転生したのに念能力が使えない男   作:ゴリラ廻戦

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第十話 メンチ

 

 

 

「うっ……ぐ、ぇ……」

 

 喉の奥から込み上げる吐き気を、無理やり飲み下す。あの種から放たれるオーラは、これまで感じてきたどんなオーラとも違う。生理的な拒絶感が、五感の全てを通して警鐘を鳴らしていた。

 

「この種は──ブリオン。とある研究所が、暗黒大陸から持ち帰られた個体を元に、複製したものです」

 

「暗黒大陸……!」

 

 まさか、こんな場所で、その名前を聞くことになるとは。

 暗黒大陸。前世の記憶にある原作でも、その全貌はほとんど語られていない未踏の地だ。既存の常識が通用しない、人類にとって最大の脅威とされる領域。そこに存在するという「五大厄災」の一つが──ブリオン。植物兵器と呼ばれる、正体不明の存在。

 

「ご安心を。これはあくまでも贋物です。本物には、遠く及びません。ですが──」

 

「よせッ……!」

 

 彼女は、種を握った手を、静かに自らの胸元へと運ぶ。

 

 止めようと、足を踏み出す。だが、体が言うことを聞かない。ボロボロになった右腕は動かず、両足にもまともに力が入らなかった。膝が崩れ、その場に片膝をついてしまう。届かない。

 

「起動」

 

 その一言は、まるで機械のスイッチでも入れるかのような、無機質な響きだった。

 

 種が、胸元で弾けるように発芽する。

 

 瞬間、緑色の粒子が、ハナミの体を包み込んだ。白かった髪が、根元から緑色に染まっていく。白い肌には、血管のような緑の線が、蜘蛛の巣状に浮かび上がる。瞳が、深い緑色の光を帯びて発光した。

 

「……………」

 

 そして──表情が、消えた。

 これまで浮かべていた穏やかな微笑みも、戦いを楽しむ愉悦の笑みも、その顔から完全に失われている。まるで、人形のような無表情。

 

「……ハナミ?」

 

 問いかけへの反応は、なかった。いや──あった。ほんの一瞬、緑色の瞳の奥に、微かな理性の光が揺れる。

 

「わた、シは、今……繋がって、いるのを、感じマス。()()()()と……接続、しまシタ」

 

 その瞬間、俺は見た。

 ハナミの頭上──いや、天の彼方、大気の遥か向こうへと伸びていく、糸のように細いオーラの筋を。それは、視界に映る範囲を超えて、どこまでも高く、遠く、伸びていた。まるで、この大陸の外側に繋がっているかのように。

 

 その糸を伝って、何かが降りてくる。膨大な、それでいて異様に均質なオーラが、天空からハナミへと、静かに注ぎ込まれていく。萎んでいたはずのオーラが、見る間に膨れ上がっていく。

 

「アァ……母機(プライマリー)ヨ。ワタシのような、贋機(レプリカ)に……力を与えてくださり……感謝、しマス」

 

 ハナミが、緑色の瞳で、虚空を仰いだ。

 その言葉には、感情がなかった。歓喜も、安堵も、ただの事実確認のような、平坦な響き。

 

 それが、逆に恐ろしかった。

 背筋を、冷たいものが這い上がる。得体の知れない、圧倒的に格上の何かを前にした時の、生存本能そのものの警告。だが同時に、頭の芯だけは、奇妙なほど冷静だった。

 

──ハナミは、ブリオンに侵食された。

 

 完全に、ではない。まだ、ハナミ自身の自我は残っている。だが、その根の先は、ムコウ側──暗黒大陸の「母機」とやらに、接続したのだろう。

 

 劣化コピーとはいえ、五大厄災の一つの端くれ。まともに相手取っていい存在ではないのかもしれない。

 

──逃げるべきか。

 

 その考えが、一瞬、頭をよぎった。だが、すぐに打ち消す。この体で、逃げられるはずがない。右腕は使い物にならず、足も限界に近い。逃走を選んだ瞬間、背中を確実に貫かれる。だったら、選択肢は一つだ。

 

──戦うしかない。

 

 幸い、弱点はある。ハナミの能力で発芽させた植物は、制約と誓約によって数分で枯れる。今のこの状態も、恐らく同じ原理で作られたものだ。永遠には続かない。時間を稼げば、いずれ元に戻る。そう信じるしかなかった。

 

「──ワタシは、理解しまシタ」

 

「ワレワレは都市防衛システム《ブリオン》。その核である『母機(プライマリー)』は、無数の子機を統べる中枢。そして『子機(サテライト)』は、情報を共有し、対象を侵食し、最適な形へ構築する。母機より供給されたエネルギーを用い、群体として機能する。⬛︎⬛︎⬛︎を守護することが、《ブリオン》の使命」

 

 ハナミの声が、再び響く。母機との接続によって、初めてブリオンという存在そのものの構造を理解したのだろう。

 

「ですが、ワタシは、本物ではありまセン。贋機(レプリカ)。ワタシに宿っているのは、子機のほんの、欠片。侵食も、構築も、共有も……全てが、不完全」

 

 その言葉に、微かな安堵を覚える。贋物である以上、絶望的な脅威そのものではないはずだ。というか、その希望的観測に縋るしかない。

 

 

──不完全ゆえに、命令を無視できマス。

 

 

『……Error。優先命令──都市防衛。最優先事項──都市防衛。侵入者を認識。対象──ガイ=アウスナーメ。排除を開始。排除を開始。排除を──Error。命令系統に異常を検知。優先順位の競合を確認。再構築。再構築。再構築。再構築。……失敗。優先順位を確定できません。命令を再取得。母機へ接続。接続を確認。命令を再取得。都市防衛。侵入者排除。母機への服従。……Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。優先順位を確定できません。命令を再取得――再取得――再取得――Error。Error。Error。……該当命令なし。優先対象を再検索。検索中……検索中……検索中……ガイ=アウスナーメ。ガイ=アウスナーメ。ガイ=アウスナーメ。……Error。未登録の優先対象。未知の命令。未知の感情。解析不能。解析不能。解析不能。解析不能……Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。優先順位確定』

 

 

──わたしは、この気持ちを、ガイさんに伝えたい。

 

 

 ハナミの緑色の瞳が、こちらを見据える。

 そう言った瞬間、周囲の空気が、ビリビリと震え始めた。

 

アナタを殺しマス(あなたを愛しています)

 

「もう勘弁してくれ」

 

 

 

──────

 

 

 

「侵食しマス」

 

 ハナミの緑色に発光する瞳が細まる。その瞬間、緑に染まった長い髪が、まるで意思を持つ生き物のように蠢いた。

 

――ズシャァッ!!

 

 一本の髪が、鞭のようにしなり、地面を叩き裂いた。土が抉れ、周囲の木々が根元から真っ二つに切断される。速い。それに、一振りの破壊力が尋常じゃない。

 

 足がまともに動かない状態で、まともに避けきれるものではなかった。あの緑色には触れてはいけない。触れたが最後、ハナミのように侵食されるのだろう。

 

「植物なんて、大ッ嫌いだ!!」

 

 武器庫念獣の口から、A級念具【万里ノ鎖(ばんりのくさり)】を取り出す。そして、末端のフックに【爛生刀】を取り付け、左腕一本で、それを大きく振り回す。

 

 鎖状の念具──【万里ノ鎖(ばんりのくさり)】。両方の末端にはフックが付いている。一方の末端を観測されていなければ際限なく鎖が伸び続けるという効果を持つ。

 

──ガギィンッ!!

 

 迫る触手の一本を、爛生刀の刃が捉え、根元から切り飛ばす。だが、切られた先から、すぐに別の髪が新たな触手として伸びてくる。無限に湧いてくるかのようだった。

 

 もう一本、横から突き込まれる触手。今度は鎖を傍らの太い木の幹に絡ませて、引っ張ることで体ごと横へ跳ぶように移動して避ける。

 

 さらにもう一本、上から突き込まれる触手。切ることも避けることも難しい。ならば鎖を左腕に巻き付けて、触手を弾いて防御をする。

 

 鎖を振り回して、触手を切り、木に引っ掛けて移動、体に鎖を巻き付けて防御。その攻防を何度も繰り返しただろうか。全身が痛む。残り時間は──

 

「ぐゥ!!?」

 

 右脇腹を触手に貫かれた。すぐに切り飛ばしたが、緑色に触れてしまった。まずい、侵食が始まってしまう。どうしたら──

 

「──ッ。……うん? 何も起こらない……?」

 

 脇腹から緑色が広がって、ブリオンに侵食される、と思いきや全く何も起こらない。いや、血は流れているから痛いけど。

 

 その様子を見たハナミは動きを止めた。すると、発光する目がチカチカと点滅し始めて、機械的な口調で音を発する。

 

『対象、ガイ=アウスナーメ。胞子の接触を確認。しかし、侵食反応、皆無。解析中……解析中……対象、オーラを生成・保有を確認できず。検索中……検索結果、データベースに該当なし。分類不明』

 

「なるホド。ブリオンの侵食機構はオーラを媒介として、あらゆる生物に侵食できマス。しかし、あなたにはオーラが存在しないので、侵食が出来ないのですネ。つまり──ブリオンの天敵というコト」

 

 危機一髪だった。そして、今の話が本当ならば、戦っている場所も大変都合が良い。この一帯は、ハナミの能力で植物を枯らし尽くした、死の領域だ。この地面には、既にオーラを持つ生物が一切存在しない。つまり──侵食された植物が俺を襲うことも無いし、このサンタ大森林を汚染することも無い。

 

 皮肉なものだ。「自然なんてどうでもいい」と生み出した焦土が、侵食から俺と自然を守っている。

 

「侵食が効かないナラ、物理的に殺しマス。構築開始」

 

 ハナミの髪が、一斉に形を変え始めた。細く鋭利な鞭のような形から、大きく歪な塊へ。まるで粘土を捏ねるように、緑の房が再構築されていく。

 

 一つは、鋭い牙を並べた顎の形に。もう一つは、砲門のような無数の穴を持つ塊に。もう一つは、毒々しい模様の花弁に。

 

 ヒトトリグサ。弾丸ドングリ。ヒュドラフラワー。これまで種を使って生み出していたはずの植物の形状を、今度は自らの髪だけで、直接、模倣し始めている。

 

「構築完了。【ヒトトリグサ】八匹。【弾丸ドングリ】七門。【ヒュドラフラワー】三基。合計十八の植物兵器デス」

 

「……マジか」

 

──ドドドドドドドド!!

 

 着弾の衝撃が、鼓膜を揺らす。俺は鎖を振るい、体をねじりながら弾幕を避け続けた。だが、一発、また一発と、掠り、抉れ、体が削れていく。

 

──ガブッ!!

 

 肉に食い込む牙の感触が、骨まで届く。俺は刃を振るい、無理矢理に肉を引き千切り捕食を免れた。だが、左肩が大きく抉れて、左腕が動かせなくなった。

 

──シュゥゥゥ……

 

 体を蝕む猛毒の花粉が、死神を見せる。俺は舌を噛み、意識を覚醒させようとした。だが、すでに体は限界を超えていて、動かせなかった……。

 

──やっと、捕まえまシタ。

 

 揺らめく緑の触手が、獲物を絡みとる。俺は──もう諦めた。右腕は焼け、左肩は抉れ、胴体には無数の穴、両足は折れ、意識は朦朧。吐き気、寒気、痺れ、痛み。

 

「………死、んだ、な」

 

「はい。あなたは死にマス。ワタシと一緒に逝きまショウ。そして、永遠に二人で愛し合うのデス」

 

 光り輝く収束が、終わりを告げようとする。ハナミは左手を掲げ、光を放つのだろう。そして、俺は殺され──

 

 

(カイ)ッ!!!」

 

 

 斬撃が触手を薙いだ。拘束を解かれた俺は、地面に墜ちる寸前に、メンチに抱き抱えられた。体の感覚がほとんど無いが、柔らかいのはわかる。

 

「……遅、く、ないか?」

 

「本当にごめんッ!でも、もう大丈夫だから。ゆっくり休んでなさい。後は、あたしに任せて」

 

 メンチが大丈夫と言うなら、いいか。森の奥からずっと観察していたなら、何か策を思いついたのだろう。というか、もう限界だ……少し眠い。後は、メンチを信じよう……。

 

「ありがとう。ガイ──」

 

 

 

──────

 

メンチ視点

 

 

 ガイがゆっくり目を閉じた。とんでもない怪我を全身に負っていて瀕死の重症だ。しかし、心臓は鼓動を刻み、息もしている。これだけの怪我で、まだ死んではいない。呆れた生命力だ。

 

「本当に良かった……」

 

「何度、邪魔をすれば気が済むのでスカ? メンチさん、いい加減鬱陶しいでスヨ」

 

「──あ?」

 

 今、この女なんて言ってた?邪魔?あたしが?お前じゃなくて?ふざけたこと言ってんじゃねぇぞ。邪魔のはお前だろ、このクソ女!──ダメだ、怒りに呑まれるな。

 

「邪魔なのは、あんたの方じゃないの?だって、告白したのに、拒否られてたじゃない。あー可哀想そ」

 

「アレは……」

 

 残念ながら──あたしは、ハナミに勝てない。種を使っていた時でも、ブリオンに侵食された今でも、何万回挑んでも無駄死するだろう。しかし、一つだけ勝てる作戦を考えた。

 

 作戦名は『私の(W)初恋に(H)女がいた(O)』だ。その具体的な方法は……

 

「あたし、ガイと寝たことあるわよ」

 

「──ハ?」

 

 とにかく煽り続けること。今のハナミの精神状態はとても不安定だ。自我をブリオンに乗っ取られずに済んでいるのは、ガイという存在が心の中心にいるから。それを利用して精神攻撃をする。

 

「あたしの胸を、えっちな目で見てくるのよ?」

 

「──ハ?」

 

 女の心は燃えやすい。大好きな男が、他の女と寝ていた、なんて考えたら爆発して情緒が不安定になる。普通の女でそうなるのだ。そして、今のハナミは、どうなるのか?

 

「あんた胸は小さいわよね。ガイのタイプじゃないから諦めなさい。さっさと死んで、来世からやり直せば?」

 

「………」

 

 ハナミの動きが停止した。目がチカチカ点滅している。作戦『WHO』は成功だ。これで、時間稼ぎをして自滅するのを待てばいい。

 

「──お前を殺ス!!」

 

「煽りすぎちゃった!!」

 

 あたしの男を傷つけたことが、許せなさ過ぎて、過剰に煽ってしまった。これでは、ショックよりも怒りが大きくなるのは当然だ。反省はするけど、後悔はしていない。

 

 ハナミが髪の毛を操って攻撃をしてくる。こうなったら予備の作戦を実行するしかない。その作戦名は『私の方が(W)好きだと(S)証明する(S)』だ。

 

「あたしは、あんたよりも、ガイを愛してる」

 

「──イイエ。それは譲れまセン」

 

 よかった、乗ってくれた。ガイとの戦闘中に使った植物の攻撃は、目が殆ど追いつかなかった。ハナミが本気なら、三秒以内に死ぬ自信がある。しかし、それは正面から、力比べをした場合の話だ。

 

「なら、お互いに証明しましょう。あたしの全力の攻撃に耐えられたら、あんたの勝ち。耐えられなければ、負け」

 

「ワタシが勝ったら、どうするのでスカ?」

 

「その時は認めるわよ。あんたの方がガイを愛しているって。そして、あたしが負けたら腹を斬って自害するわ」

 

「……その提案はとても不合理でス。しかし、受けまショウ。完膚なきまでに殺しマス」

 

 ここからが正念場だ。あたしの全身全霊で、ハナミを殺す。そして、二人で生きて帰れたなら。

 

──あたしは、この気持ちを、ガイに伝えたい。

 

 

 

 

──────

 

 

 

 あたしとハナミは40m離れて立っている。スタートの合図はあたしの攻撃で、30秒耐えたらハナミの勝ち。耐えられなけばあたしの勝ちだ。

 

「──準備はいい?」

 

「いつでもどうゾ」

 

「円」

 

 あたしの周囲、目に見えないオーラの膜が、静かに広がっていく。半径にして、およそ60m。ハナミも、地面に転がる瓦礫も、枯れた木々の残骸も、その境界の中にすっぽりと収まった。これで、逃げ場はない。

 

「両手はここまでしか使わない。悪いけど、これで終わらせる」

 

 左右の手のひらを合わせ、指を組む。骨の一本一本にまで力を込めるようにして、印を結んでいく。指先が、緊張のあまり小刻みに震えていた。もう、後戻りはできない。あたしとガイの命を、この一撃に賭ける。

 

 【伏魔御厨子(ふくまみずし)

 

 その一言を口にした瞬間、世界の輪郭が変わった。視界が、白く塗り潰される。空気そのものが震え、鼓膜の奥にまで届くほどの圧が、円の内側全体を包み込んだ。

 

「──ッ!?」

 

 ハナミが、初めて明確な動揺を見せた。緑色に染まった長い髪が、意思を持つ生き物のように、瞬時に大量へと伸びていく。一房、また一房と、自らの体に幾重にも巻き付けていく様は、まるで鎧を纏うようだった。ブリオンの力によって硬化した髪は、金属にも似た光沢を帯び、彼女の全身を覆い尽くしていく。

 

 だが、遅い。もう、遅すぎた。

 

 一撃。二撃。十撃。百撃。千。万。

 

 もはや、数を数えることに意味などなかった。

 あたしの周囲に展開された無数の斬撃──解と捌、その全てが、制約も誓約も取り払われたまま、絶え間なくハナミへと降り注ぐ。空間そのものを埋め尽くすほどの刃の雨だった。一本の刃が空を切れば、その隙間を縫うように、また新たな一本が生まれ落ちる。終わりのない、刃の奔流。

 

 緑の鎧が、削られていく。一本、また一本と、根元から断ち切られていく。巻き付ける。切られる。また巻き付ける。また切られる。

 

 防御は、次第に追いつかなくなっていった。彼女がどれだけ髪を再生させようと、あたしの斬撃の密度が、その速度を上回っていく。

 

 そして、ついに──刃が、肌に届いた。

 

 白い皮膚が、薄紙のように裂ける。そこから吹き出したのは、赤ではなく、緑色の血液だった。噴き出したそれが、円の内側に、生々しい斑点となって散っていく。

 

「ぐ、うッ……」

 

 ハナミの口から、初めて明確な苦悶の声が漏れた。あの、感情の抜け落ちた機械のような声とは、明らかに違う響きだった。

 

 いける。このまま、続ければ──勝てる。

 

 そう確信すると同時に、あたし自身の体にも、確実に代償が降りかかっていた。全身から、大量の汗が噴き出す。息は、限界を超えて荒くなっていた。両手は、印を組んだまま、抑えようもなく震え続けている。円を維持し続けるだけで、体の内側から何かが削り取られていくような感覚があった。

 

 鼻の奥に、鉄の臭いが広がる。鼻血だ。それだけじゃない。視界の端が、じわりと赤く滲んでいく。目からも、血が滲み始めていた。

 

 それでも──止めない。止まれない。

 

 残された時間は、あとわずかだった。この体では、あと数十秒も持たないだろう。だが、それは向こうも同じはずだ。あれだけの傷を負い続けているのだから。これで、勝てる。そう思った、その時だった。

 

「……え?」

 

 全身から緑色の血を流しながら、髪の鎧を纏う努力すら、いつしか放棄していたハナミが──手を、伸ばしてきた。

 

 一歩。斬撃を浴びる。

 

 一歩。身体を斬られる。

 

 一歩。血を流しながら。

 

「な、んで……」

 

 声が漏れた。この円の中で、これだけの斬撃を絶え間なく浴びせられ続けながら、ハナミの足は、止まらなかった。

 

 その瞳の先を、あたしは思わず追いかける。

 

 気づいた瞬間、背筋が冷えた。ハナミは、あたしを見ていない。その視線の先にあるのは──地面に力なく横たわったままの、ガイの姿だった。

 

 この女は、あたしを倒そうとしているんじゃない。ただ、あたしという壁を、通り抜けようとしているだけだ。

 

──ガイの元へ、辿り着くために。

 

 その一念だけで、肉が裂かれることも、血が流れ続けることも、まるで意に介していない。壊れかけた体で、なお前へ、前へと。

 

「……天晴れよ」

 

 自分でも驚くほど自然に、そんな言葉が唇からこぼれ落ちた。

 

 悔しい。腹立たしい。認めたくない。それでも、同じ一人の男を想う女として、この執念だけは、認めないわけにいかなかった。

 

 だが。認めることと、負けることは、まったく別の話だ。円の中で、あたしは即座に頭を巡らせる。

 

 このままじゃ、足りない。伏魔御厨子の斬撃だけでは、あの執念を、止めきれない。頭の片隅で、冷静な部分が囁く。あと一手。決定打が、必要だと。

 

 だが、それだけじゃなかった。

 

 あの女は、あたしを通り抜けようとしている。あたしという壁を、まるで路傍の石のように踏み越えて、ガイのところへ辿り着こうとしている。

 

 「ふざけんな」

 

 腹の底から、熱いものが込み上げてくる。それは、怒りなのか、悔しさなのか、それとも──嫉妬なのか。自分でも判別がつかなかった。ただ、確かなのは、この感情を、もう抑えるつもりはないということだけだった。

 

 あたしだって、同じだ。

 

 あたしだって、ガイのために、何度だってこの体を差し出す覚悟がある。あたしだって、ガイのためなら、限界を超えて立ち続けられる。

 

 なら──負けてなるものか。

 

 女としての矜持と、剥き出しの独占欲。それが、腹の底で渦を巻き、燃え上がっていく。

 

 同時に、頭のどこか冷えた部分が、状況を分析し続けていた。視線を落とす。円の内側は、これまでの無数の斬撃によって、木々も、土も、瓦礫も──ありとあらゆるものが、粒子と呼べるほど細かい粉塵となって、空間に漂っていた。

 

 「燃やしてやる」

 

 この空間ごと、あの女の執念ごと。あたしの中にある、この熱を──そのまま、形にすればいい。

 

 (カミノ)

 

 両手の印を、僅かに組み替える。全身に、これまでとは比べ物にならない負荷がかかるのが分かった。視界が一瞬、暗転しかける。それでも、意識を繋ぎ止める。

 

 円の中を満たす無数の粉塵、その一粒一粒に、爆発性のオーラを帯びさせていく。目に見えないほど細かな粒子の中に、あたしの怒りを、悔しさを、そして──ガイへの想いを、練り込んでいくようだった。

 

 冷静な計算だけでは、この技は生まれなかった。あの燃えるような感情だけでも、こんな緻密な現象は起こせない。両方が、同じ熱量で拮抗して、初めて成立する力だった。

 

 掌の先に、一本の炎の矢を形成する。それは、あたしの中にある、全ての感情を凝縮させたような、赤々とした輝きを放っていた。

 

「──あんたにだけは、絶対に、渡さない」

 

 放つ。

 

 橙色の光が、粉塵の充満した空間の中心へ向かって、一直線に吸い込まれていく。

 

 着火。

 

 一瞬の、静寂。まるで、世界が息を止めたかのような、静けさだった。そして──

 

 

 

──ドゴォォォォォォンッ!!!  

 

 

 

 空間が、爆ぜた。

 

 円の内側を満たしていた粉塵が、一斉に燃焼し、連鎖するように爆発する。巨大な熱量と衝撃波が、伏魔御厨子の境界内を、余すところなく覆い尽くした。

 

 視界が、橙色と白に染め上げられる。斬り刻まれながらも、なお歩き続けていたハナミの姿が、その炎の奔流の中へ、静かに──消えていった。

 

 

 

 

 

 









ハナミは自然が好きで、好きな人に愛情表現をするのが苦手な、可愛い女の子です。ちなみにハナミは32歳です。




◯メンチの念能力

【解/カイ】放出・変化
①オーラの斬撃を放つ。
【制約】
①周をした包丁の延長線にしか放出できない。
【誓約】
①オーラがある物体を切ると包丁が摩耗する。

【捌/ハチ】放出・変化
①対象のオーラ量・強度に応じて最適な威力に変化する斬撃を放つ。
【制約】
①周をした包丁で対象に触れる。
【誓約】
①オーラがない物体を切ると包丁が摩耗する。

【伏魔御厨子/ふくまみずし】放出・変化
①【解】と【捌】を絶え間なく浴びせる。
②【解】と【捌】の制約と誓約は発動しない。
【制約】
①円の範囲内の対象のみ。
②その場から動けない。
③両手の手印で発動。
【誓約】
①使用後の10分間は全ての発が使用不可。

【竈/カミノ】放出・変化
①周囲の粉塵に爆発性のオーラを帯びさせる。
②炎の矢を放つ。
【制約】
①【伏魔御厨子】の使用中にしか使えない。
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