シュピーゲル 〜不眠の傭兵と猛毒の令嬢、17歳の暗殺事件〜   作:氏家まさら

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【第47話】運命の対局.6 ~ 日常への回帰 ~

 窓の外から、小鳥のさえずりが聞こえてくる。

 

 昨夜の熱狂が嘘のように、室内には穏やかな朝の光が差し込んでいた。

 

 中央の机には、チェス駒が散らばっている。

 その盤を挟んで、二人の『少女』が鏡合わせのようにうつ伏せになっていた。

 

 カレンは顔の右側を下に。

 

 エルザはその対面で、静かな寝息を立てている。

 

 そして二人とも、片腕を前へ投げ出していた。

 

 カレンは右腕。

 

 エルザは左腕。

 

 昨夜まで駒を指していた、本来の利き腕だった。

 

 カチ…カチ…。

 

「……う」

 

 カレンの指先が、ぴくりと動く。

 

「…うぅ」

 

 右腕を投げ出したまま、重い瞼を開いた。頭の中には、昨夜の名残がまだ薄い霧のように漂っている。

 

「まさか…飛んでたのか…私が…」

 

 カレンは顔だけを僅かに持ち上げた。

 目の前には、自分の右手。

 握るでもなく、構えるでもなく、ただ無防備に投げ出されている。

 

「…………」

 

 その向こうから、エルザの穏やかな寝息が聞こえた。

 

 カチ…カチ…。

 

「……はっ」

 

 カレンの視線が、チェス盤へ移る。

 

 昨夜の盤面が、そのまま残されていた。

 白の陣営には、二枚の女王(クイーン)。

 

 一枚は、最初からそこにいたもの。

 

 もう一枚は――昨夜、歩兵(ポーン)から生まれたもの。

 

「…ふっ」

 

 カレンの口元が緩む。

 

「…はは。…あはは――!」

 

 誰も起きていない朝の部屋で、一人笑った。

 

「…あーあ」

 

 そして再び、机へ突っ伏す。

 

「…このまま……もう…ひとっ飛び…でき…そ…ぅ…だ…」

 

 瞼を閉じる。

 今度も、眠りはすぐそこにあった。

 カレンの意識が、朝の静けさへ沈んでいく。

 

 ――そのとき。

 

 コン! コン!

 

「エルザ様。エルザ様――」

 

「…………」

 

 カレンの眉間に、深い皺が刻まれた。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 扉の前には、いつものようにモーゼスが姿勢正しく立っていた。

 

 ガチャッ…!

 

 扉が僅かに開く。その隙間から、カレンの顔だけが覗いた。

 

「……なんだ傭兵ですか――。エルザお嬢様を出しなさい。エレノア様がお呼びです」

 

「エルザお嬢様はお休み中だ!後にしな――」

 

 バタン!

 

 カレンが言い捨てると同時に、乱暴に扉が閉まった。

 

「…………」

 

 扉の向こうから、モーゼスの小言が始まる。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「……っけ」

 

 カレンは扉に背を向けた。

 …まだ何か言っている。

 放っておくことにした。

 

「……」

 

 机には、エルザが眠っている。左腕を前へ投げ出したまま。

 

 昨夜、盤上で見せた顔はどこにもない。

 

 ただ、17歳の少女が眠っていた。

 

 カチ…カチ…。

 

 カレンは机へ歩み寄った。

 

 投げ出されたエルザの左手。

 その指先へ――自らの右手を、そっと添え、僅かに触れた。

 

「……まったく。良い気なもんだぜ」

 

「……う~ん……」

 

 エルザがもぞもぞと身体を動かす。

 

「……かれん……つぎはぁ……とらんぷでぇ……しょーぶよ……え……へへ……へへへ……」

 

「……ふ」

 

 カレンの口元が緩んだ。

 しばらく、その寝顔を眺める。

 

「お断りだよ」

 

 ボーン――――。

 

 朝の鐘が鳴った。

 

 ボーン――――。

 

 二人の指先は、まだ触れている。

 

 ボーン――ボーン――ボーン――ボーン――。

 

 六度目の鐘が、静かな部屋へ溶けていった。

 

 

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