ノット・ローグライク、バット・ハック&スラッシュ 作:砂漠谷
目覚める。柔らかな感触に包まれている。
掛けられた毛布を剥がし、上体を起こす。
ここは。
「俺の事務所だ。アベンガネ自然調査室。ま、仕事の拠点だな」
声の方を振り向くと、先日俺の指導者になった男が、大きな椅子に座っていた。
膝には蝶のサナギのような念獣を据え、それを撫でている。
自分が寝ていたのは来客用のソファー。壁掛けカレンダーに書かれた斜め線と窓の外の景色を見るに、丸一日経っていたらしい。
目覚めると同時に、喪失感を覚える。
ずっと感じていた、俺の内側にある念空間は、外殻も内容物も、すっかりなくなっていた。
「荒療治は上手く行ったようだな。AEDを出さなくて済んだのは僥倖だった」
昨日の激痛。念空間を喰い荒らされ、最後には誓約の痛みで死にかけた。
思い出すだけで、頭蓋の裏に刻み込まれた痛みの記憶が疼く。
「……流石に、唐突すぎないか?」
「何がだ?」
とぼけるアベンガネ。その言葉に、流石に苛つきが隠せない。
「分かってるだろ。俺の念能力を除去したこと。アレは――あれは」
子供たちとの、大切なつながりでもあったんだ。
そう、言おうとした。
しかし、救うためだけの能力を選ばなかった俺に、そんな資格はない。
言葉は途切れ、しかしアベンガネは納得したようだった。
「必要だったとはいえ、たしかに性急すぎたかもしれない。反省はしないが謝罪はしよう」
「……そうか」
「ああ。ちなみに……念空間は造ろうと思えば再度作れるはずだ。能力そのものを消すような真似、俺にはできんよ」
掌には、気絶した直前に、行き場を失くしたスレーブホールの入口と直に接続した感覚がまだ残っていた。
それに、『空間』を造るために確保された
そういった感覚をアベンガネに伝えると、彼は深く頷いた。
「そう。それが狙いだ。具現化したまま、能力を調整するのは不可能だと――」
そんな折、ドアノブがゆっくりと回り、扉が開く。
扉からひょこりと頭を出したのは、一人の少女。「来る」と言っていたお嬢様、モレナ=プルードであった。
「あまりうろつかないで欲しいのだが? プルード女史」
「そんなこと言ったって、エイジェイが起きたっぽいんだもの。来るに決まってるじゃない」
「モレナ、お嬢様。本当に、こっちに来たんですか?」
少女は一歩、扉の向こうから足を踏み出す。
着ているのは黒いカジュアルドレス。それにオーバーサイズのGジャンを羽織っている。
「うん、エイジェイ。合格おめでとう、って言えないね」
「申し訳ありません、お嬢様。緋の眼の件も、現在目処は立っておらず――」
「もう! そんなことより大事なこと、あるでしょう?」
それは――ある。
正直、まだ彼女に親しみを覚えることはできない。悪意なく、それでいて他者を見捨てることに躊躇のない彼女に。
それでも、この言葉は彼女に捧げるべきだった。
「来てくれて、ありがとう」
「うん、よくできました」
微笑む彼女に、傍観していたこの部屋の主が口を挟む。
「プルード女史。今、ご実家の状況はわかるか?」
「エイ=イの?」
「ああ。影武者がいるとは聞かされたが……裏社会は専門外でな。当事者から仔細を聞いておきたい」
「そういうことね。エイ=イで、影武者の存在を知っているのは、お父様と、幹部数人。あと、部屋住みの下っ端と――、"陰獣"くらいね」
「"陰獣"? 念能力者か?」
アベンガネは尋ね返す。十老頭子飼いの念能力者。アベンガネが知らないのは意外だった。
もっとも、エイ=イに飼われている陰獣が誰なのか、というのは俺も知らない。
「ええ。本名は私も知らないわ。彼の目利きは一流、茶会の出席をシエルに代行させたら直電が来たわね。『お嬢、無事か』って……。といっても、少しくらい私がいないからと言って、騒ぐ性質でもない。問題はないわ」
陰獣。病犬か、蛭か、あるいは原作では登場しない人物か。あまりエイ=イ一家の本邸には戻らないのか、数週間そこにいただけの俺は、その噂しか知らない。
「そうか……では、女史も修行に参加するのはどうだ? 前金は2人分貰っているしな」
モレナは、繰り返しの修行を極度に嫌う。頷くとは思えなかった。だが、その想定は覆される。
「良いわよ? ただ命令に絶対服従とか言われても、従いかねるわね」
「そこは問題ない。方向性を見て助言するだけだ。手取り足取りを欲しがるほど幼くはないだろ?」
頷くモレナ。修行を受け入れる彼女の中に、あの時からの心境の変化があったのか。
「ええ。じゃあ、私の能力を見せたほうが良いかしら」
そういって、モレナはおもむろにGジャンを脱ぎ――ドレスまで脱ぎ始めた。
とっさに俺は目をつむる。瞼の裏が視界を覆う。
アベンガネから「ほう……」という声が漏れる。彼にそういう趣味があるとは思わないが……。
「あ、エイジェイ、目開けてていいわよ。減るもんじゃないし」
「しかし……」
促されてようやく、薄目で彼女の方を見る。
その光景は、目を見開くほどには俺に驚愕を与えた。
左肩から胸元にかけて、彼女は肌を露わにする。こぶりな左乳房が、まるで部品のように外されていた。その奥、心臓のあるべき部分にあったのは、『孔』だった。
その孔は、粉砕機のような、ジェットエンジンの排気口のような形をして、無機質に輝く。まるで、水晶で作られた工作機械のようだった。
「それは……なんだ?」
俺の質問に、彼女は応える。
「【
「それだけじゃないだろう?」
今度はアベンガネの質問だ。
「乙女の秘密よ――と言いたいところだけど。そうね、交換条件。――さっきから撫でている、そのサナギみたいな生き物、って何?」
「ああ、これはな。俺にも詳しくは分からん」
「へぇ、そうなの……え?」
想定外を食らったモレナの表情は珍しい。
アベンガネは詳しく、サナギの正体について述べる。
「これは、もとは俺が具現化し、エイジェイの念空間を内容物ごと食べたものだ。呪念型能力を喰った訳じゃあるまいし、エイジェイの気絶と共に消えるはずだが――、食わせたものが変質したのか、なぜか残存したまま、サナギに退化している」
俺、一度仮死っていたのか?
サナギは、うごうごと蠢くと、その背にぴしりと罅が入る。
そこから這い出したのは、一匹の巨大な幼虫。気味が悪いと一歩引く俺と、興味津々に覗き込むモレナ。
幼虫はアベンガネの膝の上から降り、糸を吐く。ただ吐くだけではない。複数の触角を駆使し、紡ぎ、織り、またたく間に幾重もの布を作っていく。
「これは――?」
「おそらく、あの時の森に雑食の蚕がいたんだろうな。どうやらそれが引き継がれているらしい」
「ふぅん? そういう能力? 森の生き物の能力を再現する感じ?」
「ま、語弊を恐れずに言うならそうだな」
「そうね。じゃあ私も教えるわ」
幼虫が布を織っているのを尻目に、モレナは自身の念能力の説明を続ける。
「私の心臓、【
言う通り、彼女の姿を"凝"で見る。通常の"凝"よりも更に精密に、眼球にオーラを凝める。
彼女の身体には、満天の星空のように、凝縮されたオーラが幾千万と散らばっていた。
「これは、血管――いや、赤血球、か?」
「おおむね正解。血中の細胞に、酸素だけじゃなくオーラも運ばせて、少し形態を変えさせてるわ。これが"修行"。調整をしくじれば自家中毒で取り返しのつかないことになるけど、つまんないルーティンワークの修行よりも、ずぅっとヒリヒリしてる。朝起きたら、大きなカメムシになっているかも。それとも、ドロドロのスライム? ふふ、毎日とても楽しいわ」
凄惨な笑みだった。
――この少女のことを、誤解していたのかもしれない。
飽き性で怠惰な少女だ、と思っていた。
違った。彼女はきっと、『安全』に対して、この上なく倦んでいるのだろう。
ぱち、ぱち、ぱち。と。
手を叩くのは、アベンガネだった。
「すまない。言動からは、あまり念使いとしての才覚は感じていなかったが――誤解は撤回しよう。そこまでのリスクを覚悟できるのであれば、君はきっと大成する。俺が保証しよう、しがないプロハンターだがね」
「お褒めいただきありがとう、ですけど保証は受け取れないわ。勝ちが確定している
その言葉に、俺は――そして、アベンガネですら、呆気に取られざるを得なかった。
――しばらくする。俺たちがいる部屋の床には、何百枚もの布が、念獣の幼虫によって散らばっていた。
その材質は様々だ。金属繊維。元はプラスチックであろう化繊。和紙のような質感の布。
共通点があるとすれば、一枚一枚、否、繊維の一本一本に濃厚なオーラが織り込まれているということ。念空間にあった様々な道具が、布という統一された形状に変質していた。
幼虫は親指ほどになり。
その代わり、布は、数百枚近くにも達していた。
幼虫は、最後にこちらに顔を向けた、気がして。
ああ。そうか。
アベンガネが、俺の能力を「下らない」と言った意味をようやく理解する。
必要なのは、武器じゃなくて。
あの、血染めのハンカチそのもの。包み込むものだったのか、と。
腑に落ちた俺に、幼虫は頷いて、そして消失した。
「ふう。除念――とは少し違うが、これでリセットは完了だ。しかしこの布をどうするか……悩みどころだな」
ここまでオーラが籠もっているもの処分するにはあまりにも使い道がありすぎる、だが、市場に流しても悪用されかねない。そういうことだろう。
布に触れる。内包された力は、俺の流すオーラに呼応して波打った。
「――俺が使っても、いいですか?」
声を出す。
必要なのは、包み込むもの。
例えば、傷つけず敵を無力化する、陰獣の"梟"の能力のような。
ただ、無力化だけでは意味がない。
必要なのは、包み『続け』ること。一度抱きしめただけで救い出したなんて、烏滸がましい思い込みはしない。
前世の若い頃のような勘違いは、もううんざりだ。
それを理解した今、この布と、そして先日教わった"
「元はお前のものだ。問題ないが、全部か?」
「あ、金属繊維のいくつかは私が貰うわよ? 細胞レベルじゃなくて、原子レベルにも挑戦したいし」
「三分の二程度で十分です。あとはモレナ様、アベンガネ師匠、あなたがたに任せます」
必要なのは、3つの布だ。
道具をしっかりと梱包するための布。
人を優しく包み込むための布。
そして、念を捕らえて、厳しく囚えるための、布。
俺の中に、新たな念能力の構想が芽生え始めた。
| 念能力:【 |
| 概要:細胞あるいはそれ未満の大きさの物質構成要素を取り込み、本来の性質に加えて、一定の行動能力を持つ半自律型の微小念獣へと変身させる。 |
| 制約:内部に取り込まなければ、その要素は変身させられない。 形態変化させた要素は、オーラの供給が途切れた場合、元の要素に戻る。 |
| 誓約:能力者は心臓を具現化した人工心臓に置換していなければならない。"絶"をすると、心臓が失われる。ただし、気絶や睡眠では"絶"にならないという副機能を持つ。 |
| 解説:ナノマシン製造機。微小念獣に与える能力は別個に容量を割く必要があり、あまり複雑なことはできない。 |
今回の連日更新は終了です。