シュピーゲル 〜不眠の傭兵と猛毒の令嬢、17歳の暗殺事件〜 作:氏家まさら
【第31話】鏡合わせの肉欲
爽やかな陽光がエルザの自室を照らす。
毛布をかけられたカレンはソファで眠っている。
一方エルザは机の前の椅子に座り、黙々と本を読み進めていた。
静まり返った室内には、時折ページをめくる音だけが響いている。
「……うーん」
カレンが微かな声を漏らし、目を覚まし始めた。
「……うん?……ん?」
彼女はソファの上で上体を起こすと、寝ぼけ眼で周囲をキョロキョロと見渡した。
エルザは読んでいる本で顔の半分を隠しながら、カレンに視線を流した。
「……やっと起きたのね。この世の終わりまで寝てるのかと思ったわ」
「……何か、ひでえ目にあった気がするぜ」
カレンは瞼を重たそうにさせながら、左手でボリボリと頭をかいた。昨夜の『ボイラーリゾット』が、悪夢のように脳裏をかすめる。
「……失礼ね」
エルザが不満げに眉間に皺を寄せた。
「……は?」
「……なんでもないわ」
エルザはむすっと口を噤んだ。
「ふぁーあ……」
カレンは盛大な欠伸をしながらソファから立ち上がり、そのままグーッと伸びをする。
ずび。
下品に鼻を鳴らすカレンを余所に、エルザは澄ました顔で読書を続けていた。机の上には、大量の本が不自然なほど高く積まれている。
カレンは静かな足取りで机の反対側へ回った。彼女はエルザのすぐ隣に立つと、端の本を一冊、無造作に手に取った。眠たそうな顔でパラパラとページをめくる。
「……何だこりゃ。野郎と野郎の『結合』じゃねえか」
カレンが呆れたように声を上げた。
「やめて。私のフィリップ様とチャールズ様を汚さないで」
エルザは本から目を上げず、ぱらりとページをめくった。
「っていうかアンタでも字を読めるのね。ものすごく不本意だけど」
エルザがジト目を向け、視線だけをカレンに飛ばした。
「……ああ。昔、傭兵時代に読み書きが得意なやつがいてな」
カレンは、右手の人差し指で鼻をこすりながら答えた。
「せっかくだから教えろって言ったら、『良いけど、代わりに私の右胸を揉ませろ』とか言ってきやがってな……」
「……はぁ?」
エルザは眉間に皺を寄せた。
「そんで私が『それならお前の左乳首を差し出すなら呑む』って言ったら、結局ただで教えてくれたよ」
カレンは右手の人差し指を立てた。その指先が、僅かに震えていた。
「……あんた、下品なオチに持っていかないと死んじゃう人?」
エルザは一瞬だけ目を細めた。
カレンはエルザの皮肉をスルーして、再びパラパラと本をめくる。
「……なあ、なんでお前のフィリップ様とチャールズ様は片方がやられっぱなしなんだ? 私が昔いた傭兵団だと、大体攻守交代制だったぞ?」
「だから、やめてって言ってるの聞こえなかった!?」
「血生臭い話を持ち込まないで!私のフィリップ様とチャールズ様はちゃんと自分の役割を理解してるの」
淡々としていた口調に、次第に熱がこもっていく。
「低俗な
エルザはついに右拳を振り上げた。
「……っていうかよ?同じ傭兵団なのに、私を差し置いて野郎に盛るっていうのは、屈辱だと思わねぇか?」
カレンは、エルザの熱弁を半ば聞き流した。
「だから知らないわよ!アンタが機能不全だからじゃないの?」
「お前……。それを言うか?ひでぇヤツだな……」
カレンは肩をすくめた。
「何よ?」
エルザは一瞬だけ口ごもり、すぐにカレンを睨み返した。
「そういえば私の隊にも、昔チャールズって男がいたが、禿げて太ったアル中の親父だったな。しかもコイツが13歳以下の
「やめなさい!次チャールズ様を汚したら本当に殺るわよ!生モノだけでも気持ち悪いのに、排泄物を持ち込まないで」
エルザは絶叫し、机の本に顔を埋めた。カレンの視線が、ふと机の下へ落ちる。そこには、他の「聖典」とは明らかに趣の異なる、一冊の薄い本が落ちていた。
「…?」
カレンがその本を手に取る。エルザは本に顔を埋めたままで、その異変に気づいていない。
「なんだ?こりゃ。『鏡合わせの肉欲(仮)』……?」
「……!?」
エルザが弾かれたようにバッと飛び起きた。
「マレンとイザベラ?どっかで聞いたことあるような名前だな……。うへぇ……。女同士で貪るようなキスしてやがる。しかも風呂場じゃねえか」
カレンはページをめくり、顔をしかめた。
「ちょっと!返しなさい!」
エルザは顔を真っ赤にし、カレンの手から本を奪い返そうと両手を必死に伸ばした。しかしカレンは、素早い身のこなしでひょいとそれをかわす。
「なあ、このメモに書いてある『ネコ』と『タチ』ってなんだ?」
「いいのよ!それは!墓場に持っていくやつだから!
◆ ◆ ◆
ボーン…!ボーン…!ボーン…!………。
12時の訪れを告げる時計の鐘が、部屋中に鳴り響いた。
「あ、もう
カレンが何事もなかったかのように空腹を自覚して呟いた。
「カレン。私、たまにはステーキが食べたいわ。調達してきなさい」