大学職員の僕たち   作:房吉

40 / 44
~27敗目~ 待人の項

(一月四日/温水視点)

 

「温水さん。一件、私的な要望があります」

 

 一月四日、日曜日、十六時二十分。

 

 東京駅の八重洲口を出たところで、彼女が立ち止まった。

 

 豊橋発のこだまで四時間。

 

 同じ席に四時間座っていた人の第一声が、要望だった。

 

「私的な要望」

 

「はい。業務ではありませんので、断っていただいて構いません」

 

「聞くよ」

 

「……は、初詣に、まだ行っていません」

 

 言ってから、彼女は少し早口になった。

 

「じ、実家の近くの神社は、三が日は混みますし、母と行くと三十分ほど長話が発生しますし、それに、そ、その」

 

「行ってないんだ、結局」

 

「行っていませんっ」

 

 四時間の車中で、この人は、この一件を切り出す機会を探していたらしい。

 

 探していた形跡が、要望の前置きの長さに残っていた。

 

「どこか、行きたいところある?」

 

「……あ、あります。三案」

 

「三案あるんだ」

 

「一案、明治神宮。混雑が予想されます。二案、地元の氏神様。所要時間、三十分。三案」

 

 彼女は、そこで一度、息を吸った。

 

「……通勤の途中にある、小さい神社です。毎日、電車から見えるのに、入ったことがありません」

 

「三案で」

 

「そ、即決ですね」

 

「一番、行きたそうだったから」

 

「……っ、か、顔に出ていましたかっ」

 

「三案目だけ、説明が長かった」

 

 説明の長さが、優先順位である。

 

 この一年で覚えた、彼女の読み方の一つだった。

 

 

 

 

 その神社は、駅から歩いて七分の、住宅街の中にあった。

 

 鳥居は小さく、参道は五十歩ほどで終わる。

 

 三が日を過ぎた夕方の境内は、人がまばらだった。

 

 屋台が二つだけ残っていて、片方はもう店じまいを始めている。

 

「思ったより、小さいですね」

 

「毎日見てたのに?」

 

「電車からは、屋根しか見えないんです。……屋根から想像していた規模と、実際が違いました」

 

「がっかりした?」

 

「いいえ」

 

 彼女は、鳥居を見上げた。

 

「想像より、静かでした。……こちらのほうが、いいです」

 

 鳥居をくぐる前に、彼女は一礼した。

 

 角度は、三十度である。

 

 仕事のときと同じ角度で、神社にも礼をする人だった。

 

 

 

 

 賽銭箱の前で、事件が起きた。

 

 彼女が財布を開いて、動かなくなったのである。

 

「どうしたの」

 

「……き、金額を、検討しています」

 

「五円でいいんじゃない」

 

「ご、五円は、ご縁の語呂です。ですが」

 

 彼女は、真剣な顔で財布の中を見ていた。

 

「四十五円は、始終ご縁。十五円は、十分ご縁。……語呂で選ぶのは、様式として正しいのでしょうか」

 

「正しいと思うよ」

 

「こ、根拠は」

 

「みんなやってるから」

 

「こ、根拠が弱いですっ」

 

「初詣の根拠、そんなに強いもの求める?」

 

「求めますっ。……い、いえ」

 

 彼女は、そこで一度、口を閉じた。

 

 閉じて、財布から五円玉を一枚、取り出した。

 

「五円にします」

 

「語呂で選んだね」

 

「せ、選びました。……本日は、根拠より、願いを優先しますっ」

 

 優先された願いの中身を、俺は聞かなかった。

 

 聞かなくても、いいのである。

 

 賽銭が落ちる音のあと、彼女は目を閉じて、ずいぶん長く手を合わせていた。

 

 三十秒はあった。

 

 五円ぶんの願いにしては、長い。

 

 長いぶんだけ、たぶん、古い願いなのだと思った。

 

 俺のほうは、十秒で終わった。

 

 十秒で終わったのは、願いが短かったからではない。

 

 願いの中身を、まだ言葉にできていなかったからである。

 

 

 

 

 参拝を終えて、彼女が言った。

 

「温水さんは、何を願いましたか」

 

「言ったら叶わないって言うよね、あれ」

 

「……そ、それも、根拠が弱い言い伝えですっ」

 

「じゃあ、馬剃さんは?」

 

「ひ、非公開ですっ」

 

「根拠が弱いって言った人が」

 

「わ、私のは、様式ですっ」

 

 様式は、いつも彼女の側で発動する。

 

 発動されたので、俺も便乗した。

 

「じゃあ、俺のも様式で」

 

「ずるいですっ」

 

 ずるい、と言われたのは、たぶん今年はじめてである。

 

 一月四日で早くもずるいと言われる男が、俺だった。

 

 

 

 

 おみくじは、社務所の脇にあった。

 

 六角の箱を振って、棒を出して、番号の引き出しから紙を取る、昔ながらの形式である。

 

「引きますかっ」

 

「引く?」

 

「ひ、引きます。……い、いえ、少し、こ、怖いですが」

 

「怖い?」

 

「け、結果が、こ、心に残る種類の項目が、あ、あるので」

 

 どの項目かは、言わなかった。

 

 言わなくても、この人の場合、候補は一つしかない。

 

「これ、久しぶりだな」

 

「じゅ、順番は、どちらが先に」

 

「じゃんけんで」

 

「し、真剣勝負ですねっ」

 

 真剣勝負にする必要はまったくなかったが、彼女はグーを出す前に一度深呼吸をした。

 

 深呼吸をして、パーを出して、勝った。

 

「勝ちましたっ」

 

「じゃんけん強いんだね」

 

「か、確率は五割ですっ。……ですが、勝ちましたっ」

 

 確率論を語ってから勝利を喜ぶ人が、箱を振った。

 

 からから、と乾いた音がして、棒が一本出てくる。

 

 彼女は番号を確認して、引き出しを開けて、紙を一枚取った。

 

 取って、開いて――

 

 

 

 

 固まった。

 

 

 

 

「どうだった?」

 

「…………」

 

「馬剃さん?」

 

「……こ、これは、その」

 

「凶?」

 

「ち、違いますっ」

 

 彼女は、紙を胸に押し当てて、こちらに背を向けた。

 

 背を向けた耳が、赤い。

 

 俺は自分の番を引いた。

 

 からから、と音がして、棒が出て、引き出しを開けて、紙を取る。

 

 小吉、とあった。

 

 項目を上から読んでいく。

 

 商売、あせらずに。学問、努力が実る。

 

 そして、下のほうに、その項があった。

 

 

 

 

 失物 手近にあり 出る

 

 

 

 

 ……手近。

 

 紙の上の四文字を、俺はしばらく見ていた。

 

 十六年前に置いてきたものは、たしかに、いま、手近にある。

 

 手近すぎて、去年の四月まで、席が隣になるまで、気づいていなかった。

 

「……温水さんは、いかがでしたか」

 

 背を向けたままの声が聞こえた。

 

「小吉。……見る?」

 

「み、見ますっ」

 

 振り返った彼女に、紙を渡した。

 

 渡された紙を、彼女は上から順に読んで、失物の行で、止まった。

 

 止まって、三秒、動かなくなった。

 

「……て、手近に」

 

「あるらしいよ」

 

「……な、何を失くされたんですか」

 

「さあ」

 

「さ、さあ、ではありませんっ。じ、失物の申告を求めますっ」

 

「申告の様式、いま思いついたよね」

 

「い、今思いつきましたっ」

 

 思いついた様式で追及してくる人に、俺は紙を指さした。

 

「そっちのも見せてよ。じゃんけんで先に引いたんだから」

 

「そ、それとこれとは」

 

「見せ合う約束は」

 

「し、していませんっ! ……し、していませんが」

 

 彼女は、胸に押し当てていた紙を、ゆっくり下ろした。

 

 下ろして、両手で持って、こちらに向けた。

 

 末吉、とあった。

 

 項目を上から読んでいく。

 

 病気、長引くが治る。旅立ち、遅れて吉。

 

 そして、その行があった。

 

 

 

 

 待人 遅けれど来る

 

 

 

 

 ……遅けれど。

 

 境内の空気が、少し止まった気がした。

 

「……遅いらしいね」

 

「お、遅いです」

 

「うん」

 

「ず、ずいぶん、お、遅いです」

 

 彼女の声が、少しだけ、震えた。

 

「……ですが、来る、と書いてあります」

 

「書いてあるね」

 

「か、書いてありますっ。……こ、この紙に、そう、記載がありますっ」

 

 記載がある、という言い方を、彼女は三回繰り返した。

 

 三回繰り返して、それから、紙をきっちり四つに折った。

 

 折り目の角が、定規で引いたようにそろっていた。

 

 

 

 

「と、ところで、温水さん」

 

「うん」

 

「じょ、序列の確認をします。小吉と末吉では、どちらが上位ですか」

 

「……どっちだろう」

 

「し、調べますっ」

 

 彼女は、その場でスマートフォンを出した。

 

 出して、三十秒後に、眉間にしわを寄せた。

 

「……し、諸説あります」

 

「あるんだ」

 

「神社によって、じゅ、順序が異なるそうですっ。小吉が末吉の上の場合と、下の場合が」

 

「じゃあ、引き分けでいいんじゃない」

 

「ひ、引き分けは、判定として不誠実ですっ」

 

「勝ち負けつけたいんだ、おみくじで」

 

「……つ、つけたいわけでは、ありませんっ。……ただ、あ、あなたより下だと、す、少し悔しいだけですっ」

 

「素直だ」

 

「く、悔しいのは、事実ですのでっ」

 

 事実には正直な人だった。

 

 正直な人が、結局、判定不能のまま紙を折り直した。

 

「あの、温水さん」

 

「うん」

 

「こ、これは、結ぶべきでしょうか。持ち帰るべきでしょうか」

 

「どっちでもいいんじゃない」

 

「ど、どちらでもいい、では困りますっ。……き、規程は」

 

「凶を結んで、吉は持ち帰るって聞いたことあるけど。諸説あるらしい」

 

「し、諸説」

 

 彼女の眉が、きゅっと寄った。

 

「様式に諸説があるのは、こ、困りますっ」

 

「困る?」

 

「こ、公文書でしたら、あり得ませんっ」

 

「おみくじは公文書じゃないよ」

 

「そ、そうですけど……」

 

 彼女は、四つに折った紙を、少しのあいだ、指で挟んで持っていた。

 

 持って、それから、鞄を開けた。

 

 財布の、いちばん奥の仕切りに、そっとしまった。

 

「持ち帰るんだ」

 

「……こ、こちらは、け、結びません」

 

「理由、聞いていい?」

 

「ひ、非公開ですっ」

 

 非公開の理由を、俺はだいたい想像した。

 

 想像しながら、自分の小吉も、財布に入れた。

 

「温水さんも、持ち帰るんですね」

 

「うん」

 

「り、理由は」

 

「非公開で」

 

「っ……ま、真似しないでくださいっ」

 

 真似ではなく、様式の準用である。

 

 準用は、この一年で、俺も覚えた。

 

 

 

 

 帰り道、屋台が一つだけ残っていた。

 

 甘酒である。

 

「飲む?」

 

「い、いただきますっ。……あ、あの、費用は」

 

「二百円だよ。申告は不要」

 

「ふ、不要ではありませんっ。……ろ、六段ぶんの利子から、さ、差し引いてくださいっ」

 

「六段って何」

 

「な、なんでもありませんっ」

 

 なんでもない六段の話は、たぶん、いつか聞くことになると思う。

 

「あの、甘酒は、あ、甘酒でしょうか。それとも、あ、酒でしょうか」

 

「酒粕じゃないほうだと思うよ、これ。米麹の」

 

「か、確認が必要ですっ。……明日、仕事始めですのでっ」

 

「一杯で酔う人じゃないと思うけど」

 

「わ、私、弱いんですっ。……い、いえ、飲んだことがないので、じ、実績が不明ですっ」

 

「実績不明なんだ」

 

「じっ、実績のない領域は、し、慎重に運用しますっ」

 

 屋台のおじさんが「米麹だよ」と教えてくれて、彼女は深く礼をした。

 

 紙コップの甘酒を、二人で持って、鳥居のところまで歩いた。

 

 一月の夕方は、暮れるのが早い。

 

 境内の明かりが、いくつかともり始めていた。

 

「温水さん」

 

「うん」

 

「首元が、さ、寒そうですね」

 

「マフラー、出張中だから」

 

「し、修繕中ですっ。……一月十六日に、か、返却します」

 

「知ってる。十六日ね」

 

「じゅ、十六日ですっ」

 

 日付を確認し合うのが、この冬の俺たちの様式だった。

 

 彼女の髪には、正月にもらった赤いシュシュがある。

 

 俺の首には、まだ何もない。

 

 片方だけ装備している状態が、あと十二日、続く。

 

「……早く、返してほしいですか」

 

「うん。まあ、寒いし」

 

「さ、寒いから、ですか」

 

「……それだけじゃないけど」

 

「っ」

 

 彼女は、甘酒を一口飲んで、湯気の向こうで、何か言おうとして、やめた。

 

 やめた代わりに、こう言った。

 

「じゅ、十六日は、私が持ってきますので。……ぜ、絶対に、私が」

 

「誰も奪わないよ」

 

「わ、私が渡したいんですっ」

 

 

 

 

 言ってから、彼女は、自分の言葉に自分で驚いた顔をした。

 

 

 

 

 驚いた顔のまま、甘酒を三口飲んで、むせた。

 

「大丈夫?」

 

「だ、大丈夫ですっ。……こ、これは、あ、熱かっただけですっ」

 

「うん」

 

「熱かっただけですっ!」

 

 二回言うときは、そうではない。

 

 この一年で覚えた、彼女の読み方の、もう一つである。

 

 

 

 

 駅までの道を、二人で歩いた。

 

 彼女の鞄の中には、遅けれど来る、が入っている。

 

 俺の財布の中には、手近にあり、が入っている。

 

 二枚の紙の内容を、俺たちはお互いに知っていて、お互いに、それについては何も言わなかった。

 

 言わないまま、改札の前で別れた。

 

「では、温水さん。……仕事始めは、明日ですね」

 

「明日だね」

 

「共通テストまで、あと十三日ですっ」

 

「数えてるね」

 

「か、数えますっ」

 

 数えると負けない人が、正月から数えていた。

 

 俺は改札を抜けて、振り返った。

 

 振り返った先で、赤いマフラーが、まだこちらを見ていた。

 

 見ていた人が、小さく手を振った。

 

 振り返してから、俺は財布の中の小吉のことを、少し考えた。

 

 失物は、手近にある。

 

 あるらしい、と紙には書いてある。

 

 書いてあることが本当なら、俺は今年、それを、ちゃんと拾わないといけない。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。