シュピーゲル 〜不眠の傭兵と猛毒の令嬢、17歳の暗殺事件〜   作:氏家まさら

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【第5話】運命の邂逅 ~ 私と私 ~

 

 ギー、と不快な音を立てて、重厚な扉が内側へと押し開かれた。

 

 女は立ち位置を変えぬまま、左手で放り投げるように扉を押し開く。

 

 ザッ……。

 

 女が部屋の中へと一歩、足を踏み入れた瞬間だった。

 

 ヒュンッ――!

 

 暗がりの奥で銀光が走り、鋭い風切り音が鼓膜を突いた。

 

 ――ストン!

 

 女の顔面、そのすぐ右側の壁に、一本のナイフが深々と突き立った。女は無表情のまま、避ける動作すら見せずにその場に佇んでいる。

 

 開かれた扉から差し込む僅かな光が、部屋の全容を露わにした。

 

 そこは、あらゆるガラクタが散乱し、足の踏み場もないほどに荒れ果てた空間だった。にもかかわらず、中央に座る少女の周囲だけは、奇妙なほどに物が整理されている。切り刻まれ、ボロボロになったカーテンの隙間から漏れる朝日が、少女の姿を白く浮き上がらせていた。

 

 少女——エルザは、テーブルの傍らでナイフを投げ終えた姿勢のまま、石のように固まっている。肩を激しく上下させ、瞳孔の開いた血走った瞳が、侵入者を真っ向から射抜いていた。彼女の手元、机の上には、もう一振りのナイフが突き立てられている。

 

「お初にお目にかかります。エルザお嬢様」

 

 グッ、と女の左手が、壁に刺さったナイフの柄を掴み取った。

 

 ガッ!

 

 エルザが、机に突き刺さっていた二本目のナイフを右手でひったくった。どこか不自然な動作。

 

 ビュンッ――!

 

 追加の投擲。

 

 女は壁から引き抜いたナイフを振り上げた。

 

「私、今日からこちらで奉仕いたします」

 

 ――カキン!

 

 飛来するナイフを弾き飛ばす。

 

 ヒュンッ――!

 

 弾かれたナイフがボロボロのカーテンを横なぎに切り裂いた。

 

 バサッ…!

 

 カーテンが床へと落ちる。

 

 カッ―――――――!

 

 窓から、陽光が鋭く溢れ出す。

 

「……ッ!?」

 

 まぶしさにエルザが思わず目を覆い、怯えたように体を強張らせた。朝日に反射する長い銀髪と黒いドレスを身にまとった少女の姿が露わになる。

 

 ―――少女は女性にしては背が高かった。見事な銀髪と銀の瞳、そして酷く不健康な顔色が目を引いた。造形自体は美しいが、目の下には濃い隈がべったりと張り付いている。

 

 身に纏う漆黒のドレスも異様だった。コルセットで胴を締め上げ、腰に金属のチェーンを飾った豪奢な作りだが、重厚なスカートの裾はあちこちが引き裂かれ、無惨に床を引きずっている―――。

 

 女は日の下に晒された少女の姿を冷徹に捉えると、淡々と言葉を紡いだ。

 

「名前は『不良品(ゴミ)』『淫売(ビッチ)』『下僕(ドレイ)』など……好きなようにお呼びください」

 

 ザ…ザ…。

 

 女は止まることなく、エルザの方へと歩を進める。

 

「…ッ!」

 

 一歩一歩、女が距離を詰めてくる。

 

 ザ…。

 

 女が少女の前に立ちはだかった。

 

 長身の少女よりも更に上背のある女が、黒の瞳を眼下で怯える銀の瞳へと落とした。

 

「……っ!?」

 

 女を見上げるエルザの顔が、一瞬強張った。

 

 キッ!

 

 次の瞬間、エルザは右太ももをたくし上げ、隠し持っていた三本目のナイフを抜き放つ。

 

「……クッ!」

 

 ヒュッ――!

 

 エルザが下からの鋭い突き上げを放つ。

 

 カッキーン!

 

 女はそれを左手のナイフで弾き返した。

 

 弾かれたナイフが至近距離で火花を散らす。

 

「ご用命は何なりと。掃除、洗濯、炊事……そして、有害な害虫の駆除まで…」

 

 女の口調は平坦なままだった。

 

 カキン!カキン!ジャキン!

 

 エルザが執拗にナイフを突き出し、女がそれを弾き続けた。

 

「我が(あるじ)の平穏を乱す障壁であれば、何なりとお申し付けください。謹んで、そのすべてを完遂してご覧にいれます」

 

「……くっ!……ぬぅっ!」

 

 エルザの吐息が荒くなる。それでも右手は止まらない。しかし、彼女の右手は止まらない。

 

「……しかし、本日は執事モーゼスから部屋の掃除を済ませるよう厳命されておりますので、早急に清掃を開始してもよろしいでしょうか?」

 

 スッ。

 

 女の左手が、エルザの震える右手を優しく、しかし有無を言わさぬ力で包み込んだ。

 

 ヒューン……。

 

 女が左足でエルザの右足を軽く払うと、少女の体は重力から解放されたかのように宙を舞った。

 

 ストン。

 

 女はエルザの右手を左手で掴んだまま、すぐ隣にあった椅子へと導き、静かに着地させた。エルザの右手から力が抜け、ナイフが床に落ちる。

 

 カチン……。

 

「……なんなのよ……アンタ……」

 

 椅子に座らされたまま、エルザは肩で息をつき、絞り出すように呟いた。彼女の視線は、自身の右手を繋いでいる女の左手に吸い寄せられている。その肩が小刻みに震えた。

 

「……汚くて凸凹(ゴツゴツ)した手……気持ち悪い……」

 

「年季の違いでございます」

 

 女は冷淡に応じた。

 

「……」

 

 エルザは再び女の顔を見た。焦茶の髪、深い隈、左顔面の傷跡。そのひとつ、ひとつにゆっくりと視線を置いていく。

 

「……アナタ……名前は?」

 

 二人の間に、一拍の長い沈黙が流れる。

 

「名乗るほどの家名も持たぬ、壊れ物(ガラクタ)同然の(いや)しい出自で恐縮ですが……」

 

 女はエルザを真っ直ぐに見据え、その名を口にした。

 

「『私』はカレンと申します」

 

「……カレン」

 

 エルザはその響きを噛み締めるように反芻(はんすう)した。

 

「『私』はエルザよ。……エルザと呼びなさい」

 

 少女は視線を逸らし、わずかに間を置いた。

 

「……あと言葉も気を遣わなくていいわ。わかったわね?」

 

「承知しました。『クソガキ』とお呼びすればよろしいですね?」

 

 カレンは鉄壁の営業スマイルを浮かべた。

 

「……殺すわよ。……アンタ……!!」

 

 エルザの鋭い罵倒が、シュピーゲル家の朝を鮮やかに切り裂いた。

 

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