シュピーゲル 〜不眠の傭兵と猛毒の令嬢、17歳の暗殺事件〜 作:氏家まさら
一面を覆い尽くす純白の雪が、シュピーゲル家を静かに塗り潰していた。
深い眠りに落ちた「護衛」を部屋に残し、ただ一人で門へと辿り着いたエルザ――。門番たちはその姿を確認すると、重厚な門を左右へ押し開いた。
屋敷の正面には、華美な装飾を排した品のある馬車が佇んでいる。その傍ら、一頭の馬に跨っていた騎士がエルザを認めると、流れるような所作で馬を下りた。
20代後半と思しき青年だった。
長身で、やや細身ながら引き締まった体躯。身には神聖さを漂わせる
「エルザ様ですね。お初にお目に掛かります。わたくしはヴァイスベルク家に仕える聖騎士――ハロルドと申します」
ハロルドは深く一礼した。
エルザは足を止め、品定めするように騎士を一瞥する。
「この度は貴女様を我が
真っ直ぐな青い瞳が、エルザへ向けられる。
だがエルザは視線を合わせず、寒空の向こうを見つめていた。
「初めまして――シュピーゲル家のエルザよ。よろしくお願いするわ」
◆ ◆ ◆
屋敷の門を一望できる物見の塔。
吹き抜ける寒風の中、モーゼスは
「……聖騎士ハロルド――。アレはヴァイスベルク家でも指折りの手練れと聞き及んでおります。何故そのような男が、エルザ様の護衛に?」
「ふふ、簡単なことよ。……厄介払い。ヴァイスベルク家も、あの清廉潔白でうるさい男を疎ましく思っているみたい――
エレノアは扇子で口元を隠し、冷たく笑った。
「……左様でございましたか。まさに一石二鳥、恐れ入ります」
モーゼスは淡々と一礼した。
◆ ◆ ◆
門前では、ハロルドが馬車の傍らでエルザを待っていた。
「道中は何かと不自由をおかけするやもしれませんが、この剣に懸けてエルザ様の身の安全をお約束いたしましょう。……ヴァイスベルク家は、貴女様のような麗しき方を迎え入れられることを、一族の誉れとして心待ちにしております」
恭しく告げた後、ハロルドがふと思い出したように尋ねる。
「……ところで、もうひとり護衛がいると伺っていたのですが、いらっしゃらないのですか?」
「…………」
エルザは僅かに視線を逸らした。
「……蒸発したの――。怖気づいて逃げ出したのでしょうね。だから気にしないで」
「……蒸発――ですか。シュピーゲル家ともあろう場所で、なんという
ハロルドが眉を顰める。
「しかし、左様でしたか。ならば尚のこと、わたくしが気を引き締めねばなりませんな。道中、指一本触れさせぬと誓いましょう!」
「ええ、頼んだわ。……『聖騎士』様」
エルザの左手が、髪に結ばれた赤いバンダナへ伸びた。
その指先が、布地を静かになぞる。
◆ ◆ ◆
シュピーゲル家の屋敷の入口を一望できる岩山の陰。
三人の男が、
「…連中出発するようですね。本当に――今ここでやるんですか?」
昼間。
しかも、屋敷の目と鼻の先。
ヤコブが念を押すように尋ねた。
「ああ、それが依頼主の要望だ」
その視線の先には、馬車へ乗り込もうとする銀髪の令嬢。
「それにしても、『アレ』が獲物の娘か…」
ヨハンは目を細めると、無意識に右手で首元のロケットに触れた。
「…へへ。なかなか
ゴブが右手の人差し指と親指で眼鏡を作り、その隙間からエルザを覗き込む。
「護衛は三人――。うち二人は雑魚、残る一人は…
ヤコブの視線が、令嬢の傍らに立つ聖騎士を捉えた。
「お前ら、やれそうか?」
「問題ないです」
「オレは分け前さえ増やしてくれればなんでもいいですぜぇ。旦那ぁ。へへ」
「…なら行け。俺が
シャキ、シャキン――!
言葉が終わるより早く、二人が得物を抜いた。
シュッ――!シュッ――!
純白の雪原へ、二つの炭色が飛び出す。
雪上ではあまりにも目立つ色。
だが二人は構わず、奇妙な歩法で正面から屋敷へ肉薄していく。
「…はあ」
ヨハンは重い溜め息を吐き、岩肌へ背を預けた。そして左手薬指の指輪を、静かに直す。
シュタタ――!
その間にも、二人の炭色は雪原を駆ける。
馬車との距離が、瞬く間に縮まっていった。
~ 【暗殺者の襲撃.2】へと続く ~