あと、ヘリオポリスは平和な楽園とは書きません。
原作1話まで、もう少しかかります。
ヘリオポリスの宙港ロビーは人気が少なかった。
煤けたロビーというより、施設全体が老朽化していた。ベークライト製の壁材には小さなクラックが走っている。壁面のライトは消えている物はないが、いくつかは光りが弱まっていた。とは言え、ロビーの天井照明のおかげで暗くはない。ただ、ふとした時に目に付くというだけだ。年代を経ても古びるだけで、風格など生まれそうになく、機能的故に新しさを失えば、惨めさが滲み出ているように感じた。
──この分では施設のメンテナンスも削減されているのだろうな。
ケイ・エリクセンは人混みに視線を走らせながら独りごちた。
だが、それも仕方のないことなのかもしれない。ヘリオポリスは所詮学術研究のコロニーであり、生産という点において消費過多である以上、世界大戦の最中では中立国オーブという名目を持ってしても維持するコストは馬鹿にならない。現状、動くならそれでいいとオーブ政府が考えている可能性があった。なにせオーブ政府は今や巨額の貿易赤字に追いやられているのだから、生産に直結しないヘリオポリスのインフラは改装より維持が優先だった。
「最近はどうにも不景気で……。学生さんもこっちまで来なくなっちゃって、ずいぶん減っちゃって商売上がったりだ。学生さんも大変でしょう?」
ケイは探るような店主の視線を無視して、目の前にドンと置かれたどんぶりを持ち上げて箸を割った。茶色く透き通った温かいつゆのなかには白い麺、その上に油揚げ1枚とネギが少し。どんぶりの中によせられているのはいわゆるキツネうどんで、ある意味ヘリオポリス宙港では格安で食べられる一種の名物だったが、店の中にはケイ以外にはケイと共に入店した数人だけだった。宙港への入場券がなくても店の中には入ることができる。家族の見送りや出発前の腹拵えに食べる客が多いが、今はずいぶん閑散としていた。
「そうですね。高くて、生活が大変です。少しでも安いところを探さないと」
愛想笑いで受け流し、ケイは食べながらどんぶりを持ち上げるさり気ない所作を装って油断なく周りを見回した。監視らしき人影もない。店の奥まったこの席は衝立やレジカウンターの配置により微妙に監視カメラの影になっていることをケイ達は知っていた。
店主はなおも話を続けた。
「最近は小麦も高くて……。特にコーヒー豆も安く手にはいらないからって、どこの店でも
そう言って差し出されたコーヒーは確かに酷い味だった。顔を顰めたケイ達を見て店主は楽しそうに笑った。
「いつまでこんな事が続くのかねぇ」
ケイは店主のぼやきを聞き流し、うどんの食後にコーヒーは合わねぇと思いながら、冷めきったつゆを飲み干した。
うどんは混ぜ物がないはずなのに合わないコーヒーのせいで、後味が最悪だ。こんなものはうどんへの冒涜だろうと思ったが、周囲はごく普通にコーヒーを飲み干している。店主の視線だけはじっとケイ達をさりげなく視界に収めている。店主の姿勢は店の外を向いているのに、視界から切ろうとしないでいる。ケイ達はちらとほかの学生と視線だけで会話し、同意した。やはり、"アレ"なのだろう。
「でもここも続いて貰わないと。安くて気軽にうどん食べられるところはヘリオポリスじゃ少ないですから」
友人が口を開いて、話を合わせる。それは確かに事実ではあった。ヘリオポリスで安く、本格的なうどんを食べるにはヘリオポリスに腰を下ろした個人店を探すしかない。チェーン店では輸送コストが割に合わないからめったに出店しないのだ。出店しても高価格帯、高級付加価値路線で学生が日常的に食べる物としては割高、というよりボッタクリの価格帯だ。少なくともケイは学生達が日常的な昼食として食べているところを見たことがない。そのなかでこの店はヘリオポリスに腰を下ろしている故のツテで、小麦を輸送し、かつヘリオポリス内で製麺加工していた。これがチェーン店ではそうはいかない。だからこそ学生の間でも人気なのだが、ここも値上げしている。戦前から数えて3回目の値上げだと聞いていた。
ケイはコーヒーに手を付けるのをやめた。不味過ぎた。少なくともこんなコーヒーよりもケイ達の手を使えば真っ当なコーヒーが手に入る。溜め息を飲み込んで、腕時計を見るとそろそろだった。そこで敢えて「もう一杯」と声を上げた。店主が嬉しそうに寄ってくる。
──いつまで続くかなんて、俺のほうが知りたいよ。
知っていたって喋れるわけがない。腹の中で吐き捨て、うどんを待った。だが、無視はしてはケイは店主の言葉が気になっていた。
今に始まったことではない。数ヶ月前から同じ質問を多くの場所で聞いていた。
最初は開戦直後だった。戦争は起こったが、地球連合軍の圧倒的優位により、戦争は終わるはずだ。そう思っていた。その時のうわさはすぐに立ち消えになったが、2度目のときはもう少し違う形で長続きした。ザフトの大規模攻勢により、北アフリカ方面軍の地球連合軍が総崩れになった時だ。これまで地球連合軍は押されこそすれども、1個方面軍の総崩れなど初めての経験だったからだ。とは言え、スエズを渡ってユーラシア連邦軍の相当数の増援が北アフリカに訪れた時点で立ち消えになった。そして3度目、地球連合軍の北アフリカ方面軍を叩き潰したザフトが突然南下、ビクトリア湖を埋め立てていたマスドライバーを陥落させ、ザフトの狙いがマスドライバーの全損であることが明確になった時だった。その度に人々はみな、戦争終結を想像していた。2度目以降は、"屈辱的な講和条約"を想定していたのだ。
しかし、その度にうわさは否定された。地球連合軍は戦争を終わらせる意思を見せず、ザフトも現状維持による停戦を拒否し、戦争を続けていた。裏取りはできていないものの、現場レベルの停戦すら成立しないという話を聞いたことがある。それくらい、連合軍もザフトも戦意旺盛だった。
だから、そろそろ連合軍が反攻を発起するのではないか? というのがケイの実感だった。ケイは史学科からヘリオポリス工科大へ疎開した、珍しい経歴の持ち主だった。だからこれまでの戦争と今次大戦を比較することは息をするより当然だった。そしてこれまでの経過からすると連合軍は反攻の準備をしている可能性が高いということを予想していた。
その兆候はヘリオポリスにあっては露骨だった。例えば宙港の改修工事だ。施設全体が煤けているのに、警備装置だけは異様に目につく。目につかないように配置されているものを含めると、かなりの数だった。顔見知りの役所に勤める技師に聞いたところでは工事では大規模な修理施設がコロニーに新設されるらしい。もちろん、修理施設自体はそれほど珍しくなく、なによりヘリオポリスのようなコロニーには普通に併設されている。実際、ヘリオポリスにも点検や簡単な修理程度なら可能なドッグが併設されているのだ。しかし、新設予定の施設は規模の能力が普通の宙港施設にしては大きすぎるというのだ。それ以外にも関係者以外の立ち入りを厳しく制限している区画があるということだった。だから、宙港の改修工事というより、軍港の新規建設に近いとその技師は言っていた。
宙港に限った話ではなく、似たような噂をケイ達は幾つも耳にしていた。
その時、二杯目のうどんが差し出され、ケイが手を付けた時だった。物音が宙港、ロビーよりも保安検査場の方で聞こえた。ケイは自分がどんぶりを持ったままだったことに気がついて、ようやく手をすっかり下ろしてから、そっと店の外に顔を出した。保安検査場のカウンターにオーブの国境警備隊が何人も向けていた。どうやら人質を取ったらしい。意味がわからないが、店主の顔が少し白っぽく見えた。取ってつけたように店主が「捕物か…………?」と呻いたがケイは気にしなかった。店の入り口からはカウンターが見渡せる。店主の瞳に警戒の色が浮かんだ。
端末の着信を知らせるバイブレーションを胸元で感じた。引き上げるとひと言『ジョーより、"標的"を確認』。それだけの短い文は全員にも届いていて、ケイ達は事が予定通り進んだことを知った。わずかに弛緩したケイ達はそれぞれに指示を出した。一人が無音で端末の上に指をすべらせてChatに指示を書き込んだ。
『ブローへ、気づかれるな、
念押しの指示で、ケイは残ったうどんを啜った。手慣れた仕事のはずだった。以前から手配されていた犯罪者が宙港から出るかどうかを確認したかっただけだ。野次馬根性と言ってもいい。殺人というより、ヘリオポリスから搬出が制限されている電子部品を不正に持ち出そうとしたらしい。その男の名前に連邦系学生にとって引っかかる名前だった。以前にはヘリオポリス向けの輸出入ルートに紛れて植物の不正輸送を試みたが発覚し、国外退去になっていたはずの男だ。ヘリオポリスのようなコロニーでは動植物の輸出入が検疫の都合上、厳しく制限されているし、なにより物資確保のルートとして連邦系学生達も黒いルートを使っているから介入しようとした男を知っていたのだ。だが、この男はいつの間にかに入国していたらしい。それだけならオーブ警察に任せておけばいい。密輸と言っても関税法や検疫法に問われるくらいだ。
それにしても妙な話だった。前歴と、品物の組み合わせで富裕労働層のセンサに引っかかった。他に儲かるものはある。以前のように動植物でもいい。わざわざ電子部品を持ち出す理由が分からなかった。だからケイ達はわざわざ発見したその男のルーティンを割り出し、オーブ国境警備隊にタレコミ、捕物をみることにしたのだ。
今回はオーブ国境警備隊だけではなく、ケイ達の"友人"達も要所に配置され、今のケイのように飲食や小包の受け取りに来ていたり、或いは宙港職員のアルバイトとして清掃員などをしていた。ヘリオポリスのアルバイトのような、この程度の労働人事はケイ達にとって好きにいじれるレベルでしかなかった。
『ブローです。奴の様子がおかしい……。なんか酔ってるみたいだ。動きがまともじゃない』
戸惑いが透けて見える文面に目を落として、ケイは少し迷った。暗く落とした画面を見つめる目が次を決めるまでの瞬間、今度は銃声がまた響いてケイの迷いを押し流した。咄嗟に指示を出す。
『ロビーの出口を固めて待機。監視を続けろ。どこだ』
返信は切羽詰まったように短い。
『
錯綜した情報が次々に書き込まれ、ケイ達は方針を切り替えた。ピンポイントにして観測方法はこの混乱では機能しない。全員がおそらく同じ結論に至ったのだろう。
『11番ゲートから両替所までのルートを監視』
『6番ゲートの近くは撤収、3番ゲートの近くのカウンターに退避』
『両替所の近くの奴は4番ゲートを抜けて目の前のうどん屋に逃げろ』
最後の誰かが打ち込んだメッセージを見てケイは「ここじゃないか!」と声を上げそうになって驚いた。周りの友人たちも打ち込んだ相手をまじまじと見ていた。驚いても手は止められない。ケイ達は相手を責める余裕はなかった。
宙港は人が少ないがそれでもゼロではない。銃声から逃げる人の流れが生み出され、押し流されていく人たちが見えた。銃声は騒ぎの中心で、Chatのメッセージが目まぐるしく流れていた。
『国境警備隊が集結中』『8番ゲート封鎖』『国境警備隊が出航させるなと言ってる』『4番
混乱はしていたが麻痺はしていない。詳細の指示を求めるよりは早く、一人から連絡が入った。
『野郎、まともじゃない興奮剤を打ってるみたい見境なしに打ちまくってる』
確かに銃声は連続していた。
『逃げろ』『逃げていい』『撤収』
ケイ達は同じような退避を促す文面を送り、一斉に画面に溢れた。
相手の銃にケイ達は既に興味を失っていた。しかし現場は混乱を続けている。
──相手の目的はこの混乱だろう。
店の外の混乱は当分収まりそうにない。しかし、この騒ぎでセキュリティチェックがスルーされた乗客も多いはずだ。
ケイ達は顔を見合わせた。
そもそも麻薬でハイな奴が密輸を手掛けることがおかしい。犯罪組織がそんな間抜けならシンジケートもマフィアもとっくの昔に絶滅している。個人の取引でも取引先が警戒して相手にしない。それに航宙船に搭乗予定の客が拳銃を持っている時点でおかしな話だった。
Chatでは離れた場所に逃げたらしい友人達が好き勝手に話していた。
『撃たれたのは居ないと思う』『デカい銃って?』『銃はデカくないけど予備マガジンが下に突き出してた』『ありゃ40発は入っていたぜ』『頭おかしいぜ。戦争でもする気かよ』『ラリってるんだよ。目つきがまともじゃなかった』『聞いたことある。近ごろアフリカで新しい麻薬が流行ってるって。被害妄想で町中でぶっ放す奴も多いらしい』『どうせプラント産の麻薬だろ? 麻薬の組成くらいコーディネイターには簡単だろうよ』
いい加減、本題から大きく逸れて雑談の場となったChatを閉じて画面を伏せた。
──多分、背後ではもっと大きな密輸組織が動いていたはずだ。
ケイ達は既に同様の結論に至り、同時に「やってくれたな」という見解を共有していた。出発した相手がプラント側の人間である可能性はかなり高いと予想できる。とは言え今更追えない以上、ケイ達にできることはほとんどなかった。顔の特定ができればいいが、監視カメラなどありはしない。或いはカメラを向けている野次馬を丹念に当たれば見つかるかもしれないが徒労に終わるだろうし、そこまでやればオーブ官警もケイ達の存在を察知するはずだ。そのようなことは望んでいなかった。
店主が息をなで下ろしているのが目についた。安心したという表情の奥で、瞳がじっと保安検査場の方を見ていた。やがて駆け込んできた他の客を出迎え、席に案内する店主に変わった様子は見えない。それでも油断は解けなかった。
帰ったらデータベースのドブさらいと、突き合わせていたダブルチェックのやり直しは間違いない以上、陰鬱な気持ちは避けられない。
ふと目を下ろすとうどんがつゆを吸って膨らんでいる。口に運ぶと不快な食感になっていた。
──頼み直すのも勿体ないな……。
ケイは無駄になったうどんをかき込んで不味いコーヒーで流し込んだ。
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