シュピーゲル 〜不眠の傭兵と猛毒の令嬢、17歳の暗殺事件〜   作:氏家まさら

18 / 58
【第18話】暗殺者ヨハン

 夕暮れ時の執務室。

 

 エレノアは執務机に腰を下ろしていた。机の上では、彼女の飼っている黒猫が四肢を投げ出してくつろいでいる。エレノアは左手を伸ばし、猫の顎をゆっくりと撫でた。猫は目を細め、喉をぐるぐると鳴らした。

 

 傍らには、モーゼスが控えている。トレーカートの上には、磨き上げられた紅茶セットが載せられていた。

 

 モーゼスは淀みない動作で紅茶を淹れた。エレノアのテーブルに、温かい紅茶と焼き菓子が並べられる。エレノアは優雅な所作で紅茶を口に含んだ。一口嗜むと、音もなくカップをソーサーに置いた。

 

「モーゼス、あなたのお気に入りの『年代物の絹(ビンテージシルク)ちゃん』についてだけれど…」

 

「お気に入りなどと……ご冗談を」

 

 モーゼスは表情を崩さず、一礼した。

 

「アレから上手くやっているかしら?」

 

「は……誠に遺憾ですが、護衛としては優秀と言わざるを得ませんな。隙だらけのようで抜け目ない。油断のならない奴です」

 

 モーゼスは視線を落としたまま、言葉を継いだ。

 

「我々も日々手を焼いております。エレノア様の見込んだ通りでございますな」

 

 モーゼスが頭を垂れた。

 

「あら、お上手ねー」

 

「恐れ入ります」

 

 モーゼスは無表情で告げる。

 

「しかし、奴(あやつ)めどうやったかは存じ上げませんが、エルザ様を上手く丸め込んでいるようでございます」

 

「ああ、そう。好都合じゃない……ふふ」

 

 エレノアが薄く笑った。

 

「……えぇ。……全く恐ろしいほどに。……クク」

 

「あとモーゼス。例(・)の(・)件(・)は進んでいるかしら?」

 

「はっ。万事滞りなく」

 

「ふふ。安心したわ。ワタシを失望させないでね」

 

 エレノアが猫から手を離し、視線を窓の外へと向けた。沈みゆく夕陽が、執務室の床に長い影を落としている。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 雪深く積もった高所の雪原。周囲を険しい山々に囲まれたその場所に、遭難者用の山小屋がポツンと佇んでいた。

 

 

 ドシュ……!ドシュ……!

 

 

 薄暗い室内が松明の炎でぼんやり照らされている。松明が爆ぜる音をかき消すように刃物が肉を貫く鈍い音が響く。

 

 ゴソゴソ……

 

「……へへ。こいつら同業者みたいっすねぇ。旦那ぁ。結構蓄えてますよ」

 

 禿頭(スキンヘッド)で姿勢の悪い中年男が、左手で奪った金袋を掲げた。それは民話に登場する子鬼(ゴブリン)のような風貌だった。彼は右手に鉈を握り、床に転がった死体へ執拗に刃を突き立て続けている。

 

 ドシュ……!

 

「……」

 

 子鬼の背後には、昏い表情をしたブロンドの髪の男が、死体を椅子代わりにして座っていた。傍らの床には、無骨な広刃剣(ブロードソード)が深く突き刺さっている。

 

 ドシュ……!

 

「……っ」

 

 室内にはもう1人、軍人のような佇まいの若い男がいた。腰には片手剣(ショートソード)を帯刀し、反対側のベルトには短剣(ダガー)を差し込んでいる。彼は中年男の醜行(しゅうこう)を汚らわしいものを見る目で一瞥し、ブロンド髪の男の側に歩み寄った。

 

「……ヨハンの兄貴。何故あんな奴を」

 

「……」

 

「奴(ゴブ)を仲間に入れたことが不満か……?……ヤコブ」

 

 死体に座っていたブロンドの髪の男――ヨハンが、視線を落としたまま淡々と答えた。

 

「……」

 

 ヤコブと呼ばれた青年は、当然だと言いたげな表情を浮かべた。

 

「寧ろアイツは便利だぞ……。光り物さえ見せておけば、言う事を聞く」

 

 ヨハンはヤコブと視線を合わせず、首元のロケットを右手で弄り始めた。彼の左手薬指には、銀色の指輪が鈍く光っている。

 

 ドシュ……!ドシュ……!

 

 室内には、松明の爆ぜる音と、子鬼のような男——ゴブの刺突音だけが満ちていた。

 

「……それより依頼内容の確認だ」

 

 ヨハンが、ようやくヤコブに軽く視線をやりながら淡々と告げる。ヤコブが懐から依頼書を取り出し、手短に報告した。

 

「はい。依頼主はシュピーゲル家。標的は17歳の末娘……だそうです」

 

 ピクッ。

 

 ヨハンの眉が、『17歳』という言葉に僅かに反応した。彼はゆっくりとロケットの表面を指先で撫でた。

 

「……ぐへへ。こんなちょろい仕事で良いのかぁ?歯ごたえがねえよ」

 

 ゴブが二人の間に割って入り、ヤコブの肩に馴れ馴れしく手を置いた。

 

「……ち」

 

 ヤコブは汚らわしそうに、ヤコブはその手を払いのけた。

 

「身内が年頃の娘を暗殺か……。世も末だな」

 

 ヨハンが死体に座ったまま、ヤコブから依頼書を取り上げて凝視する。僅かに目が細められる。

 

「へへ……!まったく……しょうもねえ」

 

 重苦しい雰囲気の二人を他所に、ひとりだけご機嫌そうなゴブが金袋を懐に入れ、代わりに奪った保存食のパンを床へと捨てた。

 

 ボト……。

 

「……」

 

 ヨハンの視線が、床に落ちたパンへ止まった。彼は死体から静かに立ち上がり、無言でゴブの近くに歩み寄った。続けてゆっくりと屈み、床に転がったパンを拾い上げる。

 

「……?」

 

 ゴブが怪訝そうな顔でヨハンを見た。

 

「……落とし物だ」

 

 ヨハンは視線をゴブの目線の高さに合わせ、拾ったパンを子鬼(かれ)の眼前に突き出した。

 

「……ああ……すまねえ」

 

 ゴブが震える手でパンを受け取った。ヤコブはその様子を黙って見ていた。

 

「死体を片付けたらすぐに出発する。急げ」

 

「……へい!」

 

「はい!」

 

 ヨハンは再び首元のロケットに触れ、薄暗い山小屋の出口へと歩き出した。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。