名探偵プリキュア! 〜迷宮のアルカナと偽りの真実〜 作:暁 蒼空
精神が完全に崩壊し、舞台の上に力なく倒れ伏すこころ。
その痛々しい胸元から、ふいに淡い光が漏れ出した。
光はこころの身体から抜け出すと、空中で一つの結晶として形を成す。
こころのプリキュアとしての力と心の結晶、真実の結晶――『マコトジュエル』だった。
持ち主の心を失ったマコトジュエルは、力なく舞台の床へと落ちる。
カラン。
静まり返った劇場に、硬質で冷たい音が響き渡った。
ウソノワールがゆっくりと身をかがめ、そのマコトジュエルを拾い上げる。
「あっ…………」
透明な壁越しに、るるかはこの残酷な略奪の光景をただ見ていることしかできなかった。
「遂に壊れたか……」
ウソノワールはつまらなそうに呟くと、マコトジュエルを懐に収め、短く指を鳴らした。
『パチンッ!』
その音を合図に、るるか達を阻んでいた強固な透明の壁が、音もなく消滅する。
壁が消えた瞬間、るるかはゆっくり立ち上がった。
そして、その足取りはひどくフラフラとしており、今にも倒れそうだった。
「こころ……こころ……こころ……こころ……」
うわ言のように、最愛の妹の名前を何度も何度も呟きながら、るるかは舞台へと歩みを進める。
かつての天才探偵の面影はどこにもない。
その顔は完全に絶望に染まり、泣き崩れる寸前の、ただの無力な少女の顔だった。
ようやく、こころの元へと辿り着く。
虚ろな目をして倒れている、血に塗れたボロボロの妹の姿を間近で見た瞬間。
るるかは力なくその場に崩れ落ち、へたり込んでしまった。
震える右手で、そっとこころの冷たくなった頬に触れる。
「こころ……こころ……」
返事はない。
こころの瞳は虚空を見つめたまま、微かな瞬きすらしない。
るるかはこころの肩に触れ、縋るように軽く揺さぶった。
「こころ。ねぇ、起きてよ……こころ……」
その光景を見て、マシュタンは両手で顔を覆い、声を殺して泣いていた。
るるかは、こころの動かない身体をゆっくりと起こすと、座った状態の自分の胸に抱き寄せ、その傷だらけの小さな頭を両手で優しく包み込んだ。
「こころ。こころ。ごめんね。私が……私のせいで……」
抱きしめた妹の身体から伝わってくるのは、ひどい冷たさと、夥しい傷の感触だけ。
るるかの目から、堰を切ったように涙が溢れ出した。
「嫌だ、嫌だよ。笑ってよ……いつもみたいに、お姉ちゃんって呼んでよ」
ぽろぽろと涙をこぼしながら、るるかはこころの身体を強く抱きしめる。
「抱きついてきてよ……っ」
返ってくるはずのない言葉を求め、るるかは声を上げて泣き叫んだ。
「嫌だよぉぉぉぉ! もう、こころと笑い合えないなんてやだよぉ! 起きて! 起きてよ、こころぉぉぉっ!!」
普段は誰よりも冷静で、感情を取り乱すことなどなかったるるかが、今は子供のように泣きわめいていた。
たった一人の大切な家族が、自分の判断のせいでこんな残酷な結末を迎えてしまった。
その重すぎる後悔と自責の念が、るるかの理性を完全に破壊していた。
「うわぁぁぁん! ごめんね。ごめんね……っ!」
泣き崩れるるるかを見下ろし、ウソノワールは冷酷に言い放った。
「これで分かったろう。これが貴様が、我ら怪盗団ファントムに逆らった結果だ」
「…………っ」
「ここで大切な妹と共に朽ち果てるがいい」
ウソノワールは背を向け、暗闇の中へと歩き出そうとする。
その背中へ向け、るるかは血を吐くような声で叫んだ。
「ウソノワール!!」
歩みを止め、ウソノワールがゆっくりと振り返る。
るるかは、こころを抱きしめたまま、涙でぐしゃぐしゃの顔を上げて懇願した。
「お願い。何でもする。私、何でもするから……だから……お願い」
「……」
「こころを……こころを治療させて。このままじゃ、本当に死んじゃう。お願い。お願い……貴女のために何でもするから……!」
プリキュアとしての誇りも、正義も、天才探偵としてのプライドも。
るるかはそのすべてを捨て去り、絶望の化身へとすがりついた。
「いいだろう」
ウソノワールの口角が仮面の内側で、僅かに吊り上がった。
「貴様には、これから怪盗団ファントムの一員として動いてもらう」
「え……」
「貴様が怪盗として動くのであれば、医療器具と部屋を与えてやる」
それは、悪魔との契約だった。
しかし、るるかに迷いはなかった。
「裏切らない。だから……お願い」
「ついてくるがいい」
再び背を向け、歩き出すウソノワール。
るるかの傍らで、ずっと泣いていたマシュタンがそっと寄り添ってきた。
「ごめんね、マシュタン。勝手に決めて。でも……こころを救うには、これしかないの」
「わかってるわ。いいわよ、アタシも最後まで貴女に付き合うわよ、るるか」
「ありがとう、マシュタン」
「さぁ、いきましょう」
るるかは、ピクリとも動かないこころの身体を、痛む背中へとそっとおぶった。
重く、冷たくなってしまった命の重み。
それをしっかりと背負い直し、るるかはウソノワールの後を追って、暗いアジトの奥へと歩き出した。
この日、るるかは正義の道を外れ、「怪盗団ファントム」の一員として生きることが決まった。
それでも。
今はただ、世界で一番大切な妹の命を繋ぐことだけが、彼女にとっての唯一の『光』だった。
ウソノワールの後をついて、るるかとマシュタンはアジトの奥深くへと進んでいった。
やがて、冷たい鉄の扉が開かれ、殺風景な一室へと案内される。
「ここの部屋を好きに使うといい。医療機器は隣の部屋にある」
与えられたのは、装飾一つない、ただベッドがポツンと置かれているだけの簡素な部屋だった。それでも、こころを治療させてもらえるだけで、今のるるかにとってはありがたいことだった。
るるかは背負っていたこころを、そっとベッドの上に寝かせる。
「私はまだ、貴様を信用しきっていない」
背後から、ウソノワールの冷ややかな声が響いた。
るるかは肩を震わせながらも、当然だと思った。
ほんの少し前まで、自分たちは互いに敵対関係にあったのだから。
「よって、貴様がこの部屋でその大切な妹と過ごす時間に、制限をかけさせてもらう」
「なっ……!」
るるかは弾かれたように振り返った。
「そんな……、今のこころを一人にすることなんて出来るわけ……っ」
激しく抗議しようとしたるるかの目の前に、ウソノワールが無造作に右手を差し出した。
その手のひらの上に、二つの輝きが現れる。
「!?」
それは、奪われたキュアエクレールとキュアシンシアの『マコトジュエル』だった。
中でも、るるかの視線を釘付けにしたのは、シンシアのマコトジュエルだった。
こころの受けた絶望の深さ。
完全に精神が砕け散ってしまったという残酷な事実を証明するかのように、かつて美しく澄んでいたマコトジュエルには、無数の痛々しい『ヒビ』が入っていた。
少しでも力を加えれば、そのまま粉々に砕け散ってしまいそうなほど、脆く危うい状態。
「これが必要なのだろう」
「くっ……、わ、分かった……」
大切な相棒と、命よりも大切な妹の心の欠片を握られ、るるかは血の滲むような思いで頷くことしかできなかった。
「だが、もし私の命令や、マコトジュエルの欠片を手に入れることが出来たなら、その時は特別措置を考えてもいい。今はまだ本格的に動かない為、それまでは一緒にいることを特別に許そう」
そう言い残し、ウソノワールは静かに部屋を去っていった。
重い鉄の扉が閉まる音が、るるかの心に重く響く。
「るるか……。ショックかもしれないけど、今はこころちゃんの治療を……」
「うん。分かってる」
マシュタンの言葉に我に返り、るるかは隣の部屋から医療器具や薬品を運び込み、すぐさま治療に取り掛かった。
まずは、血と泥に塗れ、ボロボロになった服を脱がせる。
昔の自分と全く同じ、白いシャツに薄紫のベスト。
大好きな「お姉ちゃん」とお揃いにしたいと、こころが嬉しそうに着ていたお気に入りの服。
もはやその原型はまともに残っておらず、ハサミで切り裂くようにして脱がせるしかなかった。
服を脱がせ、傷口の洗浄と身体の汚れを丁寧に拭き取っていく。
しかし、汚れを落とせば落とすほど、その下から顕になる凄惨な傷跡が、るるかの心を容赦なく締め付けた。
全身を覆う無数の打撲痕。
紫を通り越してどす黒く変色した腹部。
そして、ウソノワールの『嘘』によって強制的に自ら砕かされた、痛ましい両手と両足。
傷口を消毒液で洗浄する度、意識がないはずのこころの身体が「ビクッ、ビクッ」と跳ねる。
心が壊れてしまっても、肉体に刻まれた激痛への恐怖だけが、反射的に彼女の身体を反応させていた。
「ごめんね、こころ。痛いよね。つらいよね……」
るるかは、涙で視界を滲ませながら、震える手で処置を続けた。
「ごめんね。ごめんね……っ」
傷口にワセリンを塗り、ガーゼを当て、真っ白な包帯を幾重にも巻いていく。
砕けた両手足は、これ以上動かないように分厚いギプスで固定した。
頭から流れていた血を止め、包帯を巻く。左頬のひどい裂傷にも、分厚いガーゼを当ててテープで固定した。
もう着せてあげられる服はないため、用意されていた簡素な患者用のガウンをそっと着せる。
そして、意識も心も失い、自力で栄養を摂ることすらできなくなった妹の細い腕に、冷たい点滴の針を刺した。
これで、ひとまずの処置はすべて完了した。
「……これで、ひとまずは大丈夫のハズよ」
マシュタンがホッと息を吐く。
るるかはベッドの傍らに膝をつき、包帯だらけになったこころの頭を、壊れ物に触れるように優しく撫でた。
「ごめんね。守ってあげられなくて」
静かな部屋に、るるかの掠れた声が響く。
「私が弱かったから。私が……ウソノワールとの実力差を見誤ったから。私を守るために、こんなになったのに、私は……」
るるかの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ち、シーツに黒い染みを作った。
「私は……助けを求めていたこころの手を、掴むことが出来なかった」
「るるか……」
「私は……お姉ちゃん失格だ。大切な妹を守れないなんて……私は……名探偵なんかじゃない」
自己嫌悪と後悔が、渦を巻いてるるかの心を黒く染め上げていく。
「私が探偵なんてやらなければ……。プリキュア何かに、ならなければ……貴女は、今頃……幸せに暮らせてたのかな……?」
「るるか……、そんなこと無い!」
自責の念に押し潰されそうになるるるかを、マシュタンが強い口調で遮った。
「そんな事いったら、今までのこころちゃんの幸せを否定することになるわ!」
「……!」
「貴女が後悔しているのは分かる。それでも、今までのこころちゃんは、間違いなく幸せな日々を、るるかと一緒に過ごしていたわ。それだけは、絶対に否定しないで、るるか!」
マシュタンの真っ直ぐな言葉に、るるかはハッと息を呑んだ。
無邪気に笑っていた妹の姿。くれあと三人でクレープを食べたり。同じベッドで身を寄せて眠った、あの温かい夜。
あの幸福な記憶だけは、絶対に嘘などではなかった。
「……ごめん。マシュタン」
るるかは袖で乱暴に涙を拭い、立ち上がった。
その瞳には、深い絶望の中にも、微かな、しかし揺るぎない執念の火が灯っていた。
「キュアット探偵事務所に行こう」
「えっ……」
「私達の痕跡を残すわけには行かない。特に、くれあの事は」
記憶を失ってしまったくれあを、これ以上この危険な世界に巻き込むわけにはいかない。
もう二度と、大切なものを失わないために。
「シュシュタンが、私達の言葉を聞いて、くれあを連れ出してくれてればいいんだけど」
「うん。それも一緒に確かめに行く」
るるかは、ベッドで静かに眠る妹の顔をもう一度振り返った。
何も映さない虚ろな瞳は閉じられ、ただ機械的な点滴の音だけが、彼女の命を繋いでいる。
「ごめんね、こころ。お姉ちゃん達、少しだけ出てくるね」
るるかはそう優しく語りかけると、背筋を伸ばし、マシュタンと共に冷たい鉄の扉を開けた。
雨上がりの冷たい空気が漂う中、キュアット探偵事務所に戻ってきたるるかとマシュタン。
そっと扉を開け、中へと足を踏み入れるが、そこにはもう誰の気配もなかった。
真っ先にくれあの部屋へと向かうと、そこは既に綺麗に片付けられ、も抜けの殻となっていた。
「シュシュタンがやってくれたのね」
「うん……」
空っぽの部屋を見つめ、るるかは寂しそうに目を伏せた。
「これで……いい。もうこれで、くれあを巻き込むことは無い」
くれあは、るるかが個人的にスカウトした大切な助手であり、同い年の親友であり、かけがえのない相棒だった。
彼女が自分たちの事を忘れてしまったという現実は、るるかの胸を鋭く抉った。
しかし同時に、これ以上くれあが危険に関わらなくて済むようになったことに、深い安堵も感じていた。
「マシュタン、始めましょう」
「そうね。最低限残していても良さそうなもの以外は、処分しちゃいましょう」
二人は静かに片付けを始めた。
数時間をかけ、自分達で買い足した家具や日用品などもすべて処分していく。
やがて、事務所の中は借りた当初のような殺風景な空間へと戻っていった。
そして、るるかは最後に自分の部屋の前に立った。
後ろからマシュタンが静かにやって来る。
「ここで最後よ」
「うん」
扉を開け、中に入る。
そこは、るるか、こころ、マシュタンの三人で暮らした、温かな思い出が詰まった部屋だった。
広さはくれあの部屋と変わらない、ごく一般的な一人部屋だ。
がらんとした空間を見渡した瞬間、るるかの脳裏に、ここへ引っ越してきた日の記憶が鮮明に蘇ってきた。
***
『私の部屋がここ。くれあの部屋はこっち、私の部屋の向かい側』
『それで、こころの部屋は……』
るるかが間取り図を見ながら指を差したその時だった。
『嫌だ! お姉ちゃんと一緒がいい!』
こころが、るるかの言葉を勢いよく遮った。
『はぁ~。あのね、こころ。言ったでしょう、部屋はあまり広くないの。大きさ的には一人部屋くらいなんだから、別々の部屋にするって来る前に約束したでしょう?』
元々、ロンドンにいる時から間取り図を見て、それぞれの部屋割りを決めていたはずだった。しかし、こころは首をブンブンと横に振る。
『ヤダヤダヤダ! 私、一人部屋なんて嫌だ! お姉ちゃんと一緒がいい!』
『だからね……』
『なんでなんでなんでぇ~。今までだってずっと一緒だったじゃん!』
手足をバタバタさせて駄々をこねるこころ。
その様子を、マシュタン、シュシュタン、くれあの三人は「相変わらず仲のいい姉妹だなぁ」と苦笑いしたり呆れたりしながら、微笑ましく眺めていた。
『こころ。貴女も大きくなってきたんだから、我儘ばっかり言わないの。名探偵として、常に立派でなければ……』
『ヤダヤダ! いやだぁぁぁ! お姉ちゃんと一緒じゃなきゃやだよぉ!』
言うなり、こころはるるかの腰にぎゅっと抱きついた。
『お姉ちゃんと離れ離れなんて寂しいよぉ! 一緒にいてよぉ!』
腰にすがりついて見上げてくるこころの瞳は、今にも零れ落ちそうなくらいに潤んでいた。
しかし、ここで甘やかしてはいけないと、るるかはあえて厳しい声を出す。
『こころ! いい加減にしなさい!』
『ビクッ……!』
るるかの大きな声に、こころの肩が跳ねた。恐る恐る姉を見上げる。
『前もって話してた時、貴女も了承したでしょう。自分で言ったことくらい守りなさい!』
妹の自立を思えばこその、厳しい口調だった。しかし――。
『うっ、うっ……うわぁぁぁぁぁん!!』
『ちょっ、ちょっとこころ!?』
こころが遂に大粒の涙をこぼして泣き出してしまい、るるかは激しく戸惑った。
『うわぁぁぁぁぁん! 一人なんて嫌だよぉぉ! お願い! 一緒がいいよぉぉ!』
『ヒック、ヒック……』
まるで幼い子供のように、しゃくり上げながら泣きじゃくるこころ。
『ヒック……お姉ちゃん、私のこと……嫌いになったの?』
『えっ?』
唐突な言葉に、るるかは目を丸くした。
『私が我儘ばっかり言うから……。私が約束を守れないから……っ。うぇぇぇん。ごめんなさい。ごめんなさい!』
『ちょ、違うわよ!』
『謝るから許してぇぇ! 一人にしないでぇぇ!』
るるかは「嫌いになった」などと一言も言っていない。
しかし、こころの中では完全に「怒られた=嫌われてしまった」と思い込んでしまっていた。
一向に泣き止む気配がない。
それを見ていたマシュタン、シュシュタン、くれあの三人は、顔を見合わせた。
『あぁ、もうこれは……』
『でシュ。これはもう……』
『そうね。こうなっちゃったらもう、るるかは……』
三人は、これまでの経験からこの後の展開を完全に理解していた。
『…………』
るるかは深いため息をつくと、泣いているこころの背中をゆっくりとポンポンと叩きながら、その頭を優しく撫でた。
『もう、分かったから。ほら、泣き止みなさい』
『……っ?』
『それに、嫌いになんてなるわけないでしょ』
るるかがとびきりの笑顔を見せると、こころはパァッと顔を輝かせた。
『グスッ、グスッ。ホント? じゃあ一緒にいてくれる?』
『しょうがないわね。一緒の部屋にしましょう』
『うん! お姉ちゃん、大好き!!』
涙を拭ったこころは、嬉しそうに再びるるかに抱きついた。
『全く、幾つになっても甘えん坊なんだから』
呆れたように言いながらも、るるかはこころを強く抱きしめ返す。
『私も大好きよ、こころ』
るるかは、こころに対してめっぽう甘いのだ。
厳しいことを言うことはあっても、妹に泣かれると最終的にはいつも折れてしまう。
こころを完全に突き放すことなど、一度たりともできた試しがない。
この二人は、お互いがお互いを何よりも溺愛する、超が付くほどのシスコン同士だった。
『お姉ちゃん♪ お姉ちゃん♪ お姉ちゃん♪』
さっきまで大泣きしていたのが嘘のように、満面の笑みで喜ぶこころ。
『なぁに、こころ』
るるかは甘えてくる妹の頭を撫でながら、心底愛おしそうに微笑む。
『なんでもなーい。呼んでみただけぇ~』
『なにそれ?』
『お姉ちゃん! 大好き! お姉ちゃんといるとなんでだろう……ぽかぽかして凄く落ち着くの』
そんなこころの仕草や喋り方が可愛すぎて、るるかは体を震わせ、もう完全に顔をニヤけさせていた。
普段の冷静な「天才探偵」の仮面は、妹の前では一瞬にして崩れ去る。
『もう! こころは本当に可愛いんだから!』
るるかはこころを更に強く抱きしめ、自分の頬をこころの柔らかな頬にスリスリと擦り寄せる。
るるかの長い髪がこころの顔にくすぐったく触れた。
『うわぁ! お姉ちゃん、くすぐったいよぉ!』
キャッキャと笑い合う、どこまでも仲睦まじい姉妹。
その微笑ましすぎる光景を見て、マシュタン達三人はたまらず吹き出し、温かい笑い声が部屋に響き渡った。
***
「…………」
るるかとマシュタンは、空っぽになった部屋の中で、その眩しすぎる思い出に静かに浸っていた。
「……さぁ、始めましょう」
現実に引き戻されるように片付けを再開し、いらないものはすべてゴミ袋へまとめた。
そして最後に残った、机の上を見る。
そこには、今までの思い出が詰まった分厚いアルバムと、数枚のフォトフレームだけが置かれていた。
るるかは、その中の一つのフォトフレームを震える手で手に取った。
写真には、るるか、こころ、くれあの三人が写っている。
こころが真ん中で、二人の腕に自分の腕を絡ませてぎゅっと抱きついている写真。
三人は、これ以上ないほど幸せそうに笑っていた。
満面の笑みを浮かべているこころ。その隣にいる自分も、くれあも。
「あ……ぁ……」
ポタ、ポタと。
るるかの瞳から溢れた涙が、机の上を濡らしていく。
「るるか……」
「こんなに笑ってるのに。写真のこころは……こんなに、笑ってるのに……っ」
るるかは写真を胸に抱きしめ、嗚咽を漏らした。
「もう……この笑顔を見れる日は来ないの……? 私が奪ったんだ……。私のせいだ……っ」
「…………」
泣き崩れるるるかの背中に、マシュタンは何も言わず、ただ静かに寄り添い続けた。
ひとしきり泣きはらし、るるかはゆっくりと顔を上げた。
「ごめんね、マシュタン。ありがとう」
写真とアルバムは、るるかにとって命の次に大切な思い出の証。それだけはバッグに大切にしまい込んだ。
「これで全部ね。後は、最後にこのゴミを捨てれば終わりね」
「ごめん、マシュタン。もう少しだけ待って」
「え?」
マシュタンは不思議そうに首を傾げた。
「まだ何かあるの?」
「うん」
るるかは静かに頷き、引き出しに残されていたハサミを取り出した。
「ここで私は、過去の私と決別する」
るるかは、ハサミの刃を、自らの腰まで伸びた美しい長い髪に当てた。
こころが『お姉ちゃんの髪きれい!長いほうが絶対似合ってるよ!』と言ってくれたため、切らずに伸ばしていた髪に。
ジョキッ。
「ちょっ、ちょっとるるか! 何してるの!」
マシュタンの制止も聞かず、るるかは躊躇うことなく、腰まであった髪をセミロングの長さまで一気に切り落とした。
バサリと、長い髪の束が床に落ちる。
「これは、私の覚悟を決める為」
「るるか……」
「もう……名探偵の『森亜るるか』はいない」
短くなった髪を揺らし、るるかは暗い瞳で宣言した。
「私は……怪盗団ファントムの、『森亜るるか』」
その悲壮な決意を聞き、マシュタンは短く息を吐いた。
「もう! そんな風に切ったら髪が傷むでしょ。貸して! 私が切るわ」
「え……?」
マシュタンは小さな身体で器用にハサミを受け取ると、るるかの髪の毛先を丁寧に整え始めた。チョキチョキと軽快な音が響き、セミロングの長さで綺麗に、美しく整えられていく。
「ほら、出来たわよ、るるか」
「……ありがとう、マシュタン」
「さぁ、行きましょうか」
「うん」
ゴミ袋を持ち、二人は部屋を出た。
玄関の扉を開け、外に出る直前。るるかは一度だけ、空っぽになった事務所の中を振り返った。
「さようなら、キュアット探偵事務所。もう……ここに来ることはないんでしょうね」
未練を断ち切るように扉を閉め、鍵をかける。
そして、るるかは二度と振り返ることなく、冷たい雨の上がった街へと背を向け、歩き出した。
この日。
まことみらい市のキュアット探偵事務所から、『名探偵』が完全に姿を消したのだった。
かつての輝かしい『名探偵プリキュア』は完全に死んだ。
ここからは、妹の命を繋ぐために暗躍する、一人の哀しき怪盗の物語が始まるのだ。