禪院の式神姫 作:いかいしんしょうまこーら
森を抜けた途端、人の声が増えた。
開けた場所には、両校の生徒が集められている。制服が破れている者、座り込んでいる者、誰かに肩を貸している者。無傷とはとても言えなかったが、少なくとも見える範囲で欠けた顔はなかった。
巨大な根の主の姿もない。
あちこちから聞こえる悪態や呼び声を拾ううち、強張っていた肩から少しだけ力が抜けた。
その中で、東堂がこちらに気づいた。腕を組んだまま、顎をわずかに上げる。
「戻ったか、朔弥」
「そっちも生きとったか」
「愚問だ」
東堂はウチの姿を一瞥した。
「……お前の方は随分と手痛くやられたようだな」
「立っとるうちは平気や」
それ以上は聞かれなかった。
代わりに、こちらへ駆けてくる足音があった。
「朔弥!」
歌姫がウチの前で足を止める。
一度顔を見て、それから視線が一気に下がった。
制服はあちこち裂け、左の裾は血を吸って脚へ重たく張りついている。靴も片方しか残っていない。そのくせ、剥き出しになった左足には傷一つなかった。
血まみれの布の先から、何事もなかったような足が覗いている。知らない者が見れば、どういう負傷をしたのか分からないだろう。
「その足、どうしたの」
「靴、落としてしもた」
「ズボンごと?」
「お気に入りのボンタンやったねんけどなぁ、オヨヨ……」
目元を指で拭う真似までつけてみる。
泣き真似をしたところで、背後からぬっと顔が出てきた。五条だった。
「へえ。派手にやったねぇ」
「バケモン出てきてん。それはそうと、そっちも派手にしたなァ」
森の向こうへ目をやる。
かなり離れた一帯だけ、地面の形がおかしい。
木々の間からでも分かるほど大きく抉れ、土も岩もまとめて持っていかれたように地形そのものが欠けていた。
そこから漂う呪力の残穢は、迷うまでもない。五条のものだ。
「まぁね? ちなみに僕はまだまだ元気だけど?」
「ハッ、うざ」
あれだけ地面を抉っておきながら、一人だけ遠足帰りみたいな顔をしている。
五条は笑っていたが、目隠しの奥の目はこちらを見たままだった。今のウチの呪力量くらい、六眼なら見るだけで分かるのだろう。
「何と戦ったの?」
「そりゃ呪霊や、たぶん特級のな。なんぞ喋りよったわ」
「それで?」
「祓った」
「一人で?」
「見たら分かるやろ」
五条の笑みがわずかに深くなった。
「やるじゃん。詳しいことはあとで教えてよ」
「へいへい」
「朔弥、話が済んだならまず硝子さんに診てもらいます」
歌姫がウチの腕を掴んだ。
指にしっかり力が入っている。どうやら拒否権はないらしい。
「怪我なら治したで」
「治したから診察がいらないとはならないでしょ」
「…………」
「行くわよ」
「……へいへい」
抵抗しても面倒が長引くだけだ。
引かれるまま歩きだす。
数歩進んだところで、後ろから五条の声が追ってきた。
「あとで逃げないでよー」
「教師みたいなこと言うとる……」
「教師だよ、僕」
振り返ると、いつもの軽薄な笑みが戻っていた。
その横では東堂が腕を組んだまま立っている。
少なくとも、京都の連中は全員いる。
それをもう一度確認してから、歌姫に引かれるまま校舎へ向かった。
◆
診察を終え、仕切りのカーテンを回り込んだところで、奥のベッドに伏黒がいるのを見つけた。
伏黒はベッドの上で体を起こしていた。その近くには宿儺の器と東京校の一年がもう一人いて、なぜか東堂まで壁際を占領している。さほど広くもない部屋に東堂がいると、それだけで狭く見えた。
最初にこちらへ気づいたのは、虎杖という名の宿儺の器だった。
「お、禪院先輩」
「朔弥でええで。禪院やと紛らわしいやろ」
「あ、そっか。じゃあ、朔弥先輩」
「……キミ、素直やわぁ。ウチのボンクラどもに爪の垢煎じて飲ませたいわ」
残る一年もこちらを見たが、会釈するだけで特に口を挟まなかった。東堂は、腕を組んだままこちらを見るだけだ。
伏黒へ目を向ける。
「伏黒」
「何ですか」
「禪院に来る気、あるんか」
「ありません」
「ちょっ、伏黒……!」
「虎杖言うたか、ええ。『来い』言うてるわけやない」
片手を振って、宿儺の器を制する。
「ウチんとこの当主に、ちょい恩売ってやろう思てん。伏黒のこと気にしとるからな」
「……俺を?」
「正確には『十種を』やけど」
伏黒の眉がわずかに寄った。
「来る気あるんか、ないんかも分からん奴を、いつまでも勘定に入れとるんも面倒やろ。本人から聞いた言うて、面倒ごと減らしたんねん」
「それで、恩ですか」
「恩なんてもんは、売った側が恩や言い張ったらええねん」
伏黒は呆れたようにこちらを見た。
「……それだけですか」
「それだけや。来る気あるんか聞きに来ただけやし」
伏黒が禪院へ来る気はない。
本人の口からそれが聞ければ十分だった。
断った相手へ食い下がる理由もない。
「ほな、邪魔したな」
踵を返し、医務室の扉へ向かった。
◆
その日のうちに、教師も生徒も一堂に集められた。
全員の意思を確かめた末、交流会は二日目も続けることになった。
そして、競技はなぜか野球に決まった。
◆
二日目。
前日に呪霊が高専へ乗り込み、何人も負傷した。その翌日に、東京と京都で白球を追う。よく分からないが、少なくとも昨日よりは平和だった。
昨日ベッドにいた伏黒も、今日は何食わぬ顔でグラウンドに立っている。
競技とは別に、ウチは上空で遭遇した呪霊について一通り報告した。未登録の人型で、空中にあるものの落下方向を変える術式を使い、人間の言葉を話す程度の知性があったこと。見立てでは特級相当だったこと。最後に、単独で祓ったことも付け加えた。
言えることは全部言った。
問題は、それを裏付けるものが何もないことだった。
ウチが上空で交戦している間、地上では巨大な根の主との戦闘が続いていたらしい。合流したときの皆の有様を思い返せば、上空まで眺めている余裕のある者がいなかったのも不思議ではない。
監視記録も残っていない。
祓った呪霊は最後には跡形もなく消えた。欠片一つ持ち帰っていない。
結局、記録に残ったのは、推定一級以上の未登録呪霊と単独で交戦し、本人が祓除を申告したという事実だけだった。
対象の等級も、祓除そのものも、客観的には確認できない。
戦果は未確認のまま記録された。
あれだけ苦労したのに、昇級材料にはなりそうになかった。
「……割に合わんなぁ」
思わず声が漏れた。
納得できないわけではない。
証拠はない。目撃者もいない。本人だけが「特級を祓いました」と言っている。
ウチが逆の立場でも、それだけで通すことはできない。そんな申告が認められるなら、等級も審査も意味を失う。
報告する前から半ば分かっていたことだ。
それでも、黙っておくという選択肢はなかった。
あの術式は厄介だった。落下する方向そのものを変えられる。仕組みを知らずに空中で捕まれば、身体強化ができようが式神を持っていようが、まともに動くことすら難しい。
しかも、万が一の確率として、あれが一体だけとも限らない。
同じ術式を持つ呪霊がもう一度現れたとき、何も記録がないよりはましだった。
昇級材料にはならなかった。それでも、次に誰かが同じ相手と遭遇したときの助けにはなる。
そう考えれば、完全な骨折り損でもない。
いや、左足首から先を持っていかれ、鳥葬のように肉を啄まれたことを考えれば──。
「……やっぱり割には合わへんなぁ……」
Tips:朔弥の制服。短ラン+ボンタン(学生時代の夏油みたいな感じ)。インナーは白のショートタンクトップ。普段は前を閉じる風紀的優等生。