シュピーゲル 〜不眠の傭兵と猛毒の令嬢、17歳の暗殺事件〜   作:氏家まさら

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【第22話】アレの二日目 〜 女傭兵の生存戦略 〜

 穏やかな陽光が差し込む昼下がり。

 

 髪を三つ編みにし、ソファに座ったエルザが、机の上に広げられたチェス盤と教本を凝視していた。カレンは部屋の隅から、その様子を眺めていた。

 

「……ッ!」

 

 エルザがチェス盤を挟むように、握った両手の拳を置いている。握った両拳が、小刻みに震えていた。

 

「……あぁっ!」

 

 バン!

 

 振り上げた両拳が、そのまま盤の両脇へ叩きつけられた。衝撃で、盤上に並んでいた駒が、床へと転がり落ちた。

 

「……もぅ!」

 

 ドスッ。

 

 彼女は教本を鷲掴みにすると、そのまま乱暴に床へ投げ捨てた。

 

 バッ…!

 

 エルザはソファから立ち上がった。やや前かがみになり、足は蟹股に開き、肘を曲げて左右に腕を広げている。

 

 カレンは一連の振る舞いを眺めていた。

 

「……()()か」

 

()()よ!」

 

 エルザがカレンの方を向き、激しい口調で怒鳴った。

 

()()()か」

 

「そうよ!!」

 

 彼女は畳みかけるように叫び、顔を背けた。

 

「……ああ……!もう!……今話しかけないで……!!ムシャクシャする!!」

 

 エルザが、自分がいつも座っているソファに向けて、左足を力任せに振り抜いた。その脚がソファの側面に当たる直前、カレンの右足が鋭く割って入った。

 

 ドッ!

 

 鈍い音と共に、二人の脚が衝突した。同時に、柱時計の分針がカチリと音を立て、一分を進めた。

 

「……あ」

 

 彼女は自分を遮ったカレンの顔を見上げた。

 続けてカレンが口を開いた。

 

「……おい。暴力令嬢。アンタのその鋭い蹴りじゃ、腹の(あな)は塞がらねぇぜ?」

 

 カレンは容赦なく言葉を重ねる。

 

「むしろアンタが捻挫(ケガ)をし、アンタの私物(ソファ)虚無(あな)が開き、私の朝の静寂(やすらぎ)まで奪う、一石三鳥の迷惑行為(おもてなし)だ」

 

「……」

 

 エルザは一瞬、固まった。

 

「……うっ!」

 

 だが直後、強烈な痛みが腹部にぶり返し、彼女はその場にうずくまった。エルザの震える左手が、カレンの胸に置きかれた。カレンは無言のまま、右手をその手に添えた。

 

「……よっと」

 

 カレンがエルザの身体を軽々と抱きかかえ、お姫様抱っこの姿勢を取った。

 

「そらよ……と」

 

 カレンはエルザをソファに仰向けで寝かせた。それから手際よく体勢を変えさせ、カレンの方へ頭を向ける形で、胎児のポーズをとらせた。

 

「うぅぅうぅぅ……ぬぁぁあぁ……」

 

 カチ…カチ…。

 

 部屋には、エルザの呪詛のような低い呻き声と、柱時計の秒針の音だけが重苦しくこだましていた。

 

「……あっちの薬だけ届かないのよ……使用人(アイツ)らがどこかで止めてるんだわ……あぁ……あだっ……本当に地獄だわ……あたたたぁー……!」

 

 エルザはソファの上で身体を縮こまらせ、銀色の髪を振り乱して呻いた。彼女の左手は、痛みの中心である腹部を強く押さえている。

 

「そりゃそうだ。アンタをのたうち回らせるのはヤツらの日常業務さ。むしろ問題なく歯車が回ってるってことよ」

 

 カレンは近くの丸椅子に座り、冷めた眼差しでその様子を見下ろしていた。

 

「お腹が抉られるみたたたぁーーい……!」

 

 エルザの叫びが絶望のビブラートを伴って室内に響く。

 

「……しかしな。根っこは()()じゃねえよ」

 

 カレンは淡々と言葉を継いだ。

 

「今アンタの腹が風車(スクリュー)みたいに抉れてんのは、毒みてえな飯を食い、鏡の前の『黒蝕病(パスト)』に怯えて、ロクに眠れてねぇからだ」

 

「アンタに不摂生を語られるなんて、それこそ極上の迷惑行為(おもてなし)だわ」

 

 エルザは荒い呼吸のまま言い返した。

 

「『売れ残り(レフトオーバー)』の『ボロ雑巾(スカー・ラグ)』のクセにったたたーーー……!」

 

「へっ!私のは『職業病』なんだよ。お前のは『職務怠慢』……一緒にすんな」

 

 カレンは鼻で笑った。

 部屋には引き続き、エルザの呪詛のようなうめき声と、柱時計の規則正しい秒針の音だけがこだまする。

 

「……ねぇ。アンタ、何か薬持ってないの?」

 

 エルザが朦朧とした意識の中で、縋るようにカレンを仰ぎ見た。

 

「アンタなら持ってるでしょ?……どうせ非合法なヤツとか」

 

 エルザがカレンを仰ぎ見た。

 

「……まあ、ないこともない」

 

 カレンはごそごそと懐をまさぐった。

 

「コイツは『胃壁の消化(トキシニン)』」

 

 カレンが左手で薬瓶を掲げた。

 

「古参の傭兵だけが知ってる劇薬だ。痛みは瞬時に消えるが、引き換えに胃をボロボロに焼く。……一週間、血痰混じりの飯を食う覚悟があるなら飲むか?」

 

「そんなの地獄で地獄を上書きするだけじゃない!バカじゃないったたたー……!」

 

 エルザは即座に拒絶し、再びソファに顔を埋めた。室内に、再び無慈悲な秒針の音とうめき声が戻る。

 

「あぅぅいぅぅ……ぐぁぁあぁ……ぁあぁ…」

 

 カチ…カチ…。

 

「……そういえば、アンタ傭兵だったわよね?戦場ではどうしてたの?……色々と——困るでしょ?」

 

 エルザは荒い呼吸のまま、意識を逸らすように問いかけた。

 

「……そうだな。仕方ない、特別に教えてやろう。あくまで『私』流だがな」

 

 カレンは無造作に右手の人差し指を立て、静かに語り始めた。

 

 

 ~次回『アレの二日目 ~ 背中の温もり ~』へと続く ~

 

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