名探偵プリキュア! 〜迷宮のアルカナと偽りの真実〜 作:暁 蒼空
戦いを離れた場所から眺めていた、マシュタンとアルカナ・シャドウ。
「手柄をネコババしようなんて考えるからよ」
捨て台詞を残して消えていったアゲセーヌに対し、マシュタンが厳しいツッコミを入れた。
「でも……良かった」
アルカナ・シャドウが、無感情な声で呟いた。
「まだマコトジュエルを回収されなくて。これで、邪魔する人も居なくなったわ」
アルカナ・シャドウの口角が、不気味に吊り上がる。
「後は……私の好きにやらせてもらうわ」
「……」
「マシュタン。少し、離れててね」
アルカナ・シャドウは、抱いていたマシュタンをそっと地面に下ろした。
そして、狂気を孕んだ笑みを浮かべながら、アンサー達の元へゆっくりと歩みを進め始めた。
「ちょ、ちょっと、アルカナ!」
再び様子がおかしくなったアルカナ・シャドウに、マシュタンが焦って声をかける。
アンサー達は、ゆっくりとこちらへ歩みを進めてくるアルカナ・シャドウに気付いた。
「アルカナ・シャドウ!」
「るるかさん!」
警戒し、身構える二人。
「さぁ、そのマコトジュエルを渡して……。大人しく渡してくれるなら、何もしないから……」
まるで子供をあやすような、優しくも悍ましい声。
「そんな事、出来ない!」
「マコトジュエルは渡せない!」
「……そう。じゃあ、力付くで奪わせてもらうわ」
一瞬。
アルカナ・シャドウが急接近してきて、ティアアルカナロッドを容赦なく振るう。
二人はそれをギリギリで避けながら、反撃の拳を繰り出す。
しかし、アルカナ・シャドウに攻撃は全く当たらず、逆に徐々に速く、重く、激しくなるロッドの連撃を躱すことで精一杯になっていく。
「くっ! るるかさん! どうして……どうしてこんな事をするの!」
「貴女だって、名探偵プリキュアでしょ! そんな人が、どうして!」
必死に説得を試みる二人。
「話してる暇があるなんて、随分余裕なのね」
冷ややかな一言と共に、ティアアルカナロッドが横一閃に振るわれる。
「「キャぁぁぁーっ!!」」
防ぎきれず、激しく吹き飛ばされる二人。
「ポチー!」
飛ばされた二人の元へポチタンが駆け寄る。
アルカナ・シャドウは、地面に転がったマコトジュエルを拾い上げた。
「これで……5つ目」
アルカナ・シャドウは、愛おしそうにマコトジュエルを見つめ、微笑んでいた。
それは、勝利の喜びというよりは、何かに取り憑かれたような異様な笑みだった。
アンサーとミスティックが、痛みに耐えながら身体を起こす。
「どうして……どうして貴女は、ファントムに……」
「教えて、るるかさん。どうしてなの。あんなに写真で笑っていた貴女が、どうして!」
「貴女達に言っても分かるわけ無いわ。私の気持ちなんて……」
アルカナ・シャドウは、蔑むように二人の方を向いた。
「私の味方は、マシュタンだけよ」
「違うよ」
アンサーが、力強く否定する。
「違うでしょ、るるかさん。だったら、こころさんは何なの!」
「……っ!」
「妹なんでしょ! 味方じゃないの!? るるかさんが何を抱えているのか分からないけど……そんな悲しいこと……」
「それ以上、喋らないで」
ピシャリと、アルカナ・シャドウの声が空気を凍らせた。
「るるか……さん……?」
「アンサー! 様子がおかしい!」
「これ以上、こころの事を語らないで」
アルカナ・シャドウは、ギリッと音が鳴るほど強くロッドを握りしめた。
「あの子は……あの子は……っ!」
すると、アルカナ・シャドウの様子が急激に変わった。
「……あ、そうか……」
先程まで激しく怒っていた筈のアルカナ・シャドウが、急に憑き物が落ちたようにフワリと笑みを浮かべたのだ。
「貴女達にも……同じ思いをしてもらえばいいんだわ」
「え……?」
「あの子と同じ思いを……私と、同じ絶望を……!」
そう言って、アルカナ・シャドウが二人に向かってゆっくりと近づいてくる。
「そうすれば、もう私の邪魔もしないし、あの子の事を軽々しく語ろうとも思わなくなるよね」
完全に壊れた思考回路。
アルカナ・シャドウが、無邪気な狂気を振り撒きながら近づいてくる。
「ポチ!」
ポチタンが、二人を庇うようにアルカナ・シャドウの前に立ちはだかった。
「時空の妖精……。そっか……もしかして、マコトジュエルをくれるの?」
「ポ、ポチッ!」
「そっか……いいよ。マコトジュエルをくれるなら、あなた達を見逃してあげるから」
首を横に激しく振るポチタン。
「そう。なら……力付くで奪う」
アルカナ・シャドウが、ポチタンに向けてティアアルカナロッドを高く振り上げた。
「「ポチタン!!」」
ロッドが、無慈悲に振り下ろされようとした、その瞬間。
「アルカナ!!」
マシュタンの悲痛な叫び声が響いた。
ピタリ、と。アルカナ・シャドウの動きが止まる。
「アルカナ。それ以上は駄目よ」
「……何言ってるの、マシュタン。どうして止めるの?」
首を傾げるアルカナ・シャドウ。
「貴女、自分が何をやっているのか分かってるの!?」
「何って……マコトジュエルを奪うんだよ。大丈夫だよ、マシュタン。私達と同じ思いをしてもらえれば、皆納得して大人しくなるから」
狂った論理で微笑むるるかに、マシュタンは強い口調で言った。
「それだけは許さないわ! 同じ思いをさせるって、どういうことか分からないわけじゃないでしょ!」
「何を怒ってるの? この子達が、こころの事を語るから……邪魔をするから……」
「マコトジュエルは奪ったわ! それだけで十分のはずよ! ウソノワール様の命令に、また背くつもり!?」
「……っ!」
「冷静になりなさい! 貴女の今の行動の方が……アタシ達の『目的』を阻害するかもしれないでしょ!」
目的を阻害する。
その言葉が、アルカナ・シャドウの狂った思考に冷水を浴びせた。
「えっ……。私が……目的を……阻害……」
「……」
「また……また……失敗したの……? また……私は……間違えたの……?」
アルカナ・シャドウの動きが完全に止まる。
そして、自分が今まさに、無抵抗の妖精や後輩たちを理不尽に傷つけようとしていた事に気付き、愕然とした。
「違う。私は……そんなつもりじゃ……」
ロッドが手から滑り落ち、カランと音を立てる。
「違う……違う……違う違う違う違う違う違う……違う!!」
「違うのこころ……! そんなつもりじゃ……やだ……嫌いにならないでぇ……っ」
アルカナ・シャドウは、両手で頭を抱え込み、その場にうずくまって泣き始めた。
完全にトラウマのフラッシュバックに飲み込まれていた。
「ヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダヤダ!!」
「ごめんなさい……! ごめんなさい……! 嫌わないでぇ……っ!」
「るるか!」
名前を呼び、様子のおかしいアルカナ・シャドウにマシュタンが急いで近づく。
「るるか、落ち着いて」
「マシュタン……っ」
涙でぐしゃぐしゃになった顔で、マシュタンの目を見るアルカナ・シャドウ。
「ごめんなさい。ただ貴女を止めるには、あんな強い言葉を言うしかなかったの」
「ごめんなさい……っ。また……私が……」
「さぁ、帰りましょう」
アルカナ・シャドウが小さく頷き、マシュタンを大事そうに抱きしめる。
そして、そのまま跳躍し、消えていった。
「るるかさん……」
「本当に何が……」
アンサー達は、狂乱して飛び去ったアルカナ・シャドウ達の方を、ただ呆然と見送ることしかできなかった。
***
「ほらミーコ」
「ニャー」
首輪が戻ってきた。
「良かったね、ミーコ!」
虎太郎がミーコを抱きしめる。
「みんな、ありがとう!」
「じゃあね!」
「気をつけてね!」
虎太郎とミーコが、笑顔で帰っていく。
「首輪を取り戻すなんてすごいよ。さすが名探偵だね!」
エリザが感心して言う。
「エリザさんこそ!」
「虎太郎くんの気持ちに寄り添ったから、ミーコちゃんを推理で見つけることができましたし!」
「それに気づかせてくれたのは2人だよ。『あきらめない心が真実のページを刻む』」
あんなとみくるのおかげで、すっかり元気を取り戻せたエリザ。
「そのページにいたのは、ミーコちゃん、笑顔の虎太郎くん、そして名探偵の2人!」
エリザが目を輝かせる。
「今日の経験を生かして、探偵エリーの続編を書いてみせる! そして日本中、いいえ、世界中の人を幸せにするわ!」
「エリザさんなら、きっといいアイデア思いつきますよ!」
「ウフフ。実はね、もう思いついてるの」
ノートにアイデアを書き込むエリザ。
「これ。続編はこれで決まり!」
エリザが見せたノートには、簡単なイラストが描かれていた。
「『ある日突然、名探偵エリーの前に現れたのは……謎の猫探偵! 手に汗握る推理合戦、行く末はいかに!?』」
「「わぁー!」」
猫耳をつけた探偵の活躍。
エリザの次回作が、とっても楽しみな2人だった。
***
怪盗団ファントムのアジト。
ウソノワールの手元には、緑色に輝くマコトジュエルがあった。
「ご苦労だった。アルカナ・シャドウよ」
満足そうなウソノワール。
その横では、勝手に動いた事で怒られたのか、アゲセーヌがひどく不貞腐れていた。
「うん? どうした、アルカナ・シャドウよ」
様子のおかしいアルカナ・シャドウに、ウソノワールが気付く。
「アルカナ・シャドウは少し疲れてるみたい。今日はこのまま、部屋で休ませてもらっても?」
マシュタンが前に出てウソノワールに尋ねる。
「いいだろう。こうしてマコトジュエルも手に入ったのだ。休むがいい」
ウソノワールの許可をもらうマシュタン。
「ありがとうございます。……ほら、行くわよ」
マシュタンが、心ここにあらずのアルカナ・シャドウを連れて部屋に向かう。
そして、部屋に着いた二人。
「るるか。しっかりして!」
部屋に入った瞬間、アルカナ・シャドウが膝から崩れ落ちた。
「私……、私……、違う……違うの……っ」
光が弾け、変身が解除される。
るるかは、床に座り込んだまま両手で頭を抱えていた。
「私はただ、こころを救おうとしただけで……っ。何でもするって決めたの。だから……間違ってなんか……っ」
「……」
「でも……失敗している私なんかより……マシュタンが言ってることの方がずっと正しい……」
るるかは、マシュタンをすがりつくように見つめた。
「やっぱり、私が間違ってるの? 私のせいで……こころを救えなくなる?」
「嫌だ、そんなの嫌だ……っ!」
ハイライトの消えた瞳から、とめどなく涙が流れている。
心が完全に許容量を超え、感情がぐちゃぐちゃに混線していた。
「ごめんね。るるか」
マシュタンは、るるかの顔に小さな両手を当てて、無理やり顔を上げさせた。
「落ち着いて……まだ失敗してない。大丈夫だから」
「ほんと……? 本当に大丈夫?」
「ええ。大丈夫。だから……今はゆっくり休みなさい、るるか」
るるかの頭を、小さな手で優しく撫で始めるマシュタン。
「マシュタン……。ごめんね……。マ……シュ……タン……」
安心したのか、るるかはそのまま気絶したようにパタリと眠りに落ちた。
「るるか……。貴女……もう、自分が何をしてるのかも分からなくなってきたのね……」
マシュタンは、眠るるるかの寝顔を悲しそうに見つめた。
「こころちゃんを何としてでも助ける。それだけを考えているから、精神が極限状態になって、ちょっとしたことで暴走もしてる。何より、貴女は自分の感情を制御できなくなってるのね」
マシュタンは、るるかの頬にそっとキスをした。
「ごめんね、るるか。貴女の暴走を止めるためには……貴女にとって一番辛い思いをする言葉を言うしかないの」
「どんなに辛くても、苦しくても……貴女の味方で居続けるからね」
「スー、スー、スー……」
涙の跡を残したまま、静かに寝息を立てるるるか。
「おやすみ、るるか。今は……ゆっくり休んで」
狂気と絶望に侵食されていく少女の心を繋ぎ止めるのは、小さな妖精の無償の愛だけだった。
気絶したように眠ってしまったるるかを、マシュタンは小さな身体で、何とかベッドまで運んだ。
汗と泥で汚れた服を脱がせ、るるかを起こさないようにそっと清潔な寝巻に着替えさせる。
そして、自分も疲れ果てて、るるかの枕元で深い眠りについた。
その頃、るるかは深く、甘い夢を見ていた。
『あれ……ここは……』
るるかが見渡すと、そこは見慣れた『キュアット探偵事務所』だった。
温かな日差しが差し込む部屋には、自分たちが楽しく過ごしていた時の家具が置かれており、るるか自身の姿も、探偵の頃に着ていた服の姿だった。
『おねえちゃーん!』
明るい声が聞こえ、振り返るるるか。
そこには、満面の笑みを浮かべたこころの姿があった。
『こ……ころ……』
信じられない思いで立ち尽くするるかの視線の奥には、エプロン姿のくれあと、彼女のパートナーであるシュシュタンも存在していた。
『どうしたの? るるか。そんな顔して』
くれあが、不思議そうに小首を傾げる。
『いや……これは、夢?』
『何言ってるの? もしかして寝ぼけてるの?』
くすくすと笑うくれあ。
こころが、るるかの胸にポーンと勢いよく抱き着いてきた。
『どうしたの、お姉ちゃん。顔が暗いよ?』
大きな瞳で、るるかの顔を心配そうに覗き込んでくるこころ。
その瞳には、しっかりと光が宿っている。
『ううん。……何でもない』
るるかは、こころの温かい身体をぎゅっと抱きしめ返した。
(そっか……。今までのが、全部悪い夢だったんだ)
心の底から安堵し、るるかはそう思い込んだ。
それから、くれあが作ってくれた美味しいお菓子を、るるか、こころ、くれあ、マシュタン、シュシュタンの5人で、テーブルを囲んで喋りながら食べた。
部屋の中には、絶えることのない笑顔があふれていた。
『お姉ちゃん。はい、あ~ん!』
こころが、スプーンに乗せたアイスをるるかの口元へ差し出す。
『こころ。恥ずかしいよ……』
『いいじゃん、たまには! ほら、あ~ん』
『……あ~ん』
るるかがパクリとアイスを食べる。
『おいしい』
『ね! みんなで食べるとおいしいね!』
『うん』
るるかは、心からの、曇りのない笑顔を見せた。
そして夜になり、自室へ移動する。
こころと一緒のベッドで眠るるるか。
こころは、るるかの腕の中にすっぽりと収まり、甘えるように抱き着いていた。
『お姉ちゃんといると、なんだかあったかいな』
『どうしたの? 急に』
るるかが優しく頭を撫でる。
『ううん、何でもない。お姉ちゃん、大好き』
『私も大好きよ、こころ』
『お姉ちゃんと生きる日々が、ずっと続けばいいのに……』
『大丈夫よ。ずっと一緒だから』
るるかは、こころの小さな背中を強く抱きしめた。
『ねぇ、お姉ちゃん』
『どうしたの?』
『もし私が助けを求めた時、お姉ちゃんは助けてくれる?』
『もちろん。今までもこれからも、ずっと助けるわ。あなたは大切な妹だもの。絶対に』
るるかが力強く誓った、その瞬間だった。
急に、腕の中にいるこころの雰囲気が、氷のように冷たく変わった。
『嘘つき』
『えっ……』
るるかは、心臓を鷲掴みにされたような、息の止まる感覚に襲われた。
『嘘つき。お姉ちゃんの嘘つき』
見上げたこころの瞳は、真っ暗な虚無に染まっていた。
『こころ……』
るるかが瞬きをした瞬間。
温かかった自室の景色はぐにゃりと歪み、冷たく暗い森の中へと変貌していた。
ウソノワールと戦い、すべてを失ったあの湖のほとりの森。
そして、るるかの目の前には――血を流し、ボロボロになって倒れているこころの姿があった。
『こころ! こころ! 目を開けて!』
るるかは狂乱して、こころの身体を抱き寄せる。
呼びかけに応え、薄っすらと目を開けるこころ。
『こころ! よかった!』
『なにが……良かったの?』
『えっ』
『どうして……私はボロボロなのに、何が良かったの?』
『ち、違うの。こころが目を覚ましたから……』
こころは、焦点の合わない瞳でるるかを睨みつけた。
『約束してくれたのに……』
『お姉ちゃんが……助けてくれるって、言ったのに……』
『あっ、違うの。本当に助けようと……』
『もう……お姉ちゃんを、信じられないよ』
冷たい拒絶。
るるかの心が、妹の言葉でボロボロに崩れ落ちていく。
『そんな……。いやだ、ごめんなさい。嫌いにならないで……っ』
『大好きだったのに。どうしてなの。どうして助けてくれなかったの』
こころの口から、最後の呪いが吐き出される。
『お姉ちゃんなんか、大っ嫌い』
その一言とともに、こころがガクンと首を落とし、完全に意識を失った。
『やだ。こころ。こころっ』
目を覚まさないこころを揺さぶり、るるかはふと自分の手を見つめた。
自分の両手が、こころの身体から流れたドス黒い血で、真っ赤に染まっていた。
『あ、あ、あ、あ、あ……私のせい、私のせいだ』
『いやぁぁぁぁぁぁぁッ!!!』
血塗れの手を掲げ、るるかは漆黒の森で絶望の絶叫を上げた。
***
「ハァッ、ハァッ、ハァッ……!!」
るるかは、弾かれたようにベッドから起き上がった。
全身が、バケツの水を被ったように汗だくになっている。
呼吸が浅く、心臓が破裂しそうなほど激しく脈打っていた。
「ゆ、夢……」
震える首を横に向けて、隣のベッドを見る。
そこには、虚ろな目をして静かに横たわるこころの姿があった。
血は流していない。
そして、るるかは慌てて自分の両手を見つめた。
手は白く、血の跡などどこにもなかった。
「夢……いや、現実? 夢? 現実? 夢? 現実? 夢? 現実……?」
悪夢の生々しい感覚と、絶望的な現実の境界線が融け合い、るるかの脳は完全にパニックに陥った。
どっちが現実か分からなくなり、視界がぐらぐらと回る。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
るるかは、自分の髪を掻きむしるようにして頭を抱え込んだ。
「るるか?」
悲鳴を聞き、眠っていたマシュタンが飛び起きた。
頭を抱え、嫌だ嫌だと頭を横に振って泣き叫んでいるるるか。
「あぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「るるか! るるか! どうしたの!」
「いやだ! いやだぁぁぁ! 嫌わないで! 違うの! 助けるつもりだったの!!」
るるかの瞳の焦点は合っておらず、目の前にいない幻影に向かって必死に弁明していた。
「るるか、しっかりして! 落ち着いて!」
マシュタンが小さな手でるるかの肩を揺するが、るるかの錯乱は止まらない。
「ごめんなさい。ごめんなさい。許して……っ」
「何でもするから。どんなことをしてでも、絶対に助けるから……っ」
「だから、きらいにならないでぇぇぇぇぇッ!!」
「るるか……いったい……」
「許して……許し……て……」
るるかの身体から、フッと力が抜けた。
極度のパニックと精神的疲労が限界を超え、脳が強制的にシャットダウンしたのだ。
るるかはそのまま糸が切れたようにベッドに倒れ込み、再び意識を失った。
「るるか……。そんなに追い詰められているの……」
荒い息を立てて気絶しているるるかの寝顔を見つめ、マシュタンは深く心を痛めた。
「このままじゃ、るるか自身がもたないわ……」
マシュタンは、冷や汗を流して苦しむるるかの額をそっと拭った。
「アタシも支えるけど……目的を達成するまで、るるかの精神を持たせられるかしら」
マシュタンは、るるかを救い、光の当たる場所へ引っ張り戻してくれる存在について思考を巡らせた。
「るるかを救えるとしたら……」
隣で静かに息をするこころを見る。
「こころちゃんが元通り居ればすぐなんでしょうけど……今は無理。後は……くれあ」
「でも……くれあは記憶を失っているわ」
「それに、くれあの事も、アタシ達の目的の一つ……」
現状、るるかのこの底知れぬ絶望と狂気を理解し、救い出せる人間は誰もいない。
「……誰も頼れないわね」
マシュタンは、きゅっと小さな拳を握りしめた。
「何とかして、アタシが支えるしかないわね。るるか、ちゃんと側にいるからね」
マシュタンは、汗だくで再び意識を失ってしまったるるかが風邪を引かないよう、新しい着替えと冷たいタオルを取りに、静かに部屋を後にするのだった。
***
気絶したように眠ってしまったるるかを清潔な寝巻に着替えさせたマシュタン。
それから数時間後。
「……ん……」
るるかが、ゆっくりと重い瞼を開けた。
「あれ……わたし……確か……」
「目が覚めた? るるか」
傍らにいたマシュタンが、ホッとしたように声をかける。
「マシュタン……」
「大丈夫? かなり辛そうだったけど」
「わたし……あれ……どうしたんだっけ……」
ぼんやりとする頭で、るるかは意識を失う前の記憶を辿った。
そして――あの、血に染まった両手と、妹の拒絶の呪詛が脳裏にフラッシュバックした。
「あっ……そうだ……わたし……っ」
るるかの瞳孔が収縮し、全身がガタガタと震え始める。
「や、やだ……嫌だ……! 嫌われる……っ!」
るるかは布団の中で身体を丸め、再び両手で頭を抱え込んだ。
「ヤダヤダヤダヤダ! 嫌わないで、お願い、嫌わないでぇ……っ!」
「るるか! 大丈夫! 大丈夫だから!」
パニックを起こしそうになるるるかの顔を、マシュタンは小さな両手でしっかりと挟み込んだ。
「るるか! アタシを見て! 大丈夫だから!」
「あっ……」
るるかが、ひどく怯えた小動物のような表情でマシュタンの顔を見る。
「マ、マシュタン……っ」
精神的に全く安定しておらず、るるかの呼吸は浅く、異常に速くなっていた。
過呼吸気味だ。
「るるか。落ち着いて。アタシに合わせて、ゆっくり息を吐いて。ほら……ふぅー」
「はぁ、はっ、はっ、はっ、ふ、ふぅ、はっ……っ」
「落ち着いて。そんな風に息を吸えば余計苦しくなるから。慌てないで、ゆっくり息を吐いて」
マシュタンが、るるかの胸を優しくさすりながら誘導する。
「ふぅー……、はぁー……」
「そうよ。大丈夫。大丈夫だからね」
マシュタンの穏やかで優しい声掛けに合わせ、るるかの過呼吸が少しずつ、ゆっくりと治まっていった。
「はぁ……はぁ……。あ、ありがとう、マシュタン……」
「お礼なんていらないわ。当たり前のことをしただけなんだから」
マシュタンは、あらかじめ用意しておいた濡らした冷たいタオルを持ってきて、るるかの額や首筋の汗を丁寧に拭ってあげた。
「安心して、落ち着いて。ここには誰も貴女を責める人なんていないから」
「で、でも……わたし……っ」
未だに、るるかの喋る声は小刻みに震えていた。
夢で見た凄惨な光景が、つい先日、マコトジュエルを無理やり入れた際にこころから拒絶された現実のトラウマと完全に混ざり合ってしまい、精神的ダメージが限界を突破していた。
酷ければ、夜中の出来事のように、今自分がいるのが夢なのか現実なのかも分からなくなってしまいそうだった。
「大丈夫よ。大丈夫だから。るるか、何があったの? アタシに話してみて?」
マシュタンは、るるかの背中を優しくトントンと叩きながら促した。
「あ、あのね……夢を見たの……」
るるかは、毛布をきつく握りしめながら、ポツリポツリと語り始めた。
「探偵事務所で、5人で過ごしていた時の夢。皆、笑ってた。こころも笑っていて、私も自然と笑えてた……」
「うん」
「それでね……あぁ、今までの事は全部『悪い夢』だったんだって思ったの。そう思うほどに、嬉しかったの……。楽しかったの。嬉しかったの。あの頃に戻れて……」
「うん。そうよね。あの頃は楽しかったものね」
マシュタンは相槌を打ちながら、静かに耳を傾ける。
「それで、夜にこころと一緒に寝てたの。いつもみたいに抱きついてくれて……大好きって言ってくれてね」
「……」
「だ、だけど……『嘘つき』って」
「嘘つき?」
るるかの目から、再び大粒の涙が溢れ出した。
「助けてくれるって言ったのに……って、こころに言われたの」
「るるか……」
「そ、それから……世界がおかしくなって……こころが……森の中で倒れていて……血だらけで、ボロボロで……っ」
「はぁ、はぁ、はぁ、グスッ……そ、それで……」
呼吸が乱れそうになるるるかを、マシュタンが「大丈夫よ、るるか。ゆっくりでいいから」と優しくなだめる。
「それで……本当に助けようと思ってた事を伝えたの……。でも……もう信じられないって……どうして助けてくれないのって言われて……。謝ることしかできなくて……」
「それで……それで……『大っ嫌い』って……こころに言われて……っ」
「グスッ、グスッ……私の手はこころの血で真っ赤で……私のせいで……私のせいで……っ」
再び狂乱の渦に飲み込まれそうになるるるかに、マシュタンは顔を近づけて声をかけた。
「大丈夫よ。ほら、呼吸をして。私を見て」
マシュタンの真っ直ぐな瞳を見て、るるかはどうにか現実に意識を繋ぎ止めた。
「それで……目を覚ましたけど……夢なのか現実なのか分からなくなって……」
るるかは、自嘲するように、しかしひどく怯えた声で言った。
「夢かもしれないけど……でも、私のせいでこころが傷ついたのは『事実』で……もう、わけわからなくなって」
「こころに、嫌われたくなくて……! だって……こころに嫌われたら……私は……もう……どうしたらいいか……分からなくて……っ」
「そう。辛かったわね。よく頑張ったわね、るるか」
マシュタンは、るるかの頬を優しく撫でた。
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい。また……迷惑ばっかりかけて……」
「大丈夫よ」
「じ、自分でも……よくわからなくって。自分の感情が制御できなくて……滅茶苦茶になって……そ、それで……うぅぅぅぅぅ……っ」
自分の弱さと不甲斐なさに、るるかが再び頭を抱え込もうとする。
「大丈夫だから。そんな風にしないの。顔を上げて」
マシュタンが、るるかの手を優しく解いた。
「よく話してくれたわね、るるか。大丈夫。どんなに貴女が辛くても、アタシは必ず貴女と一緒よ」
「マシュタン……」
るるかの瞳から、せき止めていたものが決壊したように涙がこぼれ落ちた。
「もう、泣き虫さんね。るるかは、いつからこんなに泣き虫さんになったの?」
マシュタンが、わざと少しだけからかうように、優しく微笑む。
「だってぇ……! だってぇぇぇ……っ!」
るるかは、子供のように声を上げて泣きじゃくった。
「もう自分が分かんなくて! 自分が嫌いになってきて! でも……こころの事は助けたくて! 嫌われたくない! でも、嫌われたとしても助けたくて! でも、私なんかで助けられるのか、自信がだんだんなくなってきて……っ!」
支離滅裂な感情の吐露。
それが、今のるるかが抱える重圧のすべてだった。
「悪夢まで見るようになって……こころがそんな事言うはずないって思ったけど……この間、こころの声を聞いて拒絶された事がトラウマで……もう、自分でもよくわからないよ……っ」
「貴女はよくやってるわ」
マシュタンは、泣き崩れるるるかを小さな両腕で包み込むように抱きしめた。
「アタシは直接戦えるわけでもない。貴女は、ずっと1人で良くやってるわよ。ただ……すこし疲れてるだけよ」
「マシュタン……」
「だから、大丈夫。自信を持って。……もし持てないなら、貴女のことを信じている『アタシ』を信じてちょうだい」
その言葉に、るるかの心がじんわりと温かさに包まれた。
「マシュタン〜……。ありがとう……っ」
るるかは、マシュタンの小さな身体を壊れないように、けれど縋りつくように強く抱きしめた。
「るるか。きっと大丈夫。信じましょう。アタシ達なら救うことが出来るって。少しでも希望を持ちましょう。アタシ達が信じなきゃ、誰が信じるっていうのよ。頑張りましょう、2人で」
「うん……うん……っ」
るるかは、マシュタンの胸で何度も何度も頷いた。
「ほら、まだ休みなさい。次に目が覚める時は、きっと大丈夫だから」
マシュタンに促され、るるかは再びベッドに横たわった。
しかし、布団を被りながらも、るるかの瞳にはまだ拭いきれない不安が残っていた。
「でも……もし、また見たら……」
「大丈夫。私が側にいるわ」
マシュタンは、るるかの震える左手を、自分の小さな両手でぎゅっと握りしめた。
「ほら、隣で握っててあげる。これなら怖くないでしょ?」
「……うん」
マシュタンの温もりが手から伝わり、るるかの張り詰めていた神経が、今度こそ本当に解れていった。
それから間もなく、るるかは穏やかな寝息を立て始めた。
今度は、うなされることもなく、静かな眠りだった。
「るるか……」
繋いだ手を見つめながら、マシュタンは暗い部屋の中で決意を新たにした。
「きっとこれからも、辛いことが沢山あるわ。でも……それでも……一緒に乗り越えましょう」
深い絶望の闇の中で、少女と妖精の絆だけが、唯一の希望の光として輝いていた。