名探偵プリキュア! 〜迷宮のアルカナと偽りの真実〜 作:暁 蒼空
るるかとマシュタンの口から、これまで隠されてきた真実を直接聞いた次の日。
るるかは引き続き、あんなの部屋のベッドで療養していた。
あの日から熱はなかなか下がらず、蓄積された心身のダメージに苦しんでいるるるかを、事務所の一同は交代で看病していた。
「はぁ、はぁ……っ」
ベッドの上で、熱に浮かされて息苦しそうに胸を上下させているるるか。
「るるか……」
マシュタンは片時も彼女の側を離れず、枕元にちょこんと座って心配そうに見守り続けていた。
くれあ達も、調査の合間を縫って交代で様子を見に来ていたが、るるかは一日の大半を眠り続けて過ごしていた。
これまで張り詰めていた糸が切れ、限界を超えて溜まっていた精神的な疲労や外傷、そしてシャドウの力の反動。
それらを治そうと防衛本能が働いているのか、るるかの体は起きている時間が極端に短かったのだ。
時折うっすらと目を覚ましては、水分を少し摂り、数分もすると再び深い眠りへと落ちていく。
そして、眠りの中で、彼女は時折酷く魘された。
「うっ……うぅっ……!」
突然、るるかの眉間が険しく寄られ、シーツを握りしめて体をよじる。
「るるか! どうしたの、るるか!」
魘されているるるかに気付いたマシュタンが、慌てて彼女に駆け寄る。
るるかの額からは、玉のような冷や汗が噴き出していた。
マシュタンの切迫した声を聞きつけ、氷嚢の氷を替えていたくれあが、部屋へとやって来た。
「マシュタン! どうしたの!?」
「るるかが! また悪夢を見てるみたいで……!」
くれあも急いでベッドの脇へと膝をつく。
「るるか! しっかりして、大丈夫よ、ここには私たちがいるわ!」
二人が必死に声をかけると、るるかの震える唇から、掠れた声が漏れ出した。
「こ……ころ……。い、いや……だ……」
熱で潤んだ瞳を閉じたまま、るるかは引き裂かれるような声で妹の名前を呼ぶ。
「ごめん……な……さい……。たす……ける……から……。だから……お姉ちゃんを、嫌いにならないで……っ」
ファントムのアジトにこころを置いてきてしまった現状と、これまでの罪悪感が混ざり合い、るるかは再び逃げ場のない悪夢に囚われていたのだ。
「るるか……。まだ、あの夢から抜け出せないのね……」
マシュタンが悲痛そうに耳を伏せる。
「マシュタン、それって……」
「るるかはね、ファントムにいた頃からずっと、同じ悪夢を見続けてるの。……こころちゃんから、『お姉ちゃんなんて大嫌い』『見捨てたんだね』って拒絶される悪夢を……」
「そんな……! こころちゃんは、そんな事絶対に思わないのに……!」
くれあが息を呑む。
「えぇ、頭では分かっていてもね……。精神的に極限まで追い詰められていたるるかは、毎日ではないけれど、時折こうして過去の記憶と混ざり合って悪夢に魘されるのよ」
すると、るるかが虚空に向かって、助けを求めるように右手を弱々しく伸ばし始めた。
「お願い……。大好きなの……本当なの……。だから……お姉ちゃんを、嫌いにならないでぇ……っ」
閉じられたるるかの瞳の端から、ツーッと涙がこぼれ落ち、枕を濡らす。
普段の彼女からは想像もつかない、幼い子供のように脆く、すがるような泣き声だった。
「るるか。大丈夫よ、こころちゃんは、貴女を嫌いになんて絶対にならないわ」
マシュタンが、伸ばされたるるかの右手に飛びつき、その指先を小さな体でギュッと握りしめる。
くれあも、マシュタンごとるるかの右手を両手で優しく、そして力強く包み込んだ。
「るるか……。私はここにいるよ。もう貴女を一人にはしない。……今度は、私が貴女を支えるから」
くれあの温かい手のひらの体温と、優しい声。
二人にしっかりと手を握られていることで安心したのか、るるかの荒かった呼吸が少しずつ落ち着きを取り戻し、やがて力の抜けた穏やかな寝顔へと変わっていった。
「……ふぅ。ありがとう、くれあ」
「気にしないで」
くれあは眠る親友の髪をそっと撫でながら、隣のマシュタンへと優しい眼差しを向けた。
「マシュタンは……ずっと、たった一人でこうして、壊れそうなるるかを支え続けてきたんだね」
「……そうね。色んな事がありすぎて、誰も頼れなかったから……」
ファントムに身を落とした時点で、誰の手も借りることなんて出来なかった。
マシュタン自身も、るるかが悪夢で泣くたびに、隣で一緒に胸を痛めることしかできなかったのだ。
「今まで、るるかを守ってくれてありがとう。……でも、今度は私も、あんなちゃん達も一緒にいるから。だから、マシュタンももう一人で抱え込まないでね」
くれあの慈愛に満ちた言葉に、マシュタンはハッと目を見開いた。
そして、張り詰めていたものが緩んだように、ふわりと微笑む。
「……そうね。今度は頼もしい皆がいるから、遠慮なく頼らせてもらうわ」
「うん!」
少しの沈黙の後、マシュタンは眠るるるかの顔を見つめて、ぽつりと呟いた。
「くれあ。……きっと、目が覚めても、るるかは『名探偵』で居ることを拒むと思うわ。一度でも怪盗団ファントムに加担して、皆を傷つけた自分は、もう名探偵に相応しくなんかないって」
「それは……」
「そして、昨日皆に語った通り……るるかはビッグマコトジュエルを私欲で利用しようとした。自分の理想の世界を手に入れる為にね。……その深い罪悪感も、あの子を縛り付けると思う」
くれあは、静かに頷いた。
「そうね。るるかは、誰よりも正義感が強くて、名探偵としての誇りと責任を人一倍持っていた子だから……。自分が犯そうとした罪を、自分自身が一番許せないんでしょうね」
「ええ。……それでも、皆と一緒なら、るるかはきっと戻れると思うの。直ぐにとはいかないかも知れない。まだこころちゃんの事もあるし……。それでも、太陽みたいな貴女達と一緒にいれば、るるかは元のあの子にきっと戻れるわ」
「えぇ、絶対に取り戻すわ。名探偵としてのるるかの笑顔を。……そして、こころちゃんの事も、必ず救い出す」
くれあは、眠る親友の手をもう一度強く握りしめ、心に固く誓った。
***
一方、怪盗団ファントムのアジト。
薄暗い廊下を、ゴウエモンが一人で歩いていた。
彼は周囲を警戒するように一度見渡すと、廊下の最奥にある『元・るるかの自室』の扉の前で足を止めた。
ギィ……と静かに扉を開けて、部屋の中へと入る。
薄暗い部屋の中には、医療機器の電子音だけが響いており、以前見た通りのベッドで静かに眠り続けている『森亜こころ』の姿があった。
ゴウエモンは足音を忍ばせてベッドへと近づき、痛々しいほど痩せ細った少女の顔を見下ろした。
「キュアシンシア……」
ゴウエモンの脳裏に、この間の戦いの最後……ウソノワールに妹の命を盾に脅され、絶望と恐怖に染まって泣き叫んでいたるるか(アルカナ)の瞳が蘇る。
「……あぁ、クソッ。俺、やっぱりああいう悲壮な雰囲気に弱いんだよな」
ゴウエモンは悪態をつきながら、バツが悪そうに自分の頭をガシガシと掻いた。
「それに……あいつらに『任せろ』って約束しちまったしな。男が一度吐いた唾は飲めねぇぜ」
去り際にエクレール達に言い残した自分の言葉を振り返り、フッと不敵に笑う。
「ウソノワール様、すいません。……こいつは、俺の独断です」
ここには居ないウソノワールへと謝罪すると、準備を始めた。
「よし……行くか、お嬢ちゃん」
ゴウエモンは誰にも知られることなく、人知れず大きな行動を起こそうとしていた。
***
それから、数日が経過した。
キュアット探偵事務所。
部屋には、心地よい昼下がりの日差しが差し込んでいた。
「うん。だいぶ熱が下がってきたわね。平熱に戻ってる」
くれあが、るるかの額に手を当てて微笑んだ。
「「よかったぁ~!」」
あんなとみくるが顔を見合わせ、ホッと胸を撫で下ろす。
「苦しそうな感じも、もうないでシュね」
シュシュタンがベッドの縁から覗き込む。
「これなら、あと少しで完全に体調は回復するだろう」
ジェット先輩が太鼓判を押す。
「そうね。外傷もすっかり治ってきたし」
マシュタンも安堵の息を吐く。
るるかの頬や額にあった傷は綺麗に塞がり、痛々しかった包帯やガーゼも今はすべて取れていた。
「すー……、すー……」
悪夢にうなされることもなく、静かで穏やかな寝息が部屋に響いている。
「……ここまで親身に看病してもらって本当に申し訳ないんだけど、あと少しだけ、るるかに時間を頂戴」
マシュタンが、あんな達に向かって申し訳なさそうに頭を下げた。
「目が覚めても、自分の心とまだ折り合いをつけられていないだろうから……」
「もちろんだよ!」
あんなが、笑顔で大きく頷く。
「そうだよ。るるかさん……今まで私たちが想像もできないくらい辛い思いをしてきたんだから、ゆっくり心を休める時間も必要だよ」
みくるも優しく微笑む。
そんな温かい会話をしていると。
『カランコロン♪』
事務所の玄関から、来客を告げる呼び鈴の音が鳴り響いた。
「あっ、お客さんかな! 依頼かも!」
「私、行ってくるね!」
みくるが元気よく部屋を出て、玄関へと向かっていく。
「は~い! お待たせしました!」
みくるが明るい声で返事をしながら、玄関へと到着する。
「ようこそ! キュアット探偵事務所……へ…………」
扉の向こうに立っていた人物の顔を見て、みくるの笑顔がピシリと凍りついた。
そこに居たのは、ファントムの幹部、ゴウエモンだったのだ。
「ゴ、ゴウエモン!?」
みくるの悲鳴のような大きな声が響き、あんな、くれあ、ジェット先輩、そして妖精たちも慌てて玄関へと駆けつけてきた。
「ゴウエモン!」
「一体、ここに何をしに……!?」
くれあとあんなが、みくるを庇うように前に出て戦闘態勢を取る。
一触即発の空気の中、マシュタンだけは冷静に前へと飛び出した。
「みんな待って。……ゴウエモン、貴方がわざわざ正面から来たってことは……『何か』あるのね?」
ゴウエモンは腕を組み、警戒する少女たちを見下ろして鼻を鳴らした。
「あぁ。安心しろ、今回はマコトジュエルを奪いに来たわけでも、お前達を倒しに来たわけでもねぇよ」
「じゃあ、一体何の用なの……?」
あんなが訝しげに尋ねる。
ゴウエモンは無言で懐に手を入れると、一枚の折り畳まれた『紙切れ』を取り出し、スーッと前に差し出した。
マシュタンが飛んでいき、それを受け取る。
「これは……?」
「ある場所の『住所』だ」
「住所?」
くれあが眉をひそめる。
「後輩(るるか)の体調が復活して、気持ちが落ち着いたら、そこへ行ってみるといい」
ゴウエモンはぶっきらぼうにそれだけ言った。
「もしかして、私たちをおびき寄せる罠……?」
「分かんないけど……」
あんなとみくるが警戒を解かない中、紙切れの文字を見たマシュタンがハッと目を見開いた。
「ゴウエモン……ここって、……っ。まさか、貴方……!」
マシュタンは、ゴウエモンが何をやってのけたのかを瞬時に察した。
「フン。悪いが、俺に出来るのはここまでだ。これ以上は、お前らに何かしてやることも出来ねぇ」
ゴウエモンは視線を逸らし、照れ隠しのように顎を撫でた。
裏切り行為に近いリスクを冒して、行動を起こしたのだ。
「いいえ……。十分よ。本当にありがとう、ゴウエモン」
マシュタンが、心の底からの感謝を込めて深く頭を下げた。
ゴウエモンは、満足そうにニッと口角を上げた。
「それじゃあな。……後輩にも、宜しく言っといてくれ」
そう言い残すと、ゴウエモンは背を向け、風のように去っていった。
残された一同は、マシュタンの手にある紙切れを見つめる。
「マシュタン。もしかしてだけど、ゴウエモンは……」
「えぇ。きっとそうだわ……」
マシュタンの声が、喜びで震える。
「でも、本当に信じてもいいのかな……」
みくるが念のため確認するように呟くと、あんなが力強く頷いた。
「うん! 私、わかるよ。今のゴウエモンが嘘をついてるようには、絶対に見えなかった!」
「シュシュタンも、そう思ったでシュ! あれは男の粋な計らいでシュ!」
「ポチタンも〜!」
「あぁ。敵ながら見上げた奴だ。……何にしても、この住所に行くのは、るるかが目を覚ましてからだな」
ジェット先輩の言葉に、全員が力強く頷いた。
長く暗いトンネルの先に、確かな希望の光が見え始めていた。あとは、眠れる名探偵が目を覚ますのを待つだけだった。
***
ゴウエモンがキュアット探偵事務所を訪れた、次の日の朝。
カーテンの隙間から差し込む柔らかな朝日が、あんなの部屋を静かに照らしていた。
ベッドの上で眠り続けていたるるかのまつ毛が、ピクリとわずかに震える。
そして、重たげなまぶたがゆっくりと開かれた。
「あ……れ、……わたし……」
高熱が下がったばかりのるるかは、寝ぼけているのか、まだ意識がハッキリとしていなかった。
ぼんやりとした紫色の瞳で、見慣れない天井を見つめる。
「るるか!」
枕元から聞こえた弾むような声に、るるかがゆっくりと隣を向く。
そこには、心配そうに顔を覗き込むマシュタンの姿があった。
「よかった……! やっと目を覚ましたのね!」
「マシュタン……。そっか……、私……倒れて……」
マシュタンの顔を見たことで、霞んでいた頭がだんだんと冴えてくる。
「……っ、行かなきゃ……!」
るるかの顔から血の気が引き、彼女は布団を跳ね除けてベッドから強引に起き上がろうとした。
「ちょっと! 行くって、その体で何処に行くのよ! まさかとは思うけど……」
「こころを助けなきゃ! ファントムのアジトに……私が助けに行かなきゃ!」
るるかは、まだふらつく足で床に立ち上がろうとする。
「助けに行くって、何の考えも無しに一人で乗り込んでどうするつもりよ!」
マシュタンは、パニックになりかけているるるかを冷静にさせなければと、彼女の前に飛び出して必死に制止する。
「それでも! ……それに、私はここに居ちゃいけないわ。……私は、もう『名探偵』を名乗れないから……」
るるかはシーツを強く握りしめ、深く俯いた。
(やっぱり、そう考えてるのね……)
マシュタンの予想通りだった。
るるかは、一度でも怪盗団ファントムに加担して仲間を傷つけたこと、そしてビッグマコトジュエルを使って世界を創り変えようとした自分自身の罪を、深く責め続けていた。
もう自分に名探偵と名乗る資格などないと思い詰めているのだ。
「……るるか。落ち着いて聞いて。こころちゃんの事なんだけどね」
マシュタンの真剣な声色に、るるかがハッとして顔を上げ、マシュタンの目を見る。
「ゴウエモンが、何とかしてくれているみたいよ」
「えっ……」
るるかの瞳が、驚愕に大きく見開かれた。
「ど、どういうこと? ゴウエモンが……?」
「私達も、まだ直接この目で見たわけじゃないから詳しい状況までは分からないわ。……その事を確認する為に、皆でるるかが目を覚ますのを待っていたの」
思いもよらない言葉に、るるかは完全に困惑していた。
「昨日、ゴウエモンが一人でこの事務所にやって来て、ある場所の『住所』が書かれた紙を置いていったわ。そこに行けばすべて分かるって」
「行けばって……まさか、罠じゃ……」
「いいえ。だから、今から皆で確認しに行きましょう。アタシの考えでは、ゴウエモンは後輩である貴女とこころちゃんの事を本気で案じて行動したはずよ。だから、決して悪い事にはなっていないと思うわ」
マシュタンの真っ直ぐな言葉に、るるかはゴクリと唾を飲み込み、小さく頷いた。
「……分かった……」
「そうと決まれば、準備しましょう!」
マシュタンはパッと笑顔になり、着替えを用意した。
***
着替えを終えたるるかとマシュタンが、階段を下りて一階の事務所へと向かう。
「あっ、るるかさん!」
「目が覚めたんですね! 体はもう大丈夫なんですか!?」
リビングにいたあんなとみくるが、るるかの姿を見るなりパッと顔を輝かせて駆け寄ってきた。
「えぇ。……もう大丈夫よ」
「よかった……。皆、本当に心配してたのよ」
紅茶を淹れていたくれあも、安堵の笑みを浮かべて歩み寄る。
「そう……。みんな、本当にごめんなさい。迷惑をかけて……」
るるかは、申し訳なさそうに深く頭を下げた。
「それよりも、急で悪いんだけど……さっそくゴウエモンから貰った住所の所に向かおうと思うの」
マシュタンが切り出すと、一同は顔を見合わせて力強く頷きあった。
「勿論!」
「私達も一緒に行きます!」
「えぇ。るるかはまだ病み上がりなんだから、一人で無理をさせられないしね」
くれあ達の温かい言葉に背を押され、一同はすぐに身支度を整えて事務所を出発した。
街並みを抜け、しばらく歩いていく。
「……よし。地図によれば、もうそろそろ目的の場所の筈なんだが」
紙切れを片手に先頭を歩いていたジェット先輩が、足を止めて前方を指差した。
その指の先にある巨大な白い建物を見て、あんな達が声を上げる。
「ここって……」
「まことみらい市で一番大きい、総合病院……?」
「…………」
るるかは、立ち尽くしたまま言葉を発する事が出来なかった。
なぜ、ファントムの幹部であるゴウエモンが、こんな人間の総合病院を指定したのか理解できなかった。
いや、理解できないのではない。
るるかには、ゴウエモンがここを指定した理由など、一目で分かっていた。
間違いなく、この病院の中に『こころ』がいるのだ。
それでも、敵であるはずのゴウエモンが、リスクを冒してまでどうやってこんな場所にこころを連れてくることが出来たのか、その事実を心がすぐに処理できずにいたのだ。
「るるか……」
マシュタンが、呆然とするるるかの肩にそっと触れる。
「行きましょう、るるか」
くれあに促され、一同は自動ドアを抜けて病院の中へと足を踏み入れた。
消毒液の匂いが漂う静かなロビーに入り、まだ足がすくんでいるるるかに代わって、くれあが総合受付へと向かう。
「すみません。あの……こちらに『森亜こころ』さんという患者さんはいらっしゃいますか?」
くれあが丁寧な口調で尋ねると、受付の女性がハッとしたように顔を上げた。
「あっ! もしかして……森亜こころさんのご関係者の方々でしょうか?」
「はい、そうです」
「それじゃあ、貴女が『森亜るるか』さん?」
「いえ、私じゃないです。……ほら、るるか」
くれあに手招きされ、るるかが緊張した面持ちで受付へと近づいてくる。
「……私です。森亜るるかです」
るるかの顔を見た瞬間、受付の女性は納得したように息を呑んだ。眠っている患者と、あまりにも顔が瓜二つだったからだ。
「貴女が……。少々お待ち下さい。すぐに担当の先生に連絡を入れますので!」
受付の女性が慌てて内線の受話器を取り、連絡を入れる。一同はロビーの隅で、心臓の音を聞きながら暫し待機した。
そして、数分後。
白衣を着た一人の中年の男性医師が、足早にロビーへとやって来た。
「貴女方が、森亜こころさんの関係者……そして、君が森亜るるかさんだね」
「はい……」
「話は歩きながらしよう。私についてきてください」
一同は医師の後について、長い病院の廊下を奥へと移動していく。
エレベーターに乗り込み、上層階へと向かう途中、医師がふと振り返って話しかけた。
「いやあ……まさか、彼の言った通り本当に来るとはね」
「えっ……?」
るるかが顔を上げる。
「それって、どういう事ですか?」
あんなが不思議そうに尋ねた。
「数日前の夜遅くにね、『ゴウエモン』と名乗る大柄な男性が、急に救急外来の入り口に押しかけてきたんだよ。意識のない女の子を一人、大切に抱えてね。……どう見てもその子の家族には見えない風貌だったし、何より、彼女の衰弱しきった状態を一目見て『ただ事ではない』と思ったよ」
「そうだったんですね……」
みくるが息を呑む。
「事情を聞いても、彼は詳しいことは一切語らない。おまけに、彼女の身分を証明する保険証や書類すら何一つ持っていないときた。……普通なら、警察沙汰になってもおかしくないし、病院としても受け入れるのは極めて困難なケースだ。だが……彼の『ある行動』を見て、私の独断で緊急入院として受け入れることを決めたんだ」
「ゴウエモンは……、彼は何をしたんですか?」
くれあが尋ねると、医師は当時の光景を思い出すように目を細めた。
「彼はね、私の前で開口一番に『土下座』をしてきたんだよ。そして、『森亜るるかと名乗る少女が必ずここへやって来る。だから、それまでどうかこの子を頼む』ってね」
医師の脳裏に、数日前の夜の出来事が蘇る。
***
『頼む!!』
病院の冷たい床に膝をつき、大柄な体を折り曲げて額を床に擦り付けるゴウエモン。
『そ、そう言われてもね……。君が誰なのかも、この子の身分を証明するものも無いんじゃ、病院として簡単に受け入れるわけには……』
『それでも頼む! 「森亜るるか」って言う女が、必ずここへ迎えにやって来る! この子と顔がそっくりだから、見れば直ぐに姉だと分かるはずだ! だから……あいつの為にも頼む。この子の命を、助けてやってくれ……ッ!』
プライドを捨てた、男の魂の懇願だった。
『……分かりました。事情は追々聞くとして、今は彼女の命を優先しましょう。受け入れます』
『……恩に着る』
***
「どうやら私も、ああいう真っ直ぐな情には中々弱い性分らしくてね。あっさりと受け入れてしまったよ」
医師は苦笑いを浮かべた。
「ゴウエモンが……私のために、そんな事を……」
るるかは胸が熱くなり、自分の唇を噛み締めた。敵の幹部であるはずの彼が、自分たち姉妹のためにそこまでの誠意を見せてくれていたのだ。
そんな話をしていると、医師が足を止めた。
「着いたよ。ここだ」
集中治療室に近い、特別病棟の病室の前。
ドアの横の表札には、確かに『森亜 こころ』という名前が掲げられていた。
「色々と複雑な事情がありそうだし、彼女の容態も極めてデリケートな状態だからね、安静にできるよう特別個室にしてあるんだ」
医師が静かに扉を開け、一同は息を詰めて部屋の中へと入った。
白く清潔な病室の奥。
心電図モニターの規則的な電子音が響く中、無数の医療機器のコードや点滴のチューブに繋がれて眠っている、こころの姿があった。
「あっ……」
るるかの喉から、小さな声が漏れる。
るるかは吸い寄せられるように、一歩、また一歩とこころのベッドへと近づいていく。
「あの人が……」
「森亜こころさん……」
「えぇ、そうよ」
あんなとみくるも、写真や記憶の幻影でしか見たことのなかった少女の現在の姿を前に、言葉を失っていた。
「こころ……」
ベッドの脇に辿り着いたるるかは、糸が切れたようにその場に膝から崩れ落ちた。
「ごめん……。ごめんね、こころ……。お姉ちゃん、また……っ」
ゴウエモンのおかげで、こころがまだ生きてくれていることへの深い安堵。
しかし同時に、結局自分自身の力では何一つ妹を救うことができなかったという無力感と絶望が、るるかの胸を激しく締め付けた。
くれあ達もベッドの周りへと近づき、そして息を呑んで目を見開いた。
布団から覗くこころの顔色は蝋人形のように白く、手足は痛々しいほどに痩せ細り、その状態があまりにも酷かったためだ。
「……君たちが来る前に、一通りの精密検査と診察は済ませておいたから、その結果を正直に伝えるね。……お姉さんにはとても辛い話になるかも知れないけれど、しっかり受け止めてもらいたい」
医師はカルテを手に取り、真剣な眼差しでこころの症状について説明を始めた。
『重度の栄養失調』と、寝たきりだったことによる『廃用症候群』。
『自律神経および呼吸機能の著しい低下』。
そして、過去に受けたであろう異常な精神的ショックによる『極度の心的外傷反応(トラウマ)』と『原因不明の意識障害』。
「ハッキリ言って……あのゴウエモンという男が連れてくるのがもう数日遅かったら、間違いなく多臓器不全で死んでいただろうね」
「そんな……っ」
るるかが両手で口を覆い、激しく肩を震わせる。
「で、でも! 『遅かったら』って事は、病院で手当てしてもらった今は、もう大丈夫なんですよね!?」
あんなが、すがるように医師に尋ねた。
「……肉体的な危機は、点滴と栄養管理でひとまず脱した。今は安定しているけれど……残念ながら、今後のことは『分からない』んだ」
「分からないって……どういうことですか?」
みくるが不安そうに聞き返す。
「脳のCTやMRIを撮っても、脳自体には出血も損傷も一切ない。医学的にはいつ目が覚めてもおかしくないんだ。……それなのに、彼女の脳は外界からの刺激に全く反応を示さない。それに、何よりハッキリ言える一番の問題は……彼女自身から『生きようとする意思』が全く見えてこないことだ」
「生きようとする意思……」
くれあが呟く。
その場にいたプリキュアたちには、医師が解明できないその理由が痛いほど分かっていた。
ウソノワールによって精神が破壊され、真実の心の結晶である『シンシアのマコトジュエル』がひび割れて体から抜け落ちてしまっている。
精神が壊れている状態で、生きようとする意思など表れるはずがないのだ。
「今の最新の医療技術を使えば、こうして機械で肉体の延命を続けることは当然できる。……だけど、最終的には彼女自身の『生きたい』という意思……つまり精神が戻ってこなければ、少しずつ生命維持機能そのものが低下していき、現代医学ではどうにもならなくなる。……だから、唯一の肉親である君に、今後彼女の治療をどうするのかを決めてもらいたいんだ」
医師の重い言葉に、一同は一斉にるるかの方を見た。
(私じゃ、こころを救うことが出来ない。今までだって、間違えてばかりで何も出来なかった……。ビッグマコトジュエルに頼ろうなんて、愚かなことばかり考えて……)
るるかは、自分の無力さに唇を噛み締める。
(それでも……! 私は、こころの事を……!)
るるかはスッと立ち上がると、医師の方へと振り返り――そのまま、病室の冷たい床に勢いよく両膝を付いた。
そして、両手を床につけ、額が床に擦りつくほど深く頭を下げた。
「お願いします……! こころを……私の妹を、助けて下さい!!」
「「「ッ!?」」」
一同は、誇り高いるるかの思いがけない土下座に目を見開いた。
「ちょ、ちょっと君、顔を上げなさい! そんな事しなくても……」
医師が慌てて止めようとするが、るるかは頑として頭を上げない。
「お願いします!! 私はどうなってもいいんです! 入院費や治療費のお金なら、幾らでも払います! 私が働いて、一生かけてでも絶対にすべて払いますから! ……だから……お願い……。お願いします……っ」
ポタポタと、るるかの瞳から溢れ出た大粒の涙が、病室の床を濡らしていく。
「るるか……」
くれあ達は、胸が張り裂けそうな思いで、ただるるかの背中を見つめていることしか出来なかった。
「こころを……妹の命を、救ってください……っ! 私の……私の、たった一人の妹で、たった一人の家族なんです! 私の一番大切な存在なんです! お願いします……お願いします……ッ!」
るるかは、声を振り絞って頭を下げ続けるしかなかった。
世界を創り変えるなどという傲慢な魔法ではなく、一人の無力な人間として、姉として、もう二度と道を間違えるわけにはいかない。
もしここで病院に見放され、生命維持装置を外されてしまったら、壊れてしまった精神を治す前にこころは死んでしまう。
それだけは、何があっても防がなければならなかった。
「……ふぅ。分かりました。君の気持ちは痛いほど伝わったよ。医師として、彼女が目を覚ますその日まで、最善を尽くして命を繋ぎ止めることを約束します」
医師の力強い言葉に、るるかはようやく涙に濡れた顔を上げた。
「ありがとう……ございます……っ!」
「では、入院に関する色々な書類の手続きをしないといけないから、るるかさんは私の診察室まで一緒に来てもらえるかな」
「はい、分かりました」
立ち上がるるるかの横に、ジェット先輩がすっと歩み寄る。
「僕も付き添いで着いていく。保証人や手続きの相談もあるだろうからね」
「ありがとう、ジェット」
るるかとジェット先輩の二人は、医師とともに病室から出ていった。
静かになった病室に、くれあ、あんな、みくる、そして妖精たちが残される。
くれあはゆっくりとベッドの脇へ歩み寄ると、眠るこころの細い手にそっと自分の手を重ねた。
「……こころちゃん、久しぶりね。私ね……やっと、あなたたちと同じ『名探偵』になれたよ」
くれあが、優しく微笑みながら語りかける。
「それにね、私たちの事務所に、すごく頼もしい『新しい名探偵』も二人入ったんだよ」
くれあが振り返り、後ろでモジモジしていたあんなとみくるを手招きする。
二人はベッドの傍らへと進み出て、背筋を伸ばした。
「こころさん。はじめまして、明智あんなって言います!」
「小林みくるです。……本当なら、元気なこころさんの直属の後輩になれたんですよね……」
みくるが、少しだけ寂しそうに微笑む。
「えぇ。もしこころちゃんが目を覚ましていたら、可愛い後輩が二人も出来たって、今頃部屋中を飛び回って大はしゃぎだったでしょうね」
ベッドの枕元に降り立ったマシュタンが、懐かしそうに目を細める。
「ふふっ。えぇ、きっとそうね」
「えっ、そうなの?」
あんなが意外そうに目を丸くする。
「ええ。こころちゃんはね、顔や背格好はるるかに双子みたいにそっくりだけど、性格は正反対で、すっごく活発で明るい太陽みたいな子なのよ。後輩が出来たって知っただけでも、毎日先輩風を吹かせて張り切るでしょうね」
くれあの言葉に、病室に少しだけ温かい空気が流れる。
「そうなんだ……。いつか、元気になったこころさんと一緒に探偵のお仕事してみたいな……」
「うん! みんなで一緒に事件を解決したいね!」
「いつか、きっと出来るわよ。……アタシは、そう信じてる」
マシュタンが、ひび割れた赤いマコトジュエルをそっと押さえる。
「えぇ。いつかきっと……みんなでまた、笑い合えるわ」
くれあ達は、眠り続ける少女の穏やかな寝顔を見つめながら、その失われた心を取り戻す決意を新たにするのだった。
森亜るるか、森亜こころは、救われるべきか。(今の所るるかが名探偵として復帰後、最終的には、こころも元に戻り救われる方向で考えている。)
-
救われるべきだ
-
るるか離反、世界を創り変える
-
その他(バッドエンド等)