シュピーゲル 〜不眠の傭兵と猛毒の令嬢、17歳の暗殺事件〜 作:氏家まさら
ドスン……!
カレンは肩に掛けていた
「さて、じゃお掃除を始めるか」
「……え?……え?」
椅子に座らされたままの少女——エルザが、目を白黒させている。カレンは先ほどまでの殺し合いに近い緊張感を、エルザが呼吸を整える間もなく霧散させていた。
「……残しておきたいものがあったら先に言いな。他は処分するからな」
カレンはてきぱきと腕をまくり、手近なガラクタを仕分け始める。
「……え?……ええ」
エルザはまだ思考が追いついていない。カレンは床に転がっていたチェス盤を拾い上げると、埃を払ってテーブルの上に戻した。
「……チェスが好きなのか?」
「……え?……別に。小さい頃に何となく面白そうと思ったから、買ってもらっただけよ」
エルザは視線を逸らし、冷めた口調で応じた。
「そうか。その割には随分と使い込まれているようだが」
「なんでもいいでしょ。うるさいわね!」
エルザはカレンを鋭く睨むと、隠し切れない動揺を振り払うように乱暴に腕を組んだ。
「それにしても……これは骨が折れそうだ。一日二日じゃ無理だな」
カレンは部屋の惨状を眺めてぼやく。そのあまりに日常的なペースに、エルザの眉間に青筋が浮かんだ。
「それにしてもアンタ、『言葉は気を遣わなくていい』とは言ったけど、少しは気遣いなさいよ?」
「……それは失礼いたしました。お嬢様の厳命でしたもので」
カレンはニコリと鉄壁の営業スマイルを浮かべた。
「……その下手くそな言葉遣いも寒気がするから止めなさい」
エルザはジト目でカレンを射抜く。
「……け、注文の多いガキだね。親の顔が見てみたいよ」
カレンも即座にジト目に切り替え、呆れた口調で吐き捨てた。
「……ッ!」
エルザの肩が怒りでプルプルと震える。彼女は床に落ちたままだったナイフを右手で拾い上げると、椅子から勢いよく立ち上がった。
「……もう一回始めてもいいのよ?」
カレンは背中を向けたまま、首だけを振り返って口角を上げた。
「おやおや、お嬢様。それでしたら追加の手当をいただかなければ対応致しかねます。」
「……本当に、ムカつく奴ね!」
噴火寸前のエルザは、手にしたナイフを乱暴に床へ投げ捨てた。そのまま、淑女らしからぬ蟹股で、ドカッと椅子に座り直す。腕を組み、足を組み、カレンの背中を睨みつけた。
不機嫌そうに腰掛ける主と、黙々と片付けを継続する
◆ ◆ ◆
「……あ、待って。それは必要よ」
腕を組んだまま、エルザがカレンの手にあった物を指さした。
「……これが?何に使うんだよ?」
「……えっと、それは……とにかく必要なの!」
「処分だな」
「はあ!?」
カレンはエルザの抗議を無視して、ガラクタを仕分けていく。
「これは取っとくのか?」
「それ?……もういらないわ」
「ちょっと!?それは捨てないでって言ったわよね?」
「初耳だな」
ガチャン、ガタガタ。カレンが物を片付ける音が、無慈悲に響く。
「ちょっと!もっと静かにできないの?」
「ちょっと。もっと静かに喋れないの?」
「……ああ……もう……!」
エルザはイライラで頭が破裂しそうになりながら、両手で頭を抱えた。
◆ ◆ ◆
ガチャ…ガチャ…
カレンは変わらず、テキパキとガラクタの整理を続けている。
「……ッ!もう、
エルザの苛立ちは頂点に達した。
バッ――!
彼女は椅子から飛び起きると、背後からカレンを羽交い締めにする。
ガシッ!!
彼女は、自らの
「……ッ!」
カレンは僅かに眉根を寄せると、
ヒュン……。
軽い合気の動作。カレンは勢いよくエルザを投げ、再び椅子へと着地させた。
ボスン……!
最初の時よりも心なしか乱暴な投げ方だった。カレンもまた、僅かに苛立ちを露わにしている。
「……」
ガチャ…ガチャ…
「……なんなのよ…。主を2回も投げ飛ばすなんて―――!本当に、生意気だわ…!いつか分からせてやる……ッ!床を舐めさせてやる……ッ!」
椅子に深々と座らされながら文句を吐き続けるエルザと、その文句を背中で聞き流しながら手を動かし続けるカレン。やがて、部屋の一角にようやく床の規則正しい木目が顔を覗かせていた。
◆ ◆ ◆
夕闇が差し込み始めたエルザの自室。
不機嫌そうに椅子に腰かけるエルザの傍らで、カレンは黙々と手を動かし続けていた。掃除が進むにつれ、山をなしていたガラクタが少しずつ端へと追いやられ、奥の寝室へと続く通路がようやく顔を出した。
カレンはふと、動きを止めた。開け放たれたままの扉の先、寝室の様子が視界に入る。
「……ん?」
カレンの瞳に映ったのは、隔離されたような
応接間の
そして、部屋の正面には一枚の大きな
その眼差しは高い玉座から下賤な者を見下ろす、
カレンは無表情のまま、その『聖域』を観察する。
「あっちの寝室は手を付けなくていいんだな?」
カレンが抱えていた荷物を運びながら尋ねる。その瞬間、気だるげだったエルザの顔がカッとひきつった。
「ええ……。絶対に触らないで……!」
彼女は視線を鋭く逸らし、宣言するように言い放つ。
「……承知した。なら応接間だけやればいいな」
カレンはそれ以上追及せず、左手で部屋の隅にある二つの鳥籠を指し示した。
「あと、あっちに
返信用の籠は空だ。送信用の籠にだけ、三羽の鳩が身を寄せ合っているのが見える。エルザは鳥籠の方に一度だけ目をやり、冷めきった口調で応じた。
「…?…ああ、そうよ。文通相手がいるの。以前は文通相手の知人が定期的に送信用の
「……そいつは不自由だな」
ガチャ…ガチャ…。
再び、静かな片付けの音が室内に響く。依然としてガラクタは多いが、最初と比べれば確かな生活スペースが確保されていた。カレンは左手で額の汗を拭うと、肺の底に溜まった熱を吐き出した。
「ふう。そろそろ暗くなるし、今日はこのくらいにしよう」
「……私は別にあのままでよかったのに。まったく」
エルザは椅子に座ったまま、不満げに独りごちた。
「それにしても、この惨状のまま夜を越すのか……。まさに
カレンは片付ききらない部屋を見渡し、皮肉を込めて鼻を鳴らした。