名探偵プリキュア! 〜迷宮のアルカナと偽りの真実〜 作:暁 蒼空
意識を失い、血だまりの中でピクリとも動かなくなったこころ。
るるかは、ボロボロの身体を引きずり、泥に這いつくばりながら妹の元へと向かった。
「こころ……こころ……っ」
必死に手を伸ばし、ようやく冷たくなりつつあるこころの身体に触れる。
泥だらけの右手を震わせながら、るるかは妹の小さな肩をそっと揺すった。
「こころ。こころ。お願い……起きて。目を覚まして……こころ」
「…………」
「こ……こ……ろ。そんな……どうして……っ」
意識を失い何も答えない妹の顔に、るるかの瞳からとめどない涙が溢れ落ちた。
しかし、その悲しい静寂はすぐに引き裂かれた。
ウソノワールが無造作に手を伸ばし、意識を失っているこころの首を掴んで、ボロ布のように乱暴に持ち上げたのだ。
「な、なにを……。はなして……こころを離して……!」
「悪いが、キュアシンシアは貰っていくぞ」
冷酷な宣告。
「そんな……だめ……かえして……っ」
「それは無理な相談だ」
こころの首を片手で掴んだまま、ウソノワールは背を向けた。
るるかは悲鳴を上げ、這いずりながら必死にウソノワールの右足にすがりついた。
「うん?」
「嫌だ! 返して。こころを返して……っ!」
振り返り、足元で泣き叫ぶるるかを見下ろすウソノワール。
彼は煩わしそうに軽く足を動かし、るるかを蹴り除けた。
耐えきれず手を離してしまい、るるかは無様に横へと転がり落ちた。
「うあっ」
「るるか! 大丈夫?」
何度も転がり、泥だらけのるるか。
慌てて駆け寄るマシュタン。
そんな二人を見下ろし、ウソノワールは残酷な言葉を紡ぎ始めた。
「キュアアルカナよ。キュアシンシアがこんな事になったのは、お前にも原因がある」
「えっ……」
るるかは、涙で顔を濡らしたまま顔を上げた。
「お前が先に立って我らの邪魔をしなければ、少なくともキュアシンシアが……貴様の大切な妹が、こんな事になることなんてなかったのだ」
「そんな……でも……貴女達を止めないと、この世界は……!」
「貴様が率先して動く事で貴様の妹を巻き込み、その上、貴様は実力差も分からず私に敗北した。そして敗北した貴様を助ける為に、キュアシンシアは我らに立ち塞がったのだ」
その言葉が、鋭い刃となってるるかの胸を抉る。
「あっ……あっ……」
「全て、貴様を助ける為だけの行動だった。キュアシンシアがボロボロになったのは、貴様が先になり我らに逆らったからにすぎない」
「うそだ……。違う。わたし……そんなつもりじゃ……っ」
泣きそうな顔で首を振るるるかへ、ウソノワールは追い討ちをかけるように言った。
「キュアシンシアは頂いていく。貴様への見せしめだ。我ら、怪盗団ファントムに逆らったことがいかに愚かな事だったか、精々思い知るがいい。そして絶望するがいい。貴様の無知が……弱さが……貴様の大切なものを奪ったことを」
「わたしのせい……わたしが……こころを……」
るるかの目に、絶望の影が色濃く落ちた。
そこへ、ニジー、アゲセーヌ、ゴウエモンの三幹部が姿を現した。
彼らはウソノワールの周囲に控える。
やがて、ウソノワール達の身体が不気味な緑色のオーラに包まれ始めた。
「さらばだ。キュアアルカナ。愚かな名探偵よ。貴様のせいで……貴様の大切な妹は……これから絶望に染まるのだ」
「嫌だ。お願い。待って……!」
空間が歪み、彼らの姿が薄れていく。
「嫌だ! 返して! こころ! こころぉぉぉっ!!」
るるかの血を吐くような叫びも虚しく、怪盗団ファントムはこころを連れ去り、完全に姿を消した。
「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!」
「るるか。るるか。気をしっかり持って……!」
「ヒグッ……。わたしの……わたしのせい……。全部、わたしが。私のせいでこころが……っ! 嫌だ! 嫌だよ! こころぉっ!!」
誰もいなくなった湖畔に、るるかの慟哭だけが虚しく響き渡る。
るるか と こころ。姉妹探偵は、名探偵プリキュアはこの日、最も残酷な形で引き裂かれたのだった。
怪盗団ファントムのアジト。
そこはウソノワールの趣味と美学が反映された、赤いカーテンや豪奢な舞台が備えられた「劇場」をモチーフとした巨大な空間だった。
しかし、そのステージの中央には、およそ劇場には似つかわしくないおぞましい設備が鎮座していた。
重厚な鋼鉄でできた、T字型の磔台。
そこに、森亜こころが磔にされていた。
両腕は太い鎖で磔台に縛り付けられ、両足には重りのついた分厚い足枷が取り付けられ、完全に宙吊り状態にされている。
その重みが、砕けた両足の骨に絶え間ない激痛を与える仕組みとなっている。
服はボロボロに引き裂かれ、全身の打撲や骨折も放置されたまま。流れた血は黒く凝固し、痛ましい傷口にへばりついている。
「起きろ。キュアシンシアよ」
「…………」
「はぁ~。仕方ない」
気絶したままピクリとも動かないこころに対し、ウソノワールは退屈そうに指を鳴らした。
『パチンッ』
その音を合図に、磔台に仕込まれた高圧電流が、こころの全身を容赦なく駆け巡った。
「あ、あッ……ぁああっ!?」
バチバチという音と共に、限界を超えた身体が激しく跳ねる。
気を失っていたこころは、全身の細胞が焼け焦げるような激烈な痛みに、強制的に意識を叩き起こされた。
「うっ……あっ……。こ……こ……は……」
「お目覚めかな? キュアシンシア」
「ウソノワール……ここは……いったい……」
霞む視界で顔を上げたこころに、ウソノワールは冷酷な笑みを浮かべた。
「ここは我らのアジトだ。悪いが貴様にはここで絶望してもらう。そして二度と我らに逆らえんようにする」
再び、容赦のない電流が流される。
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁっ!!」
全身の肉が焼けるような痛み。こころは喉が裂けるほどの悲鳴を上げた。
電流が止まれば、次は容赦のない殴打や蹴りが襲い掛かる。
そして痛みに耐えきれず意識を失えば、再び高圧電流で強制的に叩き起こされる。
その終わりの見えない無間地獄の繰り返し。
こころはただ、絶え間ない苦痛に泣き叫ぶことしかできなかった。
どれほどの時間が経過したのだろうか。
度重なる拷問により、こころの身体はビクッ、ビクッ、と不規則に痙攣を繰り返していた。
瞳からは、とめどなく涙が溢れ出ている。
「たすけて……お姉ちゃん……っ」
限界を超えた精神が、無意識に一番頼りたい人の名前を呼ぶ。
「誰も助けになど来るはずがない」
ウソノワールは冷たく言い放つと、こころの顔へと右手を伸ばした。
「ひっ! や……やだ……。もう……」
「安心しろ。物理的なことなどしない」
ウソノワールの瞳が、再び不気味な真紅の光を放った。
「嘘よ、覆え!」
「貴様は姉の事が大嫌いで、恨んでいる」
(え……?)
直後、こころの脳内に「姉への激しい憎悪」という、ありもしない感情が強制的に書き込まれた。
「いやだ……やめて……そんな事あるわけない……っ!」
こころは必死に首を振る。
(私は……お姉ちゃんが大好きなのに……っ!)
「嘘よ、覆え!」
「貴様は姉に嫌われており、姉は貴様の事など大切にしたことがない。そう思え。」
さらなる「ウソ」が、こころの脳髄を直接侵食していく。
「そんな事……ない! そんなのあるわけない!」
「いやだ……。お姉ちゃんの事が……好きなはずなのに、どうして……っ」
肉体的な激痛で思考力を極限まで削られた上で、魂の根幹である「姉への愛情」を強制的に否定され、塗り替えられていく恐怖。
「も、もう辞めて。いやだ……私は……お姉ちゃんが……っ!」
ウソノワールの能力は、一時的なもの。
ずっと続く訳では無いが、何度も繰り返すうちに、こころの自我を確実に、そしてジワジワと削り取っていった。
身体と共に、精神がボロボロに追い込まれていく、永遠にも似た拷問の時間。
逃げ場のない暗闇の中で、こころの精神は確実に、崩壊の淵へと向かって突き落とされていく。
やがて、限界を迎えたこころは、再び深い闇の中へと意識を落とした。
「じっくりいくとしよう。貴様が絶望に染まるのが楽しみだ、キュアシンシアよ」
「…………」
冷たい磔台の上で、意識を失い項垂れるこころ。
この理不尽な拷問と精神破壊が、彼女の心を「完全に砕け散らせる」その日まで、地獄の時間はまだ始まったばかりだった。
こころが連れ去られ、ウソノワールという絶望の前に完全敗北を喫したるるか。
『貴様の無知が……弱さが……貴様の大切なものを奪ったことを』
『全て、貴様を助ける為だけの行動だった』
ウソノワールの残酷な言葉が、呪いのようにるるかの脳内に何度も響き渡っていた。
「私のせい……私が名探偵プリキュアなんてやってたから……だから……こんな……っ」
「るるか! それは違う。それだけは違うわ」
「でも……現実は……こんな結果で……っ」
泥に塗れた手を顔に押し当て、るるかは泣きじゃくった。
「こころが……こころが……っ」
「こころ……こころ……」
いくら呼んでも、もう隣にあの温もりはない。
自分のせいで、大好きな妹が理不尽な世界へと引きずり込まれてしまった。
その残酷な現実が、るるかの心を無惨に引き裂いていた。
「るるか……」
マシュタンが悲痛な声で呼びかけた、その時だった。
『ザバァッ……』
湖から、鈍い水音が聞こえた。
るるかとマシュタンが顔を向けると、そこには、小さな身体で必死にくれあを岸へと引き上げようとしているシュシュタンの姿があった。
「シュシュタン!」
「くれあ……!」
るるかは、彼女を引き上げる手伝いをしようと、這いつくばった状態から無理やり上体を起こそうとした。
しかし。
「くっ……あぁぁっ!」
身体の深部を走る激痛に耐えきれず、るるかは再び倒れ込んでしまった。
「るるか、無茶しないで。私が行くわ」
マシュタンが慌ててシュシュタンの元へと飛び、二人の妖精が力を合わせて、気を失ったくれあを岸へと引き上げた。
その痛ましい光景を嘲笑うかのように、空が急速に鉛色に曇り――やがて、冷たい雨が降り始めた。
それはまるで、彼女たちの失われた幸福と、これから始まる絶望の未来を暗示するような、冷たく激しい雨だった。
それから数日が経過した。
雨上がりのキュアット探偵事務所。そこには、重苦しい静寂が漂っていた。
ベッドには、まだ意識が戻らないくれあが眠っている。
リビングには、るるか、マシュタン、シュシュタンの三人の姿があった。
プリキュアの力のおかげで、命に関わるような怪我ではなかったるるか。
しかし、こころの元へと血を流しながら這いつくばって進んだことで、るるかの手足は擦り切れ、今は何箇所にもガーゼや絆創膏が貼られていた。
あの日、妖精たちの力だけで二人を運ぶことは不可能だった。
るるかは激痛に耐えながら無理やりプリキュアに変身し、くれあを抱えて事務所まで帰還したのだった。
「くれあのマコトジュエルがとられたでシュ……」
シュシュタンが、今にも泣き出しそうな声でポツリとこぼした。
「きっと目覚めた時には、プリキュアに変身したこと、それから……るるかやこころと出会った時から、二人の探偵の助手をしていた時の記憶はないでシュ」
マコトジュエルが奪われた。
次に目が覚めた時、彼女はもう『自分たちが知っているくれあ』ではなくなっている。
その事実を突きつけられ、るるかは深く俯き、膝の上で両手を強く握りしめた。
「これからどうしましょうか……」
マシュタンが重い口を開く。
「くれあは記憶を失い、こころちゃんは連れ去られた。それに……るるかも、今はダメージが体に残ってるから、まともに動くわけにはいかない」
沈黙が続く中、俯いていたるるかが静かに言葉を発した。
「シュシュタン……くれあを……探偵事務所じゃない、別の所に移す」
「え……?」
「くれあには助手を辞めてもらうわ。きっとその方が、彼女は幸せよ……」
「でも!」
「何かあった時の為に、アパートを借りていたの」
るるかは、自分に言い聞かせるように淡々と言葉を紡いだ。
「だから……そっちに移すわ。普通の生活に戻ってもらう。だから……お願い。くれあの側にいてあげて、シュシュタン……」
「それは分かったけど……るるかはどうするの? 今は安静にしてるべきだと思うけど」
「そんな事、言っていられない。くれあのマコトジュエルと、こころを取り戻しにいく」
るるかはそう言うと、テーブルに手をつき、ゆっくりと立ち上がった。
しかし、歩き出そうとしたその足取りはひどくおぼつかない。
二歩、三歩と進んだところで、蓄積されたダメージと痛みに耐えきれず、るるかは膝から崩れ落ちてしまった。
「るるか! 無茶よ! 取り返すって言ったって、今の貴女の身体は、この通りまともに動けないじゃない!」
「いやだ……無理にでも行く」
るるかは壁に手をつき、歯を食いしばって再び立ち上がった。
「必ず……くれあと、こころを……っ」
壁にすがりつくようにして、歩き出するるか。
その瞳には、もはや『天才探偵』としての冷静さは微塵もなかった。
あるのはただ、大切な相棒のマコトジュエルと、妹を救い出すという執念だけ。
「もう! あの子は、どうして……っ」
マシュタンは呆れたように息を吐き、そしてシュシュタンに向き直った。
「ごめんなさい、シュシュタン。私は、るるかについていくわ。くれあを宜しくね」
「シュシュ……」
キュアット探偵事務所を出て、痛む身体を引きずりながら歩き出するるか。
「るるか……宛はあるの?」
「分からない……きっとファントムのアジトは、普通には行けないところだと思う」
フラフラと歩きながら、るるかは前を見据える。
「だから……もう一度、あの湖に行ってみる。もしかしたら何か手がかりが残ってるかもしれない……」
一方、怪盗団ファントムのアジト。
劇場のステージに設置された磔台で、こころは数日の間、来る日も来る日も容赦のない拷問を受け続けていた。
意識を失えば高圧電流が流れ、無理やり意識を呼び起こされる。
休む間もなく物理的な暴力を加えられ、そして――最も恐ろしい『ウソ』の能力によって、感情を強制的に書き換えられる日々。
アジトには、絶え間なくこころの悲痛な絶叫が響き渡っていた。
肉体の破壊もさることながら、嘘で強制的に覆われ続けることで、こころの精神は日に日に、確実に削り取られていた。
「いやだ……お姉ちゃん……助けて……嫌いにならないで……。こころ……言う事聞くから……だから……っ」
虚ろな瞳から涙を流し、うわ言のように懇願するこころ。
「もう諦めろ。貴様の姉は、助けになんて来やしない」
「そんな事ない……お姉ちゃんは……絶対に助けに来てくれる……!」
力なく反論するこころへ、ウソノワールは残酷な事実を突きつけた。
「ならば何故だ。何故数日も経っているのに助けに来ない。何故貴様は未だにこんな目にあっている?」
「そ、それは……っ」
「見限られたのだ、貴様は」
「嘘だ……そんな事……あるはず……ない……っ」
『バチバチバチッ!!』
「うわあぁぁぁぁぁっ!!」
否定の言葉を遮るように、容赦のない電流が流される。
(お……ね……え……ちゃん……、わ……たし……もう……っ)
痛覚も、感情も、すべてが限界だった。
こころの身体と精神は、もはや完全な崩壊の一歩手前まで追い詰められていた。
あの日と同じ湖へと到着したるるか達だったが、周囲には何の手がかりも見当たらなかった。
足を引きずりながら探しても探しても、怪盗団ファントムに繋がるようなものは何一つ残されていない。
焦燥感がるるかを包みかけた、その時だった。
「……!」
突然、空間が歪み、緑色の禍々しい光と共にウソノワールが姿を現した。
「ウソノワール!」
るるかは痛む身体に鞭を打ち、瞬時にキュアアルカナへと変身した。
「随分遅かったな、キュアアルカナ」
「ウソノワール、こころは何処にいるの! こころを……返して!」
怒りに任せて叫ぶアルカナに対し、ウソノワールは余裕の態度を崩さなかった。
「まぁ慌てるな。貴様の事を特別に招待してやろうと思ってな」
「招待……?」
「そうだ。我ら、怪盗団ファントムのアジトへ」
ウソノワールが背後に開いた緑色の光のゲートを指し示す。
「来るなら来い。その光に入れば我らのアジトへ来れる」
そう言い残し、ウソノワールは先にアジトへと戻っていった。
残された緑色のゲートが、不気味に揺らめいている。
「るるか……どうする? 罠の可能性も……」
「でも、またとないチャンス。これを逃したら、次はいつになるか分からない」
アルカナの決意は固かった。
罠だと分かっていても、飛び込む以外の選択肢などない。
「行こう! マシュタン!」
二人は躊躇うことなく、緑色の光の中へと足を踏み入れた。
この先で、愛する妹がどのような惨劇を強いられているのか。
そして、自分自身の心が永遠に縛り付けられるほどの『完全な崩壊』を目撃することになるとは知らずに。
悲劇の最終幕が、開かれようとしていた。
るるかとマシュタンは緑色の光を抜け、怪盗団ファントムのアジトへと足を踏み入れた。
「ここが……」
「うん。ここが……怪盗団ファントムのアジト」
そこは、不気味なほどに豪奢な、赤いカーテンが揺れる『劇場』を模した空間だった。
警戒しながら観客席にあたる通路を進む二人の前で、突然、暗かった劇場の舞台部分にまばゆいスポットライトが当てられた。
「なっ!」
「っ!?」
二人は、その光に照らされた光景を目にし、息を呑んで目を見開いた。
舞台の中央。
重厚な磔台に縛り付けられ、血と泥に塗れて宙吊りになっている、ボロボロのこころの姿があった。
「こころっ!」
アルカナは弾かれたように駆け出した。最愛の妹を助け出すため、舞台へと飛び乗ろうとする。
しかし――。
『ガンッ!!』
「え……?」
舞台のすぐ目の前で、見えない強固な壁に激突した。
透明な壁が、観客席と舞台の間を完全に分断するように張られていたのだ。
「こころ! こころ!!」
アルカナは拳が血に染まるほど、何度も何度も透明な壁を叩きつけた。
その叫び声が届いたのか、磔にされたこころが、うっすらと重い瞼を開いた。
「うっ……あっ……、お……ねえ……ちゃん」
「そうだよ。お姉ちゃんだよ! 助けに来たよ!」
アルカナが叫んだ瞬間、こころを縛り付けていた磔台が不意に消滅した。
支えを失ったこころの身体が、舞台の硬い床へと力なく落下する。
『ドサッ!』
「痛っ……!」
蓄積されたダメージと砕けた骨のせいで、こころは自力で起き上がることすらできず、床に伏したまま苦痛に顔を歪めた。
そこへ、悠然とした足取りでウソノワールが歩み寄ってくる。
「ウソノワール! こころを解放して!」
「…………」
ウソノワールはアルカナの叫びを完全に無視し、倒れているこころの背中を重いブーツで冷酷に踏み潰した。
「イヤァァァァァッ!!」
骨の軋む音と共に、こころの悲鳴が劇場に響き渡る。
「ウソノワール、やめて!」
こころは、ボロボロと大粒の涙を流して泣き出した。
数日間に及ぶ終わりのない拷問。
高圧電流と暴力、そして心を書き換える『ウソ』の能力。
それらによって、彼女の心と身体はとうの昔に限界を迎え、決壊していた。
「うわぁぁぁ! 痛いっ。痛いよぉ。イヤだ! 死にたくない……っ!」
「こころ! こころ!!」
ガラスの壁を叩き続けるアルカナ。
誇り高きキュアシンシアの面影はどこにもない。
限界を超えたこころは、ただ痛みに怯える幼い子供のように、るるかに助けを求めて泣き叫んでいた。
「うわぁぁん! 痛いよ、お姉ちゃん! 死にたくない! 助けてぇっ!」
「こころ! 必ず助けるから!!」
どんなに力を込めて叩いても、透明な壁はピクリとも揺るがない。
もどかしさと絶望にアルカナの顔が歪む中、ウソノワールはさらにこころの砕けた足を踏みつけた。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁーっ!!」
「やめて! もうやめてっ!!」
るるかの懇願を嘲笑うかのように、ウソノワールの瞳が不気味な真紅に染まった。
「嘘よ、覆え! 貴様は姉に嫌われている。姉に見捨てられると思い込め」
(――やめて)
アルカナの心の声も虚しく。
「あ、ああああああああっ!!」
こころの肉体が激しく痙攣し、絶叫した。
強制的に脳内を侵食してくる、最も恐れている『嘘』の感情。
それに抗おうと、こころは必死に自我を保ち、ガラスの向こうで泣き叫ぶ姉に向かって、血まみれで骨が砕けて激痛が走る右手を伸ばした。
「いやぁっ! おねえちゃ、たすけて……っ! こころ、いい子にするから……っ、何でもいうこと聞くからぁっ!!」
「こころ……っ」
「おねえちゃん……こころのこと、きらいに、ならないで……っ」
恐怖と混乱で幼児退行してしまったかのような妹の悲痛な叫びに、アルカナは涙で顔をぐしゃぐしゃにして応えた。
「嫌いになんてならない!! 大好きだよ!! 絶対に助けるから、こころ、しっかりして!!」
ドンドンッ! ドンドンッ!
割れるほどに壁を叩き続けるアルカナ。
「あ、あ、ァ……おねえ、ちゃ……ぁ……」
しかし、るるかの声はもはや、こころの心には届いていなかった。
助けを求める悲鳴が、徐々に意味を持たない空虚なうめき声へと変わっていく。
何度も、何度も『ウソ』に覆われ、極限の激痛で心身を削り取られた。
その結果――限界をとうに超え、張り詰めていたこころの精神が、アルカナの目の前で、ついに粉々に砕け散った。
「ァ……、……」
プツリ、と。
こころの瞳から、最後の光が消えた。
ガラス越しに姉へ向かって伸ばされていた血まみれの手が、力尽きたように床へとポトリと落ちる。
こころの瞳からは涙が流れ続けていたが、その瞳はひどく虚ろで、もはや何も、誰の姿も映してはいなかった。
完全に、精神が崩壊した瞬間だった。
「……あ。……あぁ……っ……」
「そんな……」
アルカナはその場に力なく膝をつき、戦う意志を完全に喪失したことで、変身が強制的に解除された。
るるかの瞳から、絶望の涙がとめどなく溢れ出す。
目の前で、壊れた。
世界で一番大切な家族。
太陽のように笑っていた、大好きな妹の精神が、自分の目の前で完全に壊されてしまった。
(私が……私が弱かったから……)
冷たい床に手をつき、るるかは自身の存在すべてを呪った。
「私が……名探偵なんてやってたから……」
「私が……名探偵プリキュアになんて、なったから……っ」
自分が動いたせいで。
自分が何もできなかったせいで。
自分に抗う力がなかったせいで。
妹はこんな無惨な姿になり、心を壊されてしまった。
助けに来たはずだった。
手を伸ばしてくれていたのに。自分を呼んでくれていたのに。
「私は……こころの手を……掴めなかった……」
ギリッと両手を強く握りしめ、るるかは慟哭した。
「何が天才探偵よ。何が……名探偵プリキュアよ……っ!」
「たった一人の大切な家族も守れないのに……私は……っ!」
深い絶望と、後悔と、自責の念。
もはや、るるかの心の中には、ウソノワールに立ち向かう気力も、プリキュアとしての誇りも、何一つ残されていなかった。
ただただ、心を失った妹を見つめながら、己の無力さに泣き崩れることしかできなかった。