(十二月二日〜二十五日/温水視点)
十二月二日、火曜日の朝は、今年いちばんの冷え込みだった。
天気予報が「真冬並み」と言った日である。
俺は、玄関のフックから、緑のマフラーを取った。
毛玉が、たぶん百個くらいついている。
端のところが、少しほつれている。
高校のとき、もらったものである。
もらってから、冬になると出してくる。
理由は、あたたかいからである。
他に理由はない。
……ないことにしている。
八時二十五分、島に着いた。
「おはようございます」
「おはようござ――」
馬剃さんの挨拶が、途中で止まった。
止まった視線の先は、俺の首元だった。
俺は、コートを脱ぎながら、マフラーをほどいた。
ほどいてから、気づいた。
――あ。
緑である。
この人が入職したのは、四月である。
俺が最後にこれを巻いたのは、三月である。
つまり、この人がこれを見るのは、高校の卒業以来だった。
馬剃さんは、動かなかった。
目が、マフラーにあった。
それから、目だけが上がって、俺の顔に来た。
そして、また下がった。
三往復くらいした。
「……馬剃さん?」
「…………」
「どうしました」
「……いえ」
彼女は、それだけ言って、画面に向き直った。
向き直った姿勢のまま、手が、キーボードの上で止まっていた。
十秒くらい、止まっていた。
「……今日は、冷えますね」
やがて、彼女は画面を見たまま、そう言った。
「冷えますね」
「マフラーが、要る季節です」
「要りますね」
主語のない会話が、二往復した。
主語は、俺の椅子の背に掛かっている。
毛玉百個の主語である。
俺は、そこで、何か言うべきだった気がする。
「これ、まだ持ってます」か。
今さら、それを言うのか。
あるいは、「あの日の言葉、台本だったけど、台本どおりになりました」か。
今さら、なんの報告だ。
報告するタイミングとしても、朝の始業前は、最悪の部類だと思う。
沈黙を破ったのは、出勤してきた大貫だった。
「うー、寒い! あ、温水さん、そのマフラー、年季入ってますね!」
「……まあな」
「物持ちいいなあ。何年物ですか、それ」
「さあな」
「さあって。自分のことでしょ」
「さあな」
隣の席で、ペンの音が止まっているのが、見なくても分かった。
結局、それ以上は何も言わないまま、朝礼が始まった。
言えばよかった、という気持ちだけが、マフラーと一緒に、椅子の背に掛かったままになった。
ちなみに午前中、脳内で「あのマフラー、まだ使ってて」と切り出す練習を三回した。
三回とも、脳内の馬剃さんに「主語と目的語を整理してからどうぞ」と差し戻された。
脳内ですら決裁が通らない案件を、現実に出せるわけがないのである。
その週から、馬剃さんに、小さな変化があった。
定時で帰るのである。
十二月の入試広報課で、である。
「温水さん、気づいてます?」
十二月十二日、金曜日。
大貫が、声をひそめて言った。
「馬剃さん、今週ずっと十七時十五分ぴったり上がりですよ。あの馬剃さんが」
「仕事が早く終わってるんだろ」
「終わってないですよ、十二月ですよ? 絶対なんかあります」
「詮索するな」
「習い事とか始めたんですかね。それとも――」
「詮索するな」
「俺の推理では、料理教室です」
「するなと言ってるだろ」
「根拠あるんですよ。馬剃さんの指、絆創膏貼ってあったの見ました? あれ、包丁ですって」
「……詮索するな」
「第二の推理は、ボルダリングです」
「根拠は」
「指先の絆創膏!」
「お前の推理、指先しか見てないだろ」
「指先は口ほどに物を言うんですよ」
「言わない。あと詮索するな」
四回言った。
推理は外れている気がしたが、観察だけは正しいのが、この男の厄介なところである。
その日の十七時十五分、馬剃さんは今日も定時で立ち上がった。
「お先に、失礼します」
「お疲れさまでーす。……温水さん、馬剃さんが先に帰るの、俺まだ慣れないっす」
「慣れろ」
「慣れますけど。なんか、シーズン二って感じしません?」
「しない」
二回言ったが、俺も、気にはなっていた。
気になっていた理由は、もう一つある。
その日の昼、書類を受け渡すときに、彼女の左手の指先に、絆創膏が二枚、貼ってあったのだ。
「怪我、したんですか」
「紙で切りました」
短かった。
この人の返事は、本当に隠したいことがあるときだけ、短くなる。
紙で二枚は、切らないだろう、とは言わなかった。
言わない話は、島に、静かに積もっていく。
「温水さんって、誕生日いつなんですか」
「なんでだ」
「いや、なんとなくです。年末だし」
十二月十九日、金曜日、十七時。
「教える理由がない」
「えー。あ、でも俺、知ってる気がするんですよな。去年の忘年会で言ってましたよね」
「言ってない」
「言いました。『クリスマスが誕生日だと、世間がケーキを値上げしてくる』って」
「……」
「あと『クリスマスケーキと誕生日ケーキの兼用は、経費の二重計上に似ている』とも」
「……言ったかもしれん」
「言いました。俺、名言だと思ってメモしたんで」
酒の席の発言は、翌年の十二月に回収される。
会計と同じで、記録は残るのである。
「てことは温水さん、二十五日じゃないですか! クリスマス誕生日! 実質主人公ですよ!」
「実質もなにも、ただの木曜だ」
「じゃあ今年は、盛大にやりましょうよ!」
「するか。誕生日は、静かに通過するのが正しい」
「通過って、駅みたいに言いますね」
視界の端で、隣の席の手が動いた。
馬剃さんが、手帳を開いて、何かを書いている。
書き終えて、少しだけページを睨んで、それから何事もなかったように画面に戻った。
……いや、今、何を書いた。
聞かなかった。
聞くと、たぶん「業務メモです」と返ってきて、それ以上は進まないのである。
十二月二十五日、木曜日、十七時四十分。
窓の外は、もう真っ暗だった。
昨日、三枚の紙で、三か月を渡した。
今日はその引き継ぎの初日で、オープンキャンパスの企画部分を、一日かけて口頭で埋めた。
渡したものの重さは、渡した俺が一番わかっている。
わかっているから、夕方の島は、いつもより少しだけ静かだった。
「よし! 俺、あがります!」
静けさを破ったのは、当然、大貫だった。
「早いな」
「クリスマスなんで!」
「予定あるのか」
「ないですけど!? 夜は半額のケーキを狩りに行くだけですけど!?」
「何号だ」
「五号です! 半額なら六号もありです!」
「計画的だな。気をつけて帰れ」
「温水さんも、その、あの。……誕生日、おめでとうございます! 言えた! じゃ!」
言うだけ言って、走っていった。
言えた、じゃないんだよ、と思ったが、悪い気はしなかった。
島には、俺と馬剃さんだけが残った。
俺が帰り支度を始めたタイミングで、隣の椅子が回った。
「温水さん」
「うん」
「お渡しするものが、あります」
馬剃さんが、机の下から、四角い紙袋を出した。
白い紙袋で、持ち手のところが、きっちり揃えて折られている。
「……えっと」
「お誕生日と、伺いましたので」
「聞いてたんだ、金曜の」
「聞こえていました。島ですので」
島ですので、は便利な言葉である。
彼女は紙袋を両手で持って、それから、姿勢を正した。
「お渡しする前に、申告があります」
「申告」
「二千八百円です」
「……なんの金額?」
「材料費のです」
「初めて見たよ、贈り物の値段を先に言う人」
「正式な手続きですっ! 何がおかしいんですか!」
「笑ってないよ」
「口元が笑っていますっ!」
彼女の抗議は、高校のときと同じ角度で飛んでくる。
「材料費」
物品費ではなく、材料費と言った。
「開けても、いい?」
「どうぞ。……あの、できれば、その場で」
「その場で?」
「感想を、その場で伺いたいので」
正直な要求だった。
正直すぎて、断れる人間はいないと思う。
材料費、の意味は、開けてから分かった。
――手編みのマフラー。
これがギャルゲーなら、個別ルート確定の証である。エンディング目前の重要アイテムである。
確定していない。
ここは職場で、今日はただの誕生日で、これは材料費二千八百円の申告案件である。
深呼吸を一つして、俺は袋を開けた。
紙袋の中は、白い箱で、箱の中の薄紙まで、きっちり折り畳まれていた。
薄紙をめくる俺の手を、彼女がじっと見ていた。
検品される側の気持ちが、開ける前から少しわかった。
薄紙を開くと、緑が出てきた。
マフラーだった。
新しい、緑のマフラーである。
編み目が、端から端まで、定規で測ったようにそろっている。
手に取ると、見た目より重くて、見た目よりやわらかかった。
「……これ」
「編みました」
即答だった。
即答してから、彼女の耳が、ゆっくり赤くなった。
「編んだの? これ」
「編みました。十二月に入ってから、一日六段と決めて」
「六段」
「工程管理をしました」
「そもそも編み物、できたんだ」
「できませんでした」
「え」
「十一月末に、教本を三冊買いました」
「三冊」
「一冊目で基礎、二冊目で応用、三冊目で答え合わせです」
「教本に答え合わせって概念、あるの?」
「私の運用です。特に三冊目は、装丁が尊……堅牢でした」
「いま、尊いって言いかけた?」
「言ってませんっ!」
「言いかけたって」
「堅牢と言いましたっ! 最初から堅牢ですっ!」
「うん」
声量で押し切られた。
声量で押し切るのも、高校のときと同じ工法である。
教本の装丁に尊さを見出す読書歴については、掘らないのが島の平和である。
独学まで、様式が決まっている。
できなかったことを、一か月で、この完成度まで持ってきたわけである。
指先の絆創膏二枚の出所も、つまり、そういうことだった。
マフラーに工程管理をした人を、俺は初めて見た。
定時退勤の謎と、指先の絆創膏の謎が、この瞬間、一度に解けた。
解けた答えを、俺はしばらく、手の上で見ていた。
「色は」
彼女が、先に言った。
「高校のときのものと、同じ色を探しました。……完全一致は、廃番でした」
「廃番」
「これは、近似色です。彩度が、二段階ほど落ち着いています。申し訳ありません」
「謝るとこ? そこ」
「一致しなかったんですっ! ……悔しいじゃないですか、二段階も」
言ってから、彼女ははっとして、咳払いを一つした。
「訂正します。一致しなかったので、報告しました」
訂正しても、悔しさは記録に残ってしまった。
「長さも、ちょうどいいね」
「百六十センチです。前のものと、同じ長さにしました」
「測ったの? あれ」
「目測です」
「またそれ」
「私の目測は正確ですっ! 現に、合っているでしょう!」
勝ち誇った。
「勝ち誇らないでよ」
「勝ちましたので!」
正確だった。
反論の材料が、首元にあるので、こちらの負けである。
高校時代の毛糸の品番を探した人が、ここにいる。
探して、廃番を確認して、近似色で妥協して、その妥協を謝罪している。
俺は、何から言えばいいのか、分からなくなった。
分からないまま、一番手前にあった言葉が出た。
「……いいの? もらって。これ、その」
「お誕生日ですので」
「いや、そうなんだけど。手間が、その、二千八百円どころじゃ」
「手間は、申告の対象外です」
対象外らしい。
この人の会計基準では、手間は計上されないのである。
されないだけで、消えるわけではないのだが。
「それと、一つ、申し上げておきます」
馬剃さんは、そこで、俺の椅子の背を見た。
今日も掛かっている、毛玉百個の緑を、である。
「古いほうを、捨てろとは申しません」
「……」
「むしろ」
彼女は、一度、言葉を切った。
「捨てたら、怒ります」
静かな声だった。
静かな声のまま、目だけが、真剣だった。
「……捨てないよ」
「確認しました」
手帳が、すっと出て、一行書かれた。
『捨てない。確認済』だと思う。
書くことか、それは。
書くことなのだろう、この人には。
「その上で、ご相談があります」
「うん」
「古いほうを、回収させてください」
「回収」
「修繕します。ほつれと、毛玉と、直せるところを直して、返却します」
「返却して、それから」
「現役に、戻します」
捨てない、の最上級が来た。
「預かり期間は、年末年始を挟んで、一月中旬までです」
「……分かった。頼みます」
俺は、椅子の背から古い緑を取って、渡した。
彼女はそれを、両手で受け取って、白い紙袋に、丁寧に畳んで入れた。
二千八百円の新品が俺に来て、十六年物が彼女に行く。
等価交換にしては、向こうの荷のほうが、重い気がする。
俺は、新しいマフラーを、もう一度手の上で広げた。
緑の近似色は、電灯の下で、高校のときより少しだけ深い色をしていた。
いまの俺の首に、たぶん、合う色である。
そして、言うなら、今しかなかった。
朝の始業前でもなく、高校の卒業式でもなく、今である。
「馬剃さん」
「はい」
「高校のとき、これをもらった日、俺、ちゃんとお礼言ったよね」
「……言われました。過剰なほど」
「あれ、妹仕込みの台本だったんだ」
「台本っ!?」
彼女の声が、夜の島に響いた。
「『すごく暖かいよ、ありがとう』も」
「言われましたっ」
「『これを見るたびに思いだして大切にするね』も」
「い、言われましたっ! 一言一句っ! あれで私がどれだけ……っ、台本だったんですかっ!?」
「台本だった。妹に前日、叩きこまれた」
「妹さんっ……!」
彼女は、拳を握って、震えた。
十六年前の被害を、いま追認された人の震えである。
「で、ここからが本題なんだけど」
俺は、椅子の背の、毛玉百個を見た。
「台本どおりに、なった」
彼女が、動かなくなった。
「見るたびに思いだして、大切にした。十六年。……台本を書いた妹も、たぶんそこまでは想定してない」
「……」
「その報告を、ずっとしないできた。あたたかかったから使ってる、ってことにして」
彼女は、動かないまま、三秒たって、目元だけが下を向いた。
「……遅いです」
「うん」
「報告が、高校から数えて、十六年遅いですっ」
「うん」
「でも」
顔が上がった。
目のふちが、少しだけ赤かった。
「受理します」
受理、と言った。
十六年遅れの報告を受理する制度を、この人は今、作った。
作った制度の第一号が、俺である。
俺が黙って見ていると、彼女の目元の赤が、耳まで広がった。
「な、なんですかその顔は!」
「どんな顔」
「じっと見る顔ですっ! やめてくださいっ」
「見るよ、それは」
「やめてくださいっ!」
制度を作った直後に崩れるのも、この人の様式である。
「……気づいてたんだよね、これのこと。今月の頭から」
「存じております、ではなく……はい。十二月二日に、拝見しました」
「やっぱり」
「毛玉の数まで、数えそうになりました」
数えなかったのか、と聞きかけて、やめた。
数えなかったのではなく、数えられなかったのだと思う。
あの朝の、十秒止まった手を、俺は覚えている。
「……私も、一つ、言っていないことがありました」
「はい」
「高校のときの、自分の買い物を」
彼女は、椅子の背の毛玉百個を、もう一度見た。
「今日、はじめて、正解だったと思いました」
高校時代の買い物の決裁が、いま、下りた。
決裁者は、本人である。
下りるまで十六年かかる決裁も、世の中にはあるらしい。
「本当は、仕事納めにお渡しする予定でした」
彼女は、紙袋を畳みながら言った。
「金曜に、お誕生日と伺ったので。……四日、前倒しました」
「工程管理を」
「前倒しは、得意です」
省で実証済みなのだと思う。
実証のされ方は、今日は、心配しないことにした。
帰り支度を終えて、二人で島の電気を消した。
玄関を出ると、外は冷えていた。
息が白い。
俺は、新しいマフラーを、その場で巻いた。
編み目が、首に、まっすぐ触れた。
「……巻き方が、緩いです。左が」
「え」
彼女の手が、一瞬だけ伸びかけて、止まって、引っ込んだ。
「……ご自分で、直してください。左を、一巻きぶん」
「うん」
直した。
「どう?」
「……右も、半巻きぶん、詰めてください」
「厳しくない?」
「出荷基準ですっ!」
「基準書、あるの?」
「いま作っていますっ! 文句があるなら完成後に受け付けます!」
「受付があるんだ」
「ありますっ!」
直した。
「どう?」
「合格です」
検品に通った。
「お手入れですが、洗濯は手洗いです。中性洗剤で」
「うん」
「陰干しです。ハンガーには掛けず、平干しで」
「うん」
「詳細は、あとで取扱説明をメールします」
「マフラーの取説がメールで届くの、人類初だと思うよ」
「二人目がいたら教えてくださいっ! 参考にしますので!」
「怒るとこ? 今の」
「怒っていませんっ!」
怒っていた。
怒りながら、口元だけは、ずっとゆるんでいたのだが。
編み手の検品は、たぶん、これから毎冬ある。
毎冬、と考えて、俺は自分の思考の射程に、少しだけ驚いた。
「では、温水さん」
正門のところで、彼女は立ち止まった。
「明日も、引き継ぎの続きです。よろしくお願いします」
「うん。よろしく」
「それと、お誕生日、おめでとうございます。……申し上げる順番が、また最後になりました」
「申告と検品が先だったからね」
「手順に、問題がありました」
「なかったよ。今日の手順は、全部正しかった」
彼女は、瞬きを二回して、それから三十度より深い礼をした。
「お気をつけて、お帰りください」
駅までの分かれ道で、もう一度会釈をして、俺たちは別々の夜に入った。
首元が、あたたかかった。
高校の冬から、ずっとそうである。
今夜から、あたたかさの形が、新しくなった。
アパートに帰って、俺は玄関のフックに、新しい緑を掛けた。
フックの隣は、今夜から、空いている。
十六年ぶりの、空席である。
空席の主は、いま、修繕のために、編み手の家にいる。
外の仕事は明日から新しいほうに引き継ぎ、古いほうは、直って帰ってくる。
引き継ぎ、という言葉が、今年は俺の周りで大流行である。
スマートフォンが鳴った。
佳樹からだった。
『お兄様、お誕生日おめでとうございます。半額のケーキは確保されました?』
『買ってない』
『二十五日の夜だけの特権ですのに』
『戦場に行く元気がなかった』
『不戦敗という言葉がございます。お母様が、今年こそお正月は帰ってきなさいと』
『帰るよ。三十日に』
『…………』
『どうした』
『いえ。歴史的事件ですので、日記に書いておきます』
『大げさだ』
『では、何年ぶりかご自分でおっしゃれますか?』
『……』
『逃げましたね、お兄様』
数えると負ける気がするので、数えていないのである。
『ところでお兄様、何かいいことがありました?』
画面の前で、俺は少し止まった。
『なんでだ』
『文面のご機嫌がよろしいので』
妹というのは、文面で機嫌を読んでくる。
丁寧語で読んでくるぶん、余計に恐ろしい生き物である。
『気のせいだ』
『さようですか。よいお年を、お兄様』
俺はスマートフォンを置いて、もう一度、玄関の二本を見た。
十二月二十五日である。
高校のとき、彼女がくれたのは、二十四日の橋の上だった。
誕生日の、前日である。
前日にもらったものを、誕生日から使いはじめて、十六年。
十六年後の誕生日当日に、新しいのをもらった。
日付が一日ずれて、隣り合って、続いている。
あのあたりの日付は、どうやら、俺とマフラーの季節であるらしい。
翌朝、引き継ぎ二日目の島で、大貫が俺を二度見した。
「温水さん、マフラー新しくないですか!?」
「……買った」
「どこでですか! その緑、いい色ですね」
「非公開だ」
「役所か!」
「元、じゃなくて、ただの非公開だ」
「えー。あ、もしかして、彼女さんとかから」
「大貫」
「はい」
「今日の引き継ぎ、お前の担当分から始めるぞ」
「話そらした! 今、あからさまにそらしましたよね!?」
「始めるぞ」
隣の席で、キーボードの音が、〇・五秒だけ止まった。
止まって、何事もなかったように、再開した。
再開した横顔の口元が、少しだけ動いた気がしたが、確認はできなかった。
言わない話が、また一つ増えた。
増えるばかりの九か月だが、不思議と、首元は軽いのである。