シュピーゲル 〜不眠の傭兵と猛毒の令嬢、17歳の暗殺事件〜 作:氏家まさら
穏やかな陽光が差し込む昼下がり。エルザは定位置のソファで
散らかっていた部屋は徐々に片付き始めていた。生活スペースの大半を確保できており、以前は埋もれていた浴室への扉が確認できる。
シュッ…シュッ…。
エルザが自分の顔の周りに香水を振りかける。
カチ、カチ……。
背後で柱時計の秒針が規則正しいリズムを刻んだ。窓際のカレンが「あっ」と言いたげな顔でその様子を捉えた。
「……おい。お嬢さんよ。アンタ、香水の匂いで誤魔化そうとしてるが、正直不衛生だぜ」
カレンは臭いものをみるような目で、エルザの髪を凝視した。銀色の髪の合間には、不衛生の蓄積で得た産物がはっきりと確認できる。
「ノミもフケも酷いし……入浴が必要だな」
「はあ?嫌よ。私はこれでいいの!」
エルザは煩わしそうに答えると、すました顔で再び香水を吹きかけた。まるでカレンへあてつけるような動作だった。
シュッ…シュッ…。
カチ、カチ……。
カレンは無表情のまま、左手で漂う香りを左右に払った。彼女の手を動きと背後の時計の秒針音が共鳴するようにリズムを刻んだ。
カチ、カチ……。
「それに、そんなことして毛穴から悪い病気が入ったらどうするのよ?い・や・よ」
エルザはプイと顔を背けた。
「……いいか。クソガキ。戦場ではお前と
カレンの言葉は淡々としていたが、その響きは真剣そのものだった。
「……う」
エルザはカレンの真に迫る気迫に圧され、言葉を詰まらせて怯んだ。
「決まりだな。とっとと風呂場に行くぞ?あっちにやたら広いくせに使われてもいねぇ浴室があったろ」
カレンは一転して明るい声色に切り替えた。彼女は視線をエルザに向けたまま、左手の親指で浴室の方向を指し示す。
「……え」
エルザは「悪い冗談よね?」と言いたげな表情で、その場に固まった。
カレンがひとりでドカドカとした足取りで浴室に入っていく。浴室の扉は開け放たれたままになっており、中からカレンの声だけが外に漏れた。
「……よし!どうやらボイラーは生きてるみたいだな。面倒だが、湯は出そうだ」
カレンは髪留めの紐を口に加えると、髪を後ろで一つにまとめ、ギュッと結んで
「……さて」
彼女は扉の隙間からヒョコっと顔を出し、いたずらっぽく笑みを浮かべた。
「……にひぃ」
◆ ◆ ◆
ドカン…!バタン…!…バババ!
「やめて!無理!ほんと無理だから!……きゃあ!!」
開け放たれた浴室の奥から、カレンがエルザの服を脱がす衣擦れの音と悲鳴が響き渡る。続いて、ジャーという音と共に浴槽にお湯が溜まっていく。
「まずは髪を洗って……」
ゴシゴシ……!
「やめて……!今すぐやめなさい!!」
エルザが泣きそうな声を上げる中、洗髪する音が重なる。
「次は体を洗うぞ?……って暴れるな」
ゴシ…ドタ…!
「……いや!ってか変なとこ触らないで……!!本当に殺すから……!!いやあ!!」
バタン…!ガスン…!
石鹸で身体を洗う音と、格闘するような騒がしさが入り混じる。
「よし。体も洗ったし、浴槽もたまったな」
ばしゃーん。
お湯の跳ねる音と同時に、エルザが浴槽に浸かっている姿が現れた。彼女の顔には戸惑いと恐怖が色濃く出ている。
宗教画や大理石が贅沢にあしらわれた豪華な内装。その異質な空間の真ん中に、やたらと小さなユニットバスが据えられていた。エルザは左側に頭を向け、肩までお湯に浸かっている。
その背後では、袖なしのアンダーチュニック姿でトラウザーズの裾を上げたカレンが、蟹股で座って待機していた。
「ほれ。見ててやるから暴れんなよ」
カレンはエルザが滑り落ちないように注意を促した。彼女は呆れたような表情を浮かべ、浴槽の縁に肘を乗せて両手をだらんと垂らしている。
「……」
エルザは恐怖と戸惑いで身体を小さく震わせながら、カレンの右腕をじっと見つめた。彼女は無意識に、左手の指先を、カレンの右手へ伸ばす。その手をそっとつまもうとした。
カレンはそれに応じるように、ゆっくりと右手をエルザの左手へと近づけた。
二人の指先が、そっと触れ合う。
「……ぁ」
どぷんっ…。
エルザは一瞬で我に返り、慌てて左手を湯船の中へと沈めた。
「……はぁ」
緊張が解けたエルザは、少しリラックスした様子で首を倒し、背後にもたれかかる姿勢をとった。
「……気持ち良いだろ?」
カレンは余裕を感じさせる表情で、からかうように問いかけた。
「……別に……。さっき着けてたコルセットがキツ過ぎただけよ……」
エルザは目を閉じ、落ち着いた表情で答えた。
「へっ……。普段あんなユルユルに締めてるガキが吠えんじゃねえよ」
カレンは「可愛くねえな」と言いたげな顔で笑った。
パチン。
カレンの右手が、エルザの右側の頭頂部を優しく叩いた。
「……あたっ」
目を閉じた状態のまま、エルザの身体がビクッと反射する。彼女はいら立った様子で顔を右側に傾け、上を仰ぎ見るようにカレンを睨みつけた。
「…あっ」
エルザは背後のカレンを振り返り、その右手から右肩にかけて刻まれた生々しい傷跡を凝視した。
「……傷……スゴ……」
彼女の顔には畏怖と戦慄が混ざり合っている。
「これは傷じゃねえ——『味わい』っていうんだ。苦労して
カレンは自身の右腕を示しながら、努めて明るく、冗談を飛ばすように答えた。
「……また始まった。年季の話ね。
エルザは呆れたように頭を正面に戻し、再び目を閉じた。
「……け。これだから
カレンはジト目を向けて吐き捨てたが、その響きにはどこか優しさが混じっていた。
「……ねえ。もういいでしょ?出たいわ」
エルザは薄く目を開け、更にあたまを後ろに逸らしてカレンを見上げた。
「……ふん。まだ完璧じゃねえが、まあいい。今日のところは許してやろう。もう『
カレンは妥協したような顔を見せた。
「……だが明日は、
カレンの声から感情が消え、非情で冷徹な響きに変わった。彼女は、以前——主に
「アンタ、まだアレ根に持ってんの?……悪かったわよ」
エルザは戦況の不利を察し、素直に謝罪する生存戦略をとった。
「当然だ」
ざっぱーん。
カレンはエルザを抱え上げ、小さなユニットバスから引き上げた。
「ほら、上がりな。足元に気を付けんだよ」
脱衣所から、カレンがエルザの髪や身体を布で拭く音が聞こえた。
「…ぐっ…むぐぐ…むぅ……!」
合間にエルザの声にならない抗議が
~ 次回【沐浴 ~ 魂の浄化 ~】へと続く ~