シュピーゲル 〜不眠の傭兵と猛毒の令嬢、17歳の暗殺事件〜   作:氏家まさら

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【第24話】夕陽に交わる巻き煙草

 エルザの自室の窓から夕陽が差している。

 

 部屋には、チェス盤に向かうエルザの姿が見えた。今日は髪をラフなお団子型にまとめた不眠纏い(メッシー・バン)にしている。一方カレンは窓から外を眺め、ひとり黄昏れていた。

 

「……ああ、今日はこのくらいにするわ」

 

 エルザはソファに深く腰掛けたまま、うーんと両腕を伸ばした。

 

「ふあぁ……」

 

 そのまま立ち上がると、左手で口を覆いながら盛大な欠伸を漏らす。

 

 ドン!

 

「きゃあ……!」

 

 エルザが何かに躓き、前のめりに転倒した。

 

「……ん?」

 

 カレンが首を回し、視線だけでエルザの様子を伺った。エルザが躓いたのはカレンの雑嚢(サッチェル)だった。雑嚢(サッチェル)は横倒しになり、中に入っていた荷物が床にぶちまけられている。

 

「……った~」

 

 カレンがため息をつき、エルザの方へと歩を進めた。

 

「ちょっと!誰よこんなところに荷物を置いたの?危ないでしょ!」

 

 エルザは床に胡坐をかいた姿勢で、右手で拳骨を振り上げながら抗議した。カレンは傍で立膝をつき、無言でエルザの身体を観察する。

 

「……怪我はねえようだな」

 

 カレンはエルザから視線を外し、淡々と荷物を鞄に戻し始めた。

 

「……」

 

 エルザも散らばった荷物を拾い始めた。

 

「……ったく。やるわよ」

 

 エルザの手が、ある物の上で止まった。

 

「……?」

 

 彼女はそれを手に持ち、顔の高さまで上げた。

 

「これは?」

 

 カレンの表情が僅かに変わった。彼女はエルザの手からそれを優しく取り上げる。

 

「巻きタバコさ」

 

「巻きタバコ?パイプとかと違うの?」

 

「それはお貴族様が吸う、お上品なモクな。私たち傭兵の間じゃもっぱらコレさ」

 

 カレンは巻きタバコの小箱を目の高さまで持ち上げた。

 

「どうせ非合法な粗悪品でしょ?」

 

 エルザがジト目を向けると、カレンは開き直ったように肯定した。

 

「よくわかったな。そうだよ。だがな、これは元々は私のモンじゃねえ」

 

 カレンは視線を少し遠くへやり、淡々と言葉を紡いだ。

 

「昔いた売春婦(ダチ)のお下がりだ」

 

「ダチ?ああ、友達のことね。なんだ、アンタみたいなボロ雑巾にも友達なんているんだ」

 

 エルザは言葉の変換に一瞬の間を挟み、すかさず嫌味を投げた。カレンはそれを受け流して話を続けた。

 

「良いヤツだったぜ。酷い面食いで、客を選ぶ面倒な(アマ)だったが、面倒見は良かった」

 

「梅毒であっさり逝っちまったがな」

 

 カレンは何でもないことのように付け加えた。

 

「……」

 

 エルザの表情が止まった。

 

「ちなみに、好きな体位は馬乗りだったらしい」

 

「え!?待って。そこを詳しく……じゃなくて、今そっちの話題は要らないわよ!」

 

「……ッ」

 

 カレンは、エルザを引かせるつもりで言った下世話な話に、逆に食いついてこられたことに自分の方が引いてしまった。

 

 カチ…カチ…。

 

「ここのところご無沙汰だったが……」

 

 カレンは右手でタバコを掴み、口元へ運んだ。

 

「……たまには一服するか」

 

 タバコを口に咥えたまま、彼女は再び右手で懐をまさぐった。カレンが右手でマッチ箱を取り出す。箱をスライドさせ、左手でマッチ棒を一本摘まみ出した。

 

 パシュッ。

 

 カレンは左手のマッチ棒を、自らの左顔面に刻まれた深い切り傷に勢いよく擦りつけた。摩擦が火花を生み、マッチの先端に火が灯る。

 

 エルザは驚愕に目を見開いた。信じられないものを見るような表情を浮かべながらも、その視線はカレンの傷跡に釘付けになっていた。

 

 ジュ。

 

 カレンは右手でタバコを支え、左手の火をタバコの先端に押し当てた。

 

 二度、スパスパと短く吸い込む。タバコに火が点いた。カレンは左手のマッチ棒を上下に振って火を消すと、そのまま窓の外へ放り捨てた。

 

「……ふぅ」

 

 右手でタバコを口から離す。カレンの口から、紫の煙がゆらゆらと漂い始めた。

 

「相変わらずひでぇ味だ」

 

 カレンは目を細めた。

 

「……アンタ、イカれてるわ」

 

 エルザはカレンの傷跡を見つめたままだった。

 

「惚れんなよ?火傷じゃすまねぇぜ」

 

「はあ?アンタが私に惚れてんでしょ?正直に言いなさいよ」

 

「正直に言うと、お前は好みじゃねぇ」

 

 カレンはプカプカと煙を吐き出しながら、素気なく答えた。

 

「はあ!?じゃあどんなタイプが好みよ?」

 

 エルザがカレンに詰め寄った。

 

「金払いの良いヤツ」

 

 カレンは再び煙を吐いた。

 

「……!」

 

 エルザの身体がプルプルと震え出した。

 

「なら払ってやるわよ!それ私にもよこしなさい!」

 

「あ?やめとけ。火遊びは危険だぜ?」

 

 カレンは口に咥えたタバコを、エルザを煽るように上下に動かした。

 

「子供扱いしないで。もしかして踏み込まれるのが怖いの?おばさん?」

 

 エルザは真っ直ぐにカレンの瞳を射抜いた。

 

「たまには()()()()っていいな。クソガキ」

 

 カレンは濁った紫煙を吐き出した。彼女はタバコを口から外し、右手で持った。

 

「ほれ」

 

 カレンは勢いよく右手のタバコを、エルザの口元へと差し出した。今にも唇が触れそうな距離だ。

 

「何よ。これを吸えっての?新しいのを出しなさいよ」

 

「もうこれしかねぇ」

 

「嘘よ。さっき見えたもの。そんなにコレを私に吸わせたいの?」

 

 カレンの眉毛が僅かに動いた。

 

「見間違いだよ。どうした?怖いのかお嬢様」

 

「……!」

 

 パク。

 

 エルザは目をギュッと閉じ、突き出されたタバコに勢いよく食らいついた。彼女は両手でカレンの右手を掴み、タバコを固定する。

 

 スゥーー……。

 

 エルザが激しく煙を吸引し始めた。カレンの眉が、先ほどよりも大きく跳ね上がった。

 

「……おい、もうそのへんに…」

 

 しかし、エルザは止まらず、更に深く吸い込んだ。

 

「ゲフン!ガフン!あ、無理。ゲヒ!グひ!あっ、水!ギャフ!カレン!ヒュー!ぐほ!」

 

 エルザの目、鼻、口、そして耳から大量の煙が放出された。彼女は顔を歪め、激しくのたうち回る。

 

「……言わんこっちゃねえ」

 

 カレンはエルザからタバコを奪い取り、自分の口に咥え直した。

 

「ゲフ!ガフ!ごほごほ!」

 

「お前にゃまだ早えよ。ま、軽い火傷で済んで良かったな」

 

 カレンは再び紫煙を吐き出し、元のペースを取り戻した。

 

「ごほん!ごほん!ああ、ガフ!マジ、ガフ!無理、ぐほ!カレン!ガフン!」

 

「……うるせぇな」

 

 エルザの壮絶な咳き込みと顔芸に、カレンは眉根を寄せた。

 

「ゲフン!本当に、ガフン!なんなの、ごほ!ひどい、ごほごほ!あじ。ごほごほごほ!」

 

「タバコが不味くなるぜ」

 

 カレンの口から妖艶な紫煙が舞い、エルザの下品な咳が部屋にこだまし続けた。

 

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