名探偵プリキュア! 〜迷宮のアルカナと偽りの真実〜 作:暁 蒼空
あれから幾度となく、名探偵プリキュアの二人は怪盗団ファントムの前に立ちはだかり、彼らがマコトジュエルを奪うことを阻止し続けてきた。
しかし――。
今回の戦いで、遂に怪盗団の幹部・ニジーの執念がプリキュア達を完全に追い詰め、二つのマコトジュエルが彼の手に渡ってしまった。
絶体絶命のピンチ。
それを救ったのは、時空の妖精・ポチタンだった。
小さな身体に秘められた強大な力を解放し、プリキュア達を間一髪で危機から救い出したのだ。
しかし、その代償として力を使い果たしたポチタンは、気を失い倒れてしまった。
予期せぬポチタンの力に驚いたニジーは、ハンニンダーと共に一時的に姿を消したのだった。
***
鉛色の空から、激しい雨が降り注いでいる。
まことみらい市にある『キュアット探偵事務所』。
ジェット先輩は、ジョッキに入れたジュースを片手に、窓に打ち付ける雨粒を物憂げに眺めていた。
その時だった。
――バンッ!!
勢いよく扉が開け放たれる音が、静かな事務所の拠点部屋に響き渡った。
「うわぁっ!!?」
突然の大きな音に驚き、ジェット先輩は手に持っていたジョッキを危うく落としそうになった。
振り向いた先には、雨にまみれ、息を切らしたあんなとみくるが立っていた。
「ジェット先輩!」
「ポチタンが……っ」
あんなの両手には、ぐったりと意識を失ったポチタンが大切そうに抱えられていた。
その姿を見た瞬間、ジェット先輩の表情から驚きが消え、真剣な顔へと変わった。
詳しい説明を待つまでもなく、状況を察したらしい。
ジェット先輩はすぐに立ち上がると、迷いなく動き出し、ポチタンをあんなから受け取ってクッションの上に寝かせた。
素早く、しかし丁寧にポチタンの容態を確認していくジェット先輩。
息を呑んで見守るあんなとみくる。
やがて、ジェット先輩はふぅっと息を吐き出した。
「……ミルクも飲んでるし、大丈夫だ」
見れば、ポチタンは目を閉じたままではあるが、口元に運ばれた哺乳瓶からゆっくりとミルクを飲んでいた。
「ほっ……」
あんなとみくるは顔を見合わせ、心底安堵したように胸を撫で下ろした。
「ほら、お前たちも飲みな」
ジェット先輩は、冷え切った二人の前に温かい飲み物の入ったコップを置いた。
そして、机の上に置かれていた、探偵の七つ道具であるガジェット『プリキット』を手に取った。
「ポチタンが光を出したときに、これも光ったか。……調べる必要がありそうだな」
「ごめん、みくるに渡そうとしたけど……渡せなかったの」
あんなが謝罪する。
今回の敗北の大きな原因は、二人の連携が上手くいかなかったことにあった。
そして、あんなは渡せなかった本当の理由が言えなかった。
言えるわけがなかった。
みくるが友達と楽しそうにしている姿を見て、嫉妬したなんて。
「あっ……」
みくるも気まずそうに視線を逸らす。
まだ出会って間もない二人。
名探偵プリキュアとしてのチームワークには、まだ越えなければならない壁があった。
外で降り続く冷たい雨の音が、二人の重い後悔をさらに際立たせていた。
***
怪盗団ファントムのアジト。
VIP席にはウソノワールが座り、幹部席にはゴウエモン、アゲセーヌ、そしてるるかの四名が揃っていた。
彼らは先程まで、ニジーが名探偵プリキュアを追い詰め、見事にマコトジュエルを二つ手に入れた光景を、空間に映し出された映像越しに鑑賞していた。
しかし――肝心のニジーが、未だにアジトへ戻ってきていなかった。
「……ニジーは、なぜ戻らない」
低く、抑えられた声が広い空間に響く。
ウソノワールの表情は仮面に隠されて見えない。
だが、その声には静かな、しかし確かな怒りが滲んでいた。
ニジーは既に、目標であったマコトジュエルを二つも手に入れている。
本来なら、とっくにアジトへ戻ってきて、自慢げに手柄を報告しているはずだった。
なのに、どれだけ時間が経っても彼は姿を見せない。
ウソノワールの指先が、肘掛けをトン、トン、とゆっくりと叩く。
その音が響くたびに、劇場の空気が少しずつ、冷たく重くなっていくのがわかった。
「マコトジュエルを二つも手に入れたのによ」
「超ありえないんだけど」
ゴウエモンとアゲセーヌも、ニジーの不可解な行動に違和感を覚えていた。
そんな三人とは違い、るるかはマシュタンを抱いたまま、無言で席に座って会話を聞いていた。
今回、ウソノワールは「名探偵プリキュアを倒せ」という命令は出していない。
任務はただ一つ、『マコトジュエルを奪うこと』。
それを二つも手に入れた時点で、彼の任務は完全に成功しているのだ。
さっさと戻ったところで、誰も咎める理由はない。
それでも、帰ってこない。
(……ニジーが戻らない理由は、だいたい分かっている)
るるかは、冷ややかな瞳で何もない舞台を見つめていた。
自己顕示欲とプライドが高いニジーの性格を考えれば、答えは明白だった。
(きっと、まだ戦うつもりなのでしょう。名探偵プリキュアを……完全に倒すために)
手痛い敗北を味わわされてきたプリキュア達が、今は傷つき、隙を見せている。
その千載一遇のチャンスを、彼が見逃すはずがなかった。
「……キュアアルカナ・シャドウ」
しばしの沈黙のあと、ウソノワールがゆっくりと椅子から立ち上がった。
呼ばれたのは、るるかだった。
「ニジーを連れ戻せ!」
絶対的な命令が下される。
「……ライライサー!」
るるかの代わりに、腕の中のマシュタンが元気よく返事をした。
「ハァ~」
るるかは小さくため息をついた。
(連れ戻せるかと言われると……それは難しいわね。あの手柄に酔っている状態の彼を止めるのは)
るるかは静かに立ち上がると、無言で背を向けた。
「キュアアルカナ・シャドウ」
ウソノワールの声が、背中を止めた。
るるかは立ち止まり、ゆっくりと振り返る。
「……はい」
「今回はあくまで、ニジーを連れ戻すだけの為、貴様自身にペナルティがあるわけではないが……」
ウソノワールは一拍の間を置いた。
そして、仮面の奥からるるかをねっとりと見据え、悪魔のように甘く、冷たい声で続けた。
「もし……ニジーが私の元までマコトジュエルを持ってきた暁には、『特別措置』を考えてやってもいい」
「……っ!」
るるかは、思わず息を呑んだ。
「??」
「何言ってんだ?」
ゴウエモンとアゲセーヌは何のことなのか分からず、首を傾げている。
しかし、るるかの心の中では、今のウソノワールの言葉が呪いのようにぐるぐると渦巻いていた。
『特別措置』。
それは、一日中こころの側にいてあげられる時間。
あるいは……こころを治療し、救うために必要な何かを与えられるチャンスかもしれない。
(こころ……)
ベッドで何も映していない虚ろな瞳で眠っている妹の姿。
そして、かつて『お姉ちゃん!』と無邪気に笑って抱きついてきてくれた、あの笑顔の思い出が、るるかの脳裏を鮮烈によぎる。
(私達の後輩であるプリキュアの邪魔をして、敵の手助けをする……。本当にそれでいいの?)
名探偵プリキュアとしての過去が、るるかの心に僅かな葛藤を生ませる。
しかし。
(……私は、こころのためなら何でもするって誓った)
妹の笑顔を取り戻せる可能性があるのなら。悪魔の靴を舐めてでも、そのチャンスにすがりつく。
るるかは、ウソノワールの言葉に無言で深く頷いた。
そして、ケープを翻し、ニジーの元へと向かって歩き出した。
マシュタンもまた、るるかのその悲壮な覚悟を察し、何も言わずに静かに後ろをついていくのだった。
***
「ポチ……」
あんなの腕の中でポチタンが、苦しそうに弱々しい声を漏らす。
「ポチタン……」
その痛々しい姿をじっと見つめていたみくるは、ギュッと拳を握りしめ、無言で立ち上がった。
そして、そのまま一人で事務所の扉へと向かって歩き出す。
「あっ、みくる」
あんなが慌てて声をかけると、みくるは扉のノブに手をかけたまま、振り返らずに言った。
「マコトジュエルを取り返してくる」
「私も……!」
あんなも立ち上がろうとしたが、みくるは強い口調でそれを制した。
「あんなは、ポチタンに付いていてあげて」
「みくる……」
そう言い残し、みくるは一人で雨上がりの外へと飛び出していった。
事務所の外に出ると、地面にはまだ無数の水たまりが残っていた。
バシャッ!
勢いよく踏み込んだ足が水を跳ね上げ、靴下とローファーがすぐに冷たく濡れる。でも、今の彼女にそんなことを気にしている余裕など微塵もなかった。
雨はいつの間にか止んでいた。
だけど空は、まだ分厚く重い雨雲に覆われている。今にもまた降り出しそうな、どんよりとした暗い空だ。
「はぁ……はぁ……はぁ……っ」
人通りのない歩道を、みくるは全速力で駆け抜けていく。
周囲には、彼女自身の荒い息遣いと、水たまりを蹴る足音だけが響いていた。
呼吸が少しずつ苦しくなっていく。
足が鉛のように重くなる。
でも、決して足は止めなかった。
頭の中に、ニジーの嘲笑うような声がよみがえる。
『どう運ぶのか決めかねていたんだが、キミのおかげで思いついたよ』
ニジーの言葉が、鋭いトゲとなって心に刺さる。
『ツバメのように飛んで行けば、簡単に運ぶことができる!』
(私が……私が、ツバメのことを教えたせいだ)
学校の銅像。
あいつがツバメの像をハンニンダーに変えたのは、自分が得意げにツバメの話をしてしまったからだ。
自分の不用意な言葉が、大切なマコトジュエルを敵に奪われる原因を作ってしまった。
(私のせいだ……。私が、取り返さなきゃ……!)
自責の念に急き立てられるように、みくるはただひたすらに、奪われた場所である学校へと向かって走り続けた。
***
一方その頃。
まことみらい市の郊外にある、薄暗い森の中。
マコトジュエルを二つ手に入れたはずのニジーが一人で佇んでいた。
「私の占いに出ていた通り、ここにいたわね」
「うん?」
背後からの唐突な声に、ニジーが反応する。
ニジーの背後にある木の上に、マシュタンと――感情の読めない瞳で8段アイスを食べているるるかが座っていた。
マシュタンは『占いの妖精』だ。
彼女の水晶玉による占いは、抽象的ではあるものの、必ず真実を言い当てる能力を持っている。
だから、気配を消して森に隠れているニジーを探し出すことなど、造作もないことだった。
そして、今のるるかは、大好きなアイスの味が分からなかった。
それでも食べているのは、心を落ち着ける為だった。
「どうして戻ってこないわけ?」
マシュタンが呆れたように声をかけても、ニジーはフンッと鼻を鳴らし、何も答えない。
意地でも帰らないつもりなのだろうか。
るるかは、アイスを齧りながら冷ややかな視線でニジーを見下ろした。
(せっかくマコトジュエルを二つも手に入れたのに、このまま戻らないなんて。手柄を無駄にするようなものね)
沈黙を貫くニジーに対し、るるかはアイスを持った手を少しだけ動かし、挑発するように言葉を発した。
「迷子になった?」
「んなわけないだろ!」
るるかの一言に、ニジーは即座に振り返って怒鳴り返した。
(それには反応するんだ……)と、るるかは内心で小さくため息をつく。
ようやく口を開いたニジーに、マシュタンが質問を続ける。
「じゃあどうして?」
「ふん……。より美しい結末を求める自分がいるのさ。本当に僕は、欲深い怪盗だよ」
「何する気?」
「プリキュアを倒す。ウソノワール様にそう言った手前ね。僕にはあとがない、華麗に決めてみせる」
ニジーが指を鳴らすと、彼の上空に、ツバメの姿をした二体のハンニンダーが現れた。
バサバサと不気味に羽ばたく黒い影。
ニジーの顔には、背水の陣でプリキュアを迎え撃つ覚悟が浮かんでいた。
しかし、その覚悟を見たがるるかの瞳はひどく冷めていた。
(ウソノワールは、『プリキュアを倒せ』とは言っていない)
ウソノワールは、ただ『マコトジュエルを奪うこと』だけを求めている。
なのにニジーは、自分の過去の失態のせいもあり、プリキュアを倒さない限りウソノワールに認めてもらえないと思い込んでいるのだ。
完全に認識がすれ違っている。
(面倒なことになった……)
るるかは、音を立てずに軽く溜め息をついた。
(このまま大人しく帰ってくれれば、私の目的も果たせる。でも……このままだと、私の目的が遠のく)
るるかの脳裏に、かつてのこころの眩しい笑顔がよぎる。
『お姉ちゃん!』と無邪気に笑う顔と、ベッドで虚ろな目をして横たわる現在の痛ましい姿が交差する。
ウソノワールは、ニジーがマコトジュエルを持って帰還すれば『特別措置』を考えてくれると言っていた。
だからこそ、今すぐこの場でニジーの首根っこを掴んででもアジトへ引きずり帰りたい。
だが、この意地になっている彼を説得するのは、きっと無理だ。
力ずくで連れ帰ろうにも、同じファントム同士で揉めている暇はない。
るるかは、溶けかけたアイスを口に運びながら、頭をフル回転させた。
(何か別の策を考えておかないと……)
ニジーを連れて帰れなくても、何かしらウソノワールが納得する『成果』を上げる方法。
特別措置を引き出し、こころとの時間を作るための最善の一手。
(全ては……私の大切な妹の……、こころの為に)
るるかの瞳の奥で、怪盗としての冷たく鋭い光が妖しく輝きを増していった。