禪院の式神姫 作:いかいしんしょうまこーら
手元の文机に、二つの書類を並べていた。
一つは伏黒恵。もう一つは、交流会の最中に朔弥が祓ったとされる呪霊についての報告書だ。
向かいには、朔弥が座っている。
「それで、小僧はどうだった」
朔弥は少しも考えずに答えた。
「禪院に来る気はないそうや」
「……そこまで聞けとは言っていない」
命じたのは、伏黒恵の実力を見てこいというところまでだ。
「どうせそのうち訊くことになんねやから、本人おるときに聞いといた方が手間ないやん」
悪びれた様子もない。
百鬼夜行のときは、こちらが「見ておけ」としか言わなかったのを良いことに、探しもしなかった。
今回は実力を見てこいと命じたら、頼んでもいない返答まで持ち帰ってきた。
命令されたところまではやる。その先は、自分に得があるなら勝手にやる。
扱いづらいことこの上ない。
「それで、十種の使い手としてはどうだ」
朔弥がわずかに肩を竦めた。
「いくらかは調伏しとるし、拡張術式も使えとった。実戦で使う分には困らんやろな」
「お前と比べてどうだ」
「ウチが上や」
即答だった。
「ただ、全部見たわけやない」
自分が上だという評価は断言する。一方で、見ていないところまで推し量って話を膨らませる気はないらしい。
伏黒恵の資料へ目を落とす。
甚爾の息子。五条悟の庇護下にいる十種影法術の使い手。そして、禪院家へ来る意思はない。
本人の口からそこまで確認してきたのなら、少なくとも一つ手間は省けた。
「分かった」
資料を脇へ寄せる。
代わりに、もう一枚を手前に引いた。
「次だ。この呪霊は何だ」
報告書には、分かっていることがほとんどない。
交流会を襲撃した呪霊の一体。
朔弥が単独で交戦し、祓ったと申告している。
直接の目撃者はいない。残骸もない。残穢もない。
それ以上を知るには、朔弥の話を聞くしかなかった。
「知らん。少なくとも、高専で把握しとる呪霊やなかった」
「術式は」
「それに書いとるまんまや。落ちる向きそのものを変えとる。上でも横でも、そいつが指した方に落ちていく」
「それだけか?」
「会話できる。ついでに領域もや」
「領域を?」
そこで初めて、報告書から顔を上げた。
「そうや」
朔弥は平然としている。
「それを、お前が一人で祓ったと?」
「『そうや』言うとるやろ」
事実なら、一級どころの話ではない。
領域を扱う呪霊を相手に、単独で生き残り、そのまま祓った。
特級と見ても不思議ではない相手だ。
だが、見た者がいない。物証もない。
本人が強かったと言うから強かった、では実績にはならない。
「どうやって領域に対処した」
朔弥が一度だけこちらを見る。
「そらあれよ、領域展開。不完全やけど」
あっけらかんと言う。
俺はしばらく、何も言わなかった。
聞き間違えるような言葉ではない。
目の前の朔弥を見る。
十種影法術が発現した時点で、禪院家にとって無視できない術師になった。だが、領域展開にまで届いたとなれば、無視できないどころの話ではない。
そこまで自分の術式を突き詰めたということであり、家の者の誰よりも先んじているということでもある。それは、当主である俺であっても例外ではない。
「どんな領域だ」
「それは言わへん」
「名は」
「言わへん」
「何ができる」
「それもや」
術師が自分の術式を伏せること自体はおかしくない。
ましてや呪術の秘奥だ。知っている者が少ないほど、価値はある。
とはいえ、不完全であれ領域展開に至ったと言われて、そうかと聞き流すつもりもなかった。
「それだけで信じろというのか」
「信じんでええよ」
あっさり言い切る。
なら、なおさら妙だった。信じさせる気もないのなら、領域を使えることまで明かす必要はない。
「なら、なぜ話した」
「アンタ、知りたいやろ?」
否定する理由はなかった。
十種影法術の領域展開。それも、禪院家の人間がこれまで誰も完全には辿り着いていないものだ。
「……何が欲しい」
「一級の推薦」
そう来たか。
「推薦一つで、領域の詳細を話すと?」
「ちゃんと一級に上がるための審査、受けられたらな」
一度、朔弥を見る。
「推薦を出した時点ではないのか」
「当たり前やん。二人いんのに直毘人だけやと審査まで行かれへんやん。もう一人捕まえて、ちゃんと審査受けれてからや」
つまり、今は話さない。
こちらに推薦だけ先に出させる。
朔弥が二人目の推薦者を確保できなければ、領域の詳細はこちらへ来ない。
「ずいぶん都合のいい取引だな。伏黒の調査は命じた仕事だ。その上、領域の話は先送り。それで推薦を寄越せと?」
「伏黒の実力見てこいとは言われたけど、禪院に来る気あるかまで聞けとは言われてへんで」
「お前が勝手にやったことだ」
「せやから、その分の恩を売ったんやんか。先回りして仕事しといたで、って」
理屈だけは通してくる。
「それにな」
朔弥がわずかに身を乗り出した。
「そっちの知りたいことだけ知らせ言うんは、虫が良すぎるんとちゃうか」
生意気な口を叩く。
だが、ここで腹を立てる話でもない。
朔弥が嘘をついているなら、その先で露見する。
一級相当の実力がなければ、推薦を出したところで落ちるだけだ。
悪い取引ではない。
「いいだろう」
朔弥の眉が僅かに上がった。
「推薦までは出してやる。その先で躓くようなら、それまでだ」
「十分」
返事も早い。
「ただし、二人目の推薦を得て、正式に審査へ進むことになった時点で領域について報告しろ。途中で推薦を取り下げるような
「ええで」
「誤魔化すなよ」
「そんなみみっちぃことするかいな」
用が済んだとばかりに朔弥が立ち上がる。
「ほな、頼んだで」
そう言い残して、襖の向こうへ消えた。
◆
足音が遠ざかる。
一人になった座敷で、伏黒恵の資料をもう一度手に取った。
禪院家へ来る気はない。
その返答を、朔弥は勝手に聞き出して持ち帰った。
未登録呪霊については、証明できないものを実績として認めろとは言わなかった。
自分が領域まで届いたという情報も、ただでは渡さなかった。
代わりに求めたのは、一級になることでも、次期当主に選ぶことでもない。
自分の実力を公に測らせるための入口だけだ。
昔の声が蘇る。
──誰にも無視できんくらい強うなったらええんやろ
母親を亡くしたばかりの子供が、この座敷で言った言葉だ。
あのときは、大言壮語だと思っていた。
十種が出た。だから自分は強くなる。当主になる。
子供なら、それくらいのことは言う。
だが今は、自分を信じろとも、特別扱いしろとも言わない。
証拠のない祓除を押し通そうともせず、領域を無条件で差し出しもしない。
使えるものを持ってきて、欲しいものと交換して帰った。
あとは、自力で掴むつもりらしい。
伏黒恵の資料を元の位置へ戻す。
文机の引き出しから、一級術師推薦の書類を一枚取り出し、その隣へ置いた。
決めるのは、まだ先だ。
だが、もう子供の大言壮語として聞き流せる段階ではなかった。
Tips:昇級における禪院家の妨害。原作の真希同様、朔弥の昇級にも妨害はある。女ではあるが、相伝術式の十種影法術使いであるため、体裁として冷遇しにくいことで朔弥は二級術師。
Tips:十種影法術の領域展開。摩虎羅を調伏してはじめて完全となる。不完全ながらも領域を開けるだけでも一握の上澄み。