禪院の式神姫   作:いかいしんしょうまこーら

1 / 10
幼少期。術式発覚前の5歳頃。


百鬼夜行編
第一話 分家の娘


 

 庭に落ちていた木刀を拾うと、さっきまでそれを振っていた男の子が、慌てて駆け寄ってきた。

 

「それ僕のや!」

 

 言われなくても分かっている。返そうと男の子へ向き直ったが、両手で持っても切っ先が土を擦る。持ち上げようと柄を握り直したところで、後ろから手首をつかまれた。

 

「誰が触ってええ言うた」

 

 稽古を見ていた男が、ウチの手から木刀を奪った。

 

「落ちてたから、拾うただけや」

「なら立てかけとけ。勝手に構えるな」

 

 木刀は男の子へ返された。落としたのはあの子なのに、叱られたのはウチだけだった。

 

「ウチもやってみたい」

 

 そう言うと、男はウチを上から下まで眺めた。何かを確かめるような目だったが、ウチの手も足も見ていなかった。

 

「お前には要らん」

「なんでや」

「女やからや。朔弥なんぞいう名前もろても、女は女や」

 

 縁側で針を動かしていた母さまの手が止まった。

 母さまはすぐに立ち上がろうとして、柱へ手をついた。二度、細く咳をしてから庭へ下り、ウチの隣で頭を下げた。

 

「すみません。よう言うて聞かせます」

「名前だけ勇ましゅうしても、仕方ないやろにな」

 

 男の子は木刀を取り戻すと、すぐにまた振り始めた。切っ先がふらつくたび、男は危ないと言いながら笑った。

 母さまに手を引かれて、庭を出た。廊下の角を曲がるまで黙っていたのは、ウチが何か言えば、母さまがまた頭を下げると分かっていたからだ。

 部屋へ戻ると、母さまはウチの手を開かせた。木刀の柄で擦れたところに、小さな棘が刺さっていた。

 

「痛かったやろ」

「これくらい、どうもない」

「そういうこと言うて、残ったら困るんは朔弥やで」

 

 母さまは針の先で棘を抜いた。指先は器用なのに、息を吐くたび肩が小さく揺れていた。

 

 ◆

 

 その晩、布団に入ってから訊いた。

 

「なあ、母さま。なんでウチ『朔弥』なん?」

 

 行灯のそばで縫い物をしていた母さまが顔を上げた。

 

「嫌になった?」

「嫌やない。でも、男の名前やって言われた」

 

 母さまは縫いかけの布を膝へ置いた。すぐには答えず、針へ糸を巻きつけてからようやく口を開いた。

 

「名前を先に聞いたら、男の子やと思う人もおるやろ? そしたら、顔を見るまでは話くらい聞いてくれるかもしれへん」

「顔見たら、すぐ分かるやん」

「せやなあ」

 

 母さまは笑った。笑ったあとで咳き込み、口元を袖で押さえた。

 

「それでも、母さまにできること、何か一つくらい渡しときたかったんよ」

「今日の人、話聞かへんかったで」

「うん」

「名前、効いてへん」

「うん。ごめんな」

 

 謝ってほしかったわけではなかった。布団から這い出して、母さまの膝へ額を押しつける。

 

「でも、ウチの名前やから。嫌やない」

 

 頭に手が載った。いつもより熱かった。

 

「よかった」

 

 母さまの手は、しばらく髪を撫でていた。

 

 ◆

 

 母さまが朝になっても布団を畳まない日が増えた。

 起きられる日は、縁側で針を持った。起きられない日にも、直し物は戸口へ置かれた。母さまが横になっているのを見ても、持ってきた女は包みを引っ込めなかった。

 

「今日の分や。夕方までに頼むで」

「母さま、熱ある」

「あんたに言うてへん」

「できひん」

 

 女はウチを見下ろし、面倒そうに眉を寄せた。

 

「寝てばっかりやから治らんのや。分家の嫁が、いつまで世話かけるつもりなん」

 

 母さまが布団の中で身を起こした。

 

「すみません。やりますから」

「やらんでええ」

 

 ウチが包みを抱えて廊下へ押し戻すと、女は舌打ちした。腕をつかまれたが、離さなかった。

 

「朔弥」

 

 母さまに呼ばれて、力が抜けた。その隙に包みを取り上げられる。

 

「子どもをちゃんと躾け。術式もまだ分からんのに、口ばっかり達者になって」

 

 足音が遠ざかると、母さまは布団を抜け出した。膝が畳についたまま、立てない。ウチが肩を押しても、前よりずっと軽くなっているのに、起こせなかった。

 

「母さま、医者に診てもらおう」

「大丈夫。寝たら治るから」

 

 その言葉を信じるふりをした。母さまが、ウチを安心させたいときの言い方だと知っていた。

 

 ◆

 

 母屋の裏口まで行って、母さまが熱を出していると伝えた。そこにいた女は、あとで人をやると言った。昼を過ぎても誰も来ない。もう一度行くと、今は手が離せないと言われた。夕方には、何度も騒ぐなと追い返された。

 そのあいだにも、庭では木刀の音がしていた。

 夜、母さまの額へ載せた布は、すぐにぬるくなった。水を替えるために立つと、袖をつかまれた。

 

「もうええよ。朔弥も寝え」

「もう一回、呼んでくる」

「行かんでええ。また叱られる」

「叱られてもええ」

 

 母さまの指には、引き止めるほどの力がなかった。それでも振りほどけなかった。

 

「朔弥。家の人の言うこと、ちゃんと聞くんよ?」

「母さまは聞いてたやん」

 

 返事はなかった。

 

「ずっと聞いてた。頼まれたこともやった。謝ってた。せやのに、誰も来ぇへん」

 

 母さまの喉がかすかに鳴った。息を吸うだけで苦しそうだった。

 

「母さまが悪いんちゃうやろ」

「……朔弥」

「うん」

「ええ名前やからね」

「分かってる。ウチの名前や」

 

 今度は手が頭まで上がらなかった。布団の上を探った指を握ると、母さまは目を閉じた。

 

 ◆

 

 夜中に目を覚ますと、部屋が静かだった。

 咳が聞こえない。

 母さまの手を握ったまま眠ったはずなのに、いつの間にか指先が冷えていた。何度呼んでも、目を開けない。肩を揺らしても、息をしなかった。

 廊下へ飛び出し、声が枯れるまで人を呼んだ。

 熱を出しているあいだは来なかった人たちが、今度は次々と部屋へ入ってきた。ウチを廊下へ出そうとする手に噛みついて、母さまの袖を離さなかった。

 

「医者は」

「もうええ。間に合わん」

「まだ呼んでへんやろ!」

 

 誰かがウチの指を一本ずつ剥がした。母さまの袖が手の中から抜けていく。

 

「この子、どうする」

「分家で面倒見るしかないやろ。術式も出てへん娘や」

 

 母さまを運び出す相談と、残されたウチをどこへ置くかという相談が、同じ声で続いていた。

 

 ◆

 

 朝になる前に、母さまの布団も縫いかけの布も部屋からなくなった。畳には、寝床の形だけ色が薄く残っている。

 障子が白み始めると、庭から木刀の音がした。

 昨日と同じ調子だった。

 ウチは部屋を出た。庭の端には、あの木刀が立てかけてある。今日は落ちていなかった。

 それでも、ウチは手を伸ばした。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。