シュピーゲル 〜不眠の傭兵と猛毒の令嬢、17歳の暗殺事件〜   作:氏家まさら

26 / 28
【第26話】水も滴る雪傷(ゆきず)り雨窓(あまど)

 激しい雨音が、シュピーゲル家の屋敷全体を重く包み込んでいた。

 

 ザー…ザー…。

 

 カチカチ……。

 

 エルザはソファに座り、素知らぬ顔で詰めチェス(チェスパズル)に興じていた。今日の髪型はラフに編み込んだ三つ編み――傭兵編み(ラフ・ブレイド)だ。一方のカレンは、何やら複数のバケツを用意し、いそいそと準備を進めている。

 

「……?何してるの。水遊びでもする気?年を考えなさいよ。おばさん」

 

 エルザは詰みチェス(チェスパズル)を続けながら、視線だけをカレンに向けた。

 

「少しは相手が何をしてるのか考えなさいよ。()()()()()()()

 

 カレンはエルザを振り返らず、しばらく使われていないバルコニーの方向を見つめた。

 

「……やるの?やるのね、いいわよ」

 

 エルザがチェスの騎士(ナイト)を右手に取り、ナイフのように構えた。

 

「……あとにしろ。せっかく雨が降ったんだ。この機会に水を溜めておくんだよ」

 

 カレンは溜め息を吐いた。

 

「雨水を……?身体に毒じゃないの?」

 

 エルザが真面目な顔で問いを返した。

 

「……お前、それ冗談で言ってるよな?一度鏡を見直してみろよ」

 

 カレンはジト目を向けた。

 

「今朝もちゃんと見たわよ。鏡が言ったわ。『エルザ様。あなたは世界で一番美しい』って」

 

「へっ!青臭いリンゴが何か吠えてら」

 

「腐った果実に言われたくないわよ!」

 

「わーった、わーった。邪魔すんなっつったろ。お前は大人しく軍隊遊びをしてろよ。誰も止めねえ。だからおめえも私の進行を止めるな」

 

 カレンが左手でしっしっと追い払う動作をした。

 

「こんなゴミだめじゃ、いつ水に唾と毒を混ぜられるかわかんねえだろ? こういう時に確保しておくんだよ」

 

 カレンは顔をしかめた。

 

「……まあ、こんなゴミだめに降り注ぐ雨だ。これも毒かもしんねえがな。ボイラーを使えば何とかなるだろ」

 

「……ふうん。勝手にすれば?」

 

 エルザは再び盤面へ視線を落とした。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 ザー……。

 

 カレンがバルコニーに何度も出入りし、空の(バケツ)を規則正しく並べていく。室内ではエルザがソファに座り、手元のチェス盤を睨んでいた。

 

 カレンが(バケツ)を運び出すたび、エルザの視線が盤面からバルコニーへと移った。やがてチェスを中断し、身体ごと外へ向ける。

 

 ガチャ。

 

「……よっと」

 

 (バケツ)を並べ終えたカレンが、室内に入りバルコニーの扉を閉めた。

 

「よし。後は水がたまるまで待つか」

 

「……何か変な光景ね。悪霊でも呼び寄せないかしら。不安だわ」

 

 エルザは窓の外、雨に打たれる無機質なバケツの列を見つめた。

 

「安心しな。もうこの屋敷には悪霊よりもタチの悪い人間が山ほどいるぜ」

 

「……あんた、自分を棚に上げてるでしょ?」

 

 エルザがジト目を向けると、カレンは鼻で笑った。

 

「上げる棚もねえよ。誰かさんの金払いが悪くてな」

 

「ブー」

 

 エルザは頬を膨らませた。

 

 カレンは再び窓に歩み寄り、ただ静かに外の景色を見つめ始めた。エルザもソファから立ち上がり、窓辺へ近づいた。

 

 いつの間にか、エルザはカレンのすぐ隣に立っていた。

 

 エルザは顔を上げ、カレンの横顔を見た。視線に気づいたカレンが、ふいにエルザへ目を返した。エルザは慌てて視線を外すと、ひどく不自然な変顔を作って見せた。

 

「……はぁ」

 

 カレンは再び、雨に煙る外の世界へ向き直った。

 

 

 ~ 次回『水も滴る火傷(ひきず)りメイド』へと続く ~

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。