シュピーゲル 〜不眠の傭兵と猛毒の令嬢、17歳の暗殺事件〜 作:氏家まさら
【第38話】楽園からの追放 〜 祝福の鐘 〜
昼下がりのエルザの自室。
開け放たれた窓からは冷え切った外気が流れ込んでくる。空は晴れ渡り、地面には眩しいほどの雪が積もっていた。
カレンは窓際に背を預け、右肘を縁に乗せながら、振り返るような姿勢で外の白銀の世界を眺めている。
室内では、いつもとは違う外出用の装いに身を包んだエルザが、立ったまま同じ場所をぐるぐると往復していた。
カチ…カチ…。
カチン…。
不意に、エルザが往復していた歩みを止めた。ちょうど、カレンに背を向ける位置での静止だった。
「……カレン」
後ろを向き、少し俯いたままでその名を呼ぶ。珍しく名前で呼ばれたその声の表情は、カレンからは見えない。
「……ん」
カレンは視線だけをエルザに向けた。
エルザが意を決したように向き直った。顔はまだ俯き加減だが、言葉を繋ぎ始める。
「……たまには、外に散歩に行きたいわ。……ほら、この屋敷って空気が淀んでいるじゃない?たまには息抜きしたいのよ」
僅かに早口だった。
「付き合いなさい」
エルザが顔を上げ、真っ直ぐにカレンを見た。
「ああ、いいぜ」
カレンは即答した。
「思えば私も、ここに来てから屋敷の外に出ていないからな」
カレンは凝り固まった身体をほぐすように、のびのびと体操を始めた。
「……それに門番のやつにも、
カレンが不敵な笑みを浮かべる。
「……何があったのよ」
エルザはジト目を向けた。
「いくぞ」
カレンは、かつて自ら設置した部屋の鍵を左手の指先でくるくると回しながら、出口へと歩き出した。
「……ええ」
エルザは短く応じ、カレンの後を追った。二人の背後で柱時計の秒針が規則正しく音を刻んでいる。
カチ…カチ…。
◆ ◆ ◆
カチ…カチ…。
エルザは自室の扉の前に立ち、自らの手で重厚な鍵を閉めた。右手に力を込め、金属が噛み合う「カチリ」という音を静寂の中に響かせる。カレンはその傍らに静かに佇んでいた。
カチ…カチ…。
屋敷の何処からか規則正しい秒針音が聞こえる。
二人は長い廊下を並んで歩き出した。並びは、左側にエルザ——右側にカレン。歩調を合わせる二人の間には、わずかな距離がある。エルザの右手と、カレンの左手が、歩くたびに触れ合いそうで触れ合わない。
カチ…カチ…。
十字路の角や、重厚な調度品が作る物陰からは、
カチ…カチ…。
二人は並んで階段を下りていく。
エルザは背筋を伸ばして階段を下りる。だが、その足取りは僅かに鈍い。ここでも物陰から注がれる
カチ…カチ…。
カチ…カチ…。
ついに屋敷の入口へとたどり着いた。
エルザは大扉を前に、恐る恐る手を伸ばした。
カチ…。
ゆっくりと開かれた扉の先から、目も眩むような鮮烈な陽光が差し込む。
エルザはハッとして、その輝きに目を細めた。だが、次の瞬間、彼女の肩が小さく震え始める。視線は足元の床へと落ち、顔は深く俯けられた。
カチン…。
その時、エルザの視界の端をカレンが横切った。カレンは躊躇うことなくエルザよりも先に一歩、外の世界へと踏み出す。エルザが驚き、顔を上げる。
眩しい陽光を背にしたカレンが、エルザへ左手を差し出した。
エルザも、自らの左手を身体の前へ回す。
——それが、彼女の本来の利き手だった。
二人の左手が、雪に反射する光の中で固く繋がれる。
エルザの左足が一歩、宙に浮いた。
カレンの手に導かれ、白銀に染まった外の世界へ踏み出す。
カーン…!カーン…!カーン…!
その瞬間、屋敷の遥か遠くで教会の鐘が高らかに鳴り響いた。
~ 次回『楽園からの追放 ~ 覚醒と蹂躙の