シュピーゲル 〜不眠の傭兵と猛毒の令嬢、17歳の暗殺事件〜   作:氏家まさら

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第二章:日常
【第9話】朝の毒見


 ガラガラガラ…。

 

 部屋の外からトレーカートを引く音と足音が近づいてくる。音はエルザの自室の入口で止まった。

 

 一瞬の静寂の後に扉がコンコン、とノックされる。

 

「失礼いたします。朝食をお持ちしました」

 

 赤髪の使用人(メイド)——アンが、扉が開くと同時に、トレーカートを引いて入室してきた。彼女は爽やかな笑みを浮かべたまま、事務的な手際でカートから机の上へと『朝食』を配膳していく。

 

 カチャ…カチャ…。

 

 並べられたのは、どす黒く粘つくスープ、岩のように硬い黒焦げのパン、そして誰かの唾液が混じったような濁った水。

 

 どろぉ……

 

「失礼いたしました」

 

 アンは優雅に一礼すると、カートを引いて部屋を後にした。

 

「……」

 

 カレンは机の上の皿を凝視した。鼻先が僅かにひきつる。

 

「年季おばさん、仕事よ。毒見をしなさい」

 

 エルザが表情を変えずにカレンに命じる。椅子に深く背を預け、余裕の態度を崩さない。

 

「……必要ない。毒だ」

 

 カレンは視線を逸らして即答した。

 

「前金は受け取ったでしょ?嫌とは言わせないわよ」

 

 エルザが机の黒焦げのパンを握りしめ、前方へ突き出した。

 

 ひゅんっ!

 

 まるで黒鉄(くろがね)棍棒(メイス)のような塊がカレンへと向けられる。エルザはどこかこの状況を楽しんでいるようだ。

 

「……はぁ」

 

 カレンは深く溜息をつき、左手でスープの皿を持ち上げた。

 

 むわぁ……。

 

「………っ…ぅ…!」

 

 眉間に深い皺が刻まれる。必死に表情を押し殺そうとするが、左手と喉元が拒絶に震えた。

 

 ズズ……。

 

 意を決して一口、流し込む。

 

「……」

 

 カレンの動きが数秒間、完全に停止した。頬を膨らませたまま、視線が泳ぐ。

 

「ブフォー!!」

 

 エルザと反対の方向へ、中身を盛大に吹き出した。

 

「あはははは!!」

 

 エルザが腹を抱えて爆笑する。カレンは身体を小刻みに痙攣させた。横を向いたまま、震える声で絞り出す。

 

「こいつは……。下町のドブの方がまだダシが効いてる……」

 

 カレンが実体験(?)に基づいた知見を活かし、本日のメニューを品評した。

 

 一方エルザは涙を拭いながら立ち上がり、丸椅子に座るカレンを高い位置から見下ろした。

 

「そんな軟弱な胃袋でよく生き残れたわね?」

 

 エルザが盛大な得意顔で告げた。

 

「へん。傭兵稼業は名コックが多いもんでね」

 

 カレンは意地を張って鼻で笑った。顔面にまだ苦悶の表情が残っている。

 

「それにしても、今日はいつもよりも露骨に()()だったわね。アンタ、あの赤髪《クソメイド》に何かしたの?随分歓迎されてるみたいじゃない」

 

 エルザが右手を自身の顎に添えて、皮肉った。

 

「けっ。知るかよ。ちょいと語彙力(ボキャブラリー)の乏しさを指摘してやっただけだ」

 

「へー」

 

 エルザが訝しむような視線をカレンに向けた。どうせ碌でもないことであろうと、既に察しているような冷めた表情だ。

 

「それにしても……こんな毒物を常用しても死なない不感症さだけは褒めてやるよ」

 

 カレンは、この毒物を常用するエルザの異常な耐性に呆れたような口調で吐き捨てた。

 

「年季が違うのよぉ。おばさぁん」

 

 エルザが口角を吊り上げ、邪悪な表情でカレンを見下ろした。

 

「……なあ。聖母(ほとけ)の顔は何度目までだったかなぁ?青二才(クソガキ)さぁん」

 

 カレンが鉄壁の営業スマイルを浮かべた。表情筋が激しく波打ち、額には太い青筋が浮かんでいた。

 

 

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