『蒼』は荒野を駆ける 作:ぶっぱなす
俺は、その名前を知っていた。
Uシャーク。
潜水艦と鮫が混ざったものだ。
どちらが先だったのかを知っている人間は、もういない。
背中に砲を積んでいて、噛みついた場所を部品ごと持っていく。
目次の中では、それは一つの項目でしかなかった。
スカンクスを倒した後に相対する海の賞金首、討伐は不可避、その代わり船が手に入る。
その程度の憶え方しかしていない。
だが今、俺の前にあるのは項目ではなかった。
足を食われた男が一人いて、その男が船を持っている。
そして俺は、その船に乗らなければ島へ行けない。
捨てたはずの目次が、また一枚だけめくれた。
めくれた一枚には、俺の一番欲しいものの隣に、俺の一番欲しくないものが並べて書いてあった。
船が来るまで、三日待った。
その間に俺の金は、二千三百Gから二千二百四十Gになった。
この集落は水が安い。
井戸が近くに二つあって、どちらも枯れていないからだ。
その代わり油は高い、海沿いで陸から遠いからだ。
荒野で覚えた相場が、ここでは半分ひっくり返っている。
数えるものがなくなると、俺は途端に待つのが下手になる。
待ち方だ、と昔フェイは俺に言った。
お前、待つのは絶望的に下手だからな、と。
当たり前のことだが、いくつ数えれば終わるのかなんて誰も教えてくれる訳がない。
二日目の夜に、俺の右手がまた動いた。
そこにない炭を探して動いた、書くことなど一つもないのに。
そう、書く相手も、読む相手も、一人もいやしない。
四日目の朝、水平線に黒いものが出た。
最初、俺はそれを船だと思わなかった。
形が船に見えなかったからだ。
鉄の塊が一つ、水の上に浮いて、こちらへ寄ってきている。
そういう風にしか見えなかった。
近づくにつれて、輪郭が分かってきた。
長さは、桟橋よりも長かった。
桟橋は四十歩あるから、それより長いということになる。
横腹は高く、船首だけが不自然に低く削られている。
何かを引き上げるための船、サルベージ船だ。
船首に、巻き上げ機の台座が残っていた。
太い鉄の台で、上に載っていたはずのものは外されている。
外した跡の螺子穴が、そのまま残って錆びていた。
そして今は、その台座の上に別のものが載っている。
銛だ。
撃ち出すための装置がついている。
台座に対して明らかに新しく、後から付け足されているのが分かった。
俺は砂の上に立ったまま、その船を見ていた。
見ながら、一つ目を数えた。
継ぎだ。
船体には継ぎが当たっている。鉄板を切って、当てて、溶接した跡だ。
数は左舷だけで九か所、それは問題ではない。
問題は高さが揃っていることだ。
九か所とも、水面から二尺ほど上のところに集まっている。
上でも下でもなく、そこだけだ。
同じ高さの同じ形の傷を、この船は九回受けている。
そういう傷のつき方をするものを、俺は知っていた。
それは事故ではない。
同じ相手が毎回同じことをやって、こちらが毎回同じところをやられている、ということだ。
つまりこの船は、九回やって、九回とも勝っていない。
船は桟橋に着いた。
集落の人間は、誰も出てこなかった。
桟橋を見ない集落だから船が着いても見ないのだ。
降りてきたのは一人だった。
年は五十くらいに見えた。
いやもっと上かもしれないし、下かもしれない。
海の上で灼けた人間の顔は、年を隠してしまうからだ。
背は高くない。
俺より頭半分ほど高い程度で、マリアよりはずっと低い。
だが肩と腕が異様に太かった。
片側に寄った太さではなく、両方だ。
右脚が、膝から下だけ違っていた。
義足だった。
鉄と木を組んで作ったもので、造りがいい。
継ぎ目が滑らかで、軸に遊びがない。
自分用に自分で作ったものだな、と思った。
買ったものは、こういう形にならない。
板の上を歩いてくる、歩幅は乱れていない。
ただ、義足の側に体重を乗せる瞬間だけ、上体が一度だけ沈む。
そこで、二つ目を数えた。
義足の付け根の革が、内側だけ黒くなっている。
擦れて、湿って、乾いて、また擦れている。
革の下がどうなっているかは、見なくても分かる。
道具は直っている、体は直っていない。
この人は、自分の脚のことは丁寧に考えて、自分の体のことは考えていない。
俺は視線を上げた。
上げるのが、たぶん一拍遅かった。
「お前か、船を探してるってのは」
低い声だった。
掠れてはいない、海の上でずっと大声を出してきた人間の潰れ方をしていない喉だ。
「はい、俺です」
「陸の人間が海の船を探すってのはろくな話じゃない」
「そうでしょうね、俺もそうだと思います」
男は俺を見た。
それから、砂の上に置いてあるデュランダルを見た。
順番が、逆だった。
水場の三人は、クルマを見てから俺を見た。
この人は、俺を見てからクルマを見た。
値段のつけ方が違う人間なのだと、そこで分かった。
「船はネメシスだ」
男は船の名を先に言った。
自分の名より先に船の名を言う人間を、俺は初めて見た。
「あんたは」
「シオンです」
頷いて、それだけだった。
何歳だとも、どこから来たとも聞かれなかった。
男は喋りながら、右手の指を動かしていた。
親指と人差し指を、決まった幅に開いては閉じている。
無意識にやっている、話の内容とも、間の取り方とも一致していない。
開く幅は毎回同じで、狂わない。
指で長さを測る癖は、物を引き上げて売る商売の人間なら珍しくもない。
だが、この幅は違った。
サルベージ屋が指で測るのは、鎖や継ぎ手や板の厚みだ。
そういうものは、対象によって幅が変わる。
変わらないということは、この人が測っているものは一つしかないということだ。
六年ぶん、同じものの寸法だけを測り続けてきた手だった。
俺はその幅を目で追って、それが何の幅かに気がついた。
気がついてしまった。
顎だ。
膝から下を一度で持っていく巨大な顎の、開いた時の幅だ。
三つ数えて、俺は結論を出した。
出したくはなかったが、出てしまった。
この人は治らない、まさしく海の復讐鬼だ。
「ビイハブだ」
男はそう言って、義足の側に体重を乗せ直した。
上体が、また一度だけ沈んだ。
ビイハブは顎で甲板を示した。
断る理由がなかったので、俺は板を渡った。
甲板は広かった。
引き上げた物を置くための船だから、真ん中が全部空いている。
その空いた場所に、今は何も載っていない。
縄が巻いてある。網が畳んである。それだけだ。
船首の銛は、近くで見るとよく分かった。
台座に載せた鉄の筒から、返しのついた銛が突き出ている。
発射は圧搾空気だ。後ろに継ぎ足した気筒がある。
オルガに二年半仕込まれた指が、勝手にそこを追った。
悪くない造りだった、弁の位置が理に適っている。
締める順番を知っている人間が組んでいる。
それが分かった瞬間に、俺は少しだけ嫌な気分になった。
順番を知っている手つきを、俺は最近もう一つ見ている。
廃車の墓場で拾った、割れた継ぎ手の座面だ。
あれは荷袋の一番下にある。
「船室は下だ。見るか」
「いえ。ここで結構です」
嘘だった。
本当は下も見たかった。
だが下まで見せてもらうとなると、俺はこの船に借りができる。
代わりに、俺は甲板の後ろ側を見た。
寝床が並んでいる。
外に張り出した造りで、屋根だけがついている。
海の上で寝るための場所を、この船は十一持っていた。
使われているのは、一つだけだった。
残りの十には埃と塩が積もっている。
畳んだ毛布は、畳んだまま固まっている。
一つだけ、毛布が乱れている場所がある。
十一のうち、十。
俺はその引き算を、口に出さなかった。
「用を言え、何が目的だ」
ビイハブは縄の束に腰を下ろした。
座る時も、義足の側から先に落とす。
「島へ、島へ渡りたいんです」
俺は言った。
名前を言わなかったのは、この集落の作法に合わせただけだ。
ビイハブは、俺の顔を一度だけ見た。
「島か。あそこへ渡れるような船は、連中のもの以外にはこの近辺だと二つしかないだろうな。一つはもう沈んだ。もう一つがこれだ」
「乗せてもらえますか」
「駄目だとは言ってないぞ」
俺は硬貨の袋を出した。
出しながら、これでは足りないことも分かっていた。
「二千あります。全部出せます、足りない分は働いて返します」
「金はいらん」
それが、一番困る答えだった。
金が足りないなら、話は簡単だ。
稼げばいい。半年か、一年か、それだけの話になる。
金がいらないと言われた瞬間に、その道が全部消える。
「では、腕を出します」
俺は銛の台座を指した。
「その気筒、締める順番は合ってますが、三番目の弁座が沈んでます。あと二十回撃ったら抜けますよ。俺は直せます。エンジンも、駆動も、ひととおり」
「見りゃ分かる」
ビイハブは言った。
「分かった上で、まだ撃てるから放ってある。俺はサルベージ屋だ。鉄の面倒なら、自分で見る」
「……そうですか」
「間に合ってるんだ、坊主」
二段目も、これで消えた。
「条件が一つある」
ビイハブは、指をまた開いて閉じた。
「Uシャークをぶっころすのに付き合え。それだけだ」
来た、と思った。
昨日の夜に老人が言った通りの言葉が、そのままの形で来た。
「賞金首ですよね」
「三万Gだ」
三万、俺は帳面の相場を知っている。
員数のザーグが一万Gだった。中堅の幹部でそれだ。
その上の、四天王と呼ばれる連中、その一人スカンクスが二万五千。
三万というのは、その上にある額だ。
「支所の帳面で一番上ですか」
「一番上だ。そして額は毎年上がってる」
ビイハブは海の方を見た。
「額が上がり続けてるってのはな。誰も獲ってねえってことだ」
その通りで、賞金は獲られない年数だけ積み上がる。
三万というのは、強さの数字ではない。
何年ぶんの、誰も獲れなかった記録の数字だ。
「何ですか、それは」
嘘だ、もちろん俺は知っている。
テレビ画面の、携帯機の中で何度も倒したからだ。
だが知っていること自体がおかしいので、知らないことにした。
「潜水艦と鮫を、誰かが混ぜた」
「誰がですか?」
「そんなのは知らん。大破壊の前の話だ」
ビイハブは、そこで初めて指を止めた。
「背中に砲を積んでる。海の中から撃つ。噛みついた場所は、部品ごと持っていく。人だろうが鉄だろうが同じだ」
「……はい」
「そして殺し損ねると、必ず潜る。追えん」
それも知っていた。
知っていたが、初めて聞いた顔で聞いた。
「船の左舷、九か所直してますね」
「見たか」
「高さが揃ってます。全部同じ高さです」
「九回追いついた。九回とも、逃げられた」
九か所と、九回。
数が合ってしまった。
「脚は」
俺は聞いた。
聞くべきではなかったかもしれない。
だが、聞かずにこの人と話を続けることはできなかった。
「奴に持っていかれた」
「いつですか」
「十年前だ」
十年。
俺がロールの診療所で薬瓶を並べ始めた年よりも長かった。
「一人でですか」
「ああ……いや」
ビイハブは、義足の膝を掌で一度押さえた。
「最初は一人だった。だが後で人手として家族を乗せていた。女房と、子供たち、弟だ。」
「……」
「全部、全部だ。持っていかれたのは俺の脚と、四人だ」
俺は何も言わなかった。
言う言葉を、俺は一つも持っていなかった。
「同情はいらんぞ」
「してません」
それは本当だった。
俺がこの人に対してやっていたのは、同情ではない。
所見を取ることだ、六年やってきた癖のまま、俺はこの人を分解して見ていた。
そしてもう、結論は出ていた。
「坊主」
ビイハブが言った。
「お前、医者だな」
俺は返事をしなかった。
返事をしないことが返事になると分かっていて、それでも口が動かなかった。
「なんで……なんで、そう思いますか」
やっと出たのが、それだった。
声は裏返らなかった。
「さっき、俺の脚を見たろう」
「……見ました」
「見た場所が違うんだよ」
ビイハブは義足を軽く叩いた。
「脚を見る奴はな、鉄を見る。よく出来てるとか、重そうだとか、そういう見方をする。子供は面白がって見る。女は目を逸らす」
「はい」
「けどお前は、革の内側を見た」
俺は自分の右手を握った。
「傷を見る奴と、切り口を見る奴は別だ。切り口を見るのは医者だけだ」
その通りだった、何一つ反論のしようがなかった。
「言い当てられたのは初めてです」
「十年間、医者に見られてきたからな。断ったのが十九人だ」
「断った?」
「診てやると言われて、断った」
なぜ、と俺は聞かなかった。
聞かなくても、義足の造りの丁寧さと、革の内側の黒さが全部答えていた。
治すと、追えなくなるからだ。
治療には時間がかかる。時間をかけると、そのあいだは海に出られない。
この人は十年間、痛みを追跡の速度に交換し続けている。
「なら話が早いな」
ビイハブは立ち上がった。
立つ時も、義足の側から先に地面へ落とす。
「この船には医者がいない。本来十一人乗る船で、一人だ。俺一人で回してる」
「……」
「Uシャークをぶっ殺した後、船医として乗るんだ、それで島まで運んでやるさ、片道でも往復でもいい。好きにしろ」
俺は、その場から動かなかった。
条件が、通ってしまったからだ。
金は要らないと言われた。鉄の腕も要らないと言われた。
最後に残った札を出したら、それが通った。
出すつもりのなかった札だけが、この人には通った。
乗れる。
俺は今、この人に頷けば、島へ行ける。
「明日の朝には出る」
砂に降りてから、ビイハブは言った。
「乗るなら、それまでに来い」
「……はい」
「来なけりゃ、来ないでいい。俺は待たん」
待たん、と言った。
六年待っている人が、一晩は待たないと言った。
たぶんこの人は、待つという言葉の意味が、もう普通の人と違うところにあるのだと思う。
その夜、俺は砂の上に座って、条件を秤に載せた。
載せるべきものを、脳裏で順番に並べた。
一つ。船医として乗れば、島へ行ける。金も腕も要らずに行ける。
二つ。ただし行けるのは、Uシャークを獲ってからだ。
三つ。あの人は九回追いついて、九回逃げられている。
四つ。十回目がいつ来るのかを決められる人間は、この世に一人もいない。
そこで、一度止まった。
一年かもしれない。二年かもしれない。
五年かかるかもしれないし、来ないかもしれない。
決められない予定に、俺は自分の残りを預けることになる。
その一年か二年のあいだ、西では十四人が門の内側に並べられる。
オルガは島で働かされている。
親父の右手は、半年で握れるところまでしか戻らない。
これだけで半ば答えは出ている。
出はしたのだが、俺はもう少し座っていた。
本当の理由が、まだ言葉になっていなかったからだ。
そう。
名で呼ぶと情が移っちまう。
情が移った相手は、数字になってくれない。
数字にならないものは、順番に並べられない。
あたしは看護婦だ。あんたは医者だ。二人ともそれで飯を食ってる。
六年前、ロールはそう言った。
俺はその通りにずっとやってきた。
患者をあえて個人の名前では数えなかった。
寝台の四人、土間の七人、板の上の五人。そういう数え方をした。
冷たいからではない。
名前で呼ぶと、誰から手をつけるかを決められなくなるからだ。
あの人は情の話をしているように見せて、技術の話をしていた。
そして今夜、俺は初めてその裏側の理屈を考えている。
憎しみもまた、情だ。
俺があいつらを憎んだ日から、俺はあいつらに順番をつけられなくなる。
どいつから獲るか、どこから潰すか、何を先に取り返すか。
憎んでいる人間は、その順番を、一番憎いものから並べてしまう。
一番憎いものと、一番先に潰すべきものは、同じとは限らない。
むしろ、大抵は違う。
だから俺は、あいつらを数字のままにしておかなければならない。
十四人。二十六人。四台。三万G。
全部、数字だ。
数字なら、並べ替えられる。
並べ替えられるものだけが、順番になる。
俺があの人と組めば、たぶん一年で船には乗れる。
だが一年後の俺は、あの人と同じ顔で、憎しみで人を数えているだろう。
同じようにUシャークの幅を、指で測り続ける手になっているに違いない。
答えは出た。
翌朝、俺は日の出前に桟橋へ行った。
ネメシスの縄はもう半分外され、ビイハブは船首で銛の台座に油を差していた。
三番目の弁座の話を俺は昨日したが、差している場所がちょうどそこだった。
「来たか」
「断りに来ました」
手が止まった。
止まったのは指ではなく、肩だった。
「すみません」
「いや、謝られる筋合いはない」
ビイハブは油差しを置いて、こちらを向いた。
「怒らないんですか?」
「怒る理由がどこにある」
その顔は、本当に怒っていなかった。
「俺は六年で、医者を十九人断った。断られるのが、今日で一人増えただけだ」
俺は返す言葉を探して、見つからなかった。
十九対一だ。
勘定はまだ、この人の方が圧倒的に多い。
「理由は聞かんが、当ててやろうか」
「……はい」
「俺みたいになるのが、怖いんだろう」
俺は、そこで初めてこの人から目を逸らさなかった。
「はい」
「賢いな……いや、賢いんじゃないな。まだ間に合ってるだけか」
ビイハブは、自嘲するように少し笑った。
笑うところを見たのは、その一度だけだ。
「船の名前は、ネメシスでしたね」
俺は言った。
言うつもりはなかったのに、口が動いた。
「復讐の女神だ」
「知っています」
「そうか。知ってる坊主は久しぶりだな」
俺は砂の上のデュランダルを見た。
朝の光で、右の前の板の継ぎが見えていた。
「俺のクルマにも、名前があります」
「聞いてやる」
「デュランダルといいます」
ビイハブは、口の中でその音を一度繰り返した。
「聞かん名だ」
「折れない剣の名前です。ずっと昔の話に出てくる剣で、一度も折れなかったそうです」
「なんでそんな名をつけた」
俺は少し考えた。
考えたが、答えはもう二週間前に出ている。
「もう、壊れるものはあってほしくないと思ったからです」
俺の声は、裏返らなかった。
「あなたの船は、名前の通りに走っています」
ビイハブは何も言わなかった。
「俺の車も、名前の通りに走らせたいんです。それだけです」
しばらく波の音だけがしていた。
低い音だ、ここの海はいつも波が低い。
「坊主、一つだけ持っていけ」
ビイハブは海の方を向いたまま言った。
「連中の船を、俺は十九回見てる」
「はい」
「行きは、人を積んでる。幌をかけてな」
俺は頷いた。
そこまでは、桟橋の板の傷を見た時に分かっている。
「帰りは、鉄を積んでくる」
一瞬、意味が入ってこなかった。
「……鉄、ですか」
「鉄だ。板だの、軸だの、組み上がった部品だのを積んで戻ってくる。それを陸で売ってる奴がいる」
俺は、荷袋の一番下を思った。
割れた継ぎ手。
一度目は素人が締めて、二度目に順番を知っている人間が締め直した鉄。
あれは、捨てられていた方だ。
当然捨てられていたということは、拾われた方があるということだ。
島から鉄が出てくる。
鉄が出てくるということは、島に作業場があるということだ。
作業場があるということは、そこで手を動かしている人間がいるということになる。
俺が廃車の墓場で読んだものを、この人は十九回の目撃として、まったく別の場所から持ってきた。
「ありがとうございます」
「礼はいらん。ただの荷の話だ」
ビイハブは桟橋の縄を解いた。
「海はな、坊主。陸ほど広くない」
「はい」
「気が変わったとは言っても、俺は待たん。ただ、走ってりゃそのうち会うだろう」
ネメシスは、朝のうちに出ていった。
俺は砂の上からそれを見ていた。
左舷の継ぎが九か所、朝日の中ではっきり見えた。
十か所目がいつつくのかは、誰にも分からない。
それでも、俺はあの船を軽蔑しなかった。
あの人は間違っていない。
間違っているとしたら、順番の並べ方だけだ。
そして順番の並べ方を間違えている人間を、俺は笑えない。
六年間、俺も何度も間違えているからだ。
集落を出る前に、俺は紙を一枚買った。
砂の上に膝をついて、板を下敷きにして書いた。
書いたのは、順番と量だ。
右の肩は上げると三十度で止まる。無理に回さない方がいい。
手を切ったら洗ってから縫うこと、順番を逆にしない。
熱が出たらまず水と日陰に、薬はその次だ。
書きながら、俺はあの人が樽の縁を指で二度叩く音を思い出していた。
あの人が考えて、決める時の音だ。
あの人はたぶん今も、どこかで二度叩いている。
宛名は書かなかった。
書く場所がないからだ。
書き終えて、俺はその紙をしばらく持っていた。
渡す相手のいない紙は、書き終えても手から離れない。
六年書いてきて、そんなことは一度もなかった。
荷袋の一番下に、割れた継ぎ手が入っている。
その上に、紙を重ねた。
俺は復讐鬼にはなれない。
立派な理由ではない。
憎めば、数えられなくなるからだ。
数えられなくなった人間は、何の順番も決められない。
ただ、それだけの事務的な話だ。
だから俺は、あいつらを冷徹な数字のままにしておく。
全部取り返すまで、ずっとだ。
船が水平線に消えてから、俺は西を向いた。
海に背中を向けるのは、思っていたより力が要った。
目次の一枚は、まだそこにめくれたまま置いてある。
読めてしまった一枚は、閉じても消えてくれない。
ならば、そこにあやかり情報を得ようと思うことにした。
サースティ、グラップラーに抗する人たちが集まった酒場。
デュランダルに乗って、砂を上げた。
月は、また細くなり始めていた。
二つ目の月だ。