シュピーゲル 〜不眠の傭兵と猛毒の令嬢、17歳の暗殺事件〜 作:氏家まさら
朝日が差し込むエルザの自室。
穏やかな小鳥の囀りが聞こえる。確保された生活スペースと、そのすぐ傍らに積み上がったガラクタの対比が、奇妙な美しさを生んでいた。
エルザはソファの上で、カレンの右手を自身の左手で掴み、胸元に寄せた状態で眠っている。カレンは椅子に座り、不自然な姿勢を取らされたまま目だけを閉じていた。昨晩のうちにさらに椅子を動かしたのだろう、二人の距離は密着するほどに近い。
「……う」
エルザの目が、僅かに開く。
「……う~ん」
覚醒しかけ、重いまぶたをしばたたかせる。
「……うぅ」
視界が明瞭になるにつれ、エルザは自分の左手が、傷だらけの無骨な右手を握りしめていることに気づいた。驚愕に目を見開く。
「……あ」
エルザはソファに身を横たえたまま、ただただ茫然とカレンの顔を見つめた。椅子に座り、やや俯き加減で目を閉じているカレン。眠っているのか、あるいは起きているのか、判別がつかない。
「……やっと起きたのか。ったく、全身バキバキだぜ」
カレンの口元が、皮肉げに動いた。
「あ……!」
エルザは弾かれたように、繋いでいた手を放した。
「……うわ」
同時に、自分の左手がじっとりと汗ばんでいることに気づく。
「……私に惚れるのはわかるが、程々にしろよ?」
カレンが目を開け、自身の右手の平を四本の指で拭うような仕草を見せた。
「……ふん。アンタが寂しいかと思って繋いでいてあげたの! 光栄に思いなさい」
エルザは自分の左手の手汗を、右腕の服の袖で優しく拭いながら言い返した。
「うう……ふぬ……!」
カレンは椅子から立ち上がると、凝り固まった全身をほぐすように、嫌味なほど盛大な伸びをする。
「……」
エルザはソファの上で座り姿勢になり、カレンの様子をジト目で睨みつけた。
「……ふぁ~」
遠慮もクソもない、喉ちんこが見えそうなほどの
「アンタ、本当にちょっとは遠慮しなさいよ……」
エルザが呆れた声を出すのをよそに、カレンはごそごそと
「ほれ」
無造作に突き出されたカレンの左手には、一本のウインナーが握られていた。
「え……」
エルザが顔を引きつらせる。
ガリッ。
カレンは自身の右手で持ったウインナーを豪快にかじると、もう片方の手を突き出したまま促した。
「食え」
「……はあ?全く」
エルザは渋々ウインナーを受け取ると、カレンに対抗するように豪快にかじりついた。
ガリッ。
「さて、腹ごしらえしたら昨日の続きをやるぞ。まだ誰かさんの『聖遺物』が山ほどあるからな」
ウインナーを咀嚼しながら、カレンが事務的に告げる。
「普通の言い方ができないのかしら?不愉快だわ」
ガリッ。
エルザも負けじと噛み砕く。
「言っておくが、今日はお前にも手伝ってもらう」
カレンが事もなげに告げる。
「……はあ!?聞き間違いよね!?私が?報酬は受け取ったんでしょ?アンタがやるべきでしょ!」
ガリッ!
咀嚼するエルザの眉間に青筋が浮かぶ。
「ここまでの量だと契約範囲外だ。だから不足分はお前の身体で払ってもらう。」
カレンは最後の一口を完食した。
「……!」
エルザもウインナーを完食し、朝から沸き上がる怒りに肩を震わせた。
◆ ◆ ◆
ガチャ…ガツ…ガチャ…
「次はこれだ。さっさと運びな」
カレンの現場監督さながらの指示が、埃の舞う室内に響く。エルザは口をへの字に曲げ、不満を垂れ流しながらも指示されたガラクタに手をかけた。
しばしの間、部屋には慌ただしい作業音と、主従の絶えない口論だけが充満した。
「ちょっと!私のペースでやらせなさいよ……!」
「
「……ッ、このツギハギ!!」
ガシッ!
エルザがカレンの腰にしがみつき、早くも取っ組み合いが始まる。
「大人しくしやがれ…!」
カレンは心底うざったそうにエルザをあしらうと、何事も無かったかのように自分の作業に戻った。
ガッ―――!
しかし、隙を突いたエルザが近くにあった聖遺物――壊れた彫刻の頭部――を掴む。
ガチンッ―――!
すかさずカレンの頭を力任せに殴打した。両手に別の聖遺物を抱えていたカレンは、避ける間もなく衝撃を食らう。衝撃で彫刻の後頭部が砕けて吹き飛んだ。
「……ッ、このガキ……!」
カレンの眉間に青筋が浮かぶ。
ガッ!
彼女は抱えていたものを床に置くと、エルザの腕を掴んで鮮やかに投げ飛ばした。
ドスンっ……!
「ぎゃっ…!」
普段のように椅子に着地させる慈悲はない。エルザは固い寄木張りの床に、乱暴に尻もちを搗いた。
「
エルザは尻もちを付いたまま、右拳を上に振り上げて挑発した。
「やってみろよ…!今度は床にその尻、埋めてやんよ」
床で怒鳴り散らすエルザに悪態を吐き、カレンは再び作業へと戻る。エルザもまた、吐き捨てるように毒づきながら、渋々といった様子で再びガラクタを運び始めた。
◆ ◆ ◆
部屋の隅に、少しずつ床の模様が見え始める。
エルザが、自分ひとりでは持て余しそうな巨大な聖遺物を、よたよたと不安定な足取りで運ぼうとしていた。
「おい!無理してひとりで持とうとするな。落として怪我するぞ」
両手で別の荷物を抱えたカレンが、脇から声をかける。
「うるっさいわね!……ぐ、大丈夫!できるから……ぐぬ!」
エルザの細い腕が限界を迎え、震える。
「……あっ」
スル、と聖遺物が彼女の手から滑り落ちた。
「……ちい!」
カレンが反射的に動いた。無意識に右腕に抱えていた荷物を無造作に放り出すと、右手を鋭く突き出した。
ガシッ!
「……っ!」
カレンの右手が、重量感のある聖遺物を空中で力強くキャッチした。息がかかるほどの至近距離で、カレンとエルザの視線が交錯する。
「……あっ」
不意な急接近にエルザが呆けたように声を漏らす。彼女の銀の瞳が濃い黒の瞳に染まっていく。
しかし、次の瞬間―――
ガツン……!
カレンが先ほど手放した自分の荷物が、彼女の右足小指に垂直に落下した。
「があ……!!」
カレンの顔が苦悶に歪み、目がカッと見開かれる。
「うおぉ!」
あまりの激痛に、左腕に抱えていた残りの物もガシャガシャと床に捨てた。
「チクショー!」
ダン!ダン!
カレンはエルザに背を向けると、妙に甲高い声で叫びながら、蟹股で激しく地団駄を踏み始めた。
ダン!ダン!
奇妙に小気味のよいリズムが、部屋中に響く。その滑稽な振る舞いは、ただ小指の痛みに悶える
「……どうしたの?あんた」
カレンのあまりの豹変ぶりに、エルザの思考が停止する。
「……くぅ!」
カレンは背中を丸め、プルプルと震えながら悶絶を続けていた。やがて、彼女は勢いよくエルザの方へ向き直る。
「……お嬢さんよ。あんたはそこに座ってな。後は私がやる」
右手の人差し指を突き立て、釘を刺すように言い放った。
「あんたとやってたら、私の指が無くなりかねねえからな……!」
カレンの目は、激痛と怒りで完全に据わっていた。
「……わかったわよ。あ、塗り薬ならあそこにあったわよ……たしか」
流石にその気迫に気圧されたエルザは、素直に引き下がり、部屋の隅を指し示した。