これは、なんだかすごいことになった。
一文無しで途方に暮れながら、彼女の心中はそんな言葉で埋め尽くされていた。
視線を上げれば、目に映るのは映画の中でしか見たことのない、中世を思わせる街並みだ。石造りの建物が並び、見慣れない服装の人々が行き交っていて、その中にはケモ耳を生やした亜人や、いわゆるドワーフを思わせる小柄な人々の姿まであった。
ここまでくると、もはや異世界召喚は否定できないだろう。
――だが、そんなことすら今の私には些事でしかない。
上げていた視線を再び落とす。眼下にあるのは町を流れる川の水面で、そこにはぼんやりと自分の姿が映り込んでいる。
後ろでポニーテールにまとめられた、燃えるような赤髪。宝石の如く澄んだ青い瞳。陶器を思わせる滑らかな肌。いいとこを上げればキリの無い絶世の美女――元の自分とかけ離れた姿に、確信した。
「……これはつまり、異世界憑依ものってこと!?」
驚愕に目を見開く顔も、やっぱりこの世の可愛さではなかった。
※ ※ ※ ※ ※ ※
「うわっ、声も可愛い!!」
自分の喉から出てきた声が、あまりにも可愛くてまたビビる。粒立ちの全くない、滑らかで、ちょっと幼めの声。
それに驚いた声もさらに可愛くて、このままだとキュートボイスの無限ループが発生しかねないのだけれど、それは止めておいた。
なにせ突然の異世界召喚に加え憑依物だ。成り代わり? 転生? 他にも色々いい方はあるかもしれないけど、そちらも一旦置いておこう。
「普通に意味が分からないんだよねー。急に異世界とか言われても」
何故自分がこんな事態になってしまったのか、顎に手を添え、暫しの思考。
憑依物なら、遊んでいた乙女ゲーの悪役令嬢になってしまうとかが一般的なはずだが、あいにくこんな本格ファンタジーな世界観に覚えはない。
そう言えば、世界観の把握のついでに、現地民のコミュニケーションの可否と、物の価値観の認識についても確認済みだ。幸い言葉は無事に通じたし、こっちの世界でもこの顔がとびきり美人らしいのは確認できた。美人過ぎて途中からナンパしかされなくなったので中断し、今は裏路地に隠れているが。
ともあれ――、
「もうちょっと説明をくれないと、ゆとりゲーマーの私は満足できないよ?」
置かれた状況と、美貌に見合わぬ初期装備を鑑みてそんな弱音が漏れ出す。
自分の身に着けていた服は、あまり可愛くない黒一色のロングコートだ。フードがついていたからナンパ避けに顔を隠すのには役立ったけど、可愛くない。大事なことなので二度言う。
そして何よりの説明不足。この赤毛キャラの名前も分からなければ、私に破局を突き付ける王子さまも不在。二次元世界ならあり得ない職務怠慢だ。
「うー、動き回ったら少しお腹すいてきたし、お家帰りたい……」
ちらと両親の姿が脳裏をよぎったが、ホームシックを患っている余裕もない。とにかくまずはこの場をどうにかせねば、と彼女は立ち上がって大通りに目を向けようとして、
「――う、わっと!」
後ろから肩を思い切り掴まれて、身体が引きずり戻された。
たたらを踏みながら振り返れば、路地へと自分を投げ込んだのは見上げるほど大柄な男だ。男は背後に二人の仲間を連れており、男たちは路地を塞ぐように立ち位置を移動する。
その手慣れた動きに嫌な予感。
「ええっと……いったいなんのおつもりなのかお聞きしても?」
「立場わかってるみたいじゃねえか。まあ、出すもん出しゃあ痛ぇ思いはしねえよ」
「あー、やっぱりそういう感じ……王子様はいつまでたってもこないくせに、こういうイベはあるんだ」
「あぁ?」
侮蔑と嘲笑まじりの視線。男たちは二十代そこそこで、内面の卑しさが薄汚い身なりと顔にそのまま表れている。亜人っぽくはないが、善人もあり得ない。
わりとこの手の展開でありがちな日常的な脅威。チンピラとの遭遇。つまり、
「やばい、強制イベント発生かも」
2
薄笑いを浮かべる男たちに、愛想笑いで場を持たせながら少女は思考する。
ピンチな状況だが、古来より異世界に招かれた人間は頂上の力を発揮するのがお約束。そもそも私の体じゃないのだし、赤毛キャラの方が元から強い可能性も十分ある。そう考えると、体が軽い気がしてきた。
「なんか重力が元の世界の十分の一とかそんな気がしてきた。いける、いけるぞ! 体育万年赤点で、教師に死んだアルパカと言われてた私でも!」
「なーんかぶつぶつ言ってるぜ、こいつ」
「何言ってんのか分かんねえけど、俺らを馬鹿にしてるのは分かった。ぶち殺す!」
「それはこっちのセリフじゃい! 後悔させたらーよ!」
先手必勝。言い切って、まずは戦闘の大柄な男に渾身の右ストレート的な何かを放った。
そして、不意を打たれて目を見開く三人組、その先頭の相手の鼻面に、少女の拳が叩き付けられ――、
「――ッ! やってくれたじゃねえか、テメエ」
「あれ? そんな感じ?」
拳を易々と鼻で受け止めて、僅かに仰け反った相手の目が怒りに燃える。
おまけに、殴った自分の手もめちゃくちゃ痛くて、むしろそっちの痛みの方で涙目になりそうな塩梅だ。
しかし、そんなのは私を襲う悲劇の序章に過ぎなかった。
「おい、こいつを押さえろ! 本気でぶちのめしてやる!」
「え、ちょ、うわわ!? 待った待った! 思ってたのと違う!」
殴られた一人の指示で、残りの二人――小柄と大柄の二人が腕を伸ばし、あっという間に囚われの身に、壁に押し付けられてしまう。
何とか身じろぎするも、二人がかりで押さえ込まれてびくともしない。
「そのフードも気に入らねえ、喧嘩してんだから顔食らい見せろや!」
「喧嘩じゃないです! 一方的に絡まれただけです!!」
「うるせえ!」
そして、恐れていた事態――顔を深々隠していたフードも、漢にはぎ取られてしまった。
「お?」
瞬間、赤髪碧眼美少女の顔が再び白日の下になり、男たちが揃って声を漏らす。
この、こちらを見る浮ついた視線。これを恐れていたのだ。お日様の下を歩いているだけで声をかけられまくった、この美貌。
あまり想像したくはないが――そっち系の展開になることだって考えられる。
「おい、赤毛と青い目、こいつってもしや……」
「んなわけねえだろ、弱ぇし。だが、それなりに珍しい外見なのは確かだ。こいつは想像以上の掘り出しもんかもな」
ほら、なんか私の顔が想像以上だとか言ってるし。きっとあまりの美少女ぶりにキョドり始めているに違いない。
この顔に毒気が抜かれて、気が変わってくれたりしないかな。
そんな風に願ってみたのだが、どうやら話し合いを終えたらしい大柄男はこちらに向き直って、
「一発ぶん殴ってくれた礼だ、お前は奴隷商に売りつけてやるよ。せいぜい余生を楽しむんだな」
「……え?」
――予想外の宣言に、一瞬、息が止まった。
「ちょ、ちょっと待ってよ! 一文無しだけど、服でも履物でもなんでもあげるから!」
「最初はそのつもりだったがな。お前がそれ以上に高く売れそうなんで、そっちは勘弁しといたらぁ」
遅れて、徐々に現状が本気でヤバいことを理解し始め、背筋に冷たいものが走った。
奴隷として売られる? 冗談ではない。それこそ聞きかじった程度の知識しかないが、この場で追いはぎに遭うより、何倍も悲惨な目にあうのは容易く想像できる。
今更本気で抵抗してみるが、男達も先にもまして力を込めてきた。大声を出してやろうともしたが、それも口を塞がれて不発に終わった。
怖い。異世界舐めてた。
たとえ現代日本でも、位や道は気を付けろと口酸っぱく言われているのに、なんという危機意識の低さか。
心臓がうるさいくらいに鼓動し、目からは涙がこぼれてくる。
自分が親不孝者の自覚はあったし、それはそれで死にたくなる情けなさだったが、ちょっとこの方向で親不孝を重ねるのは予想外だった。
いくつになっても家を出ていかず、両親に自分たちの老後の心配をかける。
予想していたのはその方向だ。――否、その方向をしっかりとイメージしたのも今が初めてだったので、そうならなくてむしろマシだった気さえしてくる。
いっそ、自分がいなくなったあと、仲睦まじい両親が幸せに暮らしてくれれば――、
「――う?」
と、そんな益体のない思考を繰り返していた自分の視界に――不意に、それは移った。
少女の左側の足を抑える役割を担っている、銀髪の男。その男の腰にぶら下げられていたのは、金属製の短いナイフだ。
それが、光に反射して、見えた。
「……あ、れ?」
それを見て、少女はふと場違いな感想を抱く。
普通こんな状況で武装されたナイフを見れば、浮かぶのは更なる恐怖や絶望だろう。
でも、そのとき私は、確かにこう感じたのだ。
「なんか三人とも、隙だらけだな?」
――と、そんな場違いな感想を。
3
「……勝てちゃった」
次に言葉を発することが出来たのは、路地裏を抜けて暫くしてからだった。
あ……ありのまま、今、起こったことを話すぜ!
私は今、異世界の恐ろしさというものをほんのちょっぴしだが体験した。奴隷がどうとか言われた時は冗談抜きに涙が出たし、必死に抵抗してみたけど無駄だった。
そして私は、気づけば奴らに勝利を収めていた。
な、何を言っているのか分からねーと思うが、私も何をしたのかよく分かっていない。頭がどうにかなりそうだった。
火事場の馬鹿力とかオーバークロックだとか、そんなチャチなもんじゃあ断じてねえ……。もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ。
などと、語ってみたわけだが――、
「あ、危なかったあああぁぁぁ……!」
今更ながら、自分が窮地を脱したのだと、安堵でその場に崩れ落ちた。
怖かった。もう本当に怖かった。あれだ。異世界だからって浮かれすぎるとろくな目に遭わない。
「というか、ちゃんとチート能力あるんじゃん!」
と、懐から取り出したナイフに向けて声を荒げる。
因みにナイフは、今後の護身用になるかもと、さっきの銀髪男から拝借したものだ。二つ持っていたし、先に私を売ろうとしたのは相手なので、片っぽ貰っても別に文句あるまい。
「このナイフが伝説級のアイテム……ってことはなさそうだし、やっぱり私の力だよね」
そして、先ほど起こった出来事を自分なりにかみ砕いてみる。
先刻、私は男たちに取り押さえられ絶体絶命のピンチだった。でも、ナイフを見た途端、何故か急に恐怖が消えたのだ。
震えは止まり、むしろ何故こんな者たちを恐れなければならないのかという傲慢さえ湧いてきた。
もちろん、傲慢になっただけでは勝てない。自分より筋力のある三人組の拘束から、どうやって脱出したのかと言えば――体捌き? のようなものだ。
正しいタイミングで、正しい角度で、正しい力で体を動かせば拘束は容易に脱することが出来る。
そっから先はもうずどーんよ!
ナイフを奪って滅多打ち。流石に切るのは怖かったので、柄でボコボコ殴るだけに留めておいたけれど。
「……もしかして、この体の持ち主って、剣士とかだったのかな?」
ふと、そんなことを考えてみる。
ナイフを見た途端に力が湧いてきたことを鑑みると、妥当な推測ではないだろうか。
通りには剣を持った人もちらほらいるし、この世界じゃ傭兵や騎士などの職業があってもおかしくない。
「よし、赤毛美少女のログを一個解禁したぞぉ!」
色々と苦難はしたが、終わってみればゲーム攻略は順調と言える。
きっと、キャラについての説明がないのも含めてシナリオで、色んな場所を巡って記憶を解放していくのが醍醐味に違いない。
先ほどまでの恐怖はどこへやら、異世界への夢がどんどん膨らんでいった。
「私の予想だと、凄いスキルを持った私を恐れた第一王女が、上手いこと私の記憶を消して国から追放したとかだと思うな~。それか、崖から突き落とされて記憶を失ったって線もある。それなら、私が生きてると知って刺客を送り込んできたり?」
自分で言っていて、あまり明るい未来は待っていなさそうな気もしてきたが、まあいい。
今はただ、異世界で美少女キャラに憑依し、無事にチートスキルも判明した現状を楽しもう。
「待ってろよ憎き私の義姉! 今から王座を取り戻しにいったるからね!」
当面の目標を設定し、その場で腰を捻って一回転。指を空高く突き上げてみせた――その時だ。
「すまない、君、ちょっといいか!」
「ん?」
ふと、私にも負けないくらいの美声が、耳を撫でた。
声に応じて振り返ると、そこにいたのは同い年くらいに見える、一人の青年。遠くから走ってきたのだろうか。息を少し切らしているのが分かる。
そしてこちらを見る彼の顔に、私はなんとなく状況を理解した。
「……あ~、フード被ってなかったや」
路地裏で男に捲られたフードがそのままで、また顔を晒してしまっていた。つまり、顔を見て寄ってきたこの男もまた、ナンパ野郎なのだろう。
それどころか、今や顔で売られそうになった女にグレードアップだ。この人には申し訳ないが、今、男の相手をするのはちょっと怖い。
「ごめんなさい、今急いでるので……」
「なっ!? 頼む、待ってほしい!!」
踵を返してその場を立ち去ろうとすると、青年に慌てて腕を掴まれた。少ししつこい手合いだ。
手が離されないまま、数秒が経過する。場合によっては再びナイフを――と、そう考え始めていた、その時だ。
「君はひょっとして――アーデルハイトじゃないか?」
「……アーデル?」
男が何か、意味不明なことを口にした。
「私の名前は、ユリウス・ユークリウス。君は私のことを、覚えていないだろうか?」
そう零す彼の声は少し震えていて、思わず視線を顔に移す。
ユリウス。そう名乗ったのは、紫色の髪を丁寧にセットした青年だった。身長は百八十センチ前後だろうか。体つきは細身だが弱々しい印象はなく、しなやかと形容すべき色男。異性を魅惑する琥珀色の瞳が、その色気を増大させている。
――それは、正しくチュートリアルの終了を告げていた。
ここから先、見知らぬ誰かさんが憑依した自分は、知っていくことになる。
この世界は自分の想像みたいな生易しい場所ではなく、この体の持ち主もまた、過酷な運命を背負った者であるのだということを。
これは、異世界に入り込んだ異物が、異物として正しく役割を終える――ただ、それだけの物語だ。
ふと思いついて投稿。構想から完成まで雑に一時間くらいでできた突貫工事だし、オリ主も初めて書いたから、雑な部分は大目に見てくれると嬉しい。
特にプロットとかもないのでどこまで続くかは不明です。面白かったらコメントくれるとやる気が出ます!