つ目のステージへ向かっている。画面の脇には、攻略時に得られた報酬一覧が表示されていた。色違いの衣装や装飾品、ボスに関係する道具が並び、その横には撃破時に獲得できたふじゅ~の記録がある。

 

「ボスを倒すたびにふじゅ~がもらえて、そのボスの衣装や、関係するアイテムも手に入ったみたい」

 

彩葉が報酬一覧を指し示すと、輝夜は衣装の一つへ顔を近づけた。

 

「今でも街で着てる人を見かけるけど、イベント限定だから、同じ方法ではもう手に入らないよ」

 

「もう参加できないのね」

 

開催終了の文字を見つめる輝夜の声には、隠しきれない不満が滲んでいた。

 

「期間限定だったからね」

 

彩葉が苦笑すると、輝夜は記録映像の中へ入れないか確かめるように表示へ指先を触れさせた。当然ながら、映像は再生を続けるだけだった。

 

「もっと早く来ればよかったわ」

 

「その頃の輝夜は、まだここにいなかったでしょう」

 

彩葉に指摘されると、輝夜は振り返り、自分に責任はないと言いたげに眉を寄せる。

 

「それは私のせいではないもの」

 

「誰のせいでもないと思うけど」

 

彩葉は困ったように笑いながら、再生を終了させた。

映像が消えても、輝夜はしばらく開催終了の文字を見つめていたが、やがて何かを決めたように彩葉へ向き直った。

 

「次に似た異変が始まったら教えて」

 

先ほどの単独参加に関する反応を思い出した彩葉は、警戒するように目を細めた。

 

「一人で参加しようとしてない?」

 

「彩葉も来るなら、一人ではないわ」

 

輝夜は当然のように繋いだ手を持ち上げてみせる。

 

「どうして私まで参加することになってるの?」

 

「二人より十人の方が楽なのでしょう? なら、芦花と真実も誘えばいいわ」

 

「勝手に人数に入れないで」

 

呆れたように言いながらも、彩葉は輝夜の手を離さず、案内板から歩き出した。

二人が次に入ったのは、大小様々な店が並ぶ通りだった。

透明な瓶の中で小さな雷が暴れている店。着る者の声に合わせて色を変える服を売る店。本を開くたび、異なる景色が周囲へ広がる書店。頭の上へ浮かべる小さな月や、自分の周囲にだけ雨を降らせる雲まで並んでいる。輝夜は店の前を通るたびに歩みを緩め、説明を読み終えるより先に商品へ手を伸ばそうとした。

 

「勝手に触らないでね。触っただけで購入になる商品もあるから」

 

彩葉が腕を引くと、輝夜は雷の入った瓶から不満そうに手を離した。

 

「見るだけよ」

 

「さっき蓋を開けようとしてたでしょう」

 

図星を指され、輝夜は瓶の中で跳ねる雷へ視線を戻した。

 

「中がどうなっているのか気になったの」

 

「仮想空間でも、お店の商品を勝手に開けたら迷惑だから」

 

彩葉に諭され、輝夜は渋々と手を引っ込めた。

その直後、隣の店へ巨大な器が運ばれてきた。

淡く輝くクリームの上に、月や星の形をした菓子が重ねられ、透明な果物の間では、小さな白い兎が跳ね回っている。夜空をそのまま器の中へ盛りつけたようなパフェだった。

輝夜の視線が、ぴたりと止まった。

商品へ釘づけになった横顔を見て、彩葉は尋ねるまでもないというように笑う。

 

「食べたいの?」

 

輝夜は平静を装って彩葉へ顔を向けたが、赤い瞳はすぐに器の中を跳ねる兎へ戻ってしまった。

 

「まだなにも言っていないわ」

 

「顔を見れば分かるよ」

 

店頭の表示には、ツクヨミパフェと記されていた。

輝夜は先ほど受け取った初回ログインボーナスの残高を開き、値段と自分の所持額を慎重に見比べる。十分に支払えることを確認すると、彩葉へ許可を求めることなく、自分のふじゅ~で注文した。

 

目の前へ現れたパフェは、見本と寸分違わなかった。

クリームは柔らかそうに揺れ、星形の菓子は脈打つように明滅している。器の中を跳ねる兎は、輝夜が顔を近づけると、長い耳を動かしながら果物の陰へ隠れた。

しかし、どれほど顔を近づけても、甘い香りはしなかった。

 

「匂いがないわ」

 

不審そうに眉を寄せる輝夜へ、彩葉は店先から受け取った二本のスプーンの片方を差し出した。

 

「ツクヨミでは、味と匂いが再現されてないから」

 

輝夜は匙を受け取りながらも、すぐには口へ運ばなかった。何か仕掛けがあるのではないかと疑うように、クリームの表面を先端で軽く突く。

 

「食べ物なのに?」

 

「口へ入れた感覚や、噛んだ時の食感はあるよ。味はしないけど」

 

彩葉の説明を聞き、輝夜は半信半疑のままクリームをすくった。

舌へ触れた瞬間の柔らかさも、口の中で溶けていく感覚もある。星形の菓子を噛めば軽い歯応えがあり、透明な果物は薄い皮が弾け、内部の水分が溢れ出すところまで再現されていた。

それなのに、甘くも酸っぱくもない。

何度か口を動かした輝夜は、食べ終えた後も納得できない様子で空の匙を見つめた。

 

「……食べ物の形をした、食べ物ではないものね」

 

彩葉は隣からクリームを少しすくい、慣れた様子で口へ運んだ。

 

「最初はみんな似たようなことを言うよ」

 

「彩葉は平気なの?」

 

「見た目を楽しむものだと思えばね、値段も安いし」

 

店の端には、同じパフェの実物を現実の自宅へ届けるための案内が表示されていた。

仮想のパフェとほとんど同じ形をしているが、価格は三ふじゅ~とは比べものにならない。輝夜が案内へ触れると、必要なふじゅ~の数字が大きく表示された。

 

「こっちなら味がするの?」

 

「現実のお店で作ったものが家まで届くから、味も匂いもあるよ」

 

彩葉は金額を見て、気軽には注文できないと示すように肩をすくめた。

 

「これも、ふじゅ~で買えるの?」

 

「買えるけど、現実の商品と同じくらい高いよ。ツクヨミの中で食べるだけのものとは必要なふじゅ~が全然違うから」

 

輝夜は表示された数字と、彩葉の顔を交互に見た。

 

「彩葉は買わないの?」

 

「私はゲームで少しずつ稼いでるだけだから、こういうものを気軽に頼めるほど持ってないよ」

 

彩葉は自分の残高を開きかけたが、輝夜はその手が動き切る前に、実物を注文するための画面を閉じた。

 

「小遣い程度と言っていたものね」

 

少し驚いた顔をした彩葉へ、輝夜は当然だというように視線を返す。

 

「ちゃんと覚えてたんだ」

 

「彩葉のことだもの」

 

その言葉を受けた彩葉は一瞬だけ黙り込み、誤魔化すように器の中へ匙を入れた。

 

「頼まなくていいの? 味のある方を食べたかったんじゃない?」

 

問いかけられた輝夜は、現実へ届く商品の表示が消えた場所を一度見た後、味のないクリームをもう一口すくった。

 

「彩葉が時間をかけて集めたふじゅ~を、パフェ一つに使うのでしょう? なら、今はこれでいいわ」

 

口へ運んだクリームには、やはり何の味もない。それでも輝夜は先ほどより満足そうに匙を動かした。

 

「味がしなくても、彩葉と一緒に食べられるもの」

 

彩葉は僅かに目を瞬かせた後、照れたことを隠すように視線を逸らした。

その間にも、器の中の小さな兎は、輝夜の匙から逃げ続けている。

何度すくおうとしても果物の陰へ跳び移られ、最後には輝夜が両手で逃げ道を塞ぐように器を囲み始めた。その真剣な横顔を見て、彩葉は堪え切れずに笑い声を漏らす。

 

「そんなに真剣になると思わなかった」

 

「逃げる方が悪いのよ」

 

輝夜は兎から目を離さず、スプーンをゆっくりと近づけていく。兎が反対側へ逃げようとしたところで、彩葉が自分のスプーンを置き、さりげなく進路を塞いだ。

 

「そういう食べ物だから。捕まえるのも含めて楽しむものなんだと思う」

 

「なら、最初からそう言ってちょうだい」

 

二人の匙に挟まれた兎は、ようやく逃げ道を失った。

輝夜は慎重にすくい上げ、勝ち誇ったような顔で口へ運ぶ。兎は噛まれるより早く、無数の小さな光となって口の中で弾けた。予想していなかった感触に輝夜が目を見開くと、彩葉はまた笑った。

 

「なによ」

 

「楽しそうだなって」

 

輝夜は空になった匙を持ったまま、笑っている彩葉を見つめた。少し前まで、何も見せられるものがないと笑っていた時とは違い、今の表情には何の曇りもない。

 

「彩葉が連れてきたのでしょう?」

 

「そうだけど」

 

彩葉が笑いながら頷くと、輝夜もつられるように目尻を下げた。

 

「なら、楽しんでいる方がいいわ」

 

輝夜にとって、それは疑問を挟む必要もない答えだった。

彩葉と遊ぶために来たのだから、面白いものを見つければ喜び、分からないことがあれば尋ねればいい。輝夜が楽しめば、それを見ている彩葉も笑う。今のところ、それ以上に必要なことはなかった。

 

パフェを食べ終えた二人は、再び大通りへ戻った。

建物の間から、多くの映像が集まる広場が見えている。そこでは今この瞬間にも、歌う者や踊る者、観客と話しながら街を歩く者たちが配信を続けていた。

 

「あれも、さっきの案内に出てきた表現者?」

 

輝夜が広場を見上げると、彩葉はその隣へ並び、映像の一つを指した。

 

「うん。配信してる人たち。ツクヨミではライバーって呼ばれてるの」

 

映像の周囲には、視聴者から送られた言葉や光が絶え間なく流れている。輝夜は、僅かな反応しか集まっていない小さな画面から、広場を覆うほど大きな画面までを順番に見比べた。

 

「誰でもなれるの?」

 

「登録すればね。でも、活動を続けても誰にも見てもらえない人もいるし、大勢の人を集められるのはほんの一部だけだよ」

 

彩葉の視線は、広場の中でも特に大きな映像へ向かっていた。

そこには、月見ヤチヨが映し出されている。

無数の光に囲まれ、観客へ向かって手を振るヤチヨの周囲には、ほかのライバーとは比べものにならないほど多くの応援の言葉が流れていた。

 

「ヤチヨもライバーなのね」

 

その名前を口にした途端、彩葉の表情が目に見えて明るくなった。

 

「ヤチヨは別格だよ。ツクヨミの管理人でもあるし、ライバーとしても一番人気だから」

 

彩葉は巨大な映像へ一歩近づき、そこに表示されている告知を確認した。ライブの開始時刻と短い紹介映像は、すでに何度も見たものなのだろう。それでも、新しい情報が加わっていないか確かめるように細部まで目を走らせている。

 

「今日見るのも、ヤチヨのライブなのね」

 

「うん。大きな公演じゃなくて、短いライブみたいだけど、こういう告知が急に出ることは珍しいんだよ」

 

彩葉は告知映像の空を指差した。その声は普段よりも僅かに高く、説明するうちに言葉の速度まで上がっていく。

 

「歌う曲も発表されてないし、この空の色が前のライブと少し似てるから、もしかしたら演出にもつながりがあるかもしれなくて。前も、告知に出てたものがそのまま舞台の仕掛けになったことがあったから――」

 

自分がどれほど話しているのかにも気づかず、彩葉は過去のライブと今回の告知映像の共通点を次々と並べていく。

 

輝夜は途中で口を挟まず、その横顔を見つめていた。

彩葉の声は普段よりも弾み、瞳には月明かりや街の光とは異なる輝きが浮かんでいる。

それを不快だとは思わなかった。彩葉が楽しそうにしていることが、素直に嬉しかった。

そして、彩葉をこれほど楽しそうにさせるヤチヨという存在が、実際にはどのようなものなのか、純粋に興味が湧いた。ひとしきり話した後、彩葉は輝夜が黙ったままでいることに気づき、ようやく映像から顔を離した。

 

「輝夜、聞いてた?」

 

「聞いていたわ」

 

輝夜は巨大な画面へ映るヤチヨと、目の前の彩葉を交互に見た。

 

「彩葉がヤチヨのライブを、とても楽しみにしていることは分かったもの」

 

少しだけ不満そうにした彩葉は、先ほど自分が示した告知映像を振り返る。

 

「それだけじゃなくて、曲とか演出の話もしてたんだけど」

 

「それは、実際に見れば分かるのでしょう?」

 

輝夜が悪びれずに首を傾けると、彩葉は反論を探すように口を開きかけ、結局そのまま閉じた。

 

「まあ、そうだけど」

 

輝夜は再びヤチヨの映像へ目を向けた。

 

「なら、早く見てみたいわ。彩葉がそこまで好きなものを、私も知りたいもの」

 

彩葉は一瞬だけ目を丸くした。

輝夜がヤチヨに興味を持ったことが嬉しかったのか、やがて頬を緩め、映像の中のヤチヨへ視線を戻す。

 

「きっと驚くよ。ヤチヨのライブは、映像で見るのと、その場で体験するのとで全然違うから」

 

「楽しみにしているわ」

 

映像の中で笑うヤチヨの顔は、先ほどキャラクタークリエイトの空間で出会った少女と同じだった。そのことを思い出した輝夜は、何気なく口を開く。

 

「そういえば、さっきヤチヨに会ったわ」

 

「さっき?」

 

彩葉が振り向くと、輝夜は光の門があった方向を指した。

 

「キャラクリの場所にいたでしょう。ツクヨミの管理人だと名乗っていたわ」

 

「ああ、チュートリアル版のヤチヨね」

 

彩葉はすぐに納得したように頷いた。彼女にとっては、特別驚くような話ではなかったらしい。

 

「初めてツクヨミへ来た人に説明するためのもの。本物のヤチヨは、これからライブに出る方」

 

輝夜は、水面の上で自分を見つめていたヤチヨの表情を思い出した。

明るく笑い、手を振りながら、この街へ送り出した少女。

案内用だと言われれば、そう見えなくもない。けれど、決められた言葉を繰り返しているだけの存在にしては、あの視線には輝夜自身を見ているような温かさがあった。

 

「肩に、てゐというモフモフもいたわ」

 

「てゐが?」

 

彩葉が急に大きな声を上げたため、近くを歩いていた何人かが振り返った。

周囲の視線に気づいた彩葉は、少し恥ずかしそうに声を落とし、輝夜へ身を寄せる。

 

「本当にいたの?」

 

輝夜は、自分の肩へ手を置き、そこに乗っていた姿を思い出すように指先を動かした。

 

「白くて、丸くて、長い耳があったわ」

 

彩葉は驚いたまま何度か瞬きをした。

 

「てゐはヤチヨと一緒にいるマスコットなんだけど、いつも案内に出るわけじゃないんだよ。最近はあまり姿を見せてなかったのに」

 

「人気者だと言っていたわ」

 

その言葉へ首を傾けた彩葉は、誰が言ったのかを尋ねるように輝夜を見た。

 

「ヤチヨが」

 

答えを聞いた彩葉は一拍置いた後、呆れと可笑しさが混ざったように笑った。

 

「自分で言ったんだ……」

 

彩葉は広場の映像へ映るヤチヨを見上げながら、てゐについて説明を続けた。

 

「幸運をもたらす白兎って呼ばれてるの。人の姿もあるっていわれてるけど、滅多に出てこないから、見られたら幸運になるって噂もあるんだよ」

 

輝夜は自分の手のひらを裏返し、何か変化が起きていないか確かめるように眺めた。

 

「私にはなにも起きていないわ」

 

「まだ会ったばかりでしょう」

 

彩葉が苦笑すると、輝夜は繋いだままの手へ視線を落とした。

 

「彩葉と一緒にツクヨミへ来られたことが幸運という意味なら、てゐに会う前から起きていたものね」

 

特別なことを口にしたつもりもなく、輝夜は思ったままを告げた。

彩葉はすぐには返事をしなかった。繋がれた手を意識したように指を僅かに動かし、それから照れを隠すように広場の映像へ顔を向ける。

 

「……そういうこと、普通の顔で言うんだ」

 

輝夜が不思議そうに顔を覗き込むと、彩葉は視線を合わせないまま、小さく首を横へ振った。

 

「なにか変だった?」

 

「変じゃないけど」

 

彩葉が言葉を濁した、その時だった。

視界の端に小さな時計が現れ、控えめな電子音が鳴った。

事前に設定していた通知を見た彩葉は、先ほどまでの照れた表情を引っ込め、表示された時刻を確認する。

 

「あっ、そろそろライブの時間」

 

彩葉は広場の向こうへ視線を向けた。まだ会場の姿は見えないが、目的地までの経路が淡い光の線となって表示されている。

 

「会場まで少し距離があるから、もう向かわないと」

 

輝夜は、二人が歩いてきた街を振り返った。

巨大な月の下を泳ぐ光の魚。まだ入っていない店。街の外にある紅魔館と白玉楼。すでに終了してしまった二つの異変。見ていない場所も、知らないものも、数え切れないほど残っている。

 

それでも、不満はなかった。

今日だけですべてを見る必要はない。

また彩葉と来ればいいのだから。

 

「準備はいい?」

 

彩葉が尋ねると、輝夜は歩いてきた道から顔を戻した。

そして、差し出されるより先に彩葉の手を握り直す。

 

「ええ」

 

巨大な映像の中で笑うヤチヨへ、もう一度だけ視線を向けた。

 

「彩葉がそこまで好きなヤチヨが、どれほどのものなのか見せてもらうわ」

 

彩葉の好きなものを知りたい。

それを見ている時の彩葉を、もっと近くで見てみたい。

そんな純粋な興味を胸に抱きながら、輝夜は彩葉の手を握ったまま、その先に待つライブへ意識を向けた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。