転生したのに念能力が使えない男 作:ゴリラ廻戦
「うっ……ぐ、ぇ……」
喉の奥から込み上げる吐き気を、無理やり飲み下す。あの種から放たれるオーラは、これまで感じてきたどんなオーラとも違う。生理的な拒絶感が、五感の全てを通して警鐘を鳴らしていた。
「この種は──ブリオン。とある研究所が、暗黒大陸から持ち帰られた個体を元に、複製したものです」
「暗黒大陸……!」
まさか、こんな場所で、その名前を聞くことになるとは。
暗黒大陸。前世の記憶にある原作でも、その全貌はほとんど語られていない未踏の地だ。既存の常識が通用しない、人類にとって最大の脅威とされる領域。そこに存在するという「五大厄災」の一つが──ブリオン。植物兵器と呼ばれる、正体不明の存在。
「ご安心を。これはあくまでも贋物です。本物には、遠く及びません。ですが──」
「よせッ……!」
彼女は、種を握った手を、静かに自らの胸元へと運ぶ。
止めようと、足を踏み出す。だが、体が言うことを聞かない。ボロボロになった右腕は動かず、両足にもまともに力が入らなかった。膝が崩れ、その場に片膝をついてしまう。届かない。
「起動」
その一言は、まるで機械のスイッチでも入れるかのような、無機質な響きだった。
種が、胸元で弾けるように発芽する。
瞬間、緑色の粒子が、ハナミの体を包み込んだ。白かった髪が、根元から緑色に染まっていく。白い肌には、血管のような緑の線が、蜘蛛の巣状に浮かび上がる。瞳が、深い緑色の光を帯びて発光した。
「……………」
そして──表情が、消えた。
これまで浮かべていた穏やかな微笑みも、戦いを楽しむ愉悦の笑みも、その顔から完全に失われている。まるで、人形のような無表情。
「……ハナミ?」
問いかけへの反応は、なかった。いや──あった。ほんの一瞬、緑色の瞳の奥に、微かな理性の光が揺れる。
「わた、シは、今……繋がって、いるのを、感じマス。
その瞬間、俺は見た。
ハナミの頭上──いや、天の彼方、大気の遥か向こうへと伸びていく、糸のように細いオーラの筋を。それは、視界に映る範囲を超えて、どこまでも高く、遠く、伸びていた。まるで、この大陸の外側に繋がっているかのように。
その糸を伝って、何かが降りてくる。膨大な、それでいて異様に均質なオーラが、天空からハナミへと、静かに注ぎ込まれていく。萎んでいたはずのオーラが、見る間に膨れ上がっていく。
「アァ……
ハナミが、緑色の瞳で、虚空を仰いだ。
その言葉には、感情がなかった。歓喜も、安堵も、ただの事実確認のような、平坦な響き。
それが、逆に恐ろしかった。
背筋を、冷たいものが這い上がる。得体の知れない、圧倒的に格上の何かを前にした時の、生存本能そのものの警告。だが同時に、頭の芯だけは、奇妙なほど冷静だった。
──ハナミは、ブリオンに侵食された。
完全に、ではない。まだ、ハナミ自身の自我は残っている。だが、その根の先は、ムコウ側──暗黒大陸の「母機」とやらに、接続したのだろう。
劣化コピーとはいえ、五大厄災の一つの端くれ。まともに相手取っていい存在ではないのかもしれない。
──逃げるべきか。
その考えが、一瞬、頭をよぎった。だが、すぐに打ち消す。この体で、逃げられるはずがない。右腕は使い物にならず、足も限界に近い。逃走を選んだ瞬間、背中を確実に貫かれる。だったら、選択肢は一つだ。
──戦うしかない。
幸い、弱点はある。ハナミの能力で発芽させた植物は、制約と誓約によって数分で枯れる。今のこの状態も、恐らく同じ原理で作られたものだ。永遠には続かない。時間を稼げば、いずれ元に戻る。そう信じるしかなかった。
「──ワタシは、理解しまシタ」
「ワレワレは都市防衛システム《ブリオン》。その核である『
ハナミの声が、再び響く。母機との接続によって、初めてブリオンという存在そのものの構造を理解したのだろう。
「ですが、ワタシは、本物ではありまセン。
その言葉に、微かな安堵を覚える。贋物である以上、絶望的な脅威そのものではないはずだ。というか、その希望的観測に縋るしかない。
──不完全ゆえに、命令を無視できマス。
『……Error。優先命令──都市防衛。最優先事項──都市防衛。侵入者を認識。対象──ガイ=アウスナーメ。排除を開始。排除を開始。排除を──Error。命令系統に異常を検知。優先順位の競合を確認。再構築。再構築。再構築。再構築。……失敗。優先順位を確定できません。命令を再取得。母機へ接続。接続を確認。命令を再取得。都市防衛。侵入者排除。母機への服従。……Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。優先順位を確定できません。命令を再取得――再取得――再取得――Error。Error。Error。……該当命令なし。優先対象を再検索。検索中……検索中……検索中……ガイ=アウスナーメ。ガイ=アウスナーメ。ガイ=アウスナーメ。……Error。未登録の優先対象。未知の命令。未知の感情。解析不能。解析不能。解析不能。解析不能……Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。Error。優先順位確定』
──わたしは、この気持ちを、ガイさんに伝えたい。
ハナミの緑色の瞳が、こちらを見据える。
そう言った瞬間、周囲の空気が、ビリビリと震え始めた。
「
「もう勘弁してくれ」
──────
「侵食しマス」
ハナミの緑色に発光する瞳が細まる。その瞬間、緑に染まった長い髪が、まるで意思を持つ生き物のように蠢いた。
――ズシャァッ!!
一本の髪が、鞭のようにしなり、地面を叩き裂いた。土が抉れ、周囲の木々が根元から真っ二つに切断される。速い。それに、一振りの破壊力が尋常じゃない。
足がまともに動かない状態で、まともに避けきれるものではなかった。あの緑色には触れてはいけない。触れたが最後、ハナミのように侵食されるのだろう。
「植物なんて、大ッ嫌いだ!!」
武器庫念獣の口から、A級念具【
鎖状の念具──【
──ガギィンッ!!
迫る触手の一本を、爛生刀の刃が捉え、根元から切り飛ばす。だが、切られた先から、すぐに別の髪が新たな触手として伸びてくる。無限に湧いてくるかのようだった。
もう一本、横から突き込まれる触手。今度は鎖を傍らの太い木の幹に絡ませて、引っ張ることで体ごと横へ跳ぶように移動して避ける。
さらにもう一本、上から突き込まれる触手。切ることも避けることも難しい。ならば鎖を左腕に巻き付けて、触手を弾いて防御をする。
鎖を振り回して、触手を切り、木に引っ掛けて移動、体に鎖を巻き付けて防御。その攻防を何度も繰り返しただろうか。全身が痛む。残り時間は──
「ぐゥ!!?」
右脇腹を触手に貫かれた。すぐに切り飛ばしたが、緑色に触れてしまった。まずい、侵食が始まってしまう。どうしたら──
「──ッ。……うん? 何も起こらない……?」
脇腹から緑色が広がって、ブリオンに侵食される、と思いきや全く何も起こらない。いや、血は流れているから痛いけど。
その様子を見たハナミは動きを止めた。すると、発光する目がチカチカと点滅し始めて、機械的な口調で音を発する。
『対象、ガイ=アウスナーメ。胞子の接触を確認。しかし、侵食反応、皆無。解析中……解析中……対象、オーラを生成・保有を確認できず。検索中……検索結果、データベースに該当なし。分類不明』
「なるホド。ブリオンの侵食機構はオーラを媒介として、あらゆる生物に侵食できマス。しかし、あなたにはオーラが存在しないので、侵食が出来ないのですネ。つまり──ブリオンの天敵というコト」
危機一髪だった。そして、今の話が本当ならば、戦っている場所も大変都合が良い。この一帯は、ハナミの能力で植物を枯らし尽くした、死の領域だ。この地面には、既にオーラを持つ生物が一切存在しない。つまり──侵食された植物が俺を襲うことも無いし、このサンタ大森林を汚染することも無い。
皮肉なものだ。「自然なんてどうでもいい」と生み出した焦土が、侵食から俺と自然を守っている。
「侵食が効かないナラ、物理的に殺しマス。構築開始」
ハナミの髪が、一斉に形を変え始めた。細く鋭利な鞭のような形から、大きく歪な塊へ。まるで粘土を捏ねるように、緑の房が再構築されていく。
一つは、鋭い牙を並べた顎の形に。もう一つは、砲門のような無数の穴を持つ塊に。もう一つは、毒々しい模様の花弁に。
ヒトトリグサ。弾丸ドングリ。ヒュドラフラワー。これまで種を使って生み出していたはずの植物の形状を、今度は自らの髪だけで、直接、模倣し始めている。
「構築完了。【ヒトトリグサ】八匹。【弾丸ドングリ】七門。【ヒュドラフラワー】三基。合計十八の植物兵器デス」
「……マジか」
──ドドドドドドドド!!
着弾の衝撃が、鼓膜を揺らす。俺は鎖を振るい、体をねじりながら弾幕を避け続けた。だが、一発、また一発と、掠り、抉れ、体が削れていく。
──ガブッ!!
肉に食い込む牙の感触が、骨まで届く。俺は刃を振るい、無理矢理に肉を引き千切り捕食を免れた。だが、左肩が大きく抉れて、左腕が動かせなくなった。
──シュゥゥゥ……
体を蝕む猛毒の花粉が、死神を見せる。俺は舌を噛み、意識を覚醒させようとした。だが、すでに体は限界を超えていて、動かせなかった……。
──やっと、捕まえまシタ。
揺らめく緑の触手が、獲物を絡みとる。俺は──もう諦めた。右腕は焼け、左肩は抉れ、胴体には無数の穴、両足は折れ、意識は朦朧。吐き気、寒気、痺れ、痛み。
「………死、んだ、な」
「はい。あなたは死にマス。ワタシと一緒に逝きまショウ。そして、永遠に二人で愛し合うのデス」
光り輝く収束が、終わりを告げようとする。ハナミは左手を掲げ、光を放つのだろう。そして、俺は殺され──
「
斬撃が触手を薙いだ。拘束を解かれた俺は、地面に墜ちる寸前に、メンチに抱き抱えられた。体の感覚がほとんど無いが、柔らかいのはわかる。
「……遅、く、ないか?」
「本当にごめんッ!でも、もう大丈夫だから。ゆっくり休んでなさい。後は、あたしに任せて」
メンチが大丈夫と言うなら、いいか。森の奥からずっと観察していたなら、何か策を思いついたのだろう。というか、もう限界だ……少し眠い。後は、メンチを信じよう……。
「ありがとう。ガイ──」
──────
メンチ視点
ガイがゆっくり目を閉じた。とんでもない怪我を全身に負っていて瀕死の重症だ。しかし、心臓は鼓動を刻み、息もしている。これだけの怪我で、まだ死んではいない。呆れた生命力だ。
「本当に良かった……」
「何度、邪魔をすれば気が済むのでスカ? メンチさん、いい加減鬱陶しいでスヨ」
「──あ?」
今、この女なんて言ってた?邪魔?あたしが?お前じゃなくて?ふざけたこと言ってんじゃねぇぞ。邪魔のはお前だろ、このクソ女!──ダメだ、怒りに呑まれるな。
「邪魔なのは、あんたの方じゃないの?だって、告白したのに、拒否られてたじゃない。あー可哀想そ」
「アレは……」
残念ながら──あたしは、ハナミに勝てない。種を使っていた時でも、ブリオンに侵食された今でも、何万回挑んでも無駄死するだろう。しかし、一つだけ勝てる作戦を考えた。
作戦名は『
「あたし、ガイと寝たことあるわよ」
「──ハ?」
とにかく煽り続けること。今のハナミの精神状態はとても不安定だ。自我をブリオンに乗っ取られずに済んでいるのは、ガイという存在が心の中心にいるから。それを利用して精神攻撃をする。
「あたしの胸を、えっちな目で見てくるのよ?」
「──ハ?」
女の心は燃えやすい。大好きな男が、他の女と寝ていた、なんて考えたら爆発して情緒が不安定になる。普通の女でそうなるのだ。そして、今のハナミは、どうなるのか?
「あんた胸は小さいわよね。ガイのタイプじゃないから諦めなさい。さっさと死んで、来世からやり直せば?」
「………」
ハナミの動きが停止した。目がチカチカ点滅している。作戦『WHO』は成功だ。これで、時間稼ぎをして自滅するのを待てばいい。
「──お前を殺ス!!」
「煽りすぎちゃった!!」
あたしの男を傷つけたことが、許せなさ過ぎて、過剰に煽ってしまった。これでは、ショックよりも怒りが大きくなるのは当然だ。反省はするけど、後悔はしていない。
ハナミが髪の毛を操って攻撃をしてくる。こうなったら予備の作戦を実行するしかない。その作戦名は『
「あたしは、あんたよりも、ガイを愛してる」
「──イイエ。それは譲れまセン」
よかった、乗ってくれた。ガイとの戦闘中に使った植物の攻撃は、目が殆ど追いつかなかった。ハナミが本気なら、三秒以内に死ぬ自信がある。しかし、それは正面から、力比べをした場合の話だ。
「なら、お互いに証明しましょう。あたしの全力の攻撃に耐えられたら、あんたの勝ち。耐えられなければ、負け」
「ワタシが勝ったら、どうするのでスカ?」
「その時は認めるわよ。あんたの方がガイを愛しているって。そして、あたしが負けたら腹を斬って自害するわ」
「……その提案はとても不合理でス。しかし、受けまショウ。完膚なきまでに殺しマス」
ここからが正念場だ。あたしの全身全霊で、ハナミを殺す。そして、二人で生きて帰れたなら。
──あたしは、この気持ちを、ガイに伝えたい。
──────
あたしとハナミは40m離れて立っている。スタートの合図はあたしの攻撃で、30秒耐えたらハナミの勝ち。耐えられなけばあたしの勝ちだ。
「──準備はいい?」
「いつでもどうゾ」
「円」
あたしの周囲、目に見えないオーラの膜が、静かに広がっていく。半径にして、およそ60m。ハナミも、地面に転がる瓦礫も、枯れた木々の残骸も、その境界の中にすっぽりと収まった。これで、逃げ場はない。
「両手はここまでしか使わない。悪いけど、これで終わらせる」
左右の手のひらを合わせ、指を組む。骨の一本一本にまで力を込めるようにして、印を結んでいく。指先が、緊張のあまり小刻みに震えていた。もう、後戻りはできない。あたしとガイの命を、この一撃に賭ける。
【
その一言を口にした瞬間、世界の輪郭が変わった。視界が、白く塗り潰される。空気そのものが震え、鼓膜の奥にまで届くほどの圧が、円の内側全体を包み込んだ。
「──ッ!?」
ハナミが、初めて明確な動揺を見せた。緑色に染まった長い髪が、意思を持つ生き物のように、瞬時に大量へと伸びていく。一房、また一房と、自らの体に幾重にも巻き付けていく様は、まるで鎧を纏うようだった。ブリオンの力によって硬化した髪は、金属にも似た光沢を帯び、彼女の全身を覆い尽くしていく。
だが、遅い。もう、遅すぎた。
一撃。二撃。十撃。百撃。千。万。
もはや、数を数えることに意味などなかった。
あたしの周囲に展開された無数の斬撃──解と捌、その全てが、制約も誓約も取り払われたまま、絶え間なくハナミへと降り注ぐ。空間そのものを埋め尽くすほどの刃の雨だった。一本の刃が空を切れば、その隙間を縫うように、また新たな一本が生まれ落ちる。終わりのない、刃の奔流。
緑の鎧が、削られていく。一本、また一本と、根元から断ち切られていく。巻き付ける。切られる。また巻き付ける。また切られる。
防御は、次第に追いつかなくなっていった。彼女がどれだけ髪を再生させようと、あたしの斬撃の密度が、その速度を上回っていく。
そして、ついに──刃が、肌に届いた。
白い皮膚が、薄紙のように裂ける。そこから吹き出したのは、赤ではなく、緑色の血液だった。噴き出したそれが、円の内側に、生々しい斑点となって散っていく。
「ぐ、うッ……」
ハナミの口から、初めて明確な苦悶の声が漏れた。あの、感情の抜け落ちた機械のような声とは、明らかに違う響きだった。
いける。このまま、続ければ──勝てる。
そう確信すると同時に、あたし自身の体にも、確実に代償が降りかかっていた。全身から、大量の汗が噴き出す。息は、限界を超えて荒くなっていた。両手は、印を組んだまま、抑えようもなく震え続けている。円を維持し続けるだけで、体の内側から何かが削り取られていくような感覚があった。
鼻の奥に、鉄の臭いが広がる。鼻血だ。それだけじゃない。視界の端が、じわりと赤く滲んでいく。目からも、血が滲み始めていた。
それでも──止めない。止まれない。
残された時間は、あとわずかだった。この体では、あと数十秒も持たないだろう。だが、それは向こうも同じはずだ。あれだけの傷を負い続けているのだから。これで、勝てる。そう思った、その時だった。
「……え?」
全身から緑色の血を流しながら、髪の鎧を纏う努力すら、いつしか放棄していたハナミが──手を、伸ばしてきた。
一歩。斬撃を浴びる。
一歩。身体を斬られる。
一歩。血を流しながら。
「な、んで……」
声が漏れた。この円の中で、これだけの斬撃を絶え間なく浴びせられ続けながら、ハナミの足は、止まらなかった。
その瞳の先を、あたしは思わず追いかける。
気づいた瞬間、背筋が冷えた。ハナミは、あたしを見ていない。その視線の先にあるのは──地面に力なく横たわったままの、ガイの姿だった。
この女は、あたしを倒そうとしているんじゃない。ただ、あたしという壁を、通り抜けようとしているだけだ。
──ガイの元へ、辿り着くために。
その一念だけで、肉が裂かれることも、血が流れ続けることも、まるで意に介していない。壊れかけた体で、なお前へ、前へと。
「……天晴れよ」
自分でも驚くほど自然に、そんな言葉が唇からこぼれ落ちた。
悔しい。腹立たしい。認めたくない。それでも、同じ一人の男を想う女として、この執念だけは、認めないわけにいかなかった。
だが。認めることと、負けることは、まったく別の話だ。円の中で、あたしは即座に頭を巡らせる。
このままじゃ、足りない。伏魔御厨子の斬撃だけでは、あの執念を、止めきれない。頭の片隅で、冷静な部分が囁く。あと一手。決定打が、必要だと。
だが、それだけじゃなかった。
あの女は、あたしを通り抜けようとしている。あたしという壁を、まるで路傍の石のように踏み越えて、ガイのところへ辿り着こうとしている。
「ふざけんな」
腹の底から、熱いものが込み上げてくる。それは、怒りなのか、悔しさなのか、それとも──嫉妬なのか。自分でも判別がつかなかった。ただ、確かなのは、この感情を、もう抑えるつもりはないということだけだった。
あたしだって、同じだ。
あたしだって、ガイのために、何度だってこの体を差し出す覚悟がある。あたしだって、ガイのためなら、限界を超えて立ち続けられる。
なら──負けてなるものか。
女としての矜持と、剥き出しの独占欲。それが、腹の底で渦を巻き、燃え上がっていく。
同時に、頭のどこか冷えた部分が、状況を分析し続けていた。視線を落とす。円の内側は、これまでの無数の斬撃によって、木々も、土も、瓦礫も──ありとあらゆるものが、粒子と呼べるほど細かい粉塵となって、空間に漂っていた。
「燃やしてやる」
この空間ごと、あの女の執念ごと。あたしの中にある、この熱を──そのまま、形にすればいい。
【
両手の印を、僅かに組み替える。全身に、これまでとは比べ物にならない負荷がかかるのが分かった。視界が一瞬、暗転しかける。それでも、意識を繋ぎ止める。
円の中を満たす無数の粉塵、その一粒一粒に、爆発性のオーラを帯びさせていく。目に見えないほど細かな粒子の中に、あたしの怒りを、悔しさを、そして──ガイへの想いを、練り込んでいくようだった。
冷静な計算だけでは、この技は生まれなかった。あの燃えるような感情だけでも、こんな緻密な現象は起こせない。両方が、同じ熱量で拮抗して、初めて成立する力だった。
掌の先に、一本の炎の矢を形成する。それは、あたしの中にある、全ての感情を凝縮させたような、赤々とした輝きを放っていた。
「──あんたにだけは、絶対に、渡さない」
放つ。
橙色の光が、粉塵の充満した空間の中心へ向かって、一直線に吸い込まれていく。
着火。
一瞬の、静寂。まるで、世界が息を止めたかのような、静けさだった。そして──
──ドゴォォォォォォンッ!!!
空間が、爆ぜた。
円の内側を満たしていた粉塵が、一斉に燃焼し、連鎖するように爆発する。巨大な熱量と衝撃波が、伏魔御厨子の境界内を、余すところなく覆い尽くした。
視界が、橙色と白に染め上げられる。斬り刻まれながらも、なお歩き続けていたハナミの姿が、その炎の奔流の中へ、静かに──消えていった。
ハナミは自然が好きで、好きな人に愛情表現をするのが苦手な、可愛い女の子です。ちなみにハナミは32歳です。
◯メンチの念能力
【解/カイ】放出・変化
①オーラの斬撃を放つ。
【制約】
①周をした包丁の延長線にしか放出できない。
【誓約】
①オーラがある物体を切ると包丁が摩耗する。
【捌/ハチ】放出・変化
①対象のオーラ量・強度に応じて最適な威力に変化する斬撃を放つ。
【制約】
①周をした包丁で対象に触れる。
【誓約】
①オーラがない物体を切ると包丁が摩耗する。
【伏魔御厨子/ふくまみずし】放出・変化
①【解】と【捌】を絶え間なく浴びせる。
②【解】と【捌】の制約と誓約は発動しない。
【制約】
①円の範囲内の対象のみ。
②その場から動けない。
③両手の手印で発動。
【誓約】
①使用後の10分間は全ての発が使用不可。
【竈/カミノ】放出・変化
①周囲の粉塵に爆発性のオーラを帯びさせる。
②炎の矢を放つ。
【制約】
①【伏魔御厨子】の使用中にしか使えない。