シュピーゲル 〜不眠の傭兵と猛毒の令嬢、17歳の暗殺事件〜   作:氏家まさら

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【第19話】沐浴 ~ 黒蝕病(パスト)の残滓 ~

 穏やかな陽光が差し込む昼下がり。エルザは定位置のソファで詰めチェス(チェスパズル)を解き、カレンは開け放たれた窓から遠くの景色を眺めていた。

 

 散らかっていた部屋は徐々に片付き始めていた。生活スペースの大半を確保できており、以前は埋もれていた浴室への扉が確認できる。

 

 シュッ…シュッ…。

 

 エルザが自分の顔の周りに香水を振りかける。

 

 カチ、カチ……。

 

 背後で柱時計の秒針が規則正しいリズムを刻んだ。窓際のカレンがその様子に目を留めた。

 

「……おい。お嬢さんよ。アンタ、香水の匂いで誤魔化そうとしてるが、正直不衛生だぜ」

 

 カレンは臭いものをみるような目で、エルザの髪を凝視した。

 

「ノミもフケも酷いし……入浴が必要だな」

 

「はあ?嫌よ。私はこれでいいの!」

 

 エルザはすました顔で再び香水を吹きかけた。

 

 シュッ…シュッ…。

 

 カチ、カチ……。

 

 カレンは無表情のまま、左手で漂う香りを左右に払った。彼女の手の動きに重なるように、背後で時計の秒針がリズムを刻んだ。

 

 カチ、カチ……。

 

「それに、そんなことして毛穴から悪い病気が入ったらどうするのよ?い・や・よ」

 

 エルザはプイと顔を背けた。

 

「……いいか。クソガキ。戦場ではお前と同(おんな)じことを言ったやつから真っ先に『黒蝕病(パスト)』で逝ったぜ。……敵の剣が刺さるより、ずっと前にな」

 

「……う」

 

 エルザは言葉を詰まらせた。

 

「決まりだな。とっとと風呂場に行くぞ?あっちにやたら広いくせに使われてもいねぇ浴室があったろ」

 

 カレンは視線をエルザに向けたまま、左手の親指で浴室の方向を指し示す。

 

「……え」

 

 エルザはその場に固まった。

 

 カレンがひとりでドカドカとした足取りで浴室に入っていく。浴室の扉は開け放たれたままになっており、中からカレンの声だけが外に漏れた。

 

「……よし!どうやらボイラーは生きてるみたいだな。面倒だが、湯は出そうだ」

 

 カレンは髪留めの紐を口に咥えると、髪を後ろで一つにまとめ、ギュッと結んで後部結び(ポニーテール)にした。

 

「……さて」

 

 彼女は扉の隙間からヒョコっと顔を出し、いたずらっぽく笑みを浮かべた。

 

「……にひぃ」

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 ドカン…!バタン…!…バババ!

 

「やめて!無理!ほんと無理だから!……きゃあ!!」

 

 開け放たれた浴室の奥から、カレンがエルザの服を脱がす衣擦れの音と悲鳴が響き渡る。続いて、ジャーという音と共に浴槽にお湯が溜まっていく。

 

「まずは髪を洗って……」

 

 ゴシゴシ……!

 

「やめて……!今すぐやめなさい!!」

 

 エルザが泣きそうな声を上げる中、洗髪する音が重なる。

 

「次は体を洗うぞ?……って暴れるな」

 

 ゴシ…ドタ…!

 

「……いや!ってか変なとこ触らないで……!!本当に殺すから……!!いやあ!!」

 

 バタン…!ガスン…!

 

 石鹸で身体を洗う音と、格闘するような騒がしさが入り混じる。

 

「よし。体も洗ったし、浴槽もたまったな」

 

 ばしゃーん。

 

 お湯の跳ねる音と同時に、エルザが浴槽に浸かっている姿が現れた。彼女の顔には戸惑いと恐怖が色濃く出ている。

 

 宗教画や大理石が贅沢にあしらわれた豪華な内装。その異質な空間の真ん中に、やたらと小さなユニットバスが据えられていた。エルザは左側に頭を向け、肩までお湯に浸かっている。

 

 その背後では、袖なしのアンダーチュニック姿でトラウザーズの裾を上げたカレンが、蟹股で座って待機していた。

 

「ほれ。見ててやるから暴れんなよ」

 

 カレンは浴槽の縁に肘を乗せて両手をだらんと垂らしている。

 

「……」

 

 エルザは身体を小さく震わせながら、カレンの右腕をじっと見つめた。左手の指先が、カレンの右手へ伸びる。

 

 カレンはそれに応じるように、ゆっくりと右手をエルザの左手へと近づけた。

 

 二人の指先が、そっと触れ合う。

 

「……ぁ」

 

 どぷんっ…。

 

 エルザは左手を湯船の中へ沈めた。

 

「……はぁ」

 

 エルザは首を倒し、背後にもたれかかった。

 

「……気持ち良いだろ?」

 

 カレンが問いかけた。

 

「……別に……。さっき着けてたコルセットがキツ過ぎただけよ……」

 

 エルザは目を閉じたまま答えた。

 

「へっ……。普段あんなユルユルに締めてるガキが吠えんじゃねえよ」

 

 カレンが笑った。

 

 パチン。

 

 カレンの右手が、エルザの右側の頭頂部を叩いた。

 

「……あたっ」

 

 目を閉じた状態のまま、エルザの身体がビクッと反射する。彼女はいら立った様子で顔を右側に傾け、上を仰ぎ見るようにカレンを睨みつけた。

 

「…あっ」

 

 エルザは背後のカレンを振り返り、その右手から右肩にかけて刻まれた生々しい傷跡を凝視した。

 

「……傷……スゴ……」

 

「これは傷じゃねえ——『味わい』っていうんだ。苦労して醸(つく)ったんだぞ?」

 

 カレンは自身の右腕を示した。

 

「……また始まった。年季の話ね。味(・)気(・)な(・)い(・)……」

 

 エルザは呆れたように頭を正面に戻し、再び目を閉じた。

 

「……け。これだから味音痴(バカジタ)はいけねえ」

 

「……ねえ。もういいでしょ?出たいわ」

 

 エルザは薄く目を開け、更に頭を後ろに逸らしてカレンを見上げた。

 

「……ふん。まだ完璧じゃねえが、まあいい。今日のところは許してやろう。もう『黒蝕病(パスト)』の影は消えたしな」

 

「……だが明日は、後(・)ろ(・)の(・)穴(・)まで徹底的にやるからな」

 

「アンタ、まだアレ根に持ってんの?……悪かったわよ」

 

「当然だ」

 

 ざっぱーん。

 

 カレンはエルザを抱え上げ、小さなユニットバスから引き上げた。

 

「ほら、上がりな。足元に気を付けんだよ」

 

 脱衣所から、カレンがエルザの髪や身体を布で拭く音が聞こえた。

 

「…ぐっ…むぐぐ…むぅ……!」

 

 合間にエルザの声にならない抗議が喧(やかま)しく響き渡っている。

 

 

~ 次回『沐浴 ~ 魂の浄化 ~』へと続く ~

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