シュピーゲル 〜不眠の傭兵と猛毒の令嬢、17歳の暗殺事件〜   作:氏家まさら

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【第58話】最終決戦.3 ~ 跳躍八連剣舞・終局~

「…………」

 

 カレンの瞳に、殺意がない。

 

(……何を、するつもりだ……?)

 

(カチ……)

 

 柱時計が、次の一手を刻んだ。

 

「…面白い。なら――とことん付き合ってやろう!」

 

 ヨハンが短く息を吸う。

 

 次の瞬間――その顔から感情が消えた。

 

 

 ズドン……!!

 

 

 背後から立ち昇る黒い光彩へ、鮮血のような赤が混ざる。

 

 ブワァ……!

 

 吹き荒れる殺気が、カレンの白い髪を激しく乱した。

 

「…………」

 

 カレンは動かない。

 

 

 馬車の中。

 

 エルザが、静かに戦場を見つめている。

 

「……最終局面ね」

 

 そして――。

 

「行きなさい――」

 

 

 ヒュッ――。

 

 先に動いたのは、ヨハンだった。

 

 剣を下げたまま。

 

 散歩でもするような足取りで、カレンへ近づいてくる。

 

 トン……!

 

「……ッ!」

 

 予備動作のない突き。

 

 ブシュ……!

 

 カレンの右腹が、さらに抉られた。

 

「ぐっ……!」

 

 シュン…!

 

 続けざまに、首。

 

 カレンが頭を振る。

 

 刃が白い髪を切り裂き、雪原へ散らした。

 

 シュパパパン―――!

 

「……ッ!」

 

 次。

 

 次。

 

 また次。

 

 致命傷だけを逸らしながら、カレンの身体へ浅い傷が増えていく。

 

 カク……。

 

 膝が揺れた。

 

「…………」

 

 ヨハンが踏み込む。

 

 その刃が上がる。

 

 ザ……。

 

 カレンも、一歩。

 

 ザ……。

 

 さらに一歩。

 

「……?」

 

 首を刎ねられる間合いへ、自ら入った。

 

 ス……。

 

「……なっ!?」

 

 カレンの右手。

 

 その人差し指が――ヨハンの唇へ、そっと触れた。

 

「…………」

 

 一瞬。

 

 ヨハンの動きが止まる。

 

 パッ……。

 

 カレンの左手から、剣が離れた。

 

 銀色の刃が宙を舞う。

 

「……!」

 

 ヨハンの瞳が、それを追った。

 

 カレンの右手が、剣を掴む。

 

 同時に――。

 

 ズドン……!!

 

「……っがぁ!」

 

 カレンの左拳が、ヨハンの左腹へ深く突き刺さった。

 

 上体が折れる。

 

 カレンが頭を振りかぶる。

 

 ガッチン――!

 

「ぐっ……!」

 

 白銀の頭が、その顔面へ叩き込まれた。

 

 頭突き。

 

(カチン!)

 

 分針が跳ねる。

 

 

 ♘ ♗ ♘ ♗ ♗ ♘ ♗ ♘

 

 

 巨大な白黒の盤面。

 

 カレンの前には、黒の王(キング)。

 

(ス……)

 

 右手が上がる。

 

 握られているのは、刃ではない。

 

 剣の柄頭(ポンメル)。

 

 

「五撃目(ごげきめ)、『権威(けんい)の蹂躙(じゅうりん)』―――」

 

 

(ガッ――!)

 

 右。

 

(ガッ――!)

 

 左。

 

(ガァン――!)

 

 そして――右。

 

 

 黒の王(キング)に、亀裂が走った。

 

 

 ♞ ♝ ♞ ♝ ♝ ♞ ♝ ♞

 

 

 ガッ――!

 

「……ブッ」

 

 ヨハンの顔が跳ねる。

 

 ガッ――!

 

「ぐ……!」

 

 さらに一撃。

 

 ガァン――!!

 

「がっ……!」

 

 最後の一撃が、その顔面を打ち抜いた。

 

 たまらず、後ろに飛び退くヨハン。

 

「はあ……はあ……」

 

 ヨハンが血痰を吐き捨てる。

 

 だが、その広刃剣(ブロードソード)はまだ落ちない。

 

「…………」

 

 低く腰を落とす。

 

 カレンが歩み寄る。

 

 ザ……。

 

 ザ……。

 

 あと半歩。

 

 ヨハンの剣が届く、その境界。

 

 カレンが止まった。

 

「…………」

 

 グッ……!

 

 ヨハンが柄を握り込む。

 

 その瞬間――。

 

 

 カレンが、ふと空を見上げた。

 

 

「……?」

 

 ヨハンの片眉が吊り上がった。

 

 ス……。

 

 カレンが懐から何かを取り出す。

 

 そして――放り投げた。

 

 ふわ……。

 

 

「………ぁ」

 

 

 白い王(キング)。

 

 傷だらけの小さな駒が、寒空に弧を描く。

 

 ヨハンの目が――それを追った。

 

(カチン――!)

 

 分針が跳ねる。

 

 

 ♖ ♖ ♖ ♔ ♔ ♖ ♖ ♖

 

 

 白黒の盤上。

 

 白の王(キング)が、ゆっくりと横へ退く。

 

 その背後。

 

 カレンがいる。

 

 向かい合うのは、亀裂の走った黒の王(キング)。

 

 

「六撃目(ろくげきめ)、『王(おう)の背徳(はいとく)』―――」

 

 

(ガ……!)

 

 右手。

 

 白い一閃が、黒の王(キング)を穿った。

 

 

 ♜ ♜ ♜ ♚ ♚ ♜ ♜ ♜

 

 

 ズドッ――!!

 

「うぐ……!?」

 

 カレンの剣が、ヨハンの右腹を貫いていた。

 

「…………ッ!」

 

 血が、雪へ落ちる。

 

 ヨハンの視線が、ゆっくりとカレンへ戻った。

 

 ヨハンが後ろへ跳ぶ。

 

 傷口を押さえることもなく、広刃剣(ブロードソード)を右手に構え直した。

 

「ぬううぅ……!」

 

 黒と赤の光彩が、激しく渦を巻く。

 

 対するカレンは、純白の髪を雪風になびかせたまま動かない。

 

「……死ね」

 

 ヒュバ―――――

 

 

 ヨハンの姿が消えた。

 

 

 カキキーン―――――!!

 

 

「……なっ」

 

 右から――左へ。

 

 カレンの剣が一瞬で持ち替えられる。

 

 灰色の閃光が、ヨハンの一撃をその出端から弾き潰した。

 

「…………ッ!」

 

 

(カチン!)

 

 分針が跳ねる。

 

 

 ♙ ♙ ♙ ♕ ♕ ♙ ♙ ♙

 

 

 白黒の盤面。

 

 カレンの左手から、剣が離れる。

 

 右手が、その柄を掴んだ。

 

(ス……)

 

 白い刃が、大上段へ上がる。

 

 黒の王(キング)。

 

 その喉元へ、一つの歩兵(ポーン)が踏み込む。

 

 

「七撃目(ななげきめ)、『民草(たみぐさ)の叛乱(はんらん)』―――」

 

 

(ヒュン――!)

 

 

 黒の王(キング)に、巨大な亀裂が走った。

 

 

 ♟ ♟ ♟ ♛ ♛ ♟ ♟ ♟

 

 

 ザシュッ――――!

 

「……っ!」

 

 ヨハンの左手。

 

 人差し指から小指まで――四本の指が宙を舞った。

 

 その中に、銀色の指輪がある。

 

「…………」

 

 指輪は切断された薬指ごと、雪へ落ちた。

 

 バサッ……。

 

「…………!」

 

 ヨハンの目が、その場所を追う。

 

 膝が雪へ落ちた。

 

 

 それでも、右手の広刃剣(ブロードソード)が振り上がる。

 

 ガキィィン―――!!

 

 カレンが右手で受ける。

 

 即座に剣を左手へ。

 

 ヒュンッ!

 

 低い位置から振り上げられた刃が、ヨハンの首元を掠めた。

 

 プツン。

 

「……!」

 

 ロケットの鎖が切れる。

 

 金色の小さな塊が、吹雪の中へ舞い上がった。

 

 そのまま落ちてくる。

 

 カレンの前へ。

 

 シュパ――!

 

 右手が、それを掴んだ。

 

「……っ!」

 

「ぁああッ!!」

 

 ヨハンが突っ込んでくる。

 

 カレンは避けない。

 

 右手で握ったロケットを――その眼前へ突き出した。

 

「……っ!?」

 

 ヨハンの身体が止まった。

 

「…………」

 

 視線が、ロケットへ吸い寄せられる。

 

 ヨハンの掠れた声が漏れた。

 

 

「…こいつは…まさしく――――」

 

 

 その背後。

 

 馬車の中から、エルザの声がした。

 

 

「……女神の再誕(チェックメイト)」

 

 

 カチッ……。

 

 ロケットの留め金が外れる。

 

(カチン!!)

 

 蓋が開いた。

 

 

 ♙ ♙ ♕ ♯ ♯ ♕ ♙ ♙

 

 

 

 白黒の盤面。

 

 

 カレンは右手を突き出している。

 

 

 その先で、黒の王(キング)が跪いていた。

 

 

 足元から、白の女王(クイーン)の影が伸びる。

 

 

 そして。

 

 

 背後の柱時計。

 

 

 その針が――十三時を指している。

 

 

(ボーン……)

 

 一つ。

 

 

(ボーン……)

 

 二つ。

 

 

(ボーン……)

 

 三つ。

 

 

 鐘が鳴る。

 

 

 あり得ない時刻を、あり得ない数だけ。

 

 

(ボーン……ボーン……ボーン……)

 

 

 白黒の盤面が、ゆっくりと白へ溶けていく。

 

 

(ボーン……ボーン……ボーン……ボーン……)

 

 

 十一。

 

 

 十二。

 

 

(ボーン……)

 

 

 十三。

 

 

 最後の鐘が鳴り響いた。

 

 

 

 

♚ ♚ ♚ ♚ ♚ ♚ ♚ ♚

 

 

 

 

 白。

 

 

 眩しいほどの白。

 

 

 やがて、その中に一つの部屋が浮かび上がる。

 

 

 柔らかな陽射し。

 

 

 温かな空気。

 

 

 ベッド。

 

 

(ふふ……うふふ……)

 

 

 少女の笑い声。

 

 

「…………」

 

 

 毛布に包まれた少女が、こちらを見ていた。

 

 

 逆光で、その顔はよく見えない。

 

 

 それでも――。

 

 

 笑っている。

 

 

『だいすきだよ―――』

 

 

「…………」

 

 

 その声だけが、静かな部屋に残った。

 

 

 

♔ ♔ ♔ ♔ ♔ ♔ ♔ ♔

 

 

 

 

 ――ぽた。

 

 ――ぽたぽた。

 

 

 白い雪へ、赤が落ちる。 

 

「…………」

 

 カレンの左手。

 

 その剣が、ヨハンの胴を深く貫いていた。

 

 

「…っ……レ…ン…」

 

 

 ヨハンの唇が、僅かに動いた。

 

 ブシュ……!

 

 カレンが剣を引き抜く。

 

 右足で、ヨハンの身体を突き放した。

 

 ドサッ……。

 

 仰向けになった身体が、雪へ沈む。

 

「…………」

 

 カレンは右手に握ったロケットを見る。

 

 一瞬。

 

 そのまま――放り捨てた。

 

 ザ……ザ……。

 

 おもむろに倒れたヨハンへ近づく。

 

 右手を、その懐へ入れる。

 

 ゴソゴソ……。

 

「…………」

 

 指先が、何かを掴んだ。

 

 ブチッ!

 

 引き抜かれたのは――血に濡れた金袋。

 

 カレンは、それを握りしめた。

 

 

「かえしてもらうぜ―――」

 

 

 踵を返す。

 

 そして、雪を踏む。

 

 もう、後ろは見なかった。

 

 

 

 

 ~ 【エピローグ】へと続く ~

 

 

 

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