名探偵プリキュア! 〜迷宮のアルカナと偽りの真実〜 作:暁 蒼空
るるかがキュアット探偵事務所を去り、冷たい雨の街へと姿を消してから、数ヶ月の時が経過した。
怪盗団ファントムのアジト。
赤いカーテンが垂れ下がる豪奢な劇場に、怪盗団の面々が集結していた。
幹部達は、全員が舞台を見下ろす高い位置の席に座っている。
舞台を正面から見下ろす上段のVIP席。そこには、「怪盗団ファントム」を率いる大怪盗であり、ボスのウソノワールが悠然と腰を下ろしている。
ウソノワールの席から見て右斜め前の手前側の席にニジー。
ウソノワールの席から見て右斜め前の奥側の席にゴウエモン。
ウソノワールの席から見て左斜め前の手前側の席にアゲセーヌ。
ウソノワールの席から見て左斜め前の奥側の席は空席だった。
幹部席に座っている、ニジー、アゲセーヌ、ゴウエモンの三人がそれぞれの席で、ウソノワールの言葉を待っていた。
「今日は、お前達に伝えることがある」
「何でしょう? ウソノワール様」
ニジーが、手元の赤い薔薇を弄りながら優雅に尋ねる。
「マジ、チョベリグな事?」
「もしや、マコトジュエルの場所が?」
アゲセーヌとゴウエモンも身を乗り出した。
しかし、ウソノワールは静かに首を振る。
「イヤ、違う。今日は、我ら怪盗団ファントムに入った『新しい一員』を紹介する」
その言葉に、三人の幹部は驚きの声を上げた。
ファントムに新入りが入ることなど、これまでになかったからだ。
彼らが顔を見合わせていると、薄暗かった劇場の舞台に、突如として眩いスポットライトが灯った。
三人の視線が一斉に舞台へと向く。
そこに立っていたのは――森亜るるかと、お供の妖精マシュタンだった。
るるかの姿は、かつて彼らと敵対していた時とは大きく異なっていた。
腰まであった美しい髪はバッサリと切られ、肩までのセミロングになっている。
服装も、かつての名探偵としての装いではなく、白いトップスの上に、白い襟と紫のボタンが付いた黒いケープを羽織り、ケープと同色の黒いスカートを着ていた。
足元は薄紫色のタイツに、黒いパンプスを合わせている。
それはまるで、深い喪に服すような、闇に溶け込むような姿だった。
「おお、お前さんは……!」
「チョッ、マジ!」
「お前は、キュアアルカナ!」
ゴウエモンとアゲセーヌが目を見開き、ニジーが席を立ち上がって叫んだ。
「ウソノワール様! 何故キュアアルカナが!? 奴は我々の邪魔をする名探偵プリキュアです!」
「マジ、意味分かんないんですけど!」
「まあ、いいじゃねえか。ウソノワール様が連れてきたんだ。オレは歓迎するぜ」
約一名を除いた幹部たちの混乱と敵意のこもった視線を浴びながらも、るるかは冷たく、抑揚のない声で答えた。
「違う……」
るるかの静かな否定に、三人が訝しげに眉をひそめる。
「私は……」
るるかは、首元に下げているペンダントに触れた。
それは、以前キュアアルカナへと変身するために使っていたものとは異なっていた。
ステッキ型のアイテムを小さくしたような、見慣れない漆黒のペンダント。
るるかの身体が、深い紫色の光に包まれた。
まばゆい光が弾け、彼女はプリキュアへと変身を遂げる。
しかし、光の中から現れたのは、かつて彼らが知る『キュアアルカナ』ではなかった。
闇のオーラを纏った、哀しき影の姿。
「私は、キュアアルカナ・シャドウ」
冷え切った紫の瞳で幹部たちを見据え、彼女は静かに宣言した。
「天才探偵、森亜るるかは……名探偵キュアアルカナは……もういない」
その揺るぎない絶望と決意を孕んだ声に、幹部達は言葉を失い、ただ驚愕の眼差しを向けることしかできなかった。
「キュアアルカナ・シャドウよ。貴様はこれから、怪盗団ファントムとして動いてもらう。いいな」
VIP席から見下ろすウソノワールに対し、アルカナ・シャドウは静かに頷いた。
「分かってる」
「ウソノワール様、これを」
アルカナ・シャドウの傍らで、マシュタンが進み出て、小さな両手で一冊の古びた本を差し出した。
「これは?」
「『未來自由(ミラージュ)の書』」
ウソノワールの問いに、アルカナ・シャドウが答える。
「私のご先祖様達が作った予言書よ。未来に起こるはずの出来事が全て書かれているの。この予言書は変化する未来に応じて新しい予言を開示するわ。」
マシュタンが誇らしげに、しかしどこか悲しげに補足した。
「ほう。こんな代物があったとはな」
ウソノワールが未來自由の書を手に取る。
「ただ問題があるとすれば、過去に誰もこの書を読み解くことが出来なかったことかしら」
そう告げるマシュタン
「ほう。それは興味深い」
ページをめくるウソノワール。
「なるほど。これは素晴らしいものが手に入った」
どうやらウソノワールには解読できるみたいだ。
「これがあれば、きっとマコトジュエルの欠片の場所も分かるはずよ」
アルカナ・シャドウは、一切の迷いのない瞳でウソノワールを見上げた。
「これが今見せられる、私の覚悟。あの子のために……ウソノワール、貴女の命令に従う」
「良かろう。期待するぞ、キュアアルカナ・シャドウよ」
未来を記したマシュタンの一族の秘宝すらも、ウソノワールへの供物として差し出した。
これが、るるかが怪盗団ファントムに堕ちた、決定的な契約の証だった。
儀式のような顔合わせを終えたアルカナ・シャドウは、マシュタンを腕に抱き抱えながら、冷たく暗い廊下を歩いていた。
向かう先は、ただ一つ。
重い鉄の扉を開け、こころの部屋へと足を踏み入れる。
そこには、相変わらずベッドの上に横たわり、虚ろな目で宙を見つめるこころの姿があった。
あの凄惨な拷問の日から数ヶ月。
ウソノワールが用意した医療器具とるるかの懸命な治療により、身体中に巻かれていた痛々しい包帯やガーゼの量は随分と減っていた。
まだ傷が深い部分には新しい包帯が巻かれているものの、外傷は少しずつ、確実に癒えつつあった。
しかし、粉々に砕かれた両手と両足には、未だに重々しいギプスが固定されている。
想像以上に骨の状態が酷く、完治には時間が必要だった。
何より、るるかの心を締め付けたのは、こころの身体が痛ましいほどに痩せこけてしまっていることだった。
心を完全に砕かれたこころは、周囲のあらゆる出来事に反応を示さず、自発的に飲食をすることすらできない。
そのため、数ヶ月もの間、点滴からの栄養と水分だけで命を繋いでいる状態なのだ。
アルカナ・シャドウの身体が光に包まれ、静かに変身が解除された。
「こころ……」
るるかはベッドの傍らに腰を下ろし、こころの顔や頭を、壊れ物を扱うように優しく撫でた。
そして、ギプスから覗く、骨と皮だけのように細くなってしまった腕にそっと触れる。
「こんなに痩せてしまったのね……」
るるかの声が、悲痛に震える。
「こころ……、報告が遅くなったけど、私ね……もう名探偵じゃなくなったの」
虚空を見つめる妹の瞳に、るるかは語りかけた。
「もう、貴女が知っているお姉ちゃんじゃないの。私は……怪盗団ファントムの、キュアアルカナ・シャドウになったの。貴女が知ったら、きっと怒るでしょうね」
もしこころが正常なら、泣いて止めるに違いない。
正義の味方であったはずの姉が、自分をこんな目に遭わせた悪党の手先になるなど、絶対に許せないはずだ。
「それでも、私は……後悔しない」
るるかは、こころの冷たい手を両手で包み込んだ。
「こころ……。私の大切な妹。私は……貴女を救うことが出来る可能性があるなら、どんな事でもするわ。例えそれが、今までの私達の行いを否定する行動でも。例え、地獄に落ちるとしても……!」
るるかの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ち、こころの手に滴った。
「私は、貴女のために……私を助けようとしてくれた、貴女のために必ず……! 待っててね、こころ。どんなに時間が掛かっても、貴女と過ごす時間を、必ず取り戻してみせるから」
それは、悪に身を染めてでも妹を救うという、悲壮で呪いのような誓いだった。
「ちょっと。何一人で抱え込んでるの」
涙を流するるかの頬を、マシュタンの小さな手がポンポンと叩いた。
「私も最後まで一緒よ」
「マシュタン……」
「私は、るるかのお供妖精よ。それに、こころちゃんのお供妖精でもある。私達で、救うんでしょ」
「……そうだね。ありがとう、マシュタン」
るるかは涙を拭い、小さく微笑んだ。
その時、アジトに冷たい鐘の音が響き渡った。
ゴーン、ゴーン……。
「もう時間みたい。ごめんね、ウソノワールとの約束で、時間が決められてるの」
名残惜しそうに、るるかはこころの手をベッドの上に戻した。
「でも、そのうちずっと一緒にいられるようにするから。少しの間、淋しいかもしれないけど待っててね。また、明日来るから」
「お休みなさい、こころちゃん」
「お休みなさい、こころ」
二人は、虚ろな目をしたままのこころに優しく声をかけると、静かに立ち上がった。
後ろ髪を引かれる思いで重い鉄の扉を閉める。
闇に落ちた名探偵。
彼女の長く、孤独で、哀しい怪盗としての戦いが、ここから静かに幕を開けた。