シュピーゲル 〜不眠の傭兵と猛毒の令嬢、17歳の暗殺事件〜 作:氏家まさら
早朝のエルザの自室。ソファではエルザが深く眠り、規則正しい寝息を立てている。一方カレンは、既に目を覚まし、何か物思いにふけっていた。
「それしても、アン時はひでえ目にあったな……」
カレンは左手を顎に当て、苦虫を噛み潰したような顔をした。以前「朝の毒見」で味わったどす黒いスープと黒焦げのパンの記憶が、胃の奥を不快にさせる。
「あんな排泄物を毎日食わされたんじゃ、暗殺者が挨拶に来る前に私が毒殺されるぜ……。はやく手を打たねえと」
カレンの独り言には、切実な危機感が滲んでいた。
「もう食いもんは自分で調達するしかねえな……」
腕を組み、立ち尽くしたまま思考を巡らせる。
「調達するにしても、まずは何を作るか決めねえと……」
カレンは目を閉じ、再び顎に手をやった。脳裏に、たっぷりの具材を挟んだパンのイメージが浮かび上がる。
「よし。『アレ』にするか」
カレンは顔を上げた。
「しかし、流石の私でも全部の食材をいっぺんに集めるのは骨だぜ……なら」
彼女は目標物を見据えるように、鋭く目を細めた。
壁時計の秒針が、軽快なリズムを刻み始める。
カチカチ……カチカチカチッ。
しばしの間の後、カレンは大きな食パンを小脇に抱えて入口付近に立っていた。その顔には、自らの手際に満足したような表情が浮かんでいる。
「よし」
カレンはサイドテーブルにまな板を置き、パンを乗せ、左手で無造作にナイフを取り出した。
「よ……」
ストン。
「よ……」
ストン。
一定のリズムでパンが切り分けられていく。
ストン。
カレンの動きが、唐突に停止した。表情は穏やかだが、パンを見つめる瞳の中には、此処ではない何処か遠くを幻視しているように揺らめいている。一瞬、部屋の秒針の音が完全に消えた。
「……あ、やべえ。切りすぎた」
カレンは我に返り、首を振った。まな板の上には、『アレ』を作るには余りある枚数のスライスパンが整然と並んでいた。
「残りの食材を調達するか」
カレンは苦笑混じりに呟き、再び部屋の外へと意識を向けた。それと同時に、壁時計の秒針が「カチ、カチ」と規則正しい音を取り戻した。
◆ ◆ ◆
しばらくして食材調達から戻ってきたカレン。彼女の手には、溢れんばかりの食材が抱えられていた。
カレンがサイドテーブルに向き合う。彼女の動きに合わせるように、壁時計が小気味よいリズムを刻み始めた。
カチカチ……カチカチ……。
カレンは瑞々しいレタスを置き、続いて真っ赤なトマトを並べた。ゆで卵の詰まったバスケット、ピクルスの瓶、さらに厚切りのハムを次々とテーブルへ運んでくる。最後に好物のウインナーを数本置くと、そのうちの一本を左手に取り、ガリッと一口つまみ食いをした。
カチカチ……カチカチ……カチチカチッチ。
カレンは左手でナイフを握り直した。レタスを迷いなくちぎり、トマトを一定の厚みでスライスしていく。ゆで卵を輪切りにし、瓶から出したピクルスを細かな微塵切りへと変えた。最後にハムを等分にカットする。
カチカチ……カチカチ……カチチカチッチ。
皿の上に、カットしたパンを一枚置く。
その上にレタス、トマト、ゆで卵を丁寧に積み上げ、微塵切りのピクルスを万遍なく散らした。さらにハムを乗せると、自身の
カチカチ……カチカチ……カチチカチッチ。
皿の上には、断面の色彩が鮮やかな、ボリュームのある『御馳走』が完成していた。
カチチカチッチ!
壁時計の秒針が、完成を告げる合図のように一際高く跳ねた。
◆ ◆ ◆
「よし……!」
カレンは、両手で『御馳走』を乗せたお皿を持ち上げた。その表情は淡々としていたが、瞳には隠しきれない喜びが宿っている。
ソファの上では、いつの間にかエルザが目を覚ましていた。まだ覚醒しきっておらず、眠そうに半目で床を眺めている。
「……なんだ起きたのか?良い知らせがあるぞ」
カレンが『御馳走』の皿を差し出した。エルザはカレンの声を聞いているのかいないのか、無造作に右手で懐からスコーンを取り出した。
「……あれ!?お前、それはどうしたんだ?」
カレンは、エルザの持つスコーンを信じられないものを見るような目で見つめた。
「……ああ、いたの。……これ?私が調達したのよ」
エルザはカレンと視線を合わせず、当たり前のように答えた。彼女は一口、行儀悪くスコーンをかじった。
「え……?お前、あの毒物を毎日食ってたんじゃないのか……?」
カレンは、『御馳走』の皿を持ったまま茫然と立ち尽くした。
「……はあ?んな訳ないでしょ。あんなの毎日口にできるわけないじゃない。精々
エルザはやさぐれた様子で、豪快にスコーンをかじった。
「私にだって伝手ぐらいあるわよ。バカなの?」
軽蔑を込めて、エルザが鼻で笑った。
「……おい」
突っ込みが追い付かないカレンが、絶望した表情で肩を落とす。それでも『御馳走』の皿だけはしっかりと両手で支えていた。
「……で?アンタが持ってるそれは何?」
エルザはスコーンを口の中で咀嚼しながら、カレンの持っている皿へ視線を投げた。
「……ああ!?これか!」
カレンはようやく気を取り直した。
「ふふん。驚くなよ。こいつは
カレンは不敵に口角を上げ、満足げな
「……
エルザは食べかけのスコーンを右手に持ったまま、柄の悪い姿勢でソファに座り、冷めた視線を向けた。
「知らねえのか?お貴族様の癖に……。辺境のお偉いさんが考えた
カレンは大変楽しそうに胸を張った。
「へー」
エルザはよくわかっていない様子で、冷たく応じた。
~ 次回『サンドウィッチと