シュピーゲル 〜不眠の傭兵と猛毒の令嬢、17歳の暗殺事件〜 作:氏家まさら
【第2話】鉄格子の檻と番犬
屋敷の鉄格子の門の奥には、門番が二人、退屈そうに佇んでいる。
更に門の傍らには、空を突くような物見の塔がそびえ、敷地内を見下ろしていた。
女は左手で腰に帯びた剣の感触を確かめると、その「檻」に向かって、一歩、迷いのない足取りで歩を進めた。
「止まれ淫売」
行く手を阻むように立った左側の門番が吐き捨てた。
「朝っぱらから励んじゃねえよ。とっとと別の客を探すか、腹上死するかどっちかにしな」
続けて放たれた門番の言葉に、右側の門番も下卑た笑い声を重ねる。
「盛るな番犬。前任のタフガイの代わりに来た、かよわい
女は意に介すことなく、左手で懐から依頼書を取り出してピラピラと見せびらかした。
「……チッ」
門番は舌打ちをすると、緩慢な動作で門を開けた。ガチャン、と重い金属音が響く。鉄格子の門が、キィーーと嫌な音を立てて開いた。
女はそのまま敷地内へ足を踏み入れた。すれ違いざま、門番が吐き捨てるように呟く。
「……けっ! 何がかよわいだ。『クソババア』」
「……」
女は歩みを止めず、首だけを僅かに動かして振り返った。彼女は自らの
当の門番は女の視線にも気づかず、相棒と下品な談笑を始めていた。
敷地内に入ると、目の前には豪華な石畳の庭園が広がっていた。中央には噴水が鎮座し、一見すれば華やかな貴族の庭園だった。
しかし、歩を進める女の鼻を、不快な臭気が掠めた。視線を僅かに隅へとずらせば、物陰にはゴミや汚物が放置され、その傍らには気絶しているのか、あるいは事切れているのかも定かではない
やがて、女は屋敷の入口へとたどり着いた。 見上げる邸宅は、低く垂れ込めた雲を背負い、巨大な墓標のように彼女を圧倒する。
女はその威容を一度だけ仰ぎ見た。
彼女の左手が、迷いなく入口のノブを握りしめる。
ギィィ……。
静寂を切り裂く重々しい音と共に、女はシュピーゲル家の扉を、力強く押し開けた。
◆ ◆ ◆
シュピーゲル家屋敷の玄関。大理石の床が鈍く光り、壁には宗教画が並ぶ豪華な内装の中で、老執事が一人、姿勢良く佇んでいた。
老執事は、細身で長身――年の頃は六十代前後に見える。
「お待ちしておりました」
片目に
「ワタクシ、この屋敷の執事を務めておりますモーゼスと申します。以後お見知りおきを」
モーゼスと名乗った執事が恭しく一礼する。
「……」
女は、執事モーゼスを凝視した。
「請負人の傭兵殿ですね? 詳しい説明は執務室でいたします」
モーゼスは女の視線を意に介さず、屋敷の奥へと手を示した。
「ご案内しますので、さ、どうぞ」
◆ ◆ ◆
二人は長い廊下を進む。 前を歩くモーゼスの背中を、女は三歩下がった位置から追った。
「……ところで、門番の兵に粗相はございませんでしたか?」
歩きながら、モーゼスが視線だけを女の方へずらした。
「……いや。完璧だったよ。ここの屋敷は教育が行き届いてるんだな。感心したよ」
女は歩みを止めず、左手を肩の高さまで上げた。
「はっはっは……。それは良かった。衛兵と使用人の教育はワタクシが徹底しておりますので、何か不始末がございましたらお申し付けください」
モーゼスは声を上げて笑った。
「……そりゃ頼もしい」
「着きました。こちらです」
執務室の入口にたどり着くと、モーゼスが扉のノブを回した。ガチャ、と乾いた音が響く。
「……どうぞ」
モーゼスが入室を促す。女は中に一歩踏み出した。
~ 次回『慇懃無礼な毒』へと続く ~