盤上の駒
「(くっ……! なんか走行ペースが狭い! こいつら邪魔……っ!)」
ファイアビリーヴァーは、焦燥感に歯噛みしていた。
いつもなら自分の走りに合わせて自在に開くはずの進路が、なぜか左右から完全に塞がれている。
前に出ようとしても、名門のプライドが邪魔をして引くこともできない。
「(何あたしの事を妨害してやがる! 負けるか……!)」
隣を走るヴィクトルグラスパーもまた、余裕を失った顔で肩をぶつけてくる。
勝利を掴み取るための合理的なポジショニングを取ったはずなのに、気づけば周囲は壁だらけ。
お互いの強すぎる闘志が裏目に出て、進路を譲り合わない最悪の泥仕合に引きずり込まれていた。
その異常さに、3人目の実力馬、ガイアキッカーが冷や汗を流す。
「(こんな事あり得るの……!? まさか……ハメられた……!?)」
前方を走る白毛のウマ娘――シャイニングスター。
あんな破滅的な大逃げ、すぐにスタミナが切れて垂れて(失速して)くるはずだった。
だから、彼女を抜かすどころか、狭いスペースに押し込められた3人は、何ら成果に結びつかない無駄な消耗を強いられていた。
前方のスターが、すでに急激にペースを落として『足を溜めて』いることにすら、気付けないほどに。
「おおっと、これはどうした事だーーーっ!! 『壊し屋』と思われたシャイニングスターが全く垂れない! そして、後方を走る有力馬3人はスターを抜かさない! いや、抜かせないのかっ!?」
「……シャイニングスターは今、急激にペースを落としています。そして、ターフを走る彼女たちはそれに気付いていません。固まって互いの体力を削り合っているビリーヴァーたち3人……。シャイニングスターは今、恐ろしい事をしていますよ」
「それはどういう事でしょうか!? スター選手は今、一体何をしているんですか!?」
「まず彼女は、自らを意図的に『歪んだペースメーカー』に見立て、追い込みウマ娘の仕掛けるタイミングを完全に潰しました。そして、有力な上位ウマ娘3人を意図的に狭いスペースに押し込め、互いを潰し合わせているんです。こんなことが偶然起こるなんてあり得ません。……凄い。こんなウマ娘は見た事が無い。これは作戦や妨害というには生ぬるすぎます。――『封殺』です」
「封殺……! アスリートを言い表すには、なんとおぞましい響きでしょう!おおっと!! シャイニングスターを筆頭に上位陣が最終コーナーを曲がり、直線コースに突入!! シャイニングスターのスピードは落ちない!しかし! スターを追っていた3人が脱落していく! 完全にバ群に埋もれていったーーー!!」
ファイアビリーヴァーの、ヴィクトルグラスパーの、ガイアキッカーの脚が、嘘のように動かない。
お互いのスピードとパワーをぶつけ合わされ、その身に宿るエネルギーのすべてを内側から食い荒らされた結果だった。
「一着はシャイニングスター!!君はこのレースを見たか! ライバルたちのスピードとパワーを、互いに潰し合わせるウマ娘! まさに冷酷無慈悲!その禁忌の『封殺』戦法をやってのけたのは、誰にもかえりみられなかった寒門無名のウマ娘! 『絶対零度のシンデレラ』の誕生だーーーー!!」
万雷の拍手の中、パステルカラーのリボンをヒラヒラと揺らしながら、スターはただ世界の中心(カメラ)だけを見つめていた。
ゴール板を通り抜け、惰性で減速したファイアビリーヴァーは、やがて力なく立ち止まった。
電光掲示板に表示された自分の名前の横には、信じられない数字が刻まれている。
――【13着】。
「世代一強」「当世の希望の篝火」とあれほど持て囃されていた、レース前の自分。
そして、泥にまみれて立ち尽くしている、今の自分。
その二つの間に連続性が無いのではないかと疑うような、凄まじい『断絶感』が彼女を襲っていた。
頭が真っ白になり、スタンドから降る観客のようなどよめきも、歓声も、すべてがどこか遠い別の世界の出来事のようにしか感じられない。
「今、何が起こった……!? おい、何かの冗談だろ!?」
すぐ横では、14着に沈んだヴィクトルグラスパーが、眼鏡の奥の瞳を血走らせて喚き散らしていた。
勝利を掴むための合理的な走りを全否定され、プライドをズタズタに引き裂かれた彼女の叫びは、ただの哀れな負け犬の遠吠えに聞こえた。
だが、今のファイアビリーヴァーには、その怒号に反応するだけの気力すら残っていなかった。
一方、15着という最下位の順位に沈んだガイアキッカーは、自分の順位に注意を払うことすら忘れていた。
ただただ、全身が内側から凍り付いていくような、底なしの恐怖に震えていた。
「(こんな事があっていいのか……? いや、理論だけなら誰だって思いつく。『強い奴らを同じ場所に閉じ込めて、互いに潰し合わせればいい』って。でも、それを本当に……本当にやってのけるウマ娘が、この世にいるなんて……!)」
シャイニングスターのあの走りに、ルールを犯さないギリギリの『ダーティーワーク』に対する嫌悪も、躊躇も、一切存在していなかった。
そこにいたのは、ただ自分の目的のためだけに、邪魔な障害物を冷徹に排除した「何か」だ。
「(……あいつは、自分と同じ、血の通ったウマ娘なんかじゃない)」
パステルカラーのリボンを軽やかに揺らし、1着のスポットライトに向かって歩いていくシャイニングスターの背中を、ガイアキッカーはただ、怪物を目撃した生存者の目で戦慄しながら見つめることしかできなかった。