シュピーゲル 〜不眠の傭兵と猛毒の令嬢、17歳の暗殺事件〜   作:氏家まさら

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【第37話】婦人靴(ハイヒール)~ 排泄物の躱し方 ~

 窓の外ではシンシンと雪が降り注ぎ、静寂が屋敷を包んでいた。カレンは『食材調達』のために、いそいそと準備を進めている。

 

 その傍らで、エルザは床に自分の靴を並べ、難解な詰めチェス(チェスパズル)でも解くかのように思案に耽っていた。

 

 カチ…カチ…。

 

「……ちょっと?」

 

 エルザは並べた靴に視線を落としたまま、カレンを呼び止めた。

 

「……なんだ?」

 

 カレンは雑嚢(サッチェル)を肩に掛けながら、生返事を返す。

 

「……何よ。感じ悪いわね」

 

 エルザがジト目でカレンを射抜いた。

 

「……急ぎでないなら後でいいか?今の時間が狙い目なんだよ」

 

「……急ぎよ。どうせ『食材調達』でしょ。そんなの明日でもいいわよ」

 

「……毎日、その日にしか手に入らねえ品があるんだよ」

 

 カレンは譲らない。

 

「優先順位を決めるのは私なの。理解できたかしら?」

 

「お前の好きな挟みパン(サンドウィッチ)の素材で必要なんだがな~。優先順位が低いのか。そうかそうか」

 

「……っ!」

 

 エルザの肩がプルプルと震えた。

 

「……はあ。手短に頼むぞ」

 

 カレンが深いため息をついて、雑嚢(サッチェル)を床に置いた。

 

「……ったく、最初から素直に言うことを聞きなさいよ。——って、あれ?そういえば何の話だったかしら」

 

「……ああ!そうよ——靴!私の靴についての相談よ」

 

「……はあ」

 

 床には、エルザの靴が十足前後並べられていた。どれも素材や意匠は一級品に見えるが、手入れがされている様子はなく、埃を被ったまま放置されている。

 

「この靴——昔、全部私が選んで買ったものなんだけど……。見ての通り、沢山持ってるのはいいけど、少し持て余していてね。だから不必要なものを精査したい訳よ。他のは既に捨てたから」

 

 エルザは並んだ靴を指し示しながら、淡々と告げる。説明を終えると、彼女はカレンを一瞥して挑発するように、薄く笑った。

 

「……ま、あんたは婦人靴(ハイヒール)なんて履いたことないでしょうけど?」

 

「……んなもん——道端の糞を避けられれば何でもいいだろ」

 

 カレンはさっさと結論を出そうとした。

 

「あんたは本当に()()()()の話が好きね!真面目に答えなさい!」

 

 エルザが声を荒らげる。

 

「えー……」

 

 カレンは肩をすくめた。

 

「…仕方ねえな。」

 

 左手を顎に当て、床に置かれた靴に視線を移した。

 

 カチ…カチ…。

 

「まず基本中の基本だが、サイズが合わないのはやめとけ。『気に入った意匠(デザイン)がぁ』とか、『輪郭(シルエット)がぁ』とか、あるかもしれんがサイズが合わなければ、ただの室内装飾(インテリア)だ」

 

「……なるほど!確かに盲点だったわ。それだけでも大分削れるわね」

 

 エルザは納得したように頷くと、実際に靴に足を通し始めた。

 

 

 カチ…カチ…。

 

 彼女は一足の美しいヒールを大事そうに抱え、カレンを見上げる。

 カレンは無言でジト目を返した。

 

 カチ…カチ…。

 

 カチ…カチ…。

 

 選別の末、床に並ぶ靴は五足ほどにまで絞り込まれた。

 

「結構絞れたわね」

 

「言い忘れたが……(ヒール)が高すぎるのもやめとけ」

 

「えー、なんでよー」

 

「背格好に対して高すぎる靴を履くと、足を痛めたり、最悪——踵《ヒール》が折れたりするぜ」

 

 カレンは左手の人差し指を上げた。

 

「道端の糞を避けるはずが、踵が折れたせいで全身糞まみれになりたかぁねえだろ?」

 

「やめなさいって言ってるでしょ!……でも確かに、それは死活問題ね」

 

「そうしな。それでコケてる貴族様を何人か知ってるぜ」

 

 不敵にニヤリと笑うカレン。

 

「……うげ」

 

 あまりに生々しい想像をさせられ、エルザは吐き気を催したように顔をしかめた。

 

 カチ…カチ…。

 

 それからさらに数分の精査を経て、最終的に残ったのは三足——白、黒、そして深いブルーのヒールだった。

 

「よし!これで三足まで絞れたわね」

 

「あとはこの三足で回していけばいいだろ。……っていうか、お前、そもそも外とか出るのか?」

 

 カレンが横目でエルザを見た。

 

「……う!?や、やめなさい。出るわよ!出まくるわよ」

 

 致命傷(クリティカルヒット)を受けたエルザは、声を荒らげた。

 

「私がここに来てから、まだ一度も見てないが?」

 

「それは、アンタに私の護衛っていう仕事を覚えさせるためだから!ちゃんと段階(ステップ)があるのよ!」

 

 苦し紛れながらも、一応の筋は通った言い訳を並べ立て、エルザは鼻を鳴らした。

 

「あ、そ。……あと、この残った靴だが、ちゃんと手入れをした方がいいぞ。それだけでも長く使えるからな」

 

「……じゃあ、それはアンタに任せるわね。おばさん?」

 

 エルザが不敵に笑う。

 

「……うっかり壊しても許してね。ハーフおばさん?」

 

 二人はニコリと笑い合った。

 

「……ところで、この中でどれが一番私に似合うかしら?」

 

 エルザが問いかけた。しかし、カレンは既に話を切り上げるように『食材調達』の準備を整え、背を向けて出口へと歩き出していた。

 

「……はあ。んなもん、知るかよ」

 

「あ、ちょっと……」

 

 呼び止める声に、カレンは左手を扉のノブにかけたまま、顔だけを振り返らせた。

 

「そんなん、お前がその日に履きたい靴を、その日の気分で決めろよ。お前の靴だろうが」

 

 ガチャン。

 

 重厚な音を立ててカレンが部屋を出ていく。

 

 バタン!

 

 扉が閉まり、続いて鍵がかけられる音が響くと、エルザは少しだけ面白くなさそうに唇を尖らせた。

 

「……なによ」

 

 カチ…カチ…。

 

 しばしの間、雪が窓を叩く音だけが部屋に満ちた。

 

「……でも、そっか。うん。それでいいんだ」

 

 彼女は三足のヒールを、自分だけの王国の財宝のように見つめた。

 

「今日の気分は……」

 

 エルザは一足の靴へと手を伸ばした。

 

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