シュピーゲル 〜不眠の傭兵と猛毒の令嬢、17歳の暗殺事件〜   作:氏家まさら

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【第20話】沐浴 ~ 魂の浄化 ~

「……よっと!」

 

 ドカッ…!

 

 脱衣所から戻ったカレンが、エルザを持ち上げ、椅子に座らせた。エルザは薄い部屋着一枚を身に纏っている。

 

 カレンは櫛を取り出した。カレンは妙に恭しい調子で告げる。

 

「……それではお嬢様。御髪(おぐし)を整えさせていただきます。ノミの温床となっていては、シュピーゲル家の歴代教皇(ごせんぞさま)も天国(らくえん)で鼻を曲げられましょう」

 

「……それやめて」

 

 エルザが力なく応じた。

 

 カレンは丁寧に櫛で髪を梳(す)いた。エルザはされるがままになっている。

 

 カチ…カチ…。

 

 室内には、柱時計が静寂を刻む音だけが響く。

 

 カレンの右手が時折、エルザの耳元や顎の付け根に触れる。

 

「……ねえ。アンタの味(・)わ(・)い(・)深(・)い(・)凹凸した手が擦れて痛いんだけど?」

 

 エルザが僅かに顔を歪めた。カレンの口調が鋭く一転する。

 

「本当にお貴族様は贅沢だねぇ……。当店(ウチ)はコレを売りにしてやってんだよ」

 

 カレンは手を止めずに言葉を継いだ。

 

「気に入らないなら……このまま便所(ガルデローブ)に落とすよ?毛穴から『黒蝕病(パスト)』の洗礼を受けられそうだね」

 

「……ッ!……アンタ本当に悪趣味ね」

 

 エルザの口元が歪んだ。

 

「よし!これでいいだろう」

 

 カレンは、予備の髪留め用の紐を口に咥えた。手際よくエルザの髪をまとめ上げる。

 

「え、ちょっと?」

 

 ギュッ…!

 

 紐で結ばれた銀色の髪が、後頭部でシンプルな後部結び(ポニーテール)に纏まった。

 

「待ってな」

 

 トス、トス……。

 

 カレンが姿見を運ぶ足音が部屋に響く。

 

 

 カチ…カチ…。

 

 

 それに被せるかのように柱時計の秒針音が重なった。時刻は12時59分を示している。

 

 

「……ほら」

 

 

 エルザの前に姿見が置かれた。

 

 

 カチリ……。

 

 

 時計が13時を指す音と、鏡を据える音が重なった。

 

 

 ボーーン…!

 

 

 13時を告げる鐘の音が響く。

 

 

 鏡の中には、二人の姿が映し出されていた。エルザは部屋着一枚の姿で、化粧気のない顔に、銀色の髪をシンプルな後部結び(ポニーテール)にしている。

 

 カレンは対照的に袖なしのアンダーチュニック姿にトラウザーズという無骨な装いだった。表情は薄く、エルザとは対照的に顔には皺があり、目の下には隈の跡が残っている。

 

 

「……私じゃないみたい」

 

 

 エルザは椅子から立ち上がり、鏡の中の自分を注視した。

 

「いや、悪くねえよ。これなら黒蝕病(パスト)も寄ってこないぜ。胸張って前を向きな。お貴族様らしくな」

 

「……質素すぎない?」

 

「バカ言え。質素が良いんだよ」

 

「……そうかな」

 

 エルザは一度、視線を俯かせた。それから再び、鏡を見た。

 

 

「……うん。そうかも」

 

 

 窓からは神々しい陽光が差し込み、背後では秒針が二人を祝福するように規則正しく鳴り響いていた。

 

 

 一瞬、すべての音が消えた。

 

 

 ヒュンッ——。

 

 

 窓の外を、どす黒い物体が高速で落下した。

 

 

 …ベチャ!

 

 

「アン。あれほど窓からゴ(・)ミ(・)を捨てるなと言ったはずだぞ」

 

 上の階からモーゼスの叱責する声が聞こえた。

 

「ごめんなさ〜い」

 

 続いてアンの声が聞こえた。

 

 再び静寂が訪れる。

 

「……ほらな。清めてなければ直撃だったぞ?良かったな」

 

 カレンは鉄壁の営業スマイルを浮かべた。エルザは魂の抜けたような顔で固まっていた。

 

「黒蝕病(パスト)に負けずに、未来へ羽ばたこう!……はは……」

 

 カレンの乾いた笑いが虚しく響いた。室内に無情な秒針の音が戻り、やがて僅かな蠅の羽音が混ざり始めた。

 

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