『蒼』は荒野を駆ける 作:ぶっぱなす
第十四話 轍は桟橋で消える
アズサを出てから道を戻り、更に北東に向かったが何もなかった。
道がない、行きどまったという意味ではない。
道はもちろんそこにある。
人が通り踏んだ跡も、行き交う車輪の跡も、探せばいくらでも落ちている。
ただ、俺が今探しているものがなかった。
角の欠けた轍だ。
角の欠けた前輪の跡を、俺は母さんたちを取り戻すときに憶えていた。
今ならまだ一度見れば分かる、土の上でも砂の上でも分かる。
分かるのだが、その土も、砂も、ひと月も風に晒されれば別の顔になってしまう。
一日目は探した。
二日目も探した。
三日目の朝に、俺は探すのをやめることにした。
やめたのは諦めたからではない。
やり方が間違っていると気がついたからだ。
クルマは油を食う、四台なら四台ぶん、荷台に人を積んでいるなら更に食う。
そして人は水を飲む、毎日飲む。
荒野で、油と水を補給しないまま走れる距離には限りがある。
限りがあるなら、連中は必ずどこかで止まっている。
止まる場所というのは、人のいる場所しかありえない。
そして人のいる場所立ち寄ったのなら、見た奴も当然いなければおかしい。
「轍を追うのはやめにするか」
一人声に出した。
当然のことではあるが、誰からも返事はなかった
返事がないことに、俺はまだ慣れていなかった。
六年間、俺の周りには誰かがいた。
家の土間には母がいて、工房には親父がいて、診療所にはロールとミオがいた。
市場の奥にはオルガがいて、北門の内側にはドグの家があった。
独り言というのは、誰かに聞かれる場所でしか成立しない。
聞く奴が一人もいない場所で喋ると、それはただの音になるだけだ。
轍を追い始めて三日目の夜、荷を改めて数えた。
薬が一箱、道具が一組、布が二十枚。
水は四つ持って出て、二つになっていた。
紙は、一枚もない。
数え終えて、俺はしばらく荷袋の口を開けたまま座っていた。
何かを数え忘れている気がしたから指を折って三度数え直して、それでも数は合っていた。
合っているのに落ち着かない理由は、途中で分かった。
六年間、俺は門を出る前に必ず紙を書いた。
書いて、置いて、再確認して書いてそれから出た。
もう俺は書かなくていい。
書く相手も読ませる相手も一人も居ないからだ。
自由になったと言えば、たしかにそうなのだと思う。
紐は切れた、それなのに手が落ち着かない。
夜のあいだ、俺の右手は何度か、そこにない炭を探して動いた。
ついでに金の話をしておくと、六年で貯めた金は全部で一万二千三百Gあった。
医者としての取り分と、支所で換えた賞金、その二つだけだがそこまで貯まった。
使い道がなかったから貯まった。
使えたのに使わなかった、それだけの話だった。
そのうち一万Gは、アズサに置いてきた。
親父の右手は半年動かない、母は腹を開けている。
レナは六つで、これから食う量が増える一方だ。
アズサで借りた宿の裏の小屋に、寝床の板の下に紙に包んで押し込んでいるが、母には言わなかった。
言えば確実に返される、返されたら俺は受け取らなければならない。
黙って置いてくるのが、一番手数が少ないからだ。
残りは二千三百ある。
砲弾は一発で三から五する。
油は樽で買えば安いが、樽ごと積める荷台を俺は今持っていない。
水は場所によっては価格が違う、三倍以上変わる。
そして、人の話は水より高いというのが相場だ。
デルタ・リオでは、金の心配をしたことが一度もなかった。
街が俺を出さない代わりに、街が俺に払っていたからだ。
囲われているというのは、そういうことでもあった。
轍を追い始めて四日目に、俺は初めて囲われていた時の自分の食い扶持を自分で数えた。
数えてみてはじめて、思ったよりそれが短いことに気づいた。
秤の話ではなく、日数の話だった。
最初の水場に着いたのは、轍を追い始めて五日目の昼過ぎだ。
特段つけられた名前はない場所だった。
川筋が岩に突き当たって曲がるところに、板と鉄板で組んだ小屋が三つ建っている。
それだけの場所を、通る人間は「水場」と呼んでいた。
人は十人ほど、そのうち六人は通りすがりで住んでいるのは四人だ。
見分けるのは簡単だった。住んでいる人間は、荷物を体から離して置く。
水と油を売る男は五十くらいに見えた。
名は名乗らない、その代わりこちらの名も聞かない。
「水を三つ。油はいくらだ?」
「先に金を見せてくれ」
男は掌を出した、渡した硬貨を指で一枚ずつ弾いて音を聞いた。
四枚とも聞いてから、ようやく桶に手をかけた。
俺を信用していないのではない。
他人を信用するという手順を、この男は持っていないだけだ。
六年間、俺は人の癖でその人の来歴を読んできた。
この癖を持つ男は、恐らく一度ひどい目に遭っている。
水が汲み上がるあいだ、俺はデュランダルの前に立っていた。
住んでいる四人のうち三人が、こちらを見ていた。
見ているのはクルマだ。
砲がついているからだろう、それも単車に載せる大きさではない砲が。
そのうちの一人が隣の男に何か言った、言われた方が、俺の顔を見た。
それから、もう一度クルマを見た。
順番が逆でないことに俺は少しだけ安心した。
まだクルマが先で俺が後だ、俺の名は顔と結びついていない。
「兄ちゃん、いくつだ?」
水を売る男が言った。
「十三です」
「ふうん、そうかい」
それきりだった、驚きもしなければ笑いもしない。
この男は、荒野で子供が武器を持っていることに一度も驚いたことがないのだと分かった。
俺は水を受け取って、それから聞いた。
「人の話は、いくらですか?」
初めて男が顔を上げた。
「水より高いぞ、値切るか」
「値切りませんよ、話を買いたいので」
男は掌をもう一度出したので、俺は硬貨を三枚載せた。
男は硬貨を三枚とも指で弾いてから、頷いた。
「何が聞きたいんだ」
「クルマの話を。数は四台、荷台に人を積んでいて、前輪の角が一つ欠けている車が一台混じっている。ひと月ぐらい前に、ここを通っていませんか?」
男は、しばらく黙っていた。
考えているのではない、言うか言わないかを決めているのでもない。
ただ、その情報がいくらぶんの価値かをこの場で計算し直している顔だった。
「ああ、通った」
「何台でしたか?」
「四台だ、角の欠けたのがあったかどうかまではわからん。俺は輪を見ないからな」
「では、何を見ましたか」
「……積んでる樽の数だ」
俺は聞き返さなかった、その理由が分かったからだ。
この男は油を売る、売れる相手かどうかは、積んでいる樽の数を見れば分かる。
「樽はいくつありましたか」
「四台で、十一」
……十一か。
四台で十一なら、一台あたり三つもない。
満載ではない、けれども空でもない。
どこかで補給して、どこかへ向かう、そのあいだの計算をして積んだ数だ。
「ここでは買いましたか?」
「買わなかったな、一滴も買わなかった」
「なぜ分かりますか」
「誰も売らなかったからだ」
男は笑わずに言った。
「連中は水も買わなかった、休憩しただけだ。ここで止まったのは四半刻もなかった」
止まったのか、売り買いをせずに四半刻。
俺は、自分の顔が動かないように気をつけた。
四半刻というのは、人を降ろして、また積むのにちょうどいい長さだ。
「人は見ましたか?」
「荷台に幌がかかってたが中は見ていない。荒野で長く商売をやるコツだ」
俺は頷いた。
この男が幌を上げていたら、この男はもうここにいない。
それだけの話で、そこに俺の言うことは何もない。
「最後にもう一つだけ聞かせてください」
「まだ買うのか?」
「はい」
答えながら俺は硬貨をもう二枚出した。
男は二枚とも指で弾いて確認した。
「そのクルマは、どっちへ行きましたか?」
「東だ」
俺は、その一言を二度、頭の中で置き直した。
北東ではなかった、東だ。
水場を出てから、俺はしばらく速度を落として走った。
考えなければならないことが二つあったからだ。
一つ目は東という方角だ。
分岐点で四台は北東へ向かった。
それは俺がこの目で見た、油の乾き方まで見た。
北東へ向かった連中が途中で東へ曲がる理由は、二つしかない。
北東に用があって、それが済んだか。
あるいは、最初から北東は見せるための方角だったか。
「どちらでも、俺のやることは変わらないか」
東へ行ったのなら、東へ行くしかない。
二つ目は、水場で三人が俺を見たことだ。
砲を積んだ単車に、十三の子供が一人で乗っている。
荒野でそれを見た人間は、必ず誰かに話すだろう。
話は水より高く売れる、つまり俺は走っているだけで自分の話を撒いている。
デルタ・リオでは、俺は街の中にいた。
異名は街の中だけで回っていて、外へは帳面の一行だけが漏れていた。
それでも、あの一行が二百四十人の門までグラップラーの連中を連れてきた。
今の俺は、街の壁を持っていない。
異名は剥がしたつもりだが、言ったのは俺で、聞いていたのはアズサの医者一人しかいない。
当然、荒野はその話を聞いていない。
話を止める方法はない。
砲を外せば戦えないし、人を避ければ何も聞けない。
強くなるために必要なものと、名前を広げないために必要なものが、真っ向からぶつかっている。
この時、俺はその矛盾を一度だけ考えて、それから脇へ置いた。
置いたことを、俺は後で三の月の夜に思い出すことになる。
その夜、俺は岩陰にデュランダルを寄せて火を焚かずに野営した。
寝る前に、荷袋の中身をもう一度数えた。
薬が一箱、道具が一組、布が二十枚。
何も変わっていないが数え終えて、また落ち着かなかった。
落ち着かない理由はもう分かっているので、今度は探さずに横になる。
代わりに、月を見た。
デルタ・リオを出てから、俺は日を数えている。
数えているのは日ではなく、正確には月の細り方だ。
月が細くなる頃にまた来る、準備しろ。
ゴードが集会小屋で伝えた奴らの言葉を、俺は一字も違えることなく憶えている。
月は、細かった。
西を見たが何も見えない、デルタリオから距離が遠すぎる。
煙が上がっていたとしても、ここからでは分からない。
もちろん行けない。
行けば、奴らの三つ目の要求が生き返る。
俺が街を出た意味は、俺が街にいないことだけで成り立っている。
戻った瞬間に、その意味は消える。
正しいはずだった。
六年間数えてきた頭が出した答えで、順番も間違っていない筈だ。
それなのに、その夜、俺の手は落ち着かなかった。
炭を探して動いたわけではない。
何をしようとしていたのかは、自分でも分からなかった。
東へ向かって二日走ると、土が変わった。
赤みが抜けて、白っぽくなる。
砂の粒が細かくなって、風の当たる面に筋が立つ。
デュランダルの後ろに上がる砂埃の色が、朝と昼で違って見えるようになった。
海が近い土だと気づいたのは、もう少し先だ。
その時の俺は、ただ土の色を数えていた。
二つ目の中継地は、廃車の墓場だった。
崩れたクルマが、大破壊の前の車輌が積み上がっている。
それを削って、切って、鉄として売る、そういう商売をしている人間が住んでいた。
鉄を買う女がいた。
三十半ばくらいで、右の袖を肩から切り落としている。
品物を受け取る時、必ず左手で持ってから右手に持ち替える癖があった。
一度も例外がなかったが理由は聞かなかった。
癖というのは、基本的に聞いた瞬間に癖でなくなるからだ。
「クルマ四台。ひと月ほど前に通りませんでしたか?」
「ああ、通ったね」
「何か買いましたか?」
女は鉄の山の方へ顎を向けた。
「いいや捨てていったのさ。壊れた継ぎ手を一つだけね、うちはああいうのを喜んで拾うんだ」
「その継ぎ手を見せてもらえますか?」
「構わないよ、見るだけならタダさ」
女が持ってきたのは、駆動軸の継ぎ手だった。
拳ふたつぶんの鉄の塊で、片側の耳が割れている。
割れ方は素直だった。無理な力が一度に来た形で、疲れて折れた形ではない。
俺はそれを受け取って、日の当たる方へ向けた。
座面を見た。
締めた跡が残っている。
螺子を締めれば、当たった面に必ず跡がつく。
そして跡の深さは、締めた順番によって変わる。
一度目の跡は、めちゃくちゃだった。
隣り合った螺子を続けて締めている。
だから座面が片側だけ沈んで、反対側が浮いている。
歪んだ状態のまま走らせて、耳が割れた。それがこの割れ方だ。
二度目の跡が、その上に重なっていた。
対角。
一つ飛ばして対角。もう一度戻って対角。
最後にもう一周して、均す。
俺は、しばらくその鉄を見ていた。
「兄ちゃん、どうかしたかい」
「……いえ」
声が裏返らなかったことだけは、憶えている。
力じゃなくて順番の話なんだ、とあの人は言った。
どこから締めるかを間違えたら歪む、どこから縫うかを間違えたら引き攣れる、同じ話さ。
何が違うって言うんだい。
市場の一番奥の作業場で、樽の縁を指で二度叩きながら、そう言った。
六年、俺はその順番を教わった。
教わったから、この鉄が読める。
一度目は素人が締めている。
二度目は、順番を知っている人間が締め直している。
つまり締め直させた奴がいる。
締め直せる人間が、その時そこにいた。
「これ、いくらですか?」
女は片眉を上げた。
「いいのかい? 割れてるし使えないよ」
「はい、構いません」
「……十G」
俺は十G払った。
女は硬貨を左手で受け取って、右手に持ち替えた。
その鉄を、俺は荷袋の一番下に入れた。
布の下でも、道具の下でもなく、一番下だ。
紙を一枚も持っていない荷の底に、その日から鉄が一つ入った。
塩の匂いに気づいたのは、その二日後だった。
風が変わる前に、まず唇が変わる。
乾き方が違うので、舐めると味がする。
丘を一つ越えたところで、水が見えた。
その海は灰色だった、空も灰色で境目がはっきりしない。
波の音は、思っていたよりずっと低い。
そして、その海に向かって、桟橋が一本突き出ていた。
桟橋は木でできていた。
長さは四十歩ほど。
幅は、クルマ一台が通ってわずかに余る程度だ。
板は古いが腐ってもいない、使われているからだ。
俺はデュランダルを砂の上に置いて、歩いて渡った。
途中で四度、しゃがんだ。
一度目は、板についた擦り跡を見るためだ。
轍とは呼べない。木の上に残るのは轍ではなく、傷だ。
だが傷は、砂よりずっと正直だった。
砂は風で消えるが、木の傷は消えない。
四台ぶんの傷が四本ある。
幅がわずかに違うので、同じ車ではないと分かる。
そのうち一本だけ、前の輪の当たりが途切れている。
俺が覚えていた、角が欠けた輪の跡だ。
二度目にしゃがんだのは、切り返しの跡を数えるためだった。
板の上の傷は、まっすぐではなかった。
何度も左右に振れている。振れて、戻って、また振れている。
一台につき、五回か六回。
桟橋の幅が、ぎりぎりだったということだ。
運転していた人間は、この幅を走り慣れていない。
慣れていない人間を使って、慎重に、時間をかけて乗せさせた。
急いでいない、連中はこの時まったく急いでいなかった。
三度目は、油だ。
染みが四つあった。
四つは横に並んでいない。桟橋の同じ場所に、少しずつずれて重なっている。
一台ずつ、同じ位置に停めて、順番に船へ入れたということだ。
段取りが決まっている。
初めてではない。何度もやっている手つきだ。
四度目にしゃがんだのは、桟橋の付け根から十歩ほどのところだった。
そこだけ、板の傷が違っていた。
細かくて浅い。
そして狭い範囲に密集している、これは靴の跡だ。
それも、狭いところに大勢を立たせた跡だった。
俺はその一角の幅を、歩幅で測った。
その中に何人立っていたかは分からない。
分からないが、狭い範囲の中に立たされる人間の並び方を、俺は一度見ている。
涸れ川の底で、三十人が膝をつかされていた時と同じ形だ。
俺は立ち上がって、桟橋の先まで歩いた。
縄の擦れ跡が、杭に二か所残っている。
間隔から、繋いだ船はそれなりに大きい。
四台とそれだけの人間を積んで、まだ沈まない大きさだ。
そして、先端に立って振り返って、俺は最後の一つを確かめた。
帰りの跡はなかった。
四台ぶんの傷は、全部が海に向かって走っていて、戻ってきた跡は一本もなかった。
四台はここから先は船で、海へと行った。
そして、もうここへは戻っていない。
轍は、この桟橋の上で消えている。
消えた先は、海だというだけの話だった。
桟橋の付け根から海沿いを程なく行ったところに、集落があった。
家は十七軒、人はもっといる。
舟が四艘、砂の上に上げてあった。
その集落を歩いてすぐに、俺は妙なことに気がついた。
誰も、桟橋の方を見ていない。
見ないようにしている、のとは違う。
そこに何もないかのように暮らしている。
桟橋へ通じる道は固められて立派なのに、その道の話をする人間が一人もいない。
デルタ・リオを思い出した。
うちは川筋の通り道で食ってる街で、人が来なくなったら死ぬんだよと、ゴードはそう言った。
街が生き延びるための理屈というのは、大抵そういう形をしている。
俺は網を繕っている老人の前で足を止めた。
「桟橋から、船はどこへ行きますか」
老人の手が止まった。
止まったのは、指ではなく肩だった。
「知らんよ」
「月に何度か来ますか」
「知らんよ」
「四台のクルマを積んだ船が、ひと月前に」
「知らん!」
三度目の「知らん!」は、最初の二つより早かった。
俺はそれ以上聞かなかった。
聞けば、この人はこの先ずっと、俺に聞かれたことを憶えていなければならなくなる。
憶えている人間が、一番先に困る。
離れようとしたところで、老人が言った。
「兄ちゃん」
「はい」
「ここいらであの船の話をする時は、行き先の名前を敢えて言わんのだ」
老人は網に目を戻した。
「ただ、島と言う」
俺はその場を離れて、ただ砂の上に座った。
海を見ていた。
ここから見える海は灰色で、同じ色をしていた。
島、か。
十三年前まで、俺はこの世界を物語として知っていた。
順番も、名前も、誰がどこで何をするかも、大抵は知っていた。
それを俺は目次と呼んで、六年のあいだ怖がったり頼ったりしてきた。
そしてひと月前、アズサの外れで、俺はその目次を捨てた。
両親は死ぬはずだったのに死ななかった。
ドグもボーグもロールも、目次には一行も載っていなかった。
めくった先は白紙で、これから先に何が起きるかはもう分からない。
分からないから、自分で見て、数えて、順番をつけて、決めるしかない。
そう決めた筈だった。
なのに、この一枚だけが読めてしまった。
グラップラーが船で人を運ぶ先。
名前を言わずに「島」と呼ばれる場所。
そこが何をする場所で、そこに入った人間がどうなるかまで、俺は知っている。
即ちデビルズアイランド。
捨てたはずのものに助けられるというのが、これほど気分の悪いことだとは思わなかった。
しかも、その一枚が俺に教えたのは、たった一つだけだ。
行けない。
船がなければ届かない。
原作でミシカがやられたように泳いで渡れる距離ではない、ただの舟では持たない。
そして俺は、クルマを乗せられる船の値段さえ知らなかった。
六年積んだが足りなかった。
次は六年では足りないというだけの話だと、俺は自分で言った。
言ったが、その先に海があるとは考えていなかった。
日が落ちてから、俺は集落の外れで火を焚かずに座っていた。
月を見た。
細くなって、それからまた太り始めていた。
つまり一つ目の月は、もう過ぎているという事だ。
西で何が起きたのかを、俺は知らない。
グラップラーの連中が来たのか、来なかったのか。
十四人がどうなったのか。
知る方法が一つもない、ということが、これほど堪えるとは思わなかった。
六年間、俺は自分がいない時間のことを紙に書いてきた。
書けばいない時間にも順番がついた。
今の俺は、いない時間そのものになっている。
そこへ、後ろから声がかかった。
「あんた、桟橋を見てただろう」
振り返ると、さっきの老人だった。
網は持っていない。
「船を探してるのか?」
「はい、探しています」
老人はしばらく黙って、それから海の方を、桟橋の方を見た。
この集落で、そっちを見た人間を初めて見た。
「一人だけいる」
「え」
「自分の船を持ってる男が一人だけいる。連中の船じゃない、そいつの船だ」
俺は立ち上がっていた。
立ち上がったことに、自分で気づいたのは後だった。
「どこにいますか」
「海を行き交っている、ここにも寄ることがある。すぐ分かるだろうさ、あんな船は一隻しかないからな」
「ありがとうございます」
老人は、俺の顔を見た。
見て、それから、少しだけ首を振った。
「やめとけとは言わん。言っても無駄ってのは、顔を見りゃすぐに分かる」
「……はい」
「だがな、兄ちゃん。あの男に何か頼むというなら、先に一つだけ考えとけ」
「なんでしょうか、何を考えれば」
老人は、また海を見た。
「あの男が船を出す理由は、今や一つしかない。その船に乗るってことは、必然的にその一つに付き合うってことだ」
「……」
「Uシャーク殺しにな」
目次の項目が、再び俺に突き付けられていた。