シュピーゲル 〜不眠の傭兵と猛毒の令嬢、17歳の暗殺事件〜 作:氏家まさら
昼下がりのエルザの自室。エルザの『教典』と『外典』についての熱い談義が終わった直後、カレンはソファ前のテーブルに、調達してきたステーキを並べていた。エルザはソファに座り、配膳するカレンをじっと眺めていた。
テーブルの上には、ミディアムに焼かれたステーキ、カットされたバゲット、青野菜のサラダ、そして淹れたての
「……よし!食うぞ」
「……それにしても、本当に用意したのね」
エルザは意外そうな声を漏らした。
カレンは背もたれのない丸椅子に、エルザはソファに、それぞれ向かい合わせに座った。
エルザは右手にナイフ、左手にフォークを握ると、ステーキを一切れ分、静かにカットした。彼女がフォークで肉を口に運ぶ裏で、カレンもまた食事を始めている。
パク、モグモグ……。
「……ッ!」
あまりの美味さに、エルザはナイフとフォークを握ったままガクンと頭を落とし、小刻みに痙攣した。エルザが二切れ目に突入しようとしたその時、カレンがその動きをやんわりと制した。
「……待ちな」
「……一体何よ?」
エルザが半眼を向けた。
カレンは得意げに、自分の
「ステーキに欠かせないもんがあるぜ。……これだ」
カレンが左手の掌を差し出した。そこには、黒くて凹凸のある小さな粒がいくつか載っている。右手には、使い込まれた木製の携帯ミルを握っていた。
「……何よそれ?どうせまた新しい毒物でしょ?」
エルザが、ジト目でその黒い粒を睨みつけた。
「お前本当に何も知らねえんだな。これは——
「
エルザはカレンの掌に載った黒くて凹凸のある小さな粒を、珍しそうに覗き込んだ。
「……で?これをどうするの?」
「……こうすんのさ」
カレンは手にした
「これを指ですくってひとなめしてみな?」
カレンは小皿を左手で持ち、エルザに差し出した。
「……はいはい」
彼女は無造作に左手の人差し指を伸ばし、小皿の胡椒をたっぷりとすくい取った。
パクッ。
ひとなめどころか、人差し指を丸ごと口の中に放り込む。
「……ゴフッ!?」
「……何よ!?コレ!……ゴフゴフッ!…やっぱり毒物じゃない。アンタいい加減にしなさいよ!!」
エルザが激しく咳き込みながら叫ぶ。
「はははは!!」
その様子を見て、カレンは珍しく声を上げて爆笑した。
「アンタねぇ…!」
「慌てんな。ここからが本番さ」
カレンは左手の人差し指をチッチッと左右に振った。
「……はあ?」
エルザが涙目で睨みつける中、カレンは小皿に残った
「あ!?何すんのよ!!」
彼女は右手のステーキナイフを持ち上げ、切っ先をカレンへと向けた。
「……まあ待て、そのままステーキを食べてみな?」
「……はあ?もし私をはめたら、アンタをステーキにするからね」
物騒な脅しを吐き捨てながらも、エルザは忌々しそうにナイフを肉へと沈めた。
エルザは黒胡椒の散った肉を一口分切り出した。フォークを握る左手が、小刻みに震える。
そのまま、ゆっくりと肉を口元へ運んだ。
パクッ!
エルザはステーキを一口丸ごと口に放り込んだ。エルザは目をギュッと閉じたまま咀嚼する。
「……っ!!」
エルザの目がカッと見開かれた。
バクバク、バクバク……!
三切れ目、四切れ目と、猛烈なスピードで肉を貪り始める。カレンは、その光景を眺めながら、笑みを浮かべていた。
「……っ!」
エルザはナイフとフォークを握りしめたまま、再び身体を小刻みに震わせた。目尻には、うっすらと涙が浮かんでいる。
「わかったろ? 人生を楽しむ秘訣は少量の
エルザは返事もせず、ひたすら肉を頬張っていた。
カチャ…カチャ…。
やがて、皿の上にはあんなに分厚かったステーキの欠片も残らなくなった。
「……ふー」
二人同時に息を吐いた。
「どうだ?今日も勉強になったろ?」
カレンが小鼻を膨らませて得意気な表情で問いかける。
「……そういえば、人類って
エルザは明後日の方向を眺めたまま言った。
「この前、人類史の本で読んで『勉強』になったわ。人間ってバカよね。本当……『勉強』しないわ」
講釈を続けるエルザ。
「……かわいくねー」
カレンの笑みが消えた。
「あ、でもさっきのステーキは絶品だったわ。また作ってね」
エルザは最後に調子の良さそうな笑みを浮かべて付け加えた。