シュピーゲル 〜不眠の傭兵と猛毒の令嬢、17歳の暗殺事件〜 作:氏家まさら
窓の外ではシンシンと雪が降り注ぎ、静寂が屋敷を包んでいた。カレンは『食材調達』のために、いそいそと準備を進めている。
その傍らで、エルザは床に自分の靴を並べ、難解な
カチ…カチ…。
「……ちょっと?」
エルザは並べた靴に視線を落としたまま、カレンを呼び止めた。
「……なんだ?」
カレンは
「……何よ。感じ悪いわね」
エルザがジト目でカレンを射抜いた。
「……急ぎでないなら後でいいか?今の時間が狙い目なんだよ」
「……急ぎよ。どうせ『食材調達』でしょ。そんなの明日でもいいわよ」
「……毎日、その日にしか手に入らねえ品があるんだよ」
カレンは譲らない。
「優先順位を決めるのは私なの。理解できたかしら?」
「お前の好きな
「……っ!」
エルザの肩がプルプルと震えた。
「……はあ。手短に頼むぞ」
カレンが深いため息をついて、
「……ったく、最初から素直に言うことを聞きなさいよ。——って、あれ?そういえば何の話だったかしら」
「……ああ!そうよ——靴!私の靴についての相談よ」
「……はあ」
床には、エルザの靴が十足前後並べられていた。どれも素材や意匠は一級品に見えるが、手入れがされている様子はなく、埃を被ったまま放置されている。
「この靴——昔、全部私が選んで買ったものなんだけど……。見ての通り、沢山持ってるのはいいけど、少し持て余していてね。だから不必要なものを精査したい訳よ。他のは既に捨てたから」
エルザは並んだ靴を指し示しながら、淡々と告げる。説明を終えると、彼女はカレンを一瞥して挑発するように、薄く笑った。
「……ま、あんたは
「……んなもん——道端の糞を避けられれば何でもいいだろ」
カレンはさっさと結論を出そうとした。
「あんたは本当に
エルザが声を荒らげる。
「えー……」
カレンは肩をすくめた。
「…仕方ねえな。」
左手を顎に当て、床に置かれた靴に視線を移した。
カチ…カチ…。
「まず基本中の基本だが、サイズが合わないのはやめとけ。『気に入った
「……なるほど!確かに盲点だったわ。それだけでも大分削れるわね」
エルザは納得したように頷くと、実際に靴に足を通し始めた。
カチ…カチ…。
彼女は一足の美しいヒールを大事そうに抱え、カレンを見上げる。
カレンは無言でジト目を返した。
カチ…カチ…。
カチ…カチ…。
選別の末、床に並ぶ靴は五足ほどにまで絞り込まれた。
「結構絞れたわね」
「言い忘れたが……
「えー、なんでよー」
「背格好に対して高すぎる靴を履くと、足を痛めたり、最悪——踵《ヒール》が折れたりするぜ」
カレンは左手の人差し指を上げた。
「道端の糞を避けるはずが、踵が折れたせいで全身糞まみれになりたかぁねえだろ?」
「やめなさいって言ってるでしょ!……でも確かに、それは死活問題ね」
「そうしな。それでコケてる貴族様を何人か知ってるぜ」
不敵にニヤリと笑うカレン。
「……うげ」
あまりに生々しい想像をさせられ、エルザは吐き気を催したように顔をしかめた。
カチ…カチ…。
それからさらに数分の精査を経て、最終的に残ったのは三足——白、黒、そして深いブルーのヒールだった。
「よし!これで三足まで絞れたわね」
「あとはこの三足で回していけばいいだろ。……っていうか、お前、そもそも外とか出るのか?」
カレンが横目でエルザを見た。
「……う!?や、やめなさい。出るわよ!出まくるわよ」
「私がここに来てから、まだ一度も見てないが?」
「それは、アンタに私の護衛っていう仕事を覚えさせるためだから!ちゃんと
苦し紛れながらも、一応の筋は通った言い訳を並べ立て、エルザは鼻を鳴らした。
「あ、そ。……あと、この残った靴だが、ちゃんと手入れをした方がいいぞ。それだけでも長く使えるからな」
「……じゃあ、それはアンタに任せるわね。おばさん?」
エルザが不敵に笑う。
「……うっかり壊しても許してね。ハーフおばさん?」
二人はニコリと笑い合った。
「……ところで、この中でどれが一番私に似合うかしら?」
エルザが問いかけた。しかし、カレンは既に話を切り上げるように『食材調達』の準備を整え、背を向けて出口へと歩き出していた。
「……はあ。んなもん、知るかよ」
「あ、ちょっと……」
呼び止める声に、カレンは左手を扉のノブにかけたまま、顔だけを振り返らせた。
「そんなん、お前がその日に履きたい靴を、その日の気分で決めろよ。お前の靴だろうが」
ガチャン。
重厚な音を立ててカレンが部屋を出ていく。
バタン!
扉が閉まり、続いて鍵がかけられる音が響くと、エルザは少しだけ面白くなさそうに唇を尖らせた。
「……なによ」
カチ…カチ…。
しばしの間、雪が窓を叩く音だけが部屋に満ちた。
「……でも、そっか。うん。それでいいんだ」
彼女は三足のヒールを、自分だけの王国の財宝のように見つめた。
「今日の気分は……」
エルザは一足の靴へと手を伸ばした。