名探偵プリキュア! 〜迷宮のアルカナと偽りの真実〜 作:暁 蒼空
第1話:動き出す時間、交差する光と影(前編)
「よーし! 掃除が終わったら、ミルクにしようね!」
「ポチ~!」
1999年のまことみらい市。
『キュアット探偵事務所』の中では、未来からやってきた中学2年生・明智あんなと、妖精のポチタンが、箒や雑巾を片手に大奮闘していた。
「ごめ~ん! 寮出る手続きで時間かかっちゃって……って、あれ?」
そこへ、探偵を志す同い年の少女・小林みくるが駆け込んでくる。
彼女は事務所の惨状を見て、目を丸くした。
「なんか……私が来る前より散らかってない?」
「えへへ。みくるも来たし、ここからだよ! みんなで、はなまるすてきな探偵事務所にしよう!」
あんなは悪びれもせず、元気いっぱいに笑った。
二人はさっそく掃除を進めながら、改めて広々とした探偵事務所の中を探検して回った。
「へぇ~、思ったより広いんだ。お庭も、かわいい!」
「だよね~!」
大きな窓から差し込む光、アンティーク調の家具。
そして、どこか懐かしくなるような、落ち着いた空間。
「あと、なんだか……いい香りもする」
みくるが鼻をくんくんと鳴らすと、あんなも頷いた。
「うん! 前にいた名探偵が使ってたみたい。すっごくおしゃれで、すてきな人だったのかなぁ」
あんなは無邪気に想像を膨らませる。
その『いい香り』が、かつてこの場所で笑い合っていた二人の少女と、一人の助手の幸せな日々の残り香であることなど、知る由もなかった。
事務所の片付けは、一筋縄ではいかなかった。
「だから! 書類の順番は決まってるの!」
「えぇ~? アルファベット順より、色で分けたほうがかわいいよ!」
「それじゃあ探偵事務所としての実用性がなくなっちゃうだろ!」
口うるさい管理者・ジェット先輩と、直感と「かわいさ」を重視するあんなが、書類の束を挟んで言い合いをしている。
そんな二人をよそに、理論派のみくるは、積み上げられた専門書の山にすっかり夢中になっていた。
「なるほど……。調査時の確証バイアスの除去の重要性か……」
「そこ! みくる! 手が止まってるぞ!」
ジェット先輩の鋭いツッコミが飛び、事務所に賑やかな声が響き渡る。
「ねぇねぇ、2階って何があるの?」
「物置って感じかな? 行ってみよう!」
2階へと上がった二人は、ホコリを被った荷物の整理に取り掛かった。
そこで、あんなが一枚の古いポスターサイズの紙を見つける。
「これって……この辺の地図? キュアット探偵事務所は、ここかな」
「うん、そうみたいだね」
地図をなぞっていたあんなの指が、ある地点でピタリと止まる。
「わたしの街は、ここにできるんだ……」
「あんな……?」
みくるは、あんなの横顔にふと暗い影が差したことに気がついた。
1999年の今、あんなが住む2027年の「マコトミライタウン」はまだ存在していない。
「近いんだね! 知らなかった。こっちのほうに来たことなかったから」
「……」
あんなは、地図のその場所をじっと見つめた。
(来てみよう……元の時代にもどったら)
心の中でそう呟き、少しだけ寂しそうな笑顔を見せる。
そんなあんなを元気づけるように、みくるがポンと手を打った。
「ねぇ! 考えがあるんだけど」
「インテリア? そんなもん、どうでもいいだろ」
1階に戻ったみくるの提案に、ジェット先輩は呆れたように肩をすくめた。
「地図が壁に貼ってあるだけじゃ、味気ないし!」
ちょうどその時、窓の外を通りがかった女性が「おねがいしま~す」と、チラシをポストに入れていった。
「ほら、来てくれたお客さんも、すてきな事務所のほうがいいでしょ?」
「あのな……もちろん来た依頼は基本すべて引き受けるけど、ボクらの本来の使命は『怪盗団ファントムを止めること』だ。それを忘れるなよ」
「分かってるってば」
みくるが軽く受け流す中、あんなは小首を傾げた。
「わたし、ずっと気になってたんだよね。わたしの時代はウソで覆われた世界じゃないし、怪盗団ファントムなんて聞いたこともないよ? ここと変わらない、平和な街だよ」
「未来は、たえず変わるんだ」
ジェット先輩の声が、一段低く、真剣なものになる。
「ボク達がここで頑張らないと、ここも、お前の時代も『ウソで覆われた世界』になるかもしれない。あの、いけ好かない妖精の手に落ちる可能性があるんだ」
「いけ好かない妖精って?」
「言ってなかったっけ? ファントムのヤツらも、ボクたちと同じ『妖精』なんだ」
その言葉に驚くあんなとみくる。
一方その頃。
怪盗団ファントムの薄暗いアジト。
劇場のVIP席には、ウソノワールが鎮座し、眼下の舞台を見下ろしていた。
幹部席にはゴウエモンが腰掛け、舞台の上にはニジーが立っている。
そして、ゴウエモンと対面する位置にある幹部席、ウソノワールの席から見て左斜め前の奥側の空席だった所に――黒いケープを身に纏い、アイスを静かに頬張る森亜るるかの姿があった。
「『未來自由(ミラージュ)の書』を読みとくに……約束の時まで、あとわずか……」
ウソノワールの重い声が劇場に響く。
「マコトジュエルを得ねばならぬのに、この失態……」
冷ややかな視線を向けられ、舞台上のニジーがビクッと肩を震わせた。
彼はすでに二度、新たな名探偵プリキュアにハンニンダーを倒され、マコトジュエルの奪取に失敗していたのだ。
「ウ、ウソノワールさま! 申し訳ありません。まさか、新たな『名探偵プリキュア』があらわれるとは……っ!」
「『未來自由の書』が、新たなマコトジュエルをしめしている」
言い訳を遮るようにウソノワールが告げると、舞台の袖から、派手な足音を立ててアゲセーヌが歩み出てきた。
「アハハッ! 今回はアゲが行くしかないっしょ!」
「アゲセーヌ! なぜお前が……っ」
「あんたのギャルの変装? 超下手! ありえない! チョベリバ~!」
「き、聞きずてならないな!」
指を差して爆笑するアゲセーヌと、顔を真っ赤にして反論するニジー。
「また騒がしいこと」
「……うん」
るるかは、マシュタンの呆れたような呟きに短く相槌を打ち、ただ黙々とアイスを口に運んでいた。
かつて妹と、親友と、笑い合いながら食べていたアイス。
自分の大好物。
しかし、今のるるかが食べているそれは、何の味もしなかった。
「ウソノワールさま! このニジーに、今度こそおまかせを!」
「行け、アゲセーヌ」
「はっ?」
ウソノワールの無慈悲な指名に、ニジーが間抜けな声を漏らす。
「華麗に優雅に、奪ってくるのだ」
「そ……そんな! ボクにチャンスをぉ!」
「イェーイ! アハハッ!」
項垂れるニジーをよそに、アゲセーヌがピースサインを掲げる。
「ライライサー!」
ウソノワールが掛け声を発する。
「ライライサー!」
ニジーとアゲセーヌが返事をする。
幹部たちの滑稽なやり取りを、るるかはただ無表情に、冷たい瞳で見つめていた。
(名探偵プリキュア……そっか……。新しい子が現れたんだ)
ニジーが言った『新たな名探偵プリキュア』。
それは間違いなく、自分たちが去ったあのキュアット探偵事務所に拠点を置いているはずだ。
(そっか……。もう……あの事務所に戻ることはないんだ。私達の過ごした……私達の思い出が詰まった探偵事務所はもう……どこにも……)
頭では分かっていたはずだった。
こころを救うため、すべてを捨てて怪盗団ファントムに身を落とす。
そう覚悟を決めて、事務所を片付け、自ら長い髪を切り落としたのだから。
しかし――。
自分たちの代わりがやってきたこと。
自分たちが生活し、笑い合ったあの空間が、少しずつ自分たちの知らない『誰かのもの』へと上書きされていくこと。
(決別したはずなのに……覚悟を決めたはずなのに……どうして)
るるかの胸の奥が、ギリッと音を立てて痛んだ。
「私は……まだ……未練があるの?」
小さく、誰にも聞こえないほどの声で呟いた。
るるかの表情に、濃い哀愁の影が指す。
しかし、ずっと傍らにいるマシュタンの耳には、そのかすかな震えがしっかりと届いていた。
「るるか……大丈夫?」
「……ごめんね、マシュタン」
るるかは、無意識の内に、膝の上のマシュタンを抱き寄せていた。
少しだけ強く、すがりつくように抱きしめる。
「大丈夫……私は、大丈夫だから……」
それは、自分自身へ言い聞かせるための嘘だった。
るるかは静かに席を立ち上がると、暗いアジトの奥。
たった一人の大切な妹が眠る、冷たい部屋へと向かって歩き出した。
冷たく暗い廊下を、るるかはゆっくりと歩いていた。
足音が暗いアジトに響く中、目的の部屋へ近づくにつれて、彼女の腕は無意識の内に強ばっていく。
腕の中に抱かれたマシュタンを、壊れ物を守るかのように、あるいは縋りつくように、ぎゅっと強く抱きしめてしまう。
(名探偵プリキュア……)
新たな光の誕生。
本来であれば喜ばしいはずのその報せが、今のるるかの心には、どこまでも重く冷たい影を落としていた。
やがて、鉄の扉の前に辿り着く。
るるかは小さく深呼吸をすると、静かに扉を開けて中へと入った。
「こころ……会いに来たよ」
そこには、焦点の合わない虚ろな目をしてベッドに横たわる妹の姿があった。
るるかは静かにベッドの傍らへ歩み寄り、冷たく痩せ細ったこころの頬に、そっと手を当てた。
マシュタンはるるかの腕からベッドへと飛び移り、悲痛な姉妹のやり取りを静かに見守る。
「こころ……新しい『名探偵プリキュア』が二人、現れたの」
るるかは、包帯が巻かれたこころの頭を優しく撫でながら、語りかけた。
「本当だったら……私達の後輩になったんだろうけどね……」
反応のない妹へ向けて、るるかは微笑みを作ろうと努めた。
「それとね、くれあの事。くれあは……プリキュアだった頃の記憶をなくしちゃって、私達の事はすっかり覚えていないの」
寂しさを押し殺し、るるかは言葉を紡ぐ。
「寂しいし、悲しいけど……くれあがもう戦わなくてもすむなら、これで良かったのかもしれない。くれあはね、私たちと一緒に過ごしている頃にバイトをしていた『パティスリーチュチュ』ってお店で、パティシエをやってたよ。凄く楽しそうで、とっても素敵な笑顔だった。それにね……あそこのアイス、凄く美味しいの。くれあのお菓子を作る腕は上達してたよ」
かつて三人で笑い合って食べた、あのアイス。
幸せだった日々の情景を思い出し、るるかは頑張って笑顔を作って話しかけていた。
しかし、その声は次第に小刻みに震え始めていく。
「……あの戦いの後ね、私、事務所のものを片付けてきたの。きっともう、戻れないと思って」
撫でていた手を滑らせ、点滴の管が繋がれた、日に日に痩せ細っていくこころの小さな手を両手で優しく包み込む。
「でも……そのせいで、新しい名探偵さん達が入ってきちゃった」
ポタリ、と。
るるかの瞳から涙がこぼれ、こころの手の甲を濡らした。
「ごめんね。私達の思い出の場所が……帰る場所が、なくなっちゃった。私のせいで……私が弱かったから」
堪えきれなくなった涙が、次々と頬を伝い落ちる。
「いくら天才探偵だって言われていても、私は……たった一人の大切な妹すら守れなかった。寧ろあの戦いの時は、私が一番足手まといで、役立たずだった……っ」
激しい自責の念が、るるかの口から止めどなく溢れ出す。
「私が簡単にやられたせいで、くれあはウソノワールからマコトジュエルを取られて記憶をなくした。こころは、私を守るために無茶をして戦ってくれた。なのに……私は倒れていく二人を、ただ見ていることしか出来なかった」
るるかは、こころの手に自分の額を押し当て、声を殺して泣きじゃくった。
「これじゃあ……お姉ちゃん、失格だね……」
どんなに謝っても、どんなに後悔しても、こころの瞳に光が戻ることはない。
るるかは袖で乱暴に涙を拭い、顔を上げた。
「……ごめんね。こんな事言われても、迷惑だよね」
るるかの瞳から、一瞬だけ、かつての『名探偵』としての強い光が宿る。
「こころ。私は……必ず貴女の笑顔を取り戻す」
それは、悪に染まってでも成し遂げるという、執念の誓いだった。
るるかは静かに立ち上がると、妹の顔をもう一度見つめた。
「また来るね。お休み、こころ」
重い鉄の扉を開け、部屋を出る。
そして、扉が完全に閉まった瞬間――。
「……っ」
るるかは扉に背中を預けたまま、ずるずるとへたり込み、冷たい床に崩れ落ちた。
こころの部屋から出ると、張り詰めていた糸が切れたように、いつもこうなってしまう。
妹の無残な姿を直視する度、己の罪の重さに心が押し潰されそうになるのだ。
「るるか……」
マシュタンが、へたり込んだるるかの膝に乗り、その冷えた身体にそっと寄り添った。言葉の代わりに、その温もりがるるかの心を微かに温める。
「……大丈夫だよ」
るるかは震える息を吐き出し、立ち上がった。
「行こ……マシュタン」
マシュタンを再び腕に抱きしめ、るるかは暗い廊下を歩き出す。
次に二人が向かうのは、新しい名探偵プリキュア達の元か、それとも――。
今のるるかの行動は全てウソノワール次第。
闇を纏った名探偵の孤独な足音が、静かに響いていた。