燃料補給の休止を二度挟んで都合、約60時間の走行。間一日の保守整備に物資の積み卸し。走り出して二時間少々、各所に問題のないことを確認して全体の指揮を副長を兼務しているエブナー中尉に指揮権を預けて隣室の客人に声をかける。
「お二方、待たせて済まなかった。一杯いかがかな?」
「はっ。お供させていただきます‼︎」
「お供します‼︎」
二人を指揮官室に招待してお湯を沸かし始める。二人に提供した部屋とは広さはそう違いはないが、壁に設られた金属製の寝台と床に固定された執務机は二人の部屋とは趣が違っていることだろう。
「オリエント急行の如き貴賓室…とはいかんが、茶をすることくらいは叶うであろう。寝台にでもかけてくれ。」
そう言って執務用の椅子に腰を下ろす。目の前のラックからソーサーとカップを出す。本物のマーセンの白磁器だ。出征にあたって実家から掻っ攫ってきたものだ。
「あぁ…コーヒーと紅茶、どちらが好みかね。軍用であるが代用品ではない本物だ。」
「では、小官はコーヒーを。」
「あ、小官もコーヒーで。」
狭い部屋にコーヒーの香りが充満する。狭い部屋なので一つ香りが充満したら窓を開けるところだが、コーヒーの香りは別であろう。芳醇と言ってもいい。希少なコーヒーならば香りも大切にしたい。
「まだこう言った嗜好品も手に入る。いつまでかは私も見えないがね。」
「それはどういう意味でありますか?」
「悲観している訳ではないよ。私の麾下大隊の一部がダキア方面に回される。軽便鉄道の敷設も思う様に進んでいない。」
「それは…」
「ダキアと開戦と見ているのだろう。我々鉄道部は貴官らと同時に情報を貰うが、動員の準備から一足早く察することができる。」
「複数面作戦ということですか?」
この幼女、随分頭が切れる。というか本当に幼女だろうか。中身は俺とそう変わらないのではないだろうか。
「北方、西方と抱えてる中で南方もとなるとかなり厳しい。おそらくだが、我々の今後の動員予定から考えると北方と西方を一定のところで膠着させ、ダキアを制圧。北方の協商連合を降伏に近い形で講和、フランソワとの西方戦線に注力したい…と参謀本部は考えているはずだ。」
「中佐は参謀本部に伝手があるので?」
「第307装甲列車師団は今向かっている北方で十編成、中央軍集団との往復に八編成を走らせている。内、三割弱を一度南方のダキア方面に抜かれる予定だ。他からもいくらか抽出した上で新設の師団を編成…師団とは名ばかり臨編戦隊と言ったところだな。そうなると、一度北方を鎮静化させて南方の制圧。南北の整理が出来たところでライン戦線に集中、というのは合理的な選択だろう。」
「作戦参謀のような見解ですね。」
「まぁこう見えても参謀将校課程は修めている。後方に縛りつけるなら相手取るぞ、と申し上げてやったが。」
「相手取る?」
「あぁ。当時の上官だったゼートゥーア大佐にそう言った。」
「相手取るとは…?」
「叛乱起こすぞ…くらいの意味は持たせた。」
ポカンとした表情をしている。まぁ軍人なら冗談でも口先に掠らせていいことではないし、常識を疑われるところだ。
「中佐は参謀本部にいらしたのですか?」
「え、あぁそうだが?」
「なぜ前線を希望されたので?」
「参謀本部の飯は不味い。おかげで第307装甲列車師団第101装甲列車大隊とは名乗っているが、参謀本部にうまいこと使われる便利大隊と言った体だ。」
ここまで話したところで、俺は何を話しているのかと我にかえる。やもすれば子供より幼い幼女に何を聞かせているのか。と、思ったら目の前の幼い将校は吹き出していた。コーヒーが些か冷めてしまった。が、デグレチャフ少尉は満足そうに飲んでいる。
「ところで少尉、一応の配慮をするが、お湯は要るかね?」
「お湯…でありますか?」
「あぁ。機関長に言えば熱湯が貰える。水で割れば体を拭くくらいには使えよう?」
「ご配慮に感謝します‼︎」
ここまで話をして、停車したと同時にゲイリー少尉が入室してきた。
「中佐、失礼します。」
「何事であるか。」
「障害排除車の報告で、右前方の森に銃火と思われる光を観測、ヘブナー中尉の判断により停車しました。」
「よろしい。ヤニングス中尉を出せ。光を観測した地点を調査、必要に応じて戦車を下せ。」
「はっ。では、ヤニングス中尉に伝令します。」
二人を居室に戻らせ、制帽を被り、拳銃を腰に提げて対空砲車輌へ向かう。外に出ると陽が傾いている。制帽…と言ったが、公式の場では着用の禁じられている野戦帽…通称クラッシュキャップであるが。若い将校たちはクラッシュキャップに改造できる旧式の制帽を手に入れるのに、苦心しているらしい。現行の制帽は芯を抜けない対策がなされ、鍔が旧制の物より固くされているために、クラッシュキャップには出来ない。だが、一昔前のニュース映画に出ている将校は皆クラッシュキャップを被っている。いわば歴戦の証だ。そして、何より洒落ているというのだ。
対空砲脇の指揮所に出ると兵員輸送車から出た陸戦隊が整列している。ヘッドセットを耳に当てて、指示を出す。
「ヘブナー中尉、感度あるか。」
『こちら前部砲塔ヘブナーであります。感度あります。』
「よろしい。10.5センチ砲と8.8センチ砲は先代の7.5センチ砲より反動が大きい。アウトリガーの展開を忘れるな。」
『諒解です。』
「軍曹、一応対空監視、厳となせ。」
「はっ‼︎諒解です。」
対空砲座の指揮をする軍曹に声をかけて、タバコに火をつける。半分ほどを灰にしたところでシュワルコフ中尉が指揮所に来た。
「何か不測の事態でも?」
「不測の事態かどうかはわからんが、銃火らしきものを認めたとの事だ。前線まで約200km、ゲリラやパルチザン、工作員がいても不思議ではない。航空勢力は万全であるとは言え、地上はそうもいかんのが現実だろうな。帝国の攻勢限界はここに極まれり…だな。」
「なるほど…我々も出ましょうか?」
「やめてくれ。積んだ部隊に救われたとなれば物笑の種だ。この程度は日常だから心配しなくていい。」
『こちら陸戦隊、ヤニングスであります。特段異常なし。』
「よろしい。撤収しろ。ヘブナー、足を仕舞え。機関長に通達、陸戦隊収容後、走るぞ。」
各所からの諒解の返事を聞いて満足する。前線の装甲列車部隊と、中央を行き来する装甲列車部隊は定期的に入れ替えている為に練度の高さは折り紙付きである。今回の輸送を終えた後、我が101装甲列車大隊もしばらく前線勤務となる。そのために中央軍集団でK5列車砲を受領した。中央の縄張り争いをどうこういうつもりはないが、新たな兵科である列車砲は、鉄道部隊の管轄か砲兵部隊の管轄かで揉めたそうだ。タンクローリーや石炭輸送車が運輸省の管轄か経済省の管轄かで揉めたのに似ている。燃料は経済の根幹を成すものなので経済省の管轄と言い切った官僚は帝国では異色だな。閑話休題、よって各部隊には砲兵から転向してきた元砲兵士官がいる。そもそも砲車がある時点で一定数の砲兵は必要なのだ。
「ところでシュワルコフ中尉、麾下のデグレチャフ少尉は随分とコーヒーが好きらしい。我が車には余剰のコーヒーがいくらかある。当地に着いたらいくらか貴隊に分けよう。」
「ありがりがとうございます。少尉も喜びます。」
あんな子供を戦わせているのだ。少しは気も遣う。
「ゲイリー少尉、輸送司令に連絡、一時間ほど道草を食った。この先の管区で吸収したい。五区除くから二区除くまでの区間の運行状況を問い合わせろ。」
「はっ‼︎陸戦隊の収容完了、アウトリガー格納確認よし、砲身戻し確認よし。走れます。」
「では、走るぞ。警戒体制はそのまま。少尉は通信室に詰めていろ。しばらく防空指揮所にいる。」
機関が唸りを上げてゆっくりと走り出す。クラッシュキャップが飛ばされないようにヘッドセットを装着する。
「中佐は戻られないので?」
「警戒体制だからな。列車砲の連中を先発させたので少々人手が足りん。階級を問わず哨戒はするさ。」
「では、お供します。」
「貴官は客人だ。燃料の積み込みで大休止がある。それまで客車に居るといい。」
「そうでしたか。では、甘えさせていただきます。」
陽が完全に落ちてしばらく、警戒体制を解いて再び居室へ戻る。
暗闇には鉄輪が軌道を走る音が響く。
眠ろうにも軌道を叩く鉄輪の音に妨害されて、鼓膜は二十四時間体制で音を拾い続けてくれる。
「少尉、お湯をお持ちしました。」
「あぁ、ありがとうセレヴリャコーフ伍長。伍長は使わんのか?」
「私は夕方いただいてきました。」
「そうか。」
「それとお食事はどうですか?中佐がエスビットと固形燃料、お肉を分けていただきました‼︎」
目をキラキラさせる伍長を横目に体を拭く。
「肉だと?」
そう言って簡易テーブルに広げられた晩餐…というには野生的な食卓に目を向ける。
Kパンと言われる軍用ライ麦パンとマーガリン、人工蜂蜜。マーマレードはいつも見ているセットだ。エスビットと呼ばれる簡易コンロに乗せた飯盒には野菜のシチューが入っており、副菜として今日はソーセージの缶詰を伍長は選んだようだ。塩と胡椒の小袋を添えている。
「装甲列車大隊の烹炊班の方々が我々の分もまとめて作ってくれました。干し肉はこの大隊の特製だそうです。美味しそ〜。」
そう言いつつ伍長はシチューに見慣れない干し肉を銃剣で削ぎ入れていく。
「なるほど。鉄道で走り続けている間に肉を干しているわけか。」
「対空砲座の脇で干しているそうです〜。」
帝国軍は一般的に本国の兵站基地に集められた食糧は、鉄道で軍集団後方の終端駅に集積、補給所を経由して師団に交付。補給段列を経由して各部隊へと届けられる。帝国軍では一日三食を基本とし、帝国人の食習慣に合わせ昼を50%、夕食が33%、朝食に12%の配分で配食される。残りは補食ということでチョコレートやビスケットが支給されている。そう考えると、ここの列車ではどこから手に入れてくるのか、規定の食事以外に干し肉が付くというのは前線に近い中では恵まれていると言える。というより、中佐の才覚であろう。あの洒落者の貴族将校は本当に優秀らしい。兵隊の腹を満たせているという点で、いい上官と言える。
「では、いただくとしよう。」
「いただきまーす‼︎」
シチューに千切ったパンを混ぜて食べるセレヴリャコーフ伍長は、幸せの絶頂のような顔をしている。行儀の問題はあるだろうが、ここでそれを指摘する者はいない。別のパンには蜂蜜とマーマレードが堆く器用に積み上げられている。なるほどデザートという段取りだろう。さすがにシチューにパンを放り込むのは気が引けるので、真似はしないがこの即席デザートはいい考えだ。
甘味というのは世界を救うと思えてしまう。
ノルデンまでの鉄道旅は少々快適になるかもしれない。そう思ったデグレチャフであった。