『蒼』は荒野を駆ける   作:ぶっぱなす

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第十一話 あれは拾い物だな

街の門を出て、俺が最初にしたのは単車の速度を落とすことだった。

 

追う対象の轍を読むためだ。

 

門の外は砂に小石が混じっているので、重い車輪は必ず跡を残す。

車輪の幅は広い。

外側の輪が踏んだ石が、割れて新しい面を上に向けていた。

 

跡は北へ伸びて、そこで東へ折れていた。

斜面の上から見た通りだ、何一つ変わらない。

そこまで分かって、俺は速度を戻した。

風防の継ぎ目のところで、昼前の光が一度割れた。

 

追いつけるかどうかの計算は、もう終わっている。

親父がまだ川底に倒れているうちに終わっていた。

 

広い車輪は石には強い。

石には強いが、その代価として速くもない。

半日で追いつけると、そう判断した。

 

砂と、低い岩と、風で削れた廃車の骨。

どこまで行っても同じ景色が続いていて、進んでいるという感じがしない。

俺は対象の轍だけを見ていた。

景色を見ると、進んでいないと思ってしまうからだ。

 

ふと思い直し、懐に入っているものを俺は数え直した。

糸と針を一組、鉗子を二本、そして布の残りを半分、水は持っていない。

薬箱はミオの脇にあるからだ。

 

それと、銃が一挺あった。

 

俺の銃は診療所の壁に立てかけたままだ。

診療所の戸を出る時に掴んだのは、薬箱の方だった。

だから母さんたちを追うと決めて単車を出した時、俺は梁の上の木箱を下ろした。

 

油紙に包んだまま、そこに入れてあったものだ。

七つの夏にドグが俺に持たせて撃たせた、最初の一挺だった。

銃身の短い連発銃で、床尾が切ってある。

子供が構えられる長さに、あの人が自分で切った。

当然、今の俺には短い。

頬をつけると、目の位置が指一本ぶんずれる。

 

弾は七発あった。

 

六年前、あの人は俺の背丈に合わせて木を切った。

そして今朝、あの人は北門の土嚢の裏で死んだ、看取ってやることさえできていない。

俺は木箱の蓋を閉めなかった。

閉めている時間なんて、余裕なんてなかったからだ。

 

 

 

轍が乱れている場所に出たのは、日が傾き始めてからだ。

俺は単車を一度停めて、地面に膝をついた。

 

轍が六台分あった。

 

二台と四台だ。

二台の方は俺が追ってきたもので、幅が広い。

四台の方は幅が狭くて、そのうち一台の外側の輪が、角の欠けた跡を残していた。

 

五日前に俺が街の土の上で見た欠け方だ。

ここで合流していた。

合流して、荷を積み替えていたのだ。

 

地面に樽を下ろした丸い跡が三つあった。

人が降りて、また乗った足跡が重なっていた。

 

そして、そこから二つに分かれていた。

 

四台は東へと。

二台は北東へと。

 

俺は四台の轍の上に手を置いて地面の状態を確認する。

車軸から落ちた油の染みが、すでに乾いていた。

指で押しても何も上がってこない。

 

二台の方の染みは、まだ湿っていた。

 

時間にして半日近い差、そう四台は先に発っている。

この単車では、もう届かない距離に行ってしまっている。

どちらを追うべきか秤に載せるより先に、片方の皿が消えていた。

門の前で街が俺の手から秤を取り上げたのと、同じことがもう一度起きただけだ。

 

ただ、あの人はそれを知らない。

荷台の縁に腰を下ろして前を向いていた人は、俺がここで手を置いたことを知らないまま、北東へ運ばれていく。

 

「……オルガさん」

 

聞いている人間は一人もいなかった。

俺は立ち上がって、北東に続く轍を追った。

 

 

 

追いついたのは、日が地面につく直前だった。

 

低い岩が三つ並んだ場所の、その手前で俺はエンジンを切った。

音は思ったより遠くまで届く。

届く距離を間違えると、こちらが数えられる側に回る。

 

俺は岩の裏まで単車を押していって、それから腹這いで縁まで出た。

見る下に、窪地があった。

 

荷台のどちらも後ろの板を下ろして、車輪に石を噛ませてある。

今夜はここで停まるということだ。

 

火が二つ焚かれていた。

 

俺は撃つべき敵の数を数えた。

 

立っている男が十一人。

そのうち三人が長物を持っている。

荷台の周りを歩いているのが四人で、火のそばに四人。

 

そして荷台の上に人が積まれていた。

 

俺は端から数えると、二十六人いた。

四十人出せと言った連中が、二台に積んだのは二十六人だ。

数が足りていない。

足りていないから、あの男たちは列の年を見るのをやめたのだ。

 

母が右の荷台の前の方にいた。

壁板に背中をつけて、膝を立てて座っていた。

その膝の間にレナがいて、顔は見えなかった。

親父は川底に置いてきた。

 

俺は背中の銃を下ろして、岩の上に置いた。

置いてから、指の先が冷たくなっているのに気づいた。

 

弾は七発だ。

下には十一人いる。

 

だが、数が足りないから撃たないのではない。

足りていても、俺は撃たない。

 

火のそばの四人を抜けば、荷台の周りの四人が荷台を見る。

荷台を見れば、二十六人のうちの誰かが撃たれる。

そのうちの一人が母である確率を、俺の頭は勝手に計算し始めた。

 

計算は途中でやめた。

やめる代わりに、俺は動かなかった。

 

動かなくても死なない場面と、動かなければ死ぬ場面を、指ではなく頭で分ける。

 

二年かけて憶えたのはそれだ。

今朝、川底で俺は初めてそれができた。

できて、何の役にも立たなかった。

 

今度は役に立つ、役に立つはずだ。

そう思っていないと、置いた銃に手が伸びそうだった。

 

待ち方だ。お前、絶望的に下手だからな。

 

あの人はそう言った。

言った本人は東にいる。

 

 

 

日が落ちて、風の向きが変わった。

 

窪地の火が二つとも赤くなった。

グラップラーたちが一人ずつ座り始めた。

 

俺はそこまで見て、後ろへ下がった。

単車のところまで戻って、エンジンには触らずに、その脇に座った。

冷えた金属が、ときどき小さく鳴った。

 

「金属が冷える音がしているぞ」

 

俺は動かなかった。

 

正確に言うと、動けなかった。

声は俺の右の後ろから来ていて、距離が近すぎた。

 

「あと三十数えるまで動くな」

 

俺は数えた。

三十まで数える間に、風は二度変わった。

 

「もういい」

 

振り返ると、女が一人立っていた。

 

背が高い。

俺より頭ひとつ分は高かった。

日に灼けた首に、砂を落とすための布を巻いている。

 

長物を担いでいた。

フェイのものより銃身が短くて、そのぶん頑丈そうな造りだった。

 

俺が最初に見たのは、その人の目だった。

 

瞬きをしていなかった。

俺と話している間、その人はほとんど瞬きをしなかった。

 

ミシカと正反対の目だ。

この人は待てる人だ。

それだけは、見た瞬間に分かった。

 

「単車を停めた場所は悪くない。岩の裏だ」

 

女はそう言った。

 

「音を止めた場所が悪い。あそこは風上だ」

「……はい」

「風上でエンジンを切ると、冷える音が窪地まで落ちる。二度目はやるな」

 

名乗らなかった。

どこから来たとも、何をしているとも言わなかった。

いきなり仕事の話から入る人だった。

 

「あんたが岩に登ってから、あたしはずっと後ろにいた」

「……気づきませんでした」

「あの位置なら火のそばの男は抜ける。銃を置いたな」

 

俺は答えなかった。

答えなくても、この人には分かっているようだった。

 

「歳は?」

「十三です」

「その単車は?」

「俺のものです、追ってきました」

 

女は少しの間だまってから、腰の後ろから紙を一枚出した。

畳んだ跡で四つに割れかけている紙だった。

支所の手配書だ。

 

火を点けずに、月明かりの下で俺はそれを読んだ。

 

員数のザーグ。

バイアス・グラップラー。

賞金一万G。

 

「員数って何ですか」

「名簿に載る頭数のことだ」

 

女は紙を畳んだ。

 

「人を数える役だよ。何人要る、何人足りない、それを決める男だ」

 

俺はその言葉を、頭の中で二度繰り返した。

 

数えるのが俺の仕事だと、六年間俺はそう思ってきた。

誰がどうなったら何をするかを、順番と量まで紙に書いてきた。

同じようで、最も同じように扱われたくないことをする人間が、窪地の下にいる。

 

「……その男は、下にいますか?」

「いる。右の荷台の前だ。今日ずっと数えてた」

「二十六人でした」

「ああ、二十六だ」

 

女は初めて、俺の方をまともに見た。

 

「荷台を数えたのか、ではあとは何を数えた」

「立っている男が合わせて十一人。長物が三人。荷台の周りが四人。火のそばが四人です」

 

女は答えなかった。

答えない代わりに、担いだ長物の負い革を親指で一度押した。

 

俺は立ち上がった。

膝が笑っていた。

朝から水を飲んでいないせいなのか、別の理由なのかは分からなかった。

 

「あの荷台に、俺の母と妹が乗っています」

 

女は何も言わなかった。

 

「俺は銃を持っています。弾は七発です。持っていても、俺一人ではあそこでは撃てません」

「そうだろうな」

「でも、俺はここまで来ました。来たんです、取り返すために」

 

言いながら、俺は自分の声が裏返らないように一度息を吸った。

この半年、最近は肝心なところでいつもこれをやる。

 

今日は裏返らなかった。

 

「組んでください」

 

俺は生まれて初めて、名前も知らない人間に、そう言った。

女は瞬きをしなかった。

しばらくして、一度だけ息を吐いた。

 

「何ができる」

「あなたが撃つ時間を、俺が作ります」

 

女は何も言わなかった。

言わないまま、俺の顔をしばらく見ていた。

それから窪地の方へ顎を向けた。

 

「ダメだな、あそこに何人乗ってると言ったか」

「二十六人です」

「その二十六人は、全員あんたの街の人間だな」

「……はい」

「あんたのことは知られているか?」

 

俺は答えなかった。

答えなかったことが、答えになった。

 

「六年です」

 

俺は言った。

 

「二十六人全部、俺が診ました。腹を開けた人もいます」

「ゴッドハンドか……なら駄目だ」

 

女はそれだけ言って、腰を落とした。

岩の縁に近づきすぎない位置に座る座り方だった。

 

「あんたが火の前を走れば、荷台の誰かが名前を呼ぶ」

「……」

「一人呼べば、下の男たちは荷台じゃなくてあんたを見る」

「はい、そうなります」

「見られた時点で、あんたは三つ目の要求になる」

 

俺は口の中が乾いているのに気づいた。

朝から水を飲んでいないせいだけではなかった。

二年三ヶ月、俺はあの街に囲われていた。

囲われていた理由は、俺が街の宝だからだ。

 

「じゃあ、どうしますか」

 

女は答えなかった。

代わりに、担いでいた長物を膝の上に下ろした。

 

「あたしが前へ出る」

「……前へ」

「お前が撃つんだ、撃て」

 

風が一度変わった。

窪地の火の匂いが、こちらまで上がってきた。

 

「俺は、手が先に動きますよ」

「見てたさ。あんた、さっき銃を岩に置いただろう」

 

女は少しだけ顎を上げた。

 

「弾は何発ある?」

「七発です」

「下はお前の言う通り十一人、座っているのがザーグだ」

 

俺は岩の縁まで這って、もう一度下を見た。

右の荷台の前に、箱を置いて座っている男がいた。

背が低く、肩の幅が広い。

膝の上に紙のようなものを広げて、指で押さえていた。

 

「あれがザーグだ」

「……ずっと座ってますね」

「ああ、一日座ってる。歩くのは数える時だけだ」

 

女は膝の上の長物の負い革を、親指で一度押した。

 

「あんたが撃つ時間を、あたしが作る」

 

俺はその言葉を、二年前に人に向かって言ったことがある。

海へ向かう道の岩の上で、俺は年上の男にそれを言った。

言われる側に回るとは、その時は思っていなかった。

 

 

 

夜の残りで、俺たちは段取りを決めた。

俺は岩の上に腹這いになって、下を端から数え直した。

 

長物を持っているのは合わせて三人いる。

窪地の入口の高い岩に一人、右の荷台の脇に一人、そして左の荷台の脇に一人。

 

荷台の周りを歩いていて見張っているのが四人。

火のそばには三人、そして今は箱に座っているのが一人。

合わせて十一人だ。

 

弾は七発ある、全員は一人では撃ち抜けない。

順番を決めた。

 

長物を持つ者が先にする必要がある。

遠くまで届く人間から止めなければいけないからだ。

これで三発必要となる。

 

次に、右の荷台の脇にいる二人を片付ける。

これで合わせて五発。

 

残りが二発だ。

撃ち終わっても下にはまだ六人残る、それを任せなければいけない。

 

待てる人間を待たせるのが、俺の仕事の半分だ。

もう半分は、待たせた人間のうち誰が先に待てなくなるかを、目の端で見ていることだ。

診療所でやっていることと、何ひとつ違わなかった。

違うのは、こちらの手にあるのが針ではないというだけだ。

 

「距離はいくつある?」

「百二十歩分です」

「実際に歩いたのか?」

「いえ。岩の高さと、荷台の板の幅で出しました」

 

女は返事をしなかった。

返事の代わりに、俺の銃を指した。

 

「床尾が短い銃だな」

「六年前の俺に合わせた寸法になりますから、直します」

 

俺は懐から布を出して半分を裂いて、四つに畳んで、床尾に当てて縛った。

 

二年前、俺は同じことを人の銃にやった。

革を一枚噛ませて、螺子を締め直した。

あの時、彼は八年ぶりに他人に銃を触らせた。

 

今度は自分の銃だ。

自分の銃ではあるが、七つの子供の寸法で切ってあるからだ。

 

布を噛ませると、目の位置が戻った。

布は四分の一になった。

 

「合図は?」

「あたしが名前を言う」

「誰の名前ですか」

「賞金首の名前と、額だ。言い終わるまでは撃つな」

「わかりました……言い終わったらいいんですね」

「ああ、順番通りにやれ」

 

俺は頷いた。

 

「一つ聞いていいですか?」

「ああ、言っていいぞ」

「あなたは、どうして正面から入るんですか」

 

女は少し黙った。

 

「そいつは三日前に、あたしの見てる前で人を二十人数えた」

「……」

「数え終わってから、三人減らした。多いと言ってな」

 

女は立ち上がった。

 

「あたしはそれを、後ろから見てただけだ」

 

 

 

空の東が薄くなり始めた。

窪地の火は片方が落ちて、残った方も木くずが赤いだけになっていた。

 

男たちが動き出していた。

荷台の板が持ち上げられて、留め金が掛けられた。

今日また走らせるということだ。

 

俺は銃床に頬をつけた。

女が歩き出した。

 

隠れなかった。

低い姿勢も取らなかった。

窪地の入口から、まっすぐ火の方へ歩いていった。

 

高い岩の上の男が、最初にそれを見つけた。

 

長物が動いた。

俺は撃たなかった。

 

名前を言い終わるまで撃つな。

そう言われている。

 

女は歩き続けた。

男が四人、火のそばから立ち上がった。

荷台の周りの四人がこちらを向いた。

 

そして箱に座っていた男が、顔を上げた。

見ている人間は動かない。

 

六年前に俺が教わったのは、そういうことだった。

銃は的に当てる道具じゃない。相手より先に、決められた形になる道具だ。

 

あの人はそう言って、市場の隘路で決められた形のまま死んだ。

今、十二人が全員、同じ方向を向いて止まっていた。

女はそのために歩いていた。

 

「員数のザーグだな」

 

女の声が、窪地の底から上がってきた。

 

「バイアス・グラップラー。賞金、一万G」

 

俺は息を短く吐いた。

吐き終わる前に、一発目を撃った。

高い岩の上の長物が、前のめりに落ちる。

 

二発目。

右の荷台の脇の長物が、膝から崩れた。

 

三発目までの間に、下の男たちはまだ女の方を見ていた。

三発目で左の荷台の脇に居た男が消えた。

 

そこでようやく何人かが上を、俺のいる方を見上げた。

しかし、上を見た時にはもう遅い。

遅くしたのは、百二十歩先を歩いている女だ。

 

四発目で、右の荷台の脇を歩いていた男。

 

五発目はその二歩後ろにいた男を。

 

ここまでは、決めた通りだった。

 

女は走らなかった。

走らずに歩いたまま、腰の後ろから短い方を抜いて、火のそばの二人を続けて撃った。

 

一人が撃ち返した、女の左の肩の布が跳ねた。

 

跳ねたのに、歩調が変わらなかった。

俺はそれを、銃の向こうから見ていた。

この人は、撃たれても速度を変えない人だった。

 

俺が五人、女が一人仕留め、残りは六人だ。

俺の手にはまだ二発ある。

 

残った六人の一人が、走らずに右へ回った。

 

荷台の陰へ入る動きだ。

陰へ入られると、俺の角度からは見えなくなる。

俺は追った。

追ったが、その男は俺を見ていなかった。

 

男が見ていたのは荷台の上だった。

長物を持っていない、荷台から二歩離れている、女の方を向いていない。

だから順番を後ろへ回した。

七発しかないから、後ろへ回さざるを得なかった。

男が銃を上げた。

上げた先に、右の荷台の壁板があった。

 

俺は六発目を撃った。

 

当たって仕留めた。

仕留めたけれども当たったのが、後だった。

 

男が倒れる前に、荷台の壁板に穴が一つ空いていた。

壁板に背中をつけて、膝を立てて座っていた人がいる。

その人が、ゆっくりと横へ倒れた。

 

母さんだった。

 

「――母さん」

 

声にはならなかった。

なったとしても、百二十歩先には届かない。

 

俺は自分の頭の中で、順番を決めた時のことをもう一度見ていた。

 

長物が三人。

右の荷台の脇が二人。

残りは後回しにする。

 

朝、俺は父の掌を後回しにする判断をした。

それから半日も経たないうちに、俺は同じことをもう一度やった。

悔いはない、数えるのが俺の仕事だからだ。

弾は、あと一発だった。

 

母が倒れて、荷台の上で何かが動いた。

母が倒れた場所だ。

壁板の陰から、小さいものが立ち上がった。

 

レナだった。

 

あの子は夜明けから一度も声を出していない。

昨日の朝からずっとだ。

かくれんぼでは見つかったら負けだ。

そう教えたのは、誰でもない俺だ。

 

母が倒れて、あの子は立った。

もう遊びが終わったからだろう。

レナは荷台の後ろの板から滑り降りた。

降りて、右の荷台の脇を走った。

 

開けた場所だった。

遮るものが何もない場所だった。

残っていた男の一人が、荷台の陰から銃口を伸ばした。

 

俺は撃った。

狙う時間はなかったが、必要もなかった。

 

夜のうちに測った百二十歩は、まだ俺の肩に残っていた。

男の手が、レナに届く前に止まった。

弾は、これでなくなった。

 

 

 

女が歩いてきた。

 

肩の布は裂けて、そこから下が血で赤くなっていた。

それでも歩き方は、窪地に入ってきた時と同じだった。

 

レナは地面に座り込んでいた。

 

まだ六つの子供が、二十六人と荷台と死んだ男の間に座っていた。

両手を膝の上に置いて、動かなかった。

 

女はその前で立ち止まった。

膝をつかなかった。

抱き上げもしなかった。

 

上から、短くこう言っただけだ。

 

「立つんだ」

 

レナが顔を上げた。

 

「歩けるか」

「……」

「歩けるなら立て。ここは寝る場所じゃない」

 

レナは立った。

 

砂を払わなかった、泣かなかった。

立って、それから女の顔をまっすぐ見上げた。

 

残った男は二人だ。

二人が窪地の口へ走り、女は片方を撃った。

もう片方は岩の向こうへ消えた。

 

「追わないんですか!」

 

俺は斜面を半分下りたところで、そう叫んだ。

 

「ああ、追わない」

 

女は振り返りもしなかった。

 

「荷台に二十六人いる。追えば二十六人が空になる」

 

俺は残りの斜面を落ちるように下りた。

 

 

 

そこに箱が倒れていた。

その横に、肩幅の広い男が座り込んでいた。

背中を右の荷台の車輪に預けている。

 

腹に穴が二つあった。

布を押し当てているが、もう押さえる手に力が入っていなかった。

俺は医者の目でそれを見た。

見たくなくても、そう見えてしまう。

 

もう助からない、持って四半刻だ。

膝の上から落ちた紙が、風で少し動いていた。

数字が並んでいた。

横棒で消してある数字と、その下に書き直した数字が並んでいた。

 

員数のザーグ。

名簿に載っていた、人間狩りの頭数を決める男だ。

男は俺を見た。

見て、それから女の方へ顎を動かした。

 

「そいつはどこで拾ったやつだ」

 

女は答えなかった。

 

「年が足りん。員数外になっちまう」

 

男は笑わなかった。

苦しんでもいなかった。

値をつける時の顔をしていた。

市場でオルガが鉄の屑を見る時と、同じ種類の顔だ。

 

「だが、そいつは拾い物だな。いや、そうかお前が――」

 

俺は何も言わなかった。

言葉が出てこなかったのではない。

この男に返す言葉を、俺は一つも持っていなかった。

 

「……二十六だ」

 

やがて男はそう言った。

もう紙を見ていなかった。

空虚な目で何もない方を見ていた。

 

「四十のはずが二十六しかいない。足りん。テッド様に……どやさ――」

 

女が長物を下ろした。

銃口を男の頭に向けて、それから言った。

 

「もう数えるな」

 

音が一つした。

 

 

 

荷台は二台とも、後ろの板が下ろされたままだった。

俺は右の荷台に走った。

 

二十六人のうち歩けるのが何人で、歩けないのが何人か。

そう考える中、荷台の中で人が動き出していた。

 

「せ……先生か?!」

「先生だ! 先生がいる!」

 

俺は答えなかった。

答える代わりに、板の縁を掴んで上がった。

 

二十六人いた。

顔を端から見ていった。

六年間、俺が診てきた顔だ。

 

長屋のパン屋の倅がいた。

去年の冬に指を三本繋いだ女がいた。

支所の受付の弟がいた。

 

いない人がいた、俺は分かっていた。

分かっていて、それでも端から端まで二度見た。

轍が二つに分かれた場所で、四台の油はもう乾いていた。

北東へ行った四台に、あの人は乗っている。

 

樽の縁を指で二度叩く癖のある人は、この荷台にはもういない。

 

「……オルガさんは」

 

誰も返事をしなかった、いや、出来なかった。

歩けるのが二十二人。

歩けないのが四人。

 

俺は数え終えた。

そのうちの一人が、右の荷台の前の壁板のところにいた。

 

俺は母を一番にした。

 

正しいかどうかは考えなかった。

六年間、俺は自分の家族を順番の外へ置いてきた。

五年前の夜も、今朝の川底も、決めたのは俺じゃなかった。

 

ロールさんが診療所の外に締め出した。

街が秤を取り上げた。

今朝は、ロールさんが送り出した。

 

誰かが決めてくれた。

決めてくれたから、俺は何も載せずに済んだ。

 

でも今日、ここには誰もいない。

 

女は荷台の外で長物を持って立っている。

二十六人は俺を見ている。

 

秤を取り上げてくれる人が、一人もいない。

だから俺は自分の手で載せる、もう迷わない。

載せてみて気づいたが、秤は思ったより軽かった。

軽かったことに、俺は自分で驚いた。

 

「――どいてください。全員、荷台の後ろへ」

 

俺は膝で近づいた。

母は壁板に背中をつけたまま、左へ倒れていた。

その手を、レナが両手で握っていた。

 

いつの間に上がってきたのか分からない。

荷台の板は俺の胸の高さにある。

六つの子供が一人で上がれる高さではない。

それでも上がっていた。

 

「レナ」

「お兄ちゃん!」

 

去年から、この子は外で俺を先生と呼んでいた。

呼び方を決めたのはレナ自身だが、今日は呼ばなかった。

 

「手を離せるか」

「やだ! 離さない!!」

「……そうか」

 

母の身体の向きを見ると、弾は左の脇腹から入っていた。

壁板の穴の高さと、倒れている向きが合っている。

 

背中に抜けていなかった。

つまりまだ中にある。

 

張っている腹を指で押すと、母が息を止めた。

中で血が溜まっている、しかも溜まり方が速い。

 

俺は懐に手を入れた。

 

糸と針を一組。

鉗子を二本。

布は、四分の一しかない。

 

四分の一にしたのは俺だ。

夜のうちに、床尾へ噛ませるために裂いた。

 

その布で撃った七発が、この人を守れなかった。

そして、その布はもうここにはない。

俺は自分の呼吸が浅くなっているのに気づいた。

 

「シオン」

 

母の声は掠れていた。

 

いつも掠れている人だが、今日は掠れ方が違った。

息を吸う時に、腹の方で音がしていた。

 

「……父さんは?」

「大丈夫、生きてます」

「そうなの」

「ミオが診てます。紙も渡しました」

「よかった……あんたの紙ね」

 

母は少し笑おうとして、やめた。

笑うと痛むのだと誰にも分かった。

 

「火は、消してきたから」

 

俺は手を止めた。

 

「竈の火は、水をかけてきたから、大丈夫よ」

「……見ました」

「見たの」

「濡れた灰を見ました」

 

母はそれで安心したようだった。

家が焼けないことが母にとっては一番大事なことだった。

街の門が倒れた朝に、この人が最後にやったのはそれだ。

 

「あんた……昨日の朝から、何も食べてないでしょう」

 

俺は返事をしなかった。

その代わりに母の頭の側へ回ろうとした。

今朝、川底で俺はそうやって切り抜けた。

顔が視野に入らない位置に回れば、それはただの胸だった。

 

でも、レナがいて回れなかった。

俺は改めて自分の手を見た。

 

震えはなかった。

震えていないのに、六年前と同じで動かなかった。

レナが生まれたあの時も震えなかった。

ただ、母の顔しか見えなかった。

 

腹の張り方も、脈の速さも、目の下の色も、全部そこにあったのに、俺には何一つ数字にならなかった。

医者の目というのは、対象を所見と数字に分解する目のことだ。

その目は、家族には働かせることができない。

 

六年やって、俺はそれを一度も直せなかった。

不甲斐ないにもほどがある。

 

荷台の板が鳴って、女が上がってきた。

長物を外へ立てかけて、俺の斜め後ろに膝をついた。

 

「あと何分だ」

 

俺は顔を上げた。

 

「……え」

「その人はあと何分もつんだ」

 

俺は考える前に答えていた。

六年やっていると、こういう問いには身体の方が先に返事をする。

 

「四半刻です。もって四半刻」

「開けたらどうなる?」

「開けて、出血の根を締められれば峠は越せます」

「お前は締められるか」

「締められます。鉗子が二本と、糸が一組。両方あります」

「水は必要か?」

「要りません。酒があれば」

 

女は腰の袋から硝子の瓶を出した。

そこまで言って、俺は口を閉じた。

 

俺は今、母のことを喋っていなかった。

腹の中の血の出どころと、道具の本数の話をしていた。

喋っている間、俺は一度も母の顔を見ていなかった。

 

見ないようにしたのではない。

見る必要がなかったのだ。

 

俺の手を押さえられるのは、俺ではない。

それはもう分かっていた。

分かっていなかったのは、逆もあるということだ。

止まった手を動かせるのも、俺ではない。

 

「切るんだ」

 

女が言った。

俺は動けなかった。

 

「切れないなら、あたしが切ってもいいが――」

 

女はそう続けた。

 

「あたしはどこを切ればいいか知らん。知らん奴が切ればこの人は死ぬ。四半刻より前に死ぬ」

 

俺は瓶を受け取った。

 

「どっちの手で死なせたいかって話じゃない」

 

女は俺の顔を見ていた。

瞬きをしていなかった。

 

「あんたはさっき、百二十歩先を走ってる子供の脇を撃ち抜いたよな」

「……はい」

「その手が、二尺先で止まるのか。止めていいのか」

 

俺は息を吸った。

吸って、止めて、吐いた。

吐き終わるまでの間に、何も考えなかった。

考えないでいられたのは、たぶん、六年で初めてだった。

 

「レナ」

「うん!」

「母さんの手を握ってろ。強く握ってくれ」

「うん!!」

「俺がいいと言うまでは、離すな。いいと言うまで絶対に離すな」

 

レナは頷いた。

頷いて、握り直した。

 

俺は酒で手を洗った。

刃を洗って、母の脇腹にかけた。

痛みで母が息を止めた。

 

「熱いですか?」

「……つめたい」

「すぐ済みます、済ませます」

 

嘘だった。

すぐには済まない、済ませられない。

 

「母さん、開けますよ」

「うん」

「多分痛いです。すごく痛い」

「……うん」

「気を失っていいです。失った方がいいと思います」

 

母は少し笑った。

 

「じゃあ、そうするわ」

 

俺は刃を持ち直した。

 

「刃を、そこから指四本ぶん下」

 

俺は声に出した。

 

「まっすぐ引く。深さは皮と、その下の膜まで。膜を抜けたら止める」

 

助手に言う時と同じ言い方をした。

助手はいなかった。

いないけど自分に言った、言い聞かせた。

 

俺の手が動いた。

痛みで母が声を出した。

 

最初の三十を数える間が、一番長かった。

膜を抜けたところで、俺は手を止めた。

 

「押さえてください。両手で、外へ開くように」

「ここか」

「もう少し外です。力は緩めないでください。緩めると見えなくなる」

 

女の指が入った。

硬くて、乾いていて、震えなかった。

 

中を見ると、血が溜まっていた。

溜まり方が速い。

出どころは脾臓だ。

弾は左の脇腹から入って、そこを裂いていた。

 

今朝、俺は同じ場所をやられた男を診た。

開けた時には腹の中が血で満ちていて、なすすべなく死んだ。

 

あれから半日も経っていない。

 

母の苦悶の声が途中で止まった。

気を失ったのだと分かった。

 

鉗子は二本しかない。

一本で根を挟んで、もう一本で寄せた。

糸は一組だ。

結び目を余らせる余裕はなかった。

 

結ぶと血の出方が変わった。

変わったのを、俺は音で分かった。

 

「布を」

「四分の一しかないと言ったな」

「はい」

 

その時、荷台の後ろで音がした。

服を裂く音だった。

一人ではない。

二人でも三人でもなかった。

 

俺は顔を上げなかった。

上げている時間がなかったが、上げなくても分かった。

 

長屋のパン屋の倅がいる。

去年の冬、指を三本繋いだ女がいる。

支所の受付の弟がいる。

 

二十六人が、自分の服を裂いていた。

布が横から差し出された。

一枚ではなかった。

 

俺はまた、返せないものを受け取った。

 

「弾はもう出した、いける」

 

俺は自分に言うつもりで、声に出していた。

 

今朝、俺は同じことを紙に書いた。

最後の一行だけ、他より大きく書いた。

 

手は後だ。胸を先にやれ。

 

今度は正しい。

今度こそ正しいはずだ。

 

そう思っていないと、指が別のところへ行きそうだった。

 

「離してください。ゆっくりです」

「閉じるのか」

「閉じます」

 

結び目は十七あった。

数えたのは、数えていないと手が速くなるからだ。

 

手術が終わった時、日は窪地の縁を越えていた。

俺は母の呼吸を見た。

 

浅い。

浅いが、間隔は揃っている。

腹の張りが戻り、血の色も戻っていた。

俺の手が届く範囲は、もう終わっていた。

 

「レナ。いいぞ」

 

レナは手を離さなかった。

 

「レナ、離していいぞ」

「……もうちょっとだけ」

「そうか、分かった」

 

俺は立ち上がろうとして、膝が笑って一度座り直した。

朝から水を飲んでいない。

昨日の朝から、何も食べていない。

 

女が水筒を投げてよこした。

 

俺は蓋を開けて、半分だけ飲んだ。

残りをレナに渡した。

 

「ザーグが、あんたを拾い物と言ったな」

 

女はそう言った。

荷台の板に腰を掛けて、長物の遊底を開けて中を見ていた。

見ながら喋る人だった。

 

「はい」

「あたしがどこかで拾ってきた小間使いの坊主だと思ったんだろう」

「ええ、そうでしょうね」

 

俺は自分の手を見た。

血が指の股まで乾いていた。

 

「七発で七人だ」

 

女は遊底を閉じた。

 

「最後の一発は、走ってる子供の脇を抜いた」

「……そこは前に二度撃った場所です」

「知ってる。でも、だからこそだ」

 

女は俺の方を見なかった。

 

「その手で、半刻もしないうちに腹を開けた」

 

それから、こう言った。

 

「拾い物にしては上等すぎる」

 

俺は何と言えばいいのか分からなかった。

褒められたのだと気づくのに、少し間があった。

褒められ慣れていないわけではない。

 

街では六年、ずっと褒められてきた。

奇跡だ、宝だ、先生がいるから大丈夫だ。

 

そう言われるたびに、俺は少しずつ門から遠ざかった。

 

この人の言い方には、それがなかった。

ただ、値がついた。

 

「そう言えば……あなたの名前を、まだ聞いていませんでしたね」

 

女は立ち上がった。

 

「マリアだ」

 

俺は頷いた。

 

頷いた時に、自分の頭の中で目次が一枚めくれる音がした。

 

俺はその名前を知っている。

 

不死身の女ソルジャー。

滅多に人を褒めない。

荒野で最も腕の立つソルジャーの一人で、隼のフェイのただ一人の友人。

 

そして、赤いモヒカンの男に殺される二つの名前のうちの、片方。

 

俺は何も言わなかった。

 

今日はもう、誰にも何も渡せなかった。

 

「歩けるのが二十二人です」

 

俺はそう言った。

 

「歩けないのが四人。荷台は二台あります」

「戻るのか」

「ええ、戻ります」

 

マリアは返事をしなかった。

 

返事をしない代わりに、右の荷台の轅の方へ歩いていった。

歩きながら、肩の裂けた布を片手で縛り直していた。

 

レナがそれを目で追っていた。

 

昨日の朝から、この子は俺の顔をほとんど見ていない。

今、この子が見ているのは、その人の背中だった。

 

 

 

荒野で一番先に死ぬのは弱い奴じゃない。一人の奴だ。

 

二人の人間が、俺にそう言った。

昨日の朝、俺はその禁を全部破って門を出た。

 

でも今日、俺は一人ではなかった。

一人ではなかったが、それでも母は撃たれた。

一人ではなくて、それでも二十六人の中に、オルガが、あの人だけがいない。

 

かくれんぼは働いた、紙は働いた。

待つことも、数えることも、六年で積んだものは全部その通りに働いた。

 

働いたけれども、まるで足りなかった。

 

俺は西を見た。

昨日の朝と同じで、煙はどこにも上がっていなかった。

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