シュピーゲル 〜不眠の傭兵と猛毒の令嬢、17歳の暗殺事件〜 作:氏家まさら
バン!
エルザは扉を体当たりするようにして開き、自室を飛び出した。流れるような動作で左手を使い、部屋に鍵をかける。
エルザは長い廊下を、一気に駆け抜けた。
◆ ◆ ◆
執事室では、モーゼスが入口に背を向けて立っていた。お気に入りの懐中時計を取り出し、布で丁寧に、満足そうに磨いている。
バタン…!
扉が開き、モーゼスが振り返った。そこには、不気味な雰囲気を纏ったエルザが立っていた。
「……おや?エルザ様。部屋から出られるとは珍しいですな。何か御用ですか?」
モーゼスは面倒そうに応じた。
「……モーゼス。単刀直入に言うわ。あなたと面倒なやり取りをしている暇はないからね」
「あなた、私のところに薬が回らないように手回ししてるわよね?今すぐ薬が必要なの。出しなさい」
「……はて?何のことかわかりかねます。薬については現在商会でも品薄状態が続いておりますので、手元にはございません。申し訳ございませんが、今しばらくお待ちください」
モーゼスはあしらうように答えた。
しばしの間、沈黙が流れる。
「……ねえ、モーゼス。こんな話を知ってる?」
エルザの口元が僅かに歪んだ。
「私の部屋の隠し金庫には、ある『記録』が眠っているわ。……あなたがこの屋敷で、誰にも知られず、誰の目も届かない場所で、何を積み上げてきたか。その正確な額面と、金の『行き先』まで細かくね」
「……はは、お嬢様、詰めが甘いですな。隠し場所をみすみす話してしまわれるとは……。それでは奪ってくれと言っているようなものですぞ」
モーゼスが乾いた笑いを浮かべた。
「それと……あまりワタクシを見くびらないでいただきたい。何年この屋敷に務めているとお思いですか?アナタ様の居座っている部屋に、隠し金庫など存在しなかったハズです」
「…そうね。あなたの言う通り、あの部屋に隠し金庫は存在しないわ。少なくともカレンが屋敷に来る前まではね。…でも、
エルザは不敵な表情を崩さず、淡々と言葉を紡いだ。
「……ッ!」
モーゼスの顔が強張った。
「は、はは…。お嬢様。随分鼻息がお荒いですなぁ。そのような振る舞いでは、今後アナタ様の安全は保証できませんぞ?」
「やってみれば?」
エルザは鼻で笑った。
「もし、カレンが隠し金庫を作っていた場合――鍵はアイツが預かるでしょうね。そして私が死ねば、あいつはその鍵を使って、その記録をあなたの
「……お嬢様、ハッタリにしても些か短絡的ですな。そんな証拠が実在するという保証など……」
「ええ、もちろんあるという保証はないわ。でも、『ないという保証』もないのよ。……さあ、賭けてみる? あなたの命をチップにして」
エルザは、底冷えするような微笑みを浮かべた。
「……どうするの?」
カチ…カチ…。
静まり返った室内に、モーゼスの懐中時計の音だけが響く。
カチ…カチ…。
「……ぬぅ。……薬は、アンが持っております。……あの女狐、独断で備品をくすねて自室に……」
モーゼスは額に脂汗を滲ませた。
「よろしい」
エルザはニヤリと唇を吊り上げた。
◆ ◆ ◆
長い廊下が奥まで続いている。アンはトレーカートをカラカラと引き、昼の業務を粛々とこなしていた。
ドドドドド……!
廊下の奥から、エルザが猛ダッシュで手前へ近づいてくる。
キキキー……!
アンの右側でエルザが急ブレーキをかけた。アンは『は?』という顔で振り向いた。
「……あらー、エルザお嬢様がお部屋の外にいらっしゃるなんて珍しいですねー。もしかしてあの
アンはニコリと営業スマイルを浮かべた。
「アンタの薄っぺらい皮肉を聞きに来たんじゃないのよ。モーゼスがゲロしたわよ。薬——アンタが持ってるんでしょ?出しなさい」
エルザは
「……ち、あのジジイ」
アンがジト目でぼそりと毒づき、すぐに笑顔へ戻る。
「えー、何のことかわかりませーん」
「下手な芝居はやめなさいって言ってるのよ!」
ドン!
エルザが左手でアンを壁に押しつけた。
シャキン!
続いて、エルザが太ももから抜いたナイフを右手でアンの眼前に突き立てた。
「アンタのそのそばかす顔に、
「お嬢様ー。やめてください。わたしに危害を加えても良いことないですよー。そういう、お嬢様こそ挑発が安いですねー。さっ、とっとと貴方のお部屋に籠ってくださいませ……エレノア様のためにも」
ゴソゴソ…。
エルザが左手で自らの腰のあたりをまさぐった。
「そうね。確かに。跡がついたら後々面倒だものね」
「……?」
「じゃあ、これならどう?」
ばっ……!
エルザは邪悪な笑みを浮かべ、カレンの
「……何ですかそのウインナーは?随分大きいですねぇ」
あまりの突飛さに、アンの営業スマイルが崩れた。
「……ねぇアンタ。いつも休まず私の部屋に美味しいご飯を届けてくれてたわよね。いつかお礼をしたいと思ってたの」
エルザは口角を吊り上げながら、ジリジリと迫る。
「……食べてくれるわよね?……好きでしょアンタ」
ズズズ……
「ちょっと何考えてんですか?」
アンの顔に明確な恐怖が宿った。
ドス…!ボスン…!
エルザがアンの上に馬乗りになり、二人は取っ組み合いになった。
「ふご!ふごー!無理、無理ですって、このウインナーデカ過ぎ!」
彼女の口内は、凄まじい肉圧と、押し寄せる
「このクソガキ!いいかげんゴー!ゴフ!」
グイグイ…!ドスン…!バタン…!
二人の格闘する音が廊下に響き渡る。
「エレノアにいいつけんゴー!ゴー!」
アンは格闘の最中、主の名を呼び捨てにした。
「死ぬぅ!分かりましげふん!わたしの部屋の、部屋のキャビネットの中に……ふー!これ、わたしの部屋のカギれふ……かあ、ふー!ゆるしてー」
エルザがアンの腰から鍵束を、部屋の鍵ごとぶんどった。
「じゃあ、もらってくわね」
エルザは澄ました顔で告げた。
カチ。
キィ。
アンの部屋に入り、キャビネットから薬瓶をせしめる。
◆ ◆ ◆
自室に戻ったエルザは、右手に解熱剤、左手に鎮痛剤を握っていた。顔の高さまで掲げられた二つの瓶が、窓からの光を反射している。
~ 次回『再起動の赤 ~ 先鋭芸術の開花 ~』へと続く ~