シュピーゲル 〜不眠の傭兵と猛毒の令嬢、17歳の暗殺事件〜   作:氏家まさら

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【第3話】懃懃無礼な毒

 執務室は玄関や廊下をも凌ぐ豪華なゴシック様式であった。応接間の上座には、ひとりの貴婦人が座り、傍らには若い使用人(メイド)が控えている。

 

 貴婦人は、年の頃が三十代後半から四十代前半くらいの成熟した美貌――流れるような栗色(くりいろ)の長髪に、高貴な深紫色(パープル)のドレスが、彼女の纏う「規範(おきぞく)」という名の重圧を際立たせている。

 

 吊り上がった鋭い瞳と、揺らぎ一つない凛とした肩立ち(ポスチャー)。手にした扇で口元を隠すその仕草は、優雅でありながら、獲物を見定める冷酷さを(はら)んでいた。

 

 貴婦人の傍らに控えるのは、二十代前半くらいの使用人(メイド)だ。鮮やかな赤髪を子供っぽい二つ結び(ツインテール)にし、鼻筋に散るそばかすが、その顔立ちに妙な愛嬌を与えている。

 

 糊のきいた黒のシックなメイド服に、純白のカチューシャとエプロン。一見すると完璧に躾けられた奉公人だが、その所作の端々には、どことなく庶民臭さ(こっちのけはい)が漂っている。

 

 モーゼスが恭しく、しかしどこか見せつけるような動作で上座を示す。

 

「それではご紹介致しましょう。こちらにいらっしゃいますのは、シュピーゲル家の長子――エレノア様でございます。今回のアナタの正式なご依頼人です」

 

「……ふふ」

 

 エレノアは扇で口元を隠し、値踏みするような瞳だけで女を見据えた。

 

「……それではエレノア様に一礼を」

 

 モーゼスが跪くよう、手で床を指し示した。

 

「……ああ。申し訳ねえ。戦場での古傷が(たた)って膝が曲がらねえんだ」

 

 女はとぼけた調子で言い放つと、左手でポリポリと自身の頭を掻いた。

 

「……ッ!!」

 

 モーゼスの拳が怒りでプルプルと震え、今にも掴みかからんとする殺気が室内に満ちた。

 

「……ああもう。いいのよ」

 

 エレノアが扇を軽く振り、モーゼスを制した。さっさと本題に入りなさい、とでも言いたげな仕草だ。

 

「それに……これくらい図太くないと『あの娘(アレ)』の相手は務まらないでしょうし……。適任じゃない」

 

 実の妹をゴミでも呼ぶかのように吐き捨てるエレノアの言葉に、女の左顔面の傷跡が僅かに引きつった。

 

「……は」

 

 毒気を抜かれたモーゼスが深々と一礼する。

 

「……えふん」

 

 執事はわざとらしく咳払いをして、懐から数枚の紙を取り出した。

 

「それでは改めて、請負人の簡単な紹介を……」

 

 モーゼスは単眼鏡(モノクル)の位置を直し、不快そうに紙を(にら)む。

 

「名前は……まあいいでしょう。今は『年代物の絹(ビンテージ・シルク)』のような()()()()で呼ばれているそうです」

 

 先ほどの意趣返しか。『ボロ雑巾(スカー・ラグ)』という蔑称を、懃懃無礼な皮肉に変えて響かせる。

 

「……経歴は……ふむ」

 

 さらに紙をめくり直す。

 

「以前は……他人の家屋に無断で侵入して、物品を永続借用(ゆうこうかつよう)する仕事をしていたようです。そして現在は……赤茶の乾いた土の上で汚れた人間の掃除をする仕事に従事……と」

 

 元盗賊から傭兵へと流れた、女の薄汚れた歩みを、モーゼスは淡々と、一言一言に棘を込めて読み上げた。

 

「……まさに非の打ち所の無いご経歴ですな」

 

 執事は呆れたように、両手の紙を左右に広げて見せた。

 

「…フッ」

 

 女は鼻で笑った。執事が披露した芸術点の高い謳い文句(フレーズ)に感心し、――今度は自分も使わせてもらおう――とでも言いたげな表情を浮かべる。

 

「……あら、今日の紅茶は香りが良いのね。品種は?」

 

 女とモーゼスが言葉の(つぶて)を投げ合う傍らで、エレノアが優雅に問いかけた。控えていた使用人(メイド)が、音もなくポットを傾け、透き通った黄金色(こがねいろ)の液体を注ぐ。

 

「カモミールでございます」

 

 使用人(メイド)の涼やかな声と共に、甘い香りが室内に漂う。エレノアはその香りを愉しむように一度目を閉じると、再び女に冷徹な視線を向けた。

 

「……あなたにお願いしたいことは簡単な事(シンプル)よ。三か月間、『あの娘(アレ)』の護衛をお願いしたいの。ただそれだけよ」

 

 エレノアは含みのある笑みを浮かべ、ゆったりと椅子に背を預けた。

 

「屋敷内も基本的には自由に行き来してもらって結構よ。ただし使用人の()()はしないでね。みんな忙しいから」

 

 畳み掛けるように言葉を紡ぐ。それはどこか言い慣れた定型文(だいほん)を読んでいるようでもあった。

 

「……ああ、あと大事なことを言い忘れていたわ」

 

 エレノアは白々しい語り口で、本題へと切り込んだ。

 

「もし『あの娘(アレ)』の身に何か起きた場合、それは()()()()()として扱って。その時はあなたにも()()()()をお願いするから……。もちろん追加手当は支給するから安心してね?」

 

 極めて平穏な口調で語るエレノア。だがその内容は、実の妹の死を前提とした邪悪な契約だった。

 

「……ほかに何か質問は?」

 

 エレノアは紅茶に口を付け、女と視線を合わせようともしない。最初から質問など受け付けていないと言わんばかりの態度だ。

 

「……」

 

 女は鼻で笑うと、やれやれと肩をすくめてみせた。質問などない。彼女はこの「地獄」の不文律(ルール)を、すでに理解していた。

 

 エレノアの口角が吊り上がる。契約成立の合図だった。

 

「前金は後でモーゼスから受け取って。……モーゼス」

 

「……は」

 

 名を呼ばれた執事が、恭しく一礼する。モーゼスは女に向き直ると、どことなく懃懃無礼な態度で扉を指し示した。

 

「それでは今日は初日ですし、私がお嬢様のお部屋まで案内しましょう」

 

 モーゼスが執務室の扉を開ける。部屋を出ようとした瞬間、彼は何かを思い出したように赤髪の使用人(メイド)を呼び寄せた。

 

「……おおそうだ、忘れるところでした。……アン」

 

「はい」

 

 アンと呼ばれた使用人(メイド)が行儀よく歩み寄り、モーゼスの傍らに立つ。その視線は真っ直ぐに女に向けられていた。

 

「……これはアン。長年エレノア様に仕えている使用人(メイド)です。もし屋敷のことでご不明点があったら彼女に聞いてください」

 

 説明を終えると、モーゼスは足早に廊下の方に身体を向ける。

 

「よろしくお願いいたします」

 

 アンが極めて爽やかに一礼する。女はその胡散臭い笑顔に冷めた視線を向けると、挨拶も返さず彼女の前を横切った。

 

「……『ビッチ』」

 

 背後から、先ほどの爽やかさが一転、底冷えするような毒が放たれた。アンの口元だけが、嘲笑うように歪んでいる。

 

「えふん…!」

 

 モーゼスがわざとらしく咳払いをした。

 

「……ふふ」

 

 エレノアは扇の陰で喉を鳴らした。それはまるで、下賤の者同士(ゴミとゴミ)のじゃれ合いを特等席で楽しんでいるかのようだった。

 

「……せめて『ピチピチ』って言いな。赤髪」

 

 女は歩みを止めず、吐き捨てるように返した。そのまま、一切の未練なく豪華な執務室を後にする。

 

「……はぁ」

 

 モーゼスが深い溜め息をつき、女を先導するように消えていく。

 

「……今度の護衛(メイド)面白(かわい)いわね。……そう思わない?――アン。…ふふ」

 

 室内には、エレノアの愉しげな笑い声だけが残った。アンは一礼した姿勢のまま、石像のように凍り付いている。垂れた前髪に隠されたその表情を、窺い知ることはできなかった。

 

 

~ 次回『独房のドアノブ』へと続く ~

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