シュピーゲル 〜不眠の傭兵と猛毒の令嬢、17歳の暗殺事件〜 作:氏家まさら
窓の外から、小鳥のさえずりが聞こえてくる。
昨夜の熱狂が嘘のように、室内には穏やかな朝の光が差し込んでいた。
中央の机には、チェス駒が散らばっている。
その盤を挟んで、二人の『少女』が鏡合わせのようにうつ伏せになっていた。
カレンは顔の右側を下に。
エルザはその対面で、静かな寝息を立てている。
そして二人とも、片腕を前へ投げ出していた。
カレンは右腕。
エルザは左腕。
昨夜まで駒を指していた、本来の利き腕だった。
カチ…カチ…。
「……う」
カレンの指先が、ぴくりと動く。
「…うぅ」
右腕を投げ出したまま、重い瞼を開いた。頭の中には、昨夜の名残がまだ薄い霧のように漂っている。
「まさか…飛んでたのか…私が…」
カレンは顔だけを僅かに持ち上げた。
目の前には、自分の右手。
握るでもなく、構えるでもなく、ただ無防備に投げ出されている。
「…………」
その向こうから、エルザの穏やかな寝息が聞こえた。
カチ…カチ…。
「……はっ」
カレンの視線が、チェス盤へ移る。
昨夜の盤面が、そのまま残されていた。
白の陣営には、二枚の
一枚は、最初からそこにいたもの。
もう一枚は――昨夜、
「…ふっ」
カレンの口元が緩む。
「…はは。…あはは――!」
誰も起きていない朝の部屋で、一人笑った。
「…あーあ」
そして再び、机へ突っ伏す。
「…このまま……もう…ひとっ飛び…でき…そ…ぅ…だ…」
瞼を閉じる。
今度も、眠りはすぐそこにあった。
カレンの意識が、朝の静けさへ沈んでいく。
――そのとき。
コン! コン!
「エルザ様。エルザ様――」
「…………」
カレンの眉間に、深い皺が刻まれた。
◆ ◆ ◆
扉の前には、いつものようにモーゼスが姿勢正しく立っていた。
ガチャッ…!
扉が僅かに開く。その隙間から、カレンの顔だけが覗いた。
「……なんだ傭兵ですか――。エルザお嬢様を出しなさい。エレノア様がお呼びです」
「エルザお嬢様はお休み中だ!後にしな――」
バタン!
カレンが言い捨てると同時に、乱暴に扉が閉まった。
「…………」
扉の向こうから、モーゼスの小言が始まる。
◆ ◆ ◆
「……っけ」
カレンは扉に背を向けた。
…まだ何か言っている。
放っておくことにした。
「……」
机には、エルザが眠っている。左腕を前へ投げ出したまま。
昨夜、盤上で見せた顔はどこにもない。
ただ、17歳の少女が眠っていた。
カチ…カチ…。
カレンは机へ歩み寄った。
投げ出されたエルザの左手。
その指先へ――自らの右手を、そっと添え、僅かに触れた。
「……まったく。良い気なもんだぜ」
「……う~ん……」
エルザがもぞもぞと身体を動かす。
「……かれん……つぎはぁ……とらんぷでぇ……しょーぶよ……え……へへ……へへへ……」
「……ふ」
カレンの口元が緩んだ。
しばらく、その寝顔を眺める。
「お断りだよ」
ボーン――――。
朝の鐘が鳴った。
ボーン――――。
二人の指先は、まだ触れている。
ボーン――ボーン――ボーン――ボーン――。
六度目の鐘が、静かな部屋へ溶けていった。