シュピーゲル 〜不眠の傭兵と猛毒の令嬢、17歳の暗殺事件〜   作:氏家まさら

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【第27話】水も滴る火傷(ひきず)りメイド

「よし、水が溜まってきたな。一旦中に入れよう」

 

 窓の外の(バケツ)を眺め、カレンが呟いた。

 

「カレン、私も特別に手伝ってあげるわ。光栄に思いなさい」

 

 エルザがソファから立ち上がり、胸を張った。

 カレンは左手を突き出し、即座に制止する。

 

「いや、結構」

 

「はあ!?」

 

「お前は手を出すな。何か胸騒ぎがすんだよ」

 

 カレンの忠告を無視し、エルザが勢いよくバルコニーへの扉を開け放った。

 

「見くびらないでよね」

 

「あ!?バカ!」

 

 エルザはバルコニーへ乗り出し、水の入った(バケツ)を一つ、両手で力任せに掴んだ。

 

「ただ水の入った(バケツ)を……部屋の中に入れるだけでしょ!こんなの……!」

 

 エルザはどすどすと、おぼつかない足取りで部屋へ戻ろうとする。

 

「らくしょ……きゃあ!」

 

 つるり、と濡れた床で足が滑った。

 

「……あ」

 

 ばっしゃーん!

 

 エルザが手放した(バケツ)の水が、盛大にカレンの全身へ降り注いだ。カレンだけでなく、周囲の床も一気に水浸しになる。

 

「……あ」

 

 エルザは幸い転倒こそ免れたが、顔面を蒼白にしてその場に固まった。頭の先からつま先まで濡れ鼠になったカレンから、雫が床へポタポタと落ちる。

 

「……やっぱりな」

 

「ご、ごめんなさい!わざとじゃなかったの!ほんと、ほんとよ!」

 

 エルザは謝罪の言葉をまくしたてた。カレンは水浸しのまま、エルザを凝視した。

 

「怪我はないか?」

 

「……え?」

 

「……べっくしょん!」

 

 冬場の冷水をまともに浴びたカレンが、激しくくしゃみをした。

 

「……なんでもいい。着替えはあるか?」

 

「え?ええと……アンタのサイズに合いそうなのは……ああ……そうだ!」

 

 エルザが何かに気づき、室内をドタドタと駆け出していった。カレンは髪から雫を滴らせ、寒さでブルブルと身体を震わせた。

 

 戻ってきたエルザが、黒い洋服のセットを差し出した。

 

「これなら……合うんじゃないかしら?」

 

「……これか?」

 

 カレンは手渡された衣服を凝視し、露骨に眉間に皺を寄せた。

 

「似合うと良いんだけどな〜」

 

 エルザは引きつった笑いを浮かべた。

 

 カレンは歯を鳴らしながら浴室へ向かった。

 

 ガチャ。

 

 カレンが浴室のドアを開けた。

 

「クッション!」

 

 激しいくしゃみが室内に響く。

 

 扉が閉まり、ばさばさと濡れた衣類を脱ぎ捨てる音が聞こえてきた。

 

「つめてえ……ああ……寒い……ちくしょう……!」

 

 浴室の中から、カレンの恨みがましい声が漏れ出す。

 エルザはソファの上で糸目になり、口元を歪めていた。

 

「寒い……寒い……」

 

 室内には、姿の見えないカレンの呻き声だけが響き続ける。

 

 やがて着替えの音が消えた。

 

「……はあ」

 

 重苦しい溜め息が漏れる。

 

 ガチャ。

 

 浴室の扉が開いた。

 

「……!」

 

 エルザの目が見開いた。

 

 そこに立っていたのは、硬派でシックなメイド服を纏ったカレンだった。黒の長袖、黒のロングスカート、そして真っ白なエプロン。頭には律儀に白いヘッドドレスまで乗せている。

 

 しかし、その上から右腕には古びた赤いバンダナが巻かれ、腰のベルトには重厚な剣が帯刀されていた。

 

「……ッ、は、ははははは……!!」

 

 エルザの盛大な笑い声が部屋中に鳴り響いた。

 

 カレンは虚無の表情を浮かべ、エルザをじっと見据えている。

 

「ははは……あはは……うふふ……良く似合ってるわよカレン……ふふ……ははは」

 

「……」

 

「……でも、その服装に剣は要らなかったかな~……ははは!あ~おかし……ははは……ははっははは!」

 

「……なんでこの部屋にこれがあるんだ?」

 

 カレンが死んだような顔で問いかけた。

 

「ああ、これ?昔仲良かった()の使ってたヤツよ。おっきくてやさしい()だったわ。まさかこんなところで役に立つとはね……フフ……剣……!その剣やめてって……ははは……あはははは……!」

 

 エルザは腹を抱えてソファの上でのけぞった。

 

「ああ、そうそう!アンタが着替えてる間に床は拭いておいたから……。残りの(バケツ)は後にしましょうよ?ね?また災難が降り注いだら大変でしょ?……ふふ……剣」

 

「……ああ……そうだな」

 

 カレンは虚無の表情のまま応じた。

 

 カチ、カチ……。

 

 室内には、柱時計の秒針の音だけが空虚に響く。

 

「今思い出したんだがな……」

 

「……?」

 

「私の荷物の中に着替えがあった……」

 

「はははははーー!!」

 

 エルザはソファに突っ伏したまま、激しく身体を震わせた。

 

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